執筆者   新井明(経済教育ネットワーク)

 学年末でもあり、これまでの授業を振り返る時期、自分がやってきた授業で「これは使える」と思う教材を棚卸してみました。何度も紹介した内容ですが、先生方の授業作りのヒントになれば幸いです。
 <鉄板>教材とは、いつでも・だれでも使えて授業効果が上がる、共有財化している教材を言います。本来は「鉄板ネタ」として必ず受けるネタとしてつかわれている言い回しの転用です。
<鉄板>教材は、一度本コーナでも取り上げたことがあります(メルマガ131号)。 このとき取り上げたのは「貿易ゲーム」でした
 今回は、それ以外に筆者が長年使ってきた教材のベスト5(貿易ゲームを入れると6)を紹介します。ただし、順番は優劣ではなく授業の進度順です。

(1)ケーキの分け方
 一つのケーキ、それもひっくり返っているイチゴのショートケーキを二人が分けるという極めて単純な話です。
 条件はできるだけ公平にわける。その方法は?と問います。
 有名な話なので、答えを知っている生徒はしゃべってはダメと念押しをして生徒の回答を引き出します。
 これは経済の授業の冒頭、資源の希少性の部分で使います。イチゴとスポンジ部分を交換する、先に見つけた人間が全部とる、はたまたミキサーでまぜてはかりで量るという解   まで登場します。
 一応の正解を紹介して、なぜこれが経済で登場するのかを説明して経済の授業がはじまります。
 この教材は、政治の学習でも、法の学習でも使えます。政治だったらケーキは権力、法だったら所有権の話、先占の法理の話などの導入に使えます。
 ウクライナ戦争では、ウクライナの土地をケーキに例えて、ロシアの侵略をイメージさせました。

(2)『レモンをお金にかえる法』正・続
 アメリカで半世紀前に出版された絵本です。日本に紹介されて40年を超えました。筆者は40年間、経済の授業ではこの絵本のストーリーをベースにして授業の流れを組み立ててきました。私の十八番中の十八番です。
 正編はミクロ経済学、続編はマクロ経済学をベースにしています。
 正編では、レモネードの値段の決まり方、企業のたちあげ、労働者とのトラブル、価格競争、M&Aなどが取り上げられています。
企業の立ち上げに豚の貯金箱とパパからの借金は登場しますが、残念ながら株式は登場しません。
 続編では、コストプッシュインフレ、インフレスパイラル、不況とその対策(社会保障、財政政策、金融政策)が取り上げられています。
 続編は第一次石油危機をベースにしているので時代性を感じますが、物価と賃金のいたちごっこはデフレスパイラルの説明にも使えます。
 経済活動のイメージをつかませる、景気変動と経済政策のイメージをつかませる最初の動機付けに有効な教材です。できれば英文で読ませると、一石二鳥です。

(3)じゃんけんゲーム
 囚人のジレンマの数値例を使った簡単なゲームです。
 筆者は、『レモン』のなかの二人のこどもの価格競争の場面でこれをやらせます。
 共倒れにならないために二人がやったことは何かを問います。絵本での答えは「合併」ですが、他にもどんなやり方があるか、それは認められる方法かなどを聞いてゆきます。
 ゲーム理論のいくつかのパターンを紹介することもあります。
 単独で、もしくは国際政治の学習場面で使うこともできます。
 人格が出てくるゲームだからねと念をおしてやらせると、人間関係の機微に気づくこともできます。

(4)ヘリマネ体験
 金融政策の箇所で行うシミュレーションです。
 教室を半分にわけ、同じ品物をオークションにかけます。片方のグループともう一方のグループに配布する貨幣量の差を2倍にしておきます。
 オークションの結果をみて、なぜそうなったのかを考えさせます。
 種明かしをしてフリードマンのヘリマネ論を紹介して、黒田日銀がアベノミクスでやろうとしたのはこれなのではと問題提起。
 応用問題として、ベースマネーを増やして、これだけ日銀がお金を世の中にばらまいているのになぜ目標通りにならないのかを推定させます。ここまでやるのは中学生にはちょっとむりかもしれませんが、高校生だといろいろ回答がでてきます。
 単純な貨幣数量説で政策が行われているわけではありませんが、まずは大雑把に本質に近いものを理解するのに役立ちます。

(5)株式学習ゲーム
 ご存じ東京証券取引所と日本証券業協会が開発・運営している株式シミュレーションです。
 開始以来20年を超し、教材として定着したものと言えるでしょう。
 この教材、「間口が広く、奥行きが深い」と思っています。対象は流通市場ですが、どこからでも入れ、ここを入り口に企業、金融、金融政策、パーソナルファイナンス、為替変動、政治動向などに興味や関心を広げることができます。
 スマホからも参加できるようになり、アクセスが良くなっているところも<鉄板>教材の資格ありかもしれません。

 これ以外にも、「金融クエスト」など定評のある教材が作成されています。また、先生方が開発された教材がネットワークの部会や教室で紹介されています。
 これらが、どこまで<鉄板>になるか、「追試」を行うことでフィルターにかけられてゆくはずです。
 授業のなかで、自分なりの<鉄板>教材を持つことをこころがけてみてください。きっと授業準備に余裕が生まれると思います。また、ここを拠点にして現実の経済の課題に挑戦させる手がかり、足がかりが得られるはずです。
 ちなみに、先生方の<鉄板>教材はなんでしょうか?

執筆者  大塚雅之(大阪府立三国丘高等学校)

(1)はじめに
 以前のメルマガ(第140号)で「結婚を題材とした授業」を提案したところ、色々な方からおもしろかったと言っていただけました。
 
今回も結婚を題材とした授業第二弾を提案してみたいと思います。
ここ数年間で、世界各国で同性婚が制度として導入されていることなども踏まえて、現在の日本の結婚制度の在り方を批判的に考えさせる授業です。

(2)データを読み取る
まずは各国の同性婚の導入年を確認します。
現在では、31の国・地域で同性婚が可能になっているようです。推移を見てみると、2000年代からこのような動きが始まったことが読み取れるでしょう。まずは、このようにして日本の結婚制度は絶対的なものではないことをデータから分からせることができるはずです。(NPO法人 EMA日本HP)
次に日本の婚活に関係するデータを読み取らせます。
結婚相談所大手のデータによると、日本の婚活市場は拡大しており、日本経済新聞の記事によると2021年の結婚相談所への20代の入会者数が2018年に比べて4.7倍に拡大しているようです。ここではさらに、婚活市場がなぜ拡大したのか、入会者の年代別の推移などについても、生徒に読み取らせます。(「婚活実態調査2022(リクルートブライダル総研調べ)」)
そうすると、コロナの影響で婚活サービスを利用する人が増えたのではないか、高齢化のため、高齢者の婚活サービス利用が増えているのではではないかといった考察が出てくるのではないかと思われます。また、結婚相談所への入会が増えたのは、婚活アプリを活用するうちに、婚活サービスへの抵抗感が薄れたことからではないかといった考察も期待されます。
ここで「みんな、なぜ結婚したいと考えているんだろう?」と問います。
「お互い好きならば一緒に暮らしたいと思うのでは?」と答えると思いますので、「それは別に結婚という制度を利用しなくてもできるのではないか?」、「お互い浮気をしないために」と答える生徒には、「弁護士立ち合いのもとで、契約書を作成したらいいじゃないか?」と返すと良いでしょう。

(3)なぜ結婚しようとするのか?
これはなかなか深いテーマです。
『サラバ!』や『漁港の肉子ちゃん』などで有名な直木賞作家の西加奈子さんは、結婚で一番よかったこととして「『結婚せえへんの?』って言われなくなったのが、 めっちゃストレスフリーやねん」とトーク番組で答えています。
また、社会学者の古市憲寿さんは自身がコメンテーターを務める番組で、元AKBの指原莉乃さんに「古市さんはいつか結婚したいですか?」と聞かれた際に「したいですよ。だって、世間体がありますからね」といってドン引きさせていました。
この二人の発言からも推察されることは、結局のところ日本では結婚に対する社会的圧力がかなり強いということです。つまり、法的に認められたパートナーがいないだけで肩身の狭い思いをさせられる。これが現在の日本の姿といったところではないでしょうか。
コロナ全盛のころに「マスク警察」が話題になりました。婚活においても、「結婚警察」なるものが存在しているのかもしれません。

(4)事例研究「婚活ナッジ」
そうなってくると、結婚制度自体が本当に必要なのか、法的なパートナーを持つことを暗黙のうちに国家が強制しているのではないかという話になってきます。すると、国家が個人の内面にまで侵入しても本当に良いのかという問題にもなってきます。
ここで登場するのが、「婚活ナッジ」です。以上を踏まえて次のような事例について生徒に考えさせてみてはどうでしょうか。

