執筆者 神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.教室の扉を開ける瞬間
 何年やっても緊張する時があります。それは、新年度にはじめて教室に入る直前です。
 全生徒が強い視線でこちらを見ます。
 “怖い先生なのか?”、“厳しい先生なのか?”、“分かりやすく教えてくれる先生なのか?”生徒にとっては不安でいっぱいなのでしょう。
 ところが、教師の方も不安で心は揺れています。この心の揺れは、不安感ではなく好奇心に近いものかもしれません。いったい今年はどのような生徒と共に学ぶことができるのかという好奇心です。生徒の視線に負けないように、強い心の視線をもって教室の扉に手をかけます。心の視線を支えるのは事前の教材研究です。
 
2.教師と生徒の“ズレ”を見る
教師が教えようとしている教科内容の枠組みは、おおよそ決まっています。問題は、目の前にいる生徒がどのような知識を備えているかです。小・中学校で何を学習してきたのか。経済学習で言えば、日常生活で経済に関するどのような知識に出会っているのか。何しろ教室で初めて会うわけですからわかるわけがありません。
 小・中学校の社会科教科書に書かれているからといって、その内容を理解しているという前提で授業案を作成すると、時として教師は火傷をします。火傷にもいろいろありますが、ここで問題にしたいのは“自覚症状のない火傷”です。
教師も生徒も「わかっているつもり」と思い込んでしまうことで、気が付かないうちに両者の持つ認識がどんどんズレていってしまうという問題です。

3.注目したい、教科書に何回も登場する用語
 教師が火傷を負う場面の多くは、教科書に何回も登場する用語を教えようとするときにやってきます。「教科書に何回も登場する用語はたくさんあるではないか」と指摘されそうです。
ここで取りあげたいのは、まず、登場する場面によって意味する内容が異なる用語についてです。社会科、公民科では、例えば、“国家”であるとか“契約”といった用語がそれにあたるでしょう。
 歴史的分野で学習する“国家”と公民的分野で学習する“国家”は、意味が一致しない場面があります。
公民的分野に限定すると“契約”は、社会契約、神との契約、契約自由の原則の契約と様々な意味で用いられます。
生徒にとっては同じテキストデータなのですが、教科内容としては意味が異なることもあるわけです。教科書は、そのたびごとに意味が異なることを示してはくれません。「えっ?その違いは分かっていますよね?」という前提で授業をすすめてしまうと、やがて“自覚症状のない火傷”になってしまうのではないかと思うのです。

4.「税」の授業をつくる…「税」は要注意
 今回と次回の「授業のヒント」では、この何回も登場する用語の中から「税」を取りあげてみます。「税」は要注意なんです。
歴史の授業では、聖徳太子が登場する場面から「税」は登場します。年貢で苦しめられる人々の記述もたくさん出てきます。やがて突如として「関税」が登場します。公民の授業では「納税の義務」について学習します。
1つひとつの税のどの部分が同じで、どこが異なるのかという説明は教科書には登場しません。「税」という1つの用語を整理するだけで、教師の持つ知識と生徒の持つ知識のズレがグッと狭くなるはずです。

5.「税」に対する教師と生徒のズレ
 用語を整理すると同時に、生徒は税をどう見ているか、それを探ることが生徒と教師のズレを埋めるために必要な作業になります。
実は、筆者は生徒が税をどのように受け止めているのか、ということに関して「思い込み」をもっていました。
その思い込みとは、「税を納めることについて肯定的に捉えている生徒は少ない」というものです。
 テレビを見ると“増税に反対する人々”の映像が流され、政治家は減税を主張し、書店に行き「節税対策」と表紙に大きく書かれた本が売られている光景を見ているうちに税についての思い込みが形成されていったと言えるでしょう。
 実際に教材研究をするために購入した文献には次のように書かれていました。
財政学者神野直彦さんは雑誌のインタビューで「(日本では)自分たちの外部に存在する支配者が取っていく、あるいはその支配者に上納するお金だという意識なので、税に抵抗観をもっている」と述べています(『税とは何か』別冊環 藤原書店p.10)。
同じく財政学者の石弘光さんは「税とか税金とかいうのはあまりいい印象を人々に与えていないと思われます」と書いています(『タックスよ、こんにちは!』日本評論社p.1)。
新書に手をのばしても多くの本は税に関するマイナスイメージを指摘しています。30分ほど書店を歩くだけで、同じような傾向の文献にまだまだ出会うことができます。
筆者はこれらの文献を読みながら教材研究を続ける中で、生徒が税について否定的な見方をしているのではないか、という先入観をもってしまったようです。

