執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.問題点が見えてきました
 この連載も第4回目を迎えることができました。ここまでで見えてきたものが2つあります。一つ目は、教師が発信している概念を生徒がどのように認識しているのかという問題です。二つ目は、わかりやすい教材を作成しようとする時に直面する、教師と学問の関わり方という問題です。
 この2つの問題は、つながりを持っています。教師は、生徒にとってわかりやすい教材をつくるために生徒の認識状況を調べます。同時に教師は目の前の生徒に適した教材を作成するのですが、そこで直面するのが経済学の世界です。どこまで生徒の認識に即した具体的事例を当てはめていいのかを考えるのです。
 そこで第4回目は、経済に関連する概念を生徒に伝えることについてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

1.はじめに登場する概念
 筆者が使用している教科書で、経済分野のはじめに登場する概念に「機会費用」があります。さて、どうやって手に取って見ることのできない知識を生徒に伝えたらよいのでしょうか。職員室では「概念を教えるのは難しいねー」という会話が聞こえてきます。
この難しさを乗り越えるために考えることは「どうして機会費用を学ばなければいけないのか?」を生徒と共有することだと狙いを定めました。

2.なぜ「機会費用」を学ばなければいけないのか?
 「さあ、今日から経済分野の学習です。教科書のはじめに登場するのは『機会費用』・・・」なんて授業をはじめてしまうのは、生徒にとっては教える側の都合に聞こえてしまいます。生徒は「なんで機会費用なの?」、「それ学習していいことがあるの?」と受け止めてしまうと思うのです。
筆者は、目の前にいる生徒について、教科内容の知識が生活経験から得た知識と接する時に何らかの反応をするのではないかと推測しています。
そこで機会費用の事例探しが始まるのです。筆者は「高校生の進路」を題材に選びました。

3.経済学習の入り口で概念を教えることができるのか?
 経済学者の猪木武徳先生は「われわれが観察の対象を認識する場合、実は目で見ているというよりも、概念で見ていると表現した方が適切なことが多い」と指摘しています(『経済社会の学び方』中公新書)。
筆者は高校生が抱えている進路の問題をストーリー化して提示することで、自分の人生を選ぶということを考え、そこで得られる価値と得ることのできない価値を概念として受け止めることができると判断しました。

4.現在地の確認
 旅行にしても、授業にしても、どこかに向かうという目的地を設定する時に重要なのは現在地の確認です。今どこにいるのかということを知っていて、はじめて目的地との関係を把握することができます。目的地として設定した「機会費用」は経済学ではどのように表現されているのでしょうか。
 例えば、経済学者ヴァリアンの『入門ミクロ経済学』(勁草書房)を読むと、「(機会費用の名称の由来は)ある人が自分の労働をあることに用いている場合、他の雇用機会を棄て、その雇用から得られるはずの賃金を失っていることによる。したがって、その失われた賃金は生産費用の一部である。」とあります。
「同様に、土地を例に取ると、農業者は農地を誰か他の人に貸す機会があるが、その農地を自分自身に貸すために得られるはずの地代をあきらめている。この失われた地代は機会費用の一部になる」、と続けて書いています。
 この記述から、機会費用を高校生に教える場合、比較的幅広く例えを示すことができそうだという見通しが立ってきました。

5.大きな授業の流れ
 (1)体はひとつしかない
 忙しいサラリーマンの台詞ではありません。高校生も体はひとつしかないから、選ぶことのできる進路先は1つだということです。ということは、選ばなかった進路先はいくつあるのでしょうか。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・とあがります。その進路先候補に順位を付けることはできますか。このような内容で生徒と対話する授業をつくってみたくなりました。
 
(2)授業展開の順番
 ① ある生徒がもつ将来の希望は?→大学進学
 ② 大学卒業後の進路希望を問うと →パッと6つ思い浮かんだとします
       第1位:家電メーカー
       第2位:自動車メーカー
       第3位:食品メーカー
       第4位:芸能界
       第5位:プロ野球選手
       第6位:ユーチューバー    という具合にです。
 ③ 選ぶことができる選択肢はいくつかと問うと?  → ひとつ
 ④ それでは、選ばなかった選択肢で最も価値のあるものはと問うと→自動車メーカー
 ⑤ 希望する進路として「家電メーカー」を選んだ場合、他の希望する進路にはすすめません。そのときの機会費用は自動車メーカーを選択したときの利益に等しいということを学習します。
  