<事例研究>
A市の政策担当者は、市内に結婚したいと考える独身が多くいるのでその人たちを援助するため、また市の将来の少子高齢化を食い止めるために「婚活ナッジ」を考案した。
具体的には市主催の婚活イベントを開催したり、婚活にむけて取り組む企業を優良婚活支援企業として認定したりするといったものである。
また、市役所内でも、すべての独身職員に既婚の助言者をあてがい、婚活上の相談の機会を提供していこうとした。
さらに、結婚した場合の日本での税制上の優遇措置についても周知も行った。しかし、このナッジは、「独身ハラスメント」ではないのかという指摘もある。
参考:那須耕介・ 橋本努 『ナッジ!?: 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム 』(勁草書房)

(5)おわりに
前回も言い訳のように最後に書きましたが、このような授業は非常にセンシティブで学校の状況によってかなり実施が難しいかもしれません。テーマ学習とせずに生徒が食いつきやすいネタとしてデータを示していくという方法もあるかと思います。
ただし、既存の社会の仕組みの背後には、その仕組みを作った人たちの価値が反映されているはずです。
そのような価値に同意できなかった人達が、声を上げにくいでいると考えられるのであれば、人権や道徳の時間ではなく、民主的な市民の育成をめざす社会科・公民科こそが、このようなテーマを積極的に扱うべきであるのではないでしょうか。

執筆者 大阪府立三国丘高等学校 大塚雅之

1 新学習指導要領用の共通テスト試作問題が公表された
先日、大学入試センターから新課程における共通テスト試作問題が公表されました。
令和7年度試験の問題作成の方向性,試作問題等 | 独立行政法人 大学入試センター

今回はこの問題を分析した上で、これをどのように授業にいかすべきかのヒントを提言したいと思います。
試作問題のうち、経済教育に関わるのは、「公共、政治・経済」、「公共、倫理」、「歴史総合、地理総合、公共」の3つです。
このうち、「公共、政治・経済」、「公共、倫理」では、「公共」の共通問題が8問出題され、残りは「政治・経済」、「倫理」に関する問題でした。
「歴史総合、地理総合、公共」は、3つの科目のうち2つを選択していく形式です。ここで出題されている「公共」の問題は16問、そのうち8問が先ほどの「公共、政治・経済」、「公共、倫理」との共通問題でした。
これらの問題のうち、経済教育に関して注目すべき2題に関して記したいと思います。

2 相関係数が登場した
最初にとりあげるのは、「公共」 第2問の問2「子育て支援に関する問題」です。
①どんな問題か
OECD各国の子育て支援の状況について、二つの散布図を読み取る問題です。
散布図の一つは、縦軸に合計特殊出生率、横軸に「現金給付」対GDPをとったもの(図1)、もう一つは、縦軸に合計特殊出生率、横軸に「現物給付」対GDPをとったもの(図2)が提示されそれを読み解く問題です。

②注目するべきところ
 まず、図中に相関係数が記されています。選択肢にも「強い相関があるため」と記されています。また、別の選択肢の中には「因果関係は示されていないため…別の資料を準備した方がよい。」と記されています。
このことからも相関関係と因果関係を前提知識として知っていることが求められている問題です。これは、今までのセンター試験や共通テストでは見られなかったものです。
 正解の選択肢は、「現物給付割合が日本より少なくても合計特殊出生率が1.60を超えている国がある」ことを指摘しているものとなっています。これは相関係数のデータにもとづいて議論することを想定して、そのような議論があっても良いと作問側が考えている問題と言えます。

③授業にいかすには
この問題をもとに授業改善を行うとすれば、やはりデータの見方をきちんと授業で触れていくことが必要です。
もちろん、相関関係と因果関係は「情報」の授業や「探究的な学習の時間」では扱うかもしれません。しかし、「公共」の授業でもデータを読み取らせながら、どのようなことが言えるのか、もしくは言えないのか、因果関係や相関関係も意識しながら考えさせる場面を作る必要があると思いました。また、生徒に議論させる際にもデータをもとに行わせるようにしていくべきだと思いました。

3 ここでもデータの読み取りが
二番目は、「政治・経済」の「産業別労働生産性の問題」です。
今回の政治・経済の問題の多くは探究を意識した問題設定となっていました。中でも「公共、政治・経済」の第5問の問2の問題を紹介したいと思います。
①問題の内容
状況として、生徒が先生のアドバイスのもとで、産業別の実質付加価値(表1)と産業別就業者数(表2)の推移を示すデータを集めて、考察と議論を行うというものです。
生徒と先生がデータについて話し合うセリフの中に空欄を入れておき、表1と表2を読み取ることができているかを問うています。
この問題は、表1、表2から産業構造の高度化を読み取らせるにとどまらず、表1と表2を関連付けることによって、産業別の一人当たりの付加価値つまり「労働生産性」を計算させることまで要求している問題です。

②注目すべきところ
注目すべきと感じたところが二つあります。
一つは、先ほどの問題同様、強いメッセージ性があるところです。
「日本は労働生産性が低い」、「実質賃金が伸びてない」という指摘がテレビや新聞では良く主張されます。しかし、この問題で提示されているデータを見ると産業別で見た場合、製造業はそれなりに伸びていることが分かります。これは何事も簡単に分かった気持ちになってはいけない、分けて比べることで「分かる」のだと言うメッセージを発しているのではないかと思いました。
生徒に探究的な学習をさせる際にも、「できるだけ分けて考えなさい」というスタイルをとることの重要性に気付かせてくれる問題ではないでしょうか。
もう一つは、探究の指導の仕方です。
生徒に調べさせてから、先生が教え込むのではなく、労働生産性などの指標について、データを読みとりや、アドバイスをすることで、考えさせることの大切さです。
この問題中の先生の最後のセリフは「こうした(産業別の労働生産性の)違いがなぜ引き起こされるのかについても、考えてみると良いですよ。」と、最後の最後まで教えるのではなく、考えさせる姿勢を貫いています。

③授業にいかすには
この問題のように、「政治・経済」の授業を探究的にするためには、まずは生徒が探究したくなるような問いを立てる、そして、適度にアドバイスを与えながらデータをもとに自分で考えさせることが必要であるということです。ただし、現実の授業は、この問題のようにきれいには進みませんが。
他にも、最後の問題中の先生のセリフに着目し、ICTやAIなどをうまく取り入れている企業の事例を産業別に調べさせる。それを皆で発表しあい比較させるといったことをすれば、楽しい授業になるのではないでしょうか。

4 おわりに
今回は共通テスト試作問題から、問題のメッセージとそれを受けての授業改善のヒントについて記させてもらいました。
今回の試作問題、全体的には学習指導要領の趣旨にあった問題だと思います。ただし、あくまで試作だと思いますので、現場ではその声に応えながら、ちょっとずつ新課程にあわせて対策を考えていくことが必要になるのではないでしょうか。

経済教育ネットワーク  新井 明

今回の授業のヒントは、メルマガ4月号掲載の「経済で戦争を教える」の続稿です。 

(1)前回で語りきれなかったこと
 4月号では、戦争は多面的であるということ、そのなかでも経済からの視点を持つことは必要であること、経済からみたら、ヒト・モノ・カネから見る視点が重要であること、教えるためには焦点をしぼって教えることが現実的であること、感情を勘定に転換する試みをしてみること、などを語りました。
 ここで語りきれなかったことは三つあります。
 一つは、ヒト・モノ・カネの視点の具体的事例です。
 もう一つは、情報の重要性とその具体例です。
 そして、ヒトの問題です。
 ウクライナ戦争が始まってから9ヶ月になる現在、もう一度これらのことを考えて授業作りのヒントにできればと思います。

(2)経済の視点を細かく分けてみる
モノとカネを概念別に分けてその具体例を提示してみます。各項目の事例は重要度では濃淡がありますが、こんな事例が浮かび上がります。
<ミクロ経済・課題の領域>
・希少性:戦略としての希少資源(石油、天然ガス、食糧など)
・機会費用:徴兵制の機会費用、戦争そのものの機会費用
・分業と交換:貿易と関連させてブロック化の結果を考える
・市場取引:経済制裁による価格高騰
・市場の失敗:兵器のヤミ市場、軍事産業、軍産複合体の存在
・家計:戦争による消費への影響
・企業:グローバル化の逆回転とその対応
・政府:どこまで戦争を続けるか(政治、財政と関連)
・労働・職業選択:難民、外国人労働者への対応
・産業構造:戦争による産業への影響(サービス業など)
・資源・エネルギー:原発問題(原発存在そのものが危険)
・農業:世界的食料危機(戦場以外の地域への影響)
・流通:物流の寸断の影響(サプライチェーンの分断)