6.実際に調べてみると・・・
 授業開きにあたって筆者は、生徒を対象に税についての印象をたずねてみました。その1つが「税金についてどのような印象を持っているか、次の用語をランキングしなさい」 というものです。
用語は「寄付・会費・罰金・献金・料金・没収」の6個で、これらを1位から6位までランキングさせました。「寄付・献金」は肯定的な意味を、「会費・料金」は中立的な意味を、「罰金・没収」は否定的な意味もつとして、回答結果を分類すると次のようになりました。
 約100名を対象に行った調査は、税について肯定的態度を示す傾向がある生徒は約27.3%、中立的態度を示す傾向がある生徒は約51.5%、否定的態度を示す傾向がある生徒は約7.1%という結果でした。
否定的態度を示す生徒が極端に少ないというのが筆者にとっては驚きだったのです。「えーっ、納税することに抵抗がないんだ!」というのが職員室で発した声です。
 次に思い浮かんだ記号が「?」です。もしかしたら「公民科」の授業案を作成しようとしている時に、目の前の生徒が「税に抵抗を持っている」という前提に立って計画を進めようとしているのではないかと不安になったのです。まさに思い込みです。
 
7.納税の義務=納税の○○?
 もう一つ、生徒が税についてどのような意識をもっているのかを知りたくて「“納税の義務”の義務を別の漢字2文字で表現すると、どのようになりますか?」という質問をしてみました。
同じく、約100名の生徒を対象にした回答結果は、「約束」と書いた生徒が25名、「権利」と書いた生徒が9名、「責任」と書いた生徒が9名、「絶対」と書いた生徒が8名でした。
 ここから先は推測です。約束という言葉の周囲には「契約」という用語がちらつきます。そして何と言いましても注目したのは「権利」や「責任」と書いた生徒が複数名いたことです。
以前「夏の経済教室」に登壇されたことのある諸冨徹先生は、著書『私たちはなぜ税金を納めるのか-租税の経済思想史-』(新潮社)において、租税を「国家から提供される便益(生命と財産の保護)への対価として市民が支払うもの。この租税観は市民革命期のイギリスで確立された、いわば『権利』としての税である」(同書p192)と指摘しています。
諸冨先生の著書で紹介されている池上惇さんの『財政学』(岩波書店)を読んでみると「国民の納税に対する関係を表現しようとすれば(略)『納税の責任』と表現する方が適切な訳語であろう」(同書p9)と書かれています。生徒の感性の方が筆者の認識よりもすすんでいる、というのが率直な感想です。
授業案をどのようにつくるかのヒントを生徒から教えてもらったわけです。
 
課題は、ここで得られた情報を、どのように授業につなげるのかということです。その具体的な提案は来月号に書かせて頂きます。

 経済教育ネットワーク  新井 明

 今月は、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえて、教室で生徒に「この戦争はどうなるの?どうすればよいの?」と問われた時、どのように生徒に伝えたら良いか経済教育の観点から考えてみます。

(1)社会科、公民科の授業が問われる
 ロシアのウクライナ侵攻が始まってから1ヶ月余。毎日報道される戦争の様子をみて生徒は胸を痛めているのではないでしょうか。
 侵攻がはじまったのが2月下旬だったこともあり、授業で戦争の話をしたり、生徒から問いかけがあったりすることは少なかったかも知れません。
 しかし、4月からの授業の場面では、何らかの言及は避けられないだけでなく、原発の占拠、核攻撃準備の指令など地球的規模での危機を招く寸前までの事態に教科として何らかの応答が必要になっていると思われます。
 教科書にでてくる事項が、暗記のためではなく、リアルな形で先生方にも生徒にも投げかけられていると言って良いでしょう。