(3)選ばなかったものを考えるということ
 高校生にとっては選ばなかったものを丁寧に可視化して考えるという習慣は、あまり見られません(真剣に考えていた生徒の皆さんごめんなさい)。きっと多くの高校生は、なぜ“選ばなかったもの”に注目する必要があるのかという問いを持つと思うのです。
 経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは『スティグリッツ ミクロ経済学(第4版)』(東洋経済新報社)の中で、「経済学では、一般の人が用いるのとは異なった費用概念をいくつか用いる」としたうえで、機会費用は比較優位について考える際にあてはめることができる概念だと説明しています。
なぜ機会費用を学ばなければいけないのか?その答えの一つは、これから学ぶ経済分野の学習で繰り返し登場する概念だからと授業で説明することにしました。
 
6.目的地の確認
 次は目的地について考えます。授業づくりの視点で表現する必要があるので、ここからは目標と言いかえます(評価しなければいけないからです)。
具体的な目標は、2022年大学入学共通テスト第2問の問3に関して答えることができることとしました。実際の問題は次の通りです。
 
生徒Xは、クラスでの発表において、企業の土地利用を事例にして、機会費用の考え方とその適用例をまとめることにした。次の生徒Xが作成したメモの空欄に入る語句として適当なものを①~③の中から選びなさい。これが問題文です。生徒が作成したメモは次の通りです。
 ・機会費用の考え方・・・ある選択肢を選んだとき、もし他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のうち、最大のもの。
 ・事例の内容と条件・・・ある限られた土地を公園、駐車場、宅地のいずれかとして利用する。利用によって企業が得る利益は、駐車場が最も大きく、次いで公園、宅地の順である。なお、各利用形態の整備費用は考慮しない。
 ・機会費用の考え方の適用例・・・ある土地をすべて駐車場として利用した場合、他の用地に利用できないため、そのときの機会費用は(空欄)を選択したときの利益に等しい。

 以上が生徒のメモで、この(空欄)に入る選択肢として ① 公園 ② 駐車場 ③宅地という三つの候補を示しました。

7.きちんと読みとることで正解できる問題
 まだ経済についての学習をはじめていない生徒を対象にこの問題を解いてもらいました。普段の授業では入試問題を教室に持ちこむことはしていません。問題文を見た生徒はビックリしたと思います。
採点をしてみると、予想を超える高い正答率でした。クラスによっては、ほとんどの生徒が正解だったというクラスもありました。
この問題は、知識を問う問題ではありません。文を読み込むことで正答にたどり着くものです。
 ここで気になるのが、きちんと読み込めていない解答がいくつか見られたところです。
実は、この問題を提示したときに、次の2つの質問も同時に投げかけていました。
一つ目は「どうしてその選択肢を選んだのですか?」というものす。
二つ目は「あなたが最近感じた『機会費用』って何ですか?」というものです。
この質問に対する回答から、問題文をどう読み解いたのかという手掛かりをつかむことができると考えたのです。

8.いろいろな認識があるようだ
 正解にたどり着くことができなかった生徒の記述を分析してみると、いろいろなパターンを見つけることができました。
 第1は、生徒が作成したメモ中の「ある土地をすべて駐車場として利用した場合」という部分を読み飛ばしてしまったのではないかと推測できる場合です。この場合、②の駐車場を選んでしまうわけです。
 第2は、教師の説明で機会費用についておおよそ理解できているのに、活字で問題文を読むと知識が混乱してしまうという場合です。
「あなたが最近感じた「機会費用」って何ですか?」という設問にはきちんと答えられているのに、紙で書かれた問題文を読むと誤答を選んでしまうという場合です。
 第3は、あるクラスで見られた現象です。そのクラスでは、機会費用という概念を説明する際に計算問題を混ぜて授業をすすめたのです。すると、極端に正答率が低くなってしまったのです。
なぜ正答率が低いのか、原因はわかりません。読解が苦手な生徒が偶然に集まってしまったのか。それとも計算問題なんて入れないで、教えることをひとつに絞り込んで教えるべきだったのか(筆者はおそらくこれが原因だと推測しています)。いや、もしかしたらパワーポイントを用いて説明したことが原因なのか。いずれにしても、これから授業をすすめていく中で分析を続けていかなければなりません。

9.詳しくは「夏の経済教室」で
 今回の内容は、2022年8月16日と19日の「先生のための夏休み経済教室」で発表する内容の一部になっています。この教室では、なぜ本稿で書いたことを考えるようになったのか、また具体的な教材はどのようなものであったのかということを共に考えることができればと思っています。皆様と画面を通してお目にかかることを楽しみにしています。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 
第3回 

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