<マクロ経済・国際経済・課題の領域>
・景気変動:戦争は経済にプラスかマイナスか(GDP、経済成長)
・財政:軍事費の調達、増税、軍事債(戦後インフレ)
・金融:国際金融と戦争(資金源を断つ)
・福祉・社会保障:大砲かバターか、外国人の人権保障
・貿易:ブロック化、貿易の途絶、自給経済は可能か
・為替:国際金融への影響
・地域統合:EU、ASEANなどの変化
・新興国:食糧難、経済不振による内乱、権威主義国家化
・国際的経済格差:最貧国の不安定化
・地球環境:戦争による環境への悪影響
・国際公共財:世界の警察官役はだれか

 ここで取り上げた事例は相互に関連し合っているものがほとんどです。その意味では、単独で取り上げるよりもそれぞれの学習のなかで、事例で取り上げて、さらに総合的な探求の時間で深掘りしてゆくことも考えられます。

(3)戦争と情報の問題
 4月号では、現代の情報戦のなかでの情報リテラシーの問題、また、戦争をやめるための方策としてのSNSによる発信などを提言してみました。
 そのような現代的な情報の問題以前に、戦争でのプロパガンダについて考えさせることも取り組ませたいところです。
 ヒントになるのは、アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社)という本です。
この本に指摘されている10の法則を使って、マスコミ報道の吟味をすることは歴史学習や経済面での企業間競争の事例でも役立つはずです。以下、10の法則を紹介しておきます。

1 我々は戦争をしたくない
2 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3 敵の指導者は悪魔のような人間だ
4 我々は領土や派遣のためでなく偉大な使命のために戦う
5 我々も意図せざる犠牲をだすことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた損害は甚大
7 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9 我々の大義は神聖なものである
10 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

(4)最後に残るヒトの問題
 戦争は力と力の対決です。経済的な生産力がものを言う世界です。そこにはヒトは登場しませんが、現実の戦場ではヒトが戦います。また、背後ではヒトが戦争を支えます。そのヒトの気持ち、モラルは戦争を左右する要素になってきました。今のウクライナ戦争でも同じでしょう。
 人間はどうして合理的でない戦いをするのか、それをひもとくには人間そのもの、その人間が作ってきた社会、歴史を見ておく必要があります。これは経済学習の領域を超えますが、ヒトの行動を視野にいれた戦争の学習が、特に今回のウクライナ戦争を取り上げた場合には求められるはずです。
 そのヒントが文学作品や歴史的事実にありました。
 その一つは、トルストイの『戦争と平和』です。トルストイは、ストーリーに加えて歴史解釈を『戦争と平和』の中に多数いれています。そこにこんな記述があります。

 「力は質量と速度をかけあわせたものだ。戦争で軍の力は、やはり質量と何かを、何か未知のXを掛け合わせたモノなのだ。…そのXとは軍の士気、つまり、軍を構成しているすべての人の戦う意欲、自分の身を危険にさらす意欲の大小にほかならない。…軍の士気というこの未知の乗数の数値を突き止め、表現することこそが学問の課題なのだ。」(第四部第3萹、岩波文庫版、6巻p26-27)

 トルストイは、このなかでナポレオンの敗北とロシアの勝利について分析して、当時の軍学にはなかった町々での略奪、モスクワ大火と退却、パルチザン戦などを紹介してゆきます。『戦争と平和』での侵略軍はナポレオン軍で、侵略されるのはロシアですが、それをロシアとウクライナと逆転させると200年前の戦争と現代のウクライナ戦争がいかに相似形であるかが浮かび上がります。

 それだけでなく、ロシアが今ウクライナ攻撃で行っている絶滅戦は、第二次世界大戦の独ソ戦でウクライナを舞台に行われた旧ソ連、ドイツの戦いにも見られます。(大木毅『独ソ戦』岩波新書、参照)
 現代のウクライナ戦争はデジャブの連続です。

 いずれにしても、過去の愚行が現代にも登場しているということを自覚しながら授業を進めたいものです。
 その際には、戦争そのものを教えるなかで経済に触れるのか、経済を教える中で戦争が事例として登場するのかを区別しておくこと、教える人間が生徒に何を伝えたいのか、一緒に考えたいのかを自覚しながらすすめることが肝心かと思われます。
筆者も、経済学習の総括として、経済で戦争を教える取り組みを試みたいと思っています。

執筆者   神奈川県立三浦初声高等学校     金子 幹夫

0.そもそものはじまり 

 今回の連載は、2022年3月下旬にいただいた「何か授業のヒントになりそうなことを2ヶ月くらい書いてみないか?」という一本の電話からはじまりました。とっさに出た言葉は「もう少し長い期間いただけませんか?」というものでした。この瞬間から,苦しくも楽しい半年がはじまりました。

1.漢字一文字で表現すると?

 年末になると、京都の清水寺で「今年の漢字」が発表されます。ちょっと大げさですが、本稿でもまねをして,今回の連載を漢字一文字で表してみました。その一字は「波」です。理由は次の三点です。

2.理由 その1 空中の波  

 筆者は,教室空間には波が流れていると感じています。その波は教師と生徒との間に生じる呼吸の波です。

教師が発信するメッセージ(知識)の周波数が、受け手である生徒の周波数と一致しなければ、波は途中で途絶えてしまいます。教師は教室ごとに違う呼吸の波を感じ取って周波数をあわせます。こちらから生徒の呼吸に歩み寄ってもいいし,場合によっては教師側の波に強引に誘導することもあります。

どちらにしてもピタッと呼吸の波が合わないと教師は生きたラジオになってしまうのです。そんな感覚を第1回税の授業の紹介や第3回の需要と供給の授業の紹介で触れてみました。

3.理由 その2 海の波

 「波」という字をあげた第2の理由は,経済に関する知識に関係しています。

 筆者の勤務先は海に近く,毎日校舎から太平洋を見ることができます。「今日は波が高いね」とか「今日は波が小さくて穏やかだね」なんていう会話が校内で聞かれます。

今回の連載で経済教育の知識について考えたとき,筆者は海をイメージしました。海は,こちらに向かって勢いよく押し寄せる波の部分と,広く深い水面下の部分で構成されています。

 経済の学習内容は,波のようにこちらに押し寄せる知識(最新の理論や一時流行している知識)と水面下の海のように長い歴史を持った知識に分けられると認識しています。

 この半年間で筆者は,「あっ?この知識は流行だから原稿の中に取り上げよう」という誘惑に何度も出会いました。その度に「海(知識)全体を見よう」と思い直したのです。波も見る。同時に海全体も見る。これが「波」という字を選んだ第2の理由です。そんな感覚で、第2回の公共財のゲームを扱ってみました。

4.理由その3   研究者の何を感じ取るのか?

 「波」をあげた第3番目の理由は,経済教育に「磁気の波」があると感じ取ったことがあげられます。これは,研究者と教師が経済について何をどう教えるのか,というテーマで話し合っている場において独特の「磁場」を感じるということです。具体的には次のようなイメージです。

 筆者も含めた公民科教師が,教材研究に取り組もうとした場合、文献講読に頼ることになります。何冊も読み解く中で「これだ!」という文献は何度も精読します。ところが実際に教室で経済を教えようとしたときに,何度も限界を感じるのです。ストレートな表現になりますが「あー,これは誰かに教わらないと深く理解できない」という瞬間があると思うのです。

 この感覚を持った教師は夏休みや冬休みに様々な教室,勉強会,研究会・・・つまり研究者と出会う機会を求めて出かけます。研究者がいる部屋で,直接教えてもらうわけです。例えば,大学の先生による講演をきいたとします。筆者が注目することのひとつに,研究者が知識と知識をどのようにつないでいくのか?概念と概念をどのようにつないでいくのか?というものがあります。

 本稿の執筆を支えてくれたもののひとつに研究者と一緒の空間にいることで得た「磁気の波」があったことは事実です。それが、第2回の宮尾先生、第3回の大竹先生の回にでていると感じています。

5.波と波が交差する中での思考

 以上の3つの波を意識しながら経済教育に関する原稿を書き進めてきました。

 波が3つもあるわけですから,とても複雑な世界を対象に書き続けてきたことになります。この中で筆者は不思議な経験をしました。

この不思議な経験は,本連載が抱える次の課題になると思っています。その不思議な経験というのは,授業をしている時の自分と,授業のヒントを書いている自分が完全に一致しないというものです。授業中に「あっ,この感覚を文字にして残しておこう」と感じた直後にキーボードに向かっても,その感覚を文字にできないという経験です。この感覚は何なのか?もちろん筆者の力量のなさが原因のひとつにあることは間違いありません。しかしそれだけで説明できないと思うのです。

第5回、第6回の交換、分業の回は授業では良い感覚だ、これだと思っていたのですが、文字にすると、これって社会全体の分業と交換の話に通じているのかという問いが浮かんで授業の感覚との乖離が生じてくるのです。

このギャップをどう埋めるのか。やっと連載が終わってホッとできるはずなのに、次の課題がおぼろげに見えてきたことに少しだけワクワクしているところです。

6回の拙文をお読みいただいた皆様に感謝するともに、感想、ご批判をいただければ有り難く思います。

*これまでのシリーズ

第1回 

第2回 

第3回 

第4回 

第5回 

第6回 

執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.はじめに
 前回は「交換」を授業でどのように学習するのかということを考えてみました。
生徒は、誰に指示されなくても、自然に自分が手放してもいいと考えているお菓子の量を考え、同時に手に入れたいお菓子は何かも決めます。教室の中を自由に動き回り、お菓子の交換が一通り終わりますと生徒はみんなニコニコしています。
 この時大切なのは、教師の発言です。交換をする場面で教師が“心の中”で発する言葉は「自分のお菓子のことを考えるのだ。人のことを気にするな。」です。心の中でというところが重要です。言葉に出してはダメな場面です。
教室の中にあるお菓子の量は一定です。そのお菓子をめぐって、一人一人の生徒は自分が一番満足する地点を目指して交換を続け、その結果、教室全体のお菓子は、みんなが満足するよう振り分けられていくことを目撃するのです。
この一連の出来事を目撃した生徒は,交換が安全かつ自由に行われる場所をつくりつづけていくことで、多くの人々が幸せになると受け止めるはずです。
これを受けて,次の授業に入ります。
この授業で、教師と生徒の間で共有したい問いは「交換が安全かつ自由に行われる場所をつくりつづけていけば皆幸せになることはわかったが、そこに何か問題点はないのか?」ということです。

1.生徒が持っている知識と知識をつなげるということ
 教科書には,交換は分業を活発化させる機能を持つということが書かれています。
そこで,分業について学習してもらうために「トラック工場」という教材を作成してみました。
 この教材は,一見すると「分業をすることで生産量が増える」ことを体験する授業のように見えます。しかし、教材作成者がねらっているのは別の部分にあります。それは,生徒自身に市場が抱えている問題点を言わせるということです。
授業は次のように展開します。

① ひとクラス35人を想定します。
② 100円ショップで購入した折り紙をひとりにつき3枚配付します。
③ 折り紙で作る「トラック」の設計図を配付します。
④ 一枚目はボディでエンジン部分をつくると説明します。
  二枚目は運転席の部分をつくると説明します
  三枚目は荷台部分をつくると説明します。
⑤ 三枚のパーツができあがり,のりでくっつけてトラックになるまでに約40分必要です。つまり40分で約35台のトラックが生産されることになります。
⑥ 次に教師が「40分で100台(様子を見て200台)生産できないかな?」と言います。 
⑦ 多くの生徒が否定的な見方をします。「そんなたいへんなことできるわけがない」「無理だ」といったようにです。
⑧「そこをなんとか工夫できないかな」と問い続けます。
⑨ 仕方がないな・・・と生徒が思い始め、いろいろと工夫できそうなことをあげてくれます。「人数を増やそうよ」「気合いだ!根性だ!」「練習だ!」どれも間違ってはいません。意見として受け入れます。そして、誰かがある言葉を発するまで問い続けるのです。
⑩ その言葉は「分業」です。しばらく待っていると必ず誰かが「仕事を分ければいいんだよ」とか「流れ作業にしよう」と言ってくれます。
⑪ ⑩の言葉を捕まえて問答を繰り返します。その中で,エンジン部分を作るグループ、運転席をつくるグループ、荷台部分をつくるグループを形成してもらいます。さらに、各グループの中でも仕事の役割分担を決めて流れ作業を行います。
⑫ もう一つグループをつくります。それは、3つのパーツをのりでくっつけてトラックを完成させるグループです。
⑬ 実際に作業を分担してトラック生産を開始します。時間はクラスの様子を見て判断しますが、30分前後がいいと思います。
⑭ どんどんトラックが生産されていきます。30分で70~80台の生産が可能です。
  分業が大量生産につながることを教室全体で感じ取ることができます。

 この教材のポイントは、どのようなことがあっても、必ず生徒の口から「分業」に関連することを言わせることです(⑩の部分です)。生徒が言い出したことをみんなで検証するからこそ分業と大量生産の関係を考えることができるようになるのです。

2.どうしてこの教材を創る必要があったのか?
 それは、生徒がトラックを作っている間に、これからの学習を進めるために必要な具材がたくさん発生するからです。トラック生産中の生徒は折り紙に夢中です。この時に教師は生徒の行動や発言に神経をとがらせる必要があります。
 気になったことはすべて黒板にメモ書きのように板書していきます。注目している発言や行動は大きく次の3点です。
 (1)折り紙が苦手な生徒が必ずいます
 第一点目は、折り紙が苦手な生徒の存在です。どのクラスにも必ずいます。折り紙自体が苦手な生徒もいれば、あまりにも几帳面な性格のため次の工程にすすめない生徒までいろいろです。この数人の生徒をクラスメートはどのようにうけとめるのでしょうか。ここでも先生は我慢です。生徒たちに解決してもらいます。どのクラスでも,折り紙の苦手な生徒は簡単な工程のところに配置するよう誰かが言ってくれます。
 経済の学習を進めていく中で,雇用と労働の問題を考える単元において、この時のエピソードを活用することができます。

 (2)効率を重視する中で見られる発言
 二点目は、生産中の生徒のつぶやきです。いろいろなつぶやきを拾い集めて黒板に書いていきます。「はやくはやく!」、「次々!」、「いいぞいいぞ」、「あっいけね、間違えた」、「いいよいいよ、そのくらい」、「わからないよ、完成しちゃえば」といった感じです。
 最後の二つの発言は多くの教室で見ることができます。そして注目したいのもこの部分なのです。私たちの顔を笑顔にする交換の場に、私たちの知らないところで欠陥品が混ぜられているかもしれないことを体験することができます。
 経済学習を進める中で,市場の失敗(情報の非対称性)を考える単元において、この時のエピソードを活用することができます。活用する際には、どうして欠陥品の生産を許してしまうことになったのか。欠陥品を市場に出してしまうとどのようなことがおこるのか。欠陥品を市場に出さないようにするためにはどのような工夫が必要なのかについて考察することができます。

 (3)後片付けの時の一言を待っています
 三点目は、後片付けの場面です。この授業では,机の上にゴミがたくさん発生します。失敗した折り紙のヤマ,はさみで必要な部品を切り取った後の残骸等々です。「ゴミ箱に入りきらないよ」との声が一気に寄せられます。
 まず,ゴミ箱の大きさは一定で,大きくならないことを確認します。ゴミ箱の大きさは、教室における一日のゴミ処理能力を表しています。私たちはトラック生産においてゴミ箱のことを忘れて生産に取り組んできました。出てくるゴミは,教室のゴミ箱がほぼ無限に吸収してくれるのだろうといった前提を描いていたのかもしれません。結果としてゴミは溢れてしまったのです。
 このエピソードも経済学習を進める中で,市場の失敗(外部不経済)を考える単元において活用することができます。ゴミを少なくしてトラックを生産する方法はあるのかを,自身の体験を参考に語ってもらいたいところです。
その上で「ゴミを出しすぎたら罰金を取る」であるとか「ゴミを有料化する」であるとか,そのゴミそのものが取引の対象になるといったアイディアが出されると思うのです。

3.文字記号以外でも学ぶところがある経済学習
 この授業は,ものづくりを通して,市場はものすごく魅力的で私たちに幸福をもたらしてくれるのだが万能ではないという内容を生徒自身が発言するという構成になっています。
 生徒はこの学習内容に加えて,別のことも学び取っているはずです。それは例えば,仲間とのコミュニケーションを取ること,大量生産に挑戦するということ、チームワークといった協調性、まじめに働くといった態度、我慢強さ等々です。これらの学びは,文字記号一辺倒による学びに,さらに厚みを増す深い学びにつながるのではないでしょうか。

4.おわりに
 教室という狭い空間に限定される中で、交換と分業の授業について考えてきました。一連の授業で生まれたエピソードは,教科書の記述につなげることができます。
 そこであらためて「どうして高等学校における経済学習の冒頭で交換と分業について学習するのか」ということを考えてみたいと思います。
現時点で次のように考えています。
それは,数ヶ月にも及ぶ経済学習を乗り切るためには,生徒の心の中に経済学習に必要な座標軸のようなものが必要だということです。分業が上手く機能しているのか,それとも機能していないのかを考えること。そして交換がうまく行われる環境が整っているのかどうかを考えることで経済的な見方や考え方を(教師と生徒が)共有することができると思うのです。
限られた資源がどのように分配されるのかを考える際に、交換から分業という学習をはじめに行うことで、生徒の中に、考えるための基盤が形成されてゆくのではないでしょうか。

*これまでのシリーズ
第1回 
第2回 
第3回 
第4回 
第5回 
*「金子Tの授業づくりのノウハウ」は今回が最終回ですが、加筆してHPに掲載の予定です。ご期待ください。

執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.経済学習のスターたち
 夏休みが終わり「公民科」ではそろそろ経済学習に入ろうとしている頃かと想像します。 では、経済学習の一番はじめの授業で何を教えたらよいのでしょうか。
 パッと教科書をひらくと,図版や写真と共に太字で書いてある文字に注目してしまいます。そこには財、サービス、経済、見えざる手、市場・・・と経済学習のスター的存在にあたる用語が並んでいます。
多くの生徒は,この目立つ情報と自分の生活経験とを結びつけて経済学習の内容を想像しているのだと思います。
しかし,私たちが注目するのは,この太字になっている用語だけでよいのでしょうか。
 そこで,教科書のはじめに書いてある内容に注目してみました。
一行目の文は太字にはなっていません。しかし,教科書執筆者がどのような学習をしてもらいたいのかという一番の想いとつながっていると思うのです。
さっそくページを開いてみると、
「自分一人では生活できないということ」,
「社会は分業と交換で成立していること」,
「毎日買っている商品はどこかで誰かがつくり、私たちの近くまで運ばれて売られているものであること」、といったことが様々な表現で書かれています。
教科書では経済分野のはじめのところで「分業」と「交換」をとりあげていることがわかります。

1.実はスーパースター?
 経済分野の授業開きにおいて,教科書の太字部分に注目するのか,それとも冒頭の文(第一行目)に注目するのか。筆者は冒頭の文に手がかりを見つけたいと考えました。
そこで解決しなければいけない問題に出会います。「分業?」,「交換?」。文字記号で意味を伝達すれば,それで教えたことになるのか?という問題です。
 教科書執筆者が冒頭で示している用語なのですから,これは経済学習のスーパースターに違いない。ということは,文字記号を使って知識を伝達する授業とは異なる教え方を模索することで,厚みのある授業を実践するべきだと考えました。

2.「社会科」における分業と交換
 アダム・スミスは『国富論』で,分業は人間がもつ,物と物とを交換する性向のせいでゆっくりと達成されたという意味の文を書いています。人間は交換したいという性質を持っていると読み取れます。
科学ジャーナリストのマット・リドレーは『繁栄』(勁草書房2010年)の中で「初めて物を交換し始め、それを契機に文化が急に累積的になり,人類の経済的『進歩』という,がむしゃらな実験がはじまった」として「人間は交換によって『分業』を発見した」と主張しています。
人間の行動についてこれから学習しようとする場合、「分業と交換」は,人類の歴史に関わる大きな流れの中で捉えるべき用語だと読み取ることができそうです。
さて,この解釈を,どのように生徒に伝えたらよいのでしょうか。そこではじめに「交換」について,つぎのような授業を設計してみました。

3.本当に交換するのかな? 準備編
 100円ショップでお菓子を買ってきました。小さくて同じお菓子がたくさん入っているもの(一口サイズのチョコレート)や,1つずつ包装されているクッキー等です。
 次に生徒の人数分封筒を用意します。一人ひとりに手渡す封筒です。そこには,同じお菓子を5,6個入れます。セロテープで閉じてしまえば,中に何が入っているのか分かりません。生徒人数分の封筒ができました。
 さあ教室に行きます。
「今日は何の勉強をするの?」と問いかけが殺到します。大きな荷物を持って教室に入るのですから聞いてみたくなるのは当然です。たくさんある封筒ですから,いつかもらえる物だなと予想していることは,生徒の目を見れば分かります。
 授業が始まり,少しお話をしたところで「みんなこの封筒が気になるでしょ?」と生徒の状況を探ってみます。
そして「もらってもまだ開けないでください」といって配付します。       
 全員に封筒が配られました。
「早く開けたい」というエネルギーが教室に充満します。
「開けたら,中に何が入っているのかを確認してください。入っている物は皆さんに差し上げます。それと・・・周りの人が持っている封筒に何が入っているのかを見に行ってください。立ち歩いてもいいです。」といって「それではどうぞ!」と開封を宣言します。

4.本当に交換するのかな? 実践編
 開封後の教室は,デジタル騒音計があったら計測してみたくなるような状態になります。
筆者はジッと待ちます。必ず質問が出るはずだと信じています。
20~30秒もすると「食べていい?」という質問が出ます。「どうぞ!」と答えます。
「交換していい?」と複数の質問が出ます。「来た!!」と筆者は心の中で叫び,落ち着いた声で「どうぞ」と答えます。
しばらくの間、食べたり交換したりといった活動が続きます。10分もすると,教室は落ち着きを取り戻します。自席に戻るように指示して,次の発問をします。

5.どうして交換したの? どうやって交換したの?
 「何が入っていましたか?」,「それをどうしましたか?」。の順番に発問します。
後者の発問に対しては「食べた」,「取りかえた」という発言がありました。「取りかえた」と発言した生徒には「どうして取りかえようと思ったの?」と尋ね,次にどのように交換したのかをきいてみました。
 「どうして交換したのか」という問いには,「自分の物が全て同じでつまんないから」,「取りかえた方がトクするから」という発言がありました。
交換で手放すモノの価値よりも,手に入れるモノの方に価値があると判断したようです。
 「どうやって交換したの?」という問いには,たくさんの発言がありました。
○○と△△を交換した,というものもあれば,☆☆2つと××1つを交換したと,比率を示す者もいました。小さい一口サイズのチョコが価値を計る基準の役割を果たしているようです。

6.交換・・・好き?
 盛り上がりが一段落したところで,「交換をしてみてどうでしたか?」と問うてみます。
 「そりゃ楽しいに決まっているでしょ」,「もっとチョコがあればいろいろと交換できたのに」といった発言がみられました。この言葉を待っていました。
「チョコがたくさんあればラッキーっていうことだよね」とつなぎ、モノをたくさんつくることというのはどういうことなのかを考える手がかりをつかむのです。
交換はこころよい感じがするということ,そして手持ちのモノが多いほど交換の機会が増えるという感覚を共有しました。

7.どうしてこのような学習をしなければならないのか?
 経済学習の多くは,教師が知識や概念を生徒に伝達することで構成されています。
 生徒に合った教材が用いられていれば,経済的な見方や考え方を伝えることは可能だと思います。しかし,それだけでは足りないと筆者は感じているのです。
 政治の学習が終わり経済について学び始めようとする生徒に,文字記号による知識の伝達だけでは伝わらないものがあると捉えています。
この伝わらないものを教室の外から補充するのではなく,生徒の内側から湧きあがる知識と結びつけて認識を形成することができるのではないかと考えて今回の授業を考えてみました。
 交換と分業の授業に関連して,今回は交換について生徒を動かすという方法で教えてみました。経済学習を進めるための基盤を形成する力が培われるのではないかと期待しています。

8.交換から分業へ
 次の授業で教えようとする内容は「分業」です。
交換は心地いいものである(幸福につながる)
→できればたくさん交換したい
→モノがたくさんないと交換の機会は減る
→どのようにしてたくさんのモノづくりが可能になるのか?
と授業を設計したいのです。
 分業にもいろいろありますが,次回はものすごく話を単純にして,1つの製品をつくるために工程を細分化した場合、つまり工場内分業を想定した授業について考察したいと考えました。
教科書には、アダム=スミスの『国富論』のピンの製造の分業を紹介して、分業と交換について説明しているものもあります。
そこで,次回は教室の中を生徒が動き回る授業を考えてみたいと思います。

9 つけたし
 今回の授業実践は,お菓子を使いました。実際に同じことをしようとするといくつか乗り越えなければならない問題に直面します。例えば,お菓子を持ち込ませない中学校では難しい、授業中ものを食べることが許されない、予算の問題やアレルギーの問題等々もあります。
そこで筆者はあるとき,お菓子の写真が入ったカードを定期券サイズでたくさん印刷して配ったことがあります。恐る恐る生徒の行動を見ていたのですが,幸いにして交換活動は活発に行われました。
紙ベースでも実践は可能だということを補足します。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 
第3回 
第4回 

執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.問題点が見えてきました
 この連載も第4回目を迎えることができました。ここまでで見えてきたものが2つあります。一つ目は、教師が発信している概念を生徒がどのように認識しているのかという問題です。二つ目は、わかりやすい教材を作成しようとする時に直面する、教師と学問の関わり方という問題です。
 この2つの問題は、つながりを持っています。教師は、生徒にとってわかりやすい教材をつくるために生徒の認識状況を調べます。同時に教師は目の前の生徒に適した教材を作成するのですが、そこで直面するのが経済学の世界です。どこまで生徒の認識に即した具体的事例を当てはめていいのかを考えるのです。
 そこで第4回目は、経済に関連する概念を生徒に伝えることについてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

1.はじめに登場する概念
 筆者が使用している教科書で、経済分野のはじめに登場する概念に「機会費用」があります。さて、どうやって手に取って見ることのできない知識を生徒に伝えたらよいのでしょうか。職員室では「概念を教えるのは難しいねー」という会話が聞こえてきます。
この難しさを乗り越えるために考えることは「どうして機会費用を学ばなければいけないのか?」を生徒と共有することだと狙いを定めました。

2.なぜ「機会費用」を学ばなければいけないのか?
 「さあ、今日から経済分野の学習です。教科書のはじめに登場するのは『機会費用』・・・」なんて授業をはじめてしまうのは、生徒にとっては教える側の都合に聞こえてしまいます。生徒は「なんで機会費用なの?」、「それ学習していいことがあるの?」と受け止めてしまうと思うのです。
筆者は、目の前にいる生徒について、教科内容の知識が生活経験から得た知識と接する時に何らかの反応をするのではないかと推測しています。
そこで機会費用の事例探しが始まるのです。筆者は「高校生の進路」を題材に選びました。

3.経済学習の入り口で概念を教えることができるのか?
 経済学者の猪木武徳先生は「われわれが観察の対象を認識する場合、実は目で見ているというよりも、概念で見ていると表現した方が適切なことが多い」と指摘しています(『経済社会の学び方』中公新書)。
筆者は高校生が抱えている進路の問題をストーリー化して提示することで、自分の人生を選ぶということを考え、そこで得られる価値と得ることのできない価値を概念として受け止めることができると判断しました。

4.現在地の確認
 旅行にしても、授業にしても、どこかに向かうという目的地を設定する時に重要なのは現在地の確認です。今どこにいるのかということを知っていて、はじめて目的地との関係を把握することができます。目的地として設定した「機会費用」は経済学ではどのように表現されているのでしょうか。
 例えば、経済学者ヴァリアンの『入門ミクロ経済学』(勁草書房)を読むと、「(機会費用の名称の由来は)ある人が自分の労働をあることに用いている場合、他の雇用機会を棄て、その雇用から得られるはずの賃金を失っていることによる。したがって、その失われた賃金は生産費用の一部である。」とあります。
「同様に、土地を例に取ると、農業者は農地を誰か他の人に貸す機会があるが、その農地を自分自身に貸すために得られるはずの地代をあきらめている。この失われた地代は機会費用の一部になる」、と続けて書いています。
 この記述から、機会費用を高校生に教える場合、比較的幅広く例えを示すことができそうだという見通しが立ってきました。

5.大きな授業の流れ
 (1)体はひとつしかない
 忙しいサラリーマンの台詞ではありません。高校生も体はひとつしかないから、選ぶことのできる進路先は1つだということです。ということは、選ばなかった進路先はいくつあるのでしょうか。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・とあがります。その進路先候補に順位を付けることはできますか。このような内容で生徒と対話する授業をつくってみたくなりました。
 
(2)授業展開の順番
 ① ある生徒がもつ将来の希望は?→大学進学
 ② 大学卒業後の進路希望を問うと →パッと6つ思い浮かんだとします
       第1位:家電メーカー
       第2位:自動車メーカー
       第3位:食品メーカー
       第4位:芸能界
       第5位:プロ野球選手
       第6位:ユーチューバー    という具合にです。
 ③ 選ぶことができる選択肢はいくつかと問うと?  → ひとつ
 ④ それでは、選ばなかった選択肢で最も価値のあるものはと問うと→自動車メーカー
 ⑤ 希望する進路として「家電メーカー」を選んだ場合、他の希望する進路にはすすめません。そのときの機会費用は自動車メーカーを選択したときの利益に等しいということを学習します。
  
(3)選ばなかったものを考えるということ
 高校生にとっては選ばなかったものを丁寧に可視化して考えるという習慣は、あまり見られません(真剣に考えていた生徒の皆さんごめんなさい)。きっと多くの高校生は、なぜ“選ばなかったもの”に注目する必要があるのかという問いを持つと思うのです。
 経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは『スティグリッツ ミクロ経済学(第4版)』(東洋経済新報社)の中で、「経済学では、一般の人が用いるのとは異なった費用概念をいくつか用いる」としたうえで、機会費用は比較優位について考える際にあてはめることができる概念だと説明しています。
なぜ機会費用を学ばなければいけないのか?その答えの一つは、これから学ぶ経済分野の学習で繰り返し登場する概念だからと授業で説明することにしました。
 
6.目的地の確認
 次は目的地について考えます。授業づくりの視点で表現する必要があるので、ここからは目標と言いかえます(評価しなければいけないからです)。
具体的な目標は、2022年大学入学共通テスト第2問の問3に関して答えることができることとしました。実際の問題は次の通りです。
 
生徒Xは、クラスでの発表において、企業の土地利用を事例にして、機会費用の考え方とその適用例をまとめることにした。次の生徒Xが作成したメモの空欄に入る語句として適当なものを①~③の中から選びなさい。これが問題文です。生徒が作成したメモは次の通りです。
 ・機会費用の考え方・・・ある選択肢を選んだとき、もし他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のうち、最大のもの。
 ・事例の内容と条件・・・ある限られた土地を公園、駐車場、宅地のいずれかとして利用する。利用によって企業が得る利益は、駐車場が最も大きく、次いで公園、宅地の順である。なお、各利用形態の整備費用は考慮しない。
 ・機会費用の考え方の適用例・・・ある土地をすべて駐車場として利用した場合、他の用地に利用できないため、そのときの機会費用は(空欄)を選択したときの利益に等しい。

 以上が生徒のメモで、この(空欄)に入る選択肢として ① 公園 ② 駐車場 ③宅地という三つの候補を示しました。

7.きちんと読みとることで正解できる問題
 まだ経済についての学習をはじめていない生徒を対象にこの問題を解いてもらいました。普段の授業では入試問題を教室に持ちこむことはしていません。問題文を見た生徒はビックリしたと思います。
採点をしてみると、予想を超える高い正答率でした。クラスによっては、ほとんどの生徒が正解だったというクラスもありました。
この問題は、知識を問う問題ではありません。文を読み込むことで正答にたどり着くものです。
 ここで気になるのが、きちんと読み込めていない解答がいくつか見られたところです。
実は、この問題を提示したときに、次の2つの質問も同時に投げかけていました。
一つ目は「どうしてその選択肢を選んだのですか?」というものす。
二つ目は「あなたが最近感じた『機会費用』って何ですか?」というものです。
この質問に対する回答から、問題文をどう読み解いたのかという手掛かりをつかむことができると考えたのです。

8.いろいろな認識があるようだ
 正解にたどり着くことができなかった生徒の記述を分析してみると、いろいろなパターンを見つけることができました。
 第1は、生徒が作成したメモ中の「ある土地をすべて駐車場として利用した場合」という部分を読み飛ばしてしまったのではないかと推測できる場合です。この場合、②の駐車場を選んでしまうわけです。
 第2は、教師の説明で機会費用についておおよそ理解できているのに、活字で問題文を読むと知識が混乱してしまうという場合です。
「あなたが最近感じた「機会費用」って何ですか?」という設問にはきちんと答えられているのに、紙で書かれた問題文を読むと誤答を選んでしまうという場合です。
 第3は、あるクラスで見られた現象です。そのクラスでは、機会費用という概念を説明する際に計算問題を混ぜて授業をすすめたのです。すると、極端に正答率が低くなってしまったのです。
なぜ正答率が低いのか、原因はわかりません。読解が苦手な生徒が偶然に集まってしまったのか。それとも計算問題なんて入れないで、教えることをひとつに絞り込んで教えるべきだったのか(筆者はおそらくこれが原因だと推測しています)。いや、もしかしたらパワーポイントを用いて説明したことが原因なのか。いずれにしても、これから授業をすすめていく中で分析を続けていかなければなりません。

9.詳しくは「夏の経済教室」で
 今回の内容は、2022年8月16日と19日の「先生のための夏休み経済教室」で発表する内容の一部になっています。この教室では、なぜ本稿で書いたことを考えるようになったのか、また具体的な教材はどのようなものであったのかということを共に考えることができればと思っています。皆様と画面を通してお目にかかることを楽しみにしています。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 
第3回 

執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.はじめに
 前回は「文字記号にこだわって経済の授業を考えていきたい」と最後に示しました。そこで第3回目は、どうして文字記号にこだわるのか、からはじめます。
 ここでいう文字記号というのは、教科書に書かれている用語や、私たちが毎日ノートに書き示す際に使う言葉のようなものだとします。

2.なぜ文字記号にこだわるのか?
 なぜ文字記号について考えるのか?授業をやっていて、ものすごく気になるからです。文字記号はとても便利なものだということはここで述べるまでもありません。
ところが文字記号の有効な使い方を忘れて授業をしてしまいそうな空気が教室の周りに漂っているのではないかと思うのです。これが一つの要因となって、教師が伝えようとしている知識と生徒に届いた知識との間に齟齬が出ているのではないかと感じるのです。

3.知識の発信を巡る教師と生徒のギャップ
 筆者が授業中に気になることをもうすこし具体的に書いてみます。
 例えば、ここに経済の知識を伝えようとしている教師がいるとします。
教師の頭の中には経済学のテキストを読んだ知識、どのように教えることが有効かという知識、そもそも持っている生活経験から得た知識等が混在しています。
 同様に授業を受ける生徒がいるとします。
一人ひとり育った環境が異なります。よって皆それぞれに生活経験から得た異なる知識を持っています。今日まで積み重ねた学習から得た知識も持っています。
 そこで、教師が経済学習に関する知識を発信したとします。
主として文字記号を使って知識を発信します。生徒は自分に向かって飛んできた知識を、それまで身につけている知識にどのように組み込むのかを考えます。部分的な知識の再構成が必要になるわけです。単純な知識の足し算にはなりません。
このとき、教師が発信する知識について敏感になる必要があると授業中に強く感じるのです。
今回の結論のようなものを先取りすると、生徒にとって生活経験につながらない文字記号による知識は、認識につながらないのではないかということになります。

4.教科書記述の背景
 教師が発信する知識について考える際に道標となるのが教科書です。この教科書に書かれている“知識”はどのような背景を持って描かれているのかを考えます。
その時に、教科書には記述されることのなかった背景の存在に気付きます。教科書はページ数が限られています。あれもこれも書こうというわけにはいきません。きっと教科書の筆者は「残念ですが削ります」という思いを何回も繰り返しながら執筆をすすめたのではないかと想像します。
もしもこの想像が的外れでなければ、教師の仕事は、まずは削られてしまった筆者のメッセージ探しということになります。
 
5.「教科書の向こう側」を推測する
 教科書に書こうとしたのにページ数の都合で削られてしまった知識の集まりを便宜上「教科書の向こう側」と表現してみます。向こう側は見えません。でも周囲の景色(記述)から推測することができそうです。推測の手がかりは文献です。
 はじめに手に取った文献は、経済学者小塩隆士先生の『高校生のための経済学入門』(ちくま新書)。教科書に書かれていない記述はどこにあるのでしょうか。
さっそく第1章に「需要曲線は、人々の所得や好み、ほかの財の価格など、『ほかの条件を一定』として描かれたものです」とあります。筆者の手元にある教科書の需給曲線の箇所には、この記述はありません。
 これを手がかりに経済学のテキストを見ると同様の記述を見つけることができます。
岩田規久男先生は『ゼミナールミクロ経済学入門』(日本経済新聞出版社)の中で、「(ミクロ経済学では)『コーヒーの価格以外の全ての財・サービスの価格と人々の所得とを一定と仮定して、コーヒーの価格だけが変化したときに、コーヒーの需要量はどのように変化するか』という問題が扱われている」と記述しています。ほかにもこの種の記述を大学向けのテキストから発見することができます。
 これがきっと教科書に書かれることなく削られてしまった内容の1つなのではないかとねらいを定めました。

6.右から左にではない
 ここで舞い上がってしまうと火傷をします。
「さあ、教科書に書かれていないけれども大切な考え方があるよ」と言って、経済学のテキストに書かれている内容を教室で再現しようとすると、生徒の知識は混乱してしまう恐れがあります。
 それではどのようにして教師は経済学習に関する知識を発信することが有効なのでしょうか。
考えるのは生徒の状況です。浮かび上がるヒントは“生徒の生活”です。一人ひとりの生徒が身につけている様々な生活経験による知識と、教師が教えようと描いている知識を結びつける工夫がなんとかできないか、と考えます。でも、うまく結びつくのでしょうか。

7.決め手は「ミニミニ作文」
 それでは学問の世界と生徒が生きている世界とをどのように結びつけたらよいのでしょうか?
 本稿では、生徒がもつ知識の中にそのヒントが隠されているのではないかという実践を紹介したいと思います。
 筆者が生徒を見る中で選択した方法は“ミニミニ作文”です。タイトルは「コンビニエンスストアと私」としました。
どうしてミニミニ作文なのか。それは、生徒一人一人異なる生活経験の中から経済教育に必要な知識をあぶり出すために作文が使えると判断したからです。量は20~30行程度にしました。一番言いたいことを書いてくれると想像したからです。
なぜコンビニなのか。それは、高校生にとってコンビニは生活の一部だからです。お客様としてコンビニを見て、アルバイト店員さんの目でコンビニを見たりしているからです。ちょっと大げさですが、この目は“家計”からの眼であり、同時に“企業”からの眼でもあるわけです。

 授業では、この生徒が書いた文を紹介します。
「私は小さいころからコンビニに助けられてきました」、
「日本中、どこにでもコンビニがあります」、
「いろいろな商品が売られているだけでなく振り込みもできる」、
「私を幸せな気持ちにしてくれる」 といった記述が実際にありました。
 
 この作文を用いた授業で生徒に何を気づかせたいのか。それは、市場経済がいかにうまく機能しているのかということです。
大竹文雄先生は『競争と公平感』(中公新書)の中で、「教科書を読んだ生徒たちは、市場は失敗するし、独占はとにかく悪い、ということだけを理解するはずだ。多くの問題はあっても競争によって得るメリットは大きい、という共通の認識を私たちがもつような考え方をするべきではないだろうか」と指摘しています。「学習指導要領では、市場競争のメリットを教えるように書かれていないから」このようなことが起こるとも書いています。

 それでは、どのようにして市場競争のメリットを生徒に気付かせればよいか。それを大竹文献から探しました。
見つけた文は「市場がうまく機能する場合も多い。スーパーに商品がたくさんあり、売れ残りや、品切れが少ないのは、市場経済がうまく機能しているからである」というところです。スーパーの部分をコンビニにかえて解釈しました。
そして、教師が熱い想いで「市場経済はうまく機能している」と10回も20回も言うよりは、生徒に一回「市場ってけっこううまく動いてんじゃない」と自分の言葉で書かせてしまった方が有効だと判断したのです。
 
8.「問いの共有」で経済学習の入り口に立つ
 市場はうまく機能しているようだということを生徒に言わせました。その次に学習する内容は、「需要と供給」です。
ここで教室内において共有しなければならないのは、「どうして需要と供給を学習しなければいけないのか」ということです。
 コンビニのことを書いてくれた高校生の作文に「コンビニで売っているものは高い」という記述があります。「安く買いたいときはスーパーに行く」という記述もあります。どうしてコンビニの商品は高いのだろうかという問いを共有できそうです。

話題が「価格」に移っていきます。
 問いが共有できたら、次は直感で捉える段階に入ります。生徒との対話を続けていくと、たいていは“値下げシール”が登場します。「モノを売りたい人の気持ち」と「モノを買いたい人の気持ち」を直感で捉えて文字記号で表すことができます。
 ここからグラフを作成して説明する展開になれば、かなりのレベルの授業が展開できますが今回はそこには触れません。

9.まとめ
 文字記号はとても便利なもので授業には不可欠のものです。しかし、薄っぺらな使い方をしてしまうと、教師の発信したメッセージは生徒に届かないことが生じます。
「公民科」教師は文字記号の前提や多面性を「厚く」捉えないと生徒の心に届くメッセージを発信することはできないと思うのです。それではどうやって文字記号を「厚く」捉えることができるのでしょうか。
 文字記号を厚く捉えるためには、「公民科」教師が経済学習をとりまく文字記号の世界をできるだけ細分化して、1つひとつを掘り下げて言葉と生活実感をつなげてゆく作業が有効だと思うのです。
本稿では教科書の記述を一部掘ってみました。本文に書き込むスペースがなく埋もれてしまった記述を掘り起こそうと試みました。掘り起こす際に手元に置いたのは経済学者が書いたテキストです。
1つひとつのテキストデータに丁寧に向き合い、それをもとに、生徒の持つ知識を掘り起こしながら、生徒に届く授業づくりをしてゆきたいと考えています。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 

                                      執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.生徒の状況を推測しながらの授業づくり
 本稿は前回の続編です。
 筆者の前にいる生徒は,どうやら租税抵抗が高くないようです。しかも納税を私たちの“責任”だと捉えている生徒が少なからずいるということもわかりました。今回は,この情報をもとに授業案作成について考えることにします。

2.「知識の地図」をつくる
 授業の目的は次の2点です。
第1は,なぜ私たちが生きる社会に税が必要なのか,そしてその税を納めることがどうして義務なのかを理解することです。
第2は,税の仕組みはどのようなところでうまく機能しているのか,そしてどのような課題を抱えているのかということを共に考えるということです。
 筆者が最初に取り組んだのは「知識の地図」づくりです。例えば「神田の三省堂書店がしばらくお休みになる」という知識を伝えるとします。この時,相手がどのくらい東京都内の地図を頭の中に描いているのかという情報は,知識の発信者としてとても気になるところです。
 教師が,学習内容を生徒に伝えようとする時に,生徒がどのような知識を構成しているのかというのはものすごく大事な情報になるわけです。
筆者の前にいる生徒の多くは,文字記号として“税”や“税に関連する用語”を知っています。教師が「国民の三大義務は何ですか」と問うとすぐに3つの義務をあげてくれます。ところが,どうして義務なのかと問いかけると,生徒の方が「なんでそんなこときくの?」という顔をするのです。文字記号で覚えている「税」という用語と,実際に社会の中で機能している「税」とをくっつけてあげる必要があるようです。

3.「責任」と言ってくれないかな? その1
 そこでいよいよ税の授業案について考えてみることにします。
 授業ではじめに共有する問いは「どうして私たちは税について学ぶ必要があるのか?」ということです。はじめに生徒の心を動かす授業を計画します。
 ところがここで大きな問題点に直面します。教師が生徒の心を動かすことに夢中になってしまうと,授業で伝えようとする学習内容の精度が落ちてしまうという問題です。この問題を克服して,より正確な学習内容を生徒に届けるためには,大本となる理論との対話が必要になります。

 今回対話するのは,経済学者宮尾尊弘先生の経済教室8:公共と協力3 「公共財ただ乗りゲーム(囚人のジレンマ)」の授業です。宮尾先生が示されている授業の流れは次の通りです。
 (A)生徒4人が一組で一つの経済を構成しますが、お互いの名前は分かりません。
 (B)その経済で「公共財」提供のために、各人は10万円を払うかどうかを決めます。
 (C)集まった資金の半分は費用になりますが、残りの半分の価値に相当する公共財のサービスが提供され、その額に等しい価値のサービスを各人(10万円を支払ったかどうかにかかわれず)が享受できます。
 もし4人全員が10万円払った場合は、合計額が40万円で、費用を20万円かけて各人には残りの20万円相当のサービスが等しく提供されます。もし3人が払った場合は、15万円相当のサービスが、2人が払った場合は10万円相当、1人しか払わなかった場合は5万円相当のサービスが全員に提供されます。

 宮尾先生は,この授業を「クラス実験」と位置付け,学生に向けて「クラスでもっとも獲得額の多い人がこのゲームの「勝者」であることを告げる」というメッセージを発信しています。
筆者は,この授業を次のように再構成しました。
第1に,“公共財”という用語を「警察」,「消防」と表現しました。生徒の日常生活と結びつけるためです。
第2に,クラスでもっとも獲得額の多い人がゲームの勝者であるという表現を使いませんでした。「あなたは税を納めますか?納めるのならば手元にある用紙にYesと,納めたくないのならばNoと書いて投票してください」と指示したのです。
 同じ街に住む他の住人が誰で,どのような行動をとるのかがわからない状況で,生徒は一人の市民としてどのような行動をとるのかということを感じさせたかったのです。「えっ,私どうしたらいいの?」という場面をつくり出したいのです。
 
4.「責任」と言ってくれないかな? その2
 宮尾先生が実践されたクラスでは,多くの学生さんが10万円を納めなかったと記述しています。ところが筆者が実践したクラスでは多くの生徒が「Yes」と書いて投票しました。
 ある授業で次のような場面に出会いました。
開票結果を黒板に書いている時のことです。ひとりの生徒が立ち上がって「誰だ!Noって書いたのは!名乗りなさい」と言うのです。
教室全体に緊張感が走ります。筆者は立ち上がった生徒に向かって「何でそう思ったの?」と話しかけました。すると椅子に斜めに座り「だって,みんながまじめにお金を出しているのに不真面目なやつがいる」と主張するのです。
そこで筆者は「Noと書いた人にメッセージを一言伝えてみようじゃないか」といって全員に白紙を配付しました。「Yesと投票した人はNoと書いた人にメッセージを書いてください。Noと書いた人は,なぜNoと書いたのか,その理由を書いてください」と言ってメッセージを書いてもらいました。
 
書かれた内容を教室で共有します。
「みんなでお金を出し合うというのは私たちの責任なんじゃないか」というようなことを多くの生徒が書いてくれました。
「安心した社会をつくるための私たちの約束ごと」だというメッセージも複数見られました。
「お金を払うというのは私たちの義務なんだ」という記述もありました。黒板に“責任”,“約束”,“義務”と書きました。税を納めるということの根底には,この3つの用語が示す精神が存在しているのではないかということを共有したのです。
 
5.教科書には何と書いてあるのか?
 次は,ここまでの学習と教科書とをつなげます。ここ数年,公立高校にもWi-Fi環境が整いつつあります。せっかくですからスマホを取り出して調べさせることにしました。
 日本国憲法には3つの義務が定められていますが,英語ではどのように表記されているのかを調べてみましょう,という課題を出しました。
すると,“子どもに普通教育を受けさせる義務”,“勤労の義務”の場合には,義務を「obligation」と表現していることがわかりました。
一方で“納税の義務”の場合には,義務を「liable」と表現していることがわかったのです。三大義務というけれども,何かが違うらしいと生徒は受け止めます。
「それでは,何が違うのでしょう?調べてみよう!」ということになります。
 
教師の方は,事前に次のような教材研究を行っておきます。
『法律英語用語辞典』では“ obligation”は「義務,債務」と,そして“liable ”は表記がなく“liability ”が「①責任②債務③借金④負債」と記述されていました。
英語語源学を研究している田代正雄さんは“liable ”を「責任を負うべき;~を受けるべき」と書いています。
翻訳家の島村力さんは日本国憲法を訳すにあたり“obligation”を「義務」とし,“liable ”を「(法的に)責任がある」と示しています。
理論言語学者畠山雄二さんとジャーナリスト池上彰さんは,日本国憲法第26条をめぐって「shall be obligated to do で『絶対に~する義務がある』という意味になる」ことを指摘しています。その一方で「『勤労の義務』は訓示的(努力目標的)なもので法的拘束力はありません」と解説しているのです。

 授業は教師が調べたことを生徒に向けて発表する場ではありません。生徒の心に残らないような気がするからです。そこで次のように展開してみました。
 「“liable ”ってはじめて聞く単語ですか?」と質問します。多くの生徒はうなずきます。そこで「実は,みんなが持っている教科書に書いてあるんだよ」と紹介します。「誰が一番はじめに見つけるか競争しましょう」と少し盛り上げます。なかなか見つからなくて飽きてしまいそうな時には「教科書の後半かな?」とか,「消費者問題の頁かな?」とヒントを出します。

 しばらくすると「はい,ありました!製造物責任法(PL法)のところ!」という声が聞こえてきます。この部分には「Product Liability」と小さく記述されているのです。
皆がその頁を開いたら「liabilityって教科書では何と訳しているの?」と発問します。「製造物責任なんだから,責任じゃないかな?」と多くの生徒は判断するようです。ここまでくると生徒は黒板に書かれている知識を自分の力でつなげてくれます。

6.目指したい授業
ここまでの実践は,あくまでも筆者のフィールドに限定したものです。すべての教室に通用するとは思っていません。
その上で振り返りますと,筆者が“納税の義務”というフレーズを覚えて,この文字記号を定期試験の解答用紙に再現するということで税を理解したとは限らないということにこだわった授業だということを書き留めておきたいと思います。
一人ひとりの生徒が持っている生活を入り口にして,教科書に書かれている知識と結び付ける1つの道筋を探し求めた授業を目指したのです。
 この授業の先に,本授業第2番目の目標である税の仕組みはどのようなところでうまく機能しており,同時にどのような課題を抱えているのかということを考える場面が待っているのです。
 次回は,文字記号の再生という点に少しこだわって,経済の授業について考えていきたいと思います。
 
【参考文献】
宮尾尊弘先生の経済教室8はこちらに掲載されています。
尾崎哲夫『法律英語用語辞典』 自由国民社 2009年 p.275
田代正雄『語源中心英単語辞典(改装版)』 南雲堂 2005年 pp.196-197
島村力『英語で日本国憲法を読む』グラフ社 2001年 pp.78-81
畠山雄二 池上彰『英語版で読む日本人の知らない日本国憲法』KADOKAWA 2016年 pp.154-170

また先月号のシリーズ第一回目
教室の扉を開ける前に-「税」の授業をつくる
こちらに掲載されています。