(2)戦争は多面的である
 戦争は、クラウゼビッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続にすぎない」という有名な言葉があるように、政治学習がメインの場面となります。従って、戦争を政治面から見ることが圧倒的に多いはずです。
 ウクライナに関していえば、ロシアとウクライナの政治的緊張、それをとりまくNATOという軍事同盟との関係などがそれにあたるでしょう。戦争の前後の外交交渉も政治の重要場面です。
 戦争は政治だけではなく、多くの面から捉えることができます。
 歴史から見ると、ロシアとウクライナの切っても切れない歴史的な関係がわかります。また、今回避難民を多く受け入れているポーランドとウクライナの関係も歴史的に見るとそう簡単ではないことが浮かび上がります。
 ウクライナの歴史をたどると、何度も今回のような包囲戦や民衆の被害、飢饉や虐殺を受けている国ということが分かり、民族の苦難という言葉が出てきます。
 地理から見ると、最近注目の地政学的な捉え方ができます。ウクライナ南部のクリミア半島、東部のドネツク、黒海の地政学上の双方の国にとっての重要性が注目されます。
 ほかにも、ロシアの戦争犯罪という面の国際法から見ることもできるし、人権の観点からも、文化の観点からも、イデオロギーの観点からも、情報社会の観点からもウクライナ問題を捉えることができます。
 
(3)経済からはどう見るか
 今回、ロシアに対してはG7の国々が経済制裁を行っています。これは需要面、供給面の経済のグローバル化に対応した措置です。特に、サプライチェーンのどこか一つでも切断することで、企業活動がマヒしてしまうのが現代で、それを見越しての対応です。そういう戦略的な対応も大事ですが、ここでは、もっと原理的に戦争と経済に関して押さえるべき観点をまとめておきます。
 経済では生産の三要素という概念が登場します。
 ヒト、モノ、カネです。最近はそれに加えて情報も入れる事がありますが、今回は捨象しておきます。戦争を遂行するには、この三つの要素を見てゆくことで、ある程度の推移が予測できます。

 まず、ヒトから。
戦っている兵士に注目します。その国の兵士が徴兵制なのか志願制なのかによって力量が変わります。また、どれだけのヒトを準備しているか、その数値も重要なファクターになります。
ヒトを兵士にした場合の機会費用についても考えるべき要素です。戦争をやらなければどれだけのモノが作れるのか、豊かさがもたらされるかその金額です。
さらに重要なのは、ヒトのモラルです。その闘いがどれだけ正当性を持っているか、正義にかなっているかは戦争の行方も左右する要素になります。
 もちろん、教育による洗脳で正義の戦いであると刷り込まれているヒトは自分の行為に疑問をもつことはないかもしれませんが、それでも人道に反する行為は戦場でもあるはずで、覚醒が起こる可能性があります。
 現代の戦争は、兵士だけでなく民間人も巻き込まれます。その犠牲、被害を金額にして見つめるのも経済の観点になります。

 次は、モノです。
 モノは、兵器の物量になります。これも、量と質の面から検討する必要があります。いかにヒトのモラルが高くともモノがなければ戦えません。爆弾に竹槍は通用しないということです。モノを支えるのが技術であると同時にカネになります。モノでも使ってはいけない兵器があります。現代では核、生物・化学兵器、クラスター爆弾などの非人道的兵器がそれにあたります。

 三つ目のカネです。ここが経済でのメインです。
 腹が減っては戦ができません。兵士に食糧を、武器を与えなければ戦争には負けます。戦争を準備するカネをどこから出すか、また、戦いが長引いたときにどのようにカネを出し続けることができるか、財政の問題になります。
 ちなみに、ロシアの今回のウクライナ侵攻にかかる一日の費用は2億ドルを超えると推定されています。名目GDPが日本の約3分の1の1兆7000億ドル程度のロシアにとって戦争の長期化はカネの面から耐えられなくなる可能性があります(日経新聞3月24日記事、およびIMFデータより。ただし戦費に関しては諸説あり)。
 そういった戦争にかかるカネを国民から取り立てる場合は、増税や戦時国債の販売があります。かつてのように敗戦国から賠償金をとってそれを積み立てておく方法もあります。持続可能にするには外国からの援助を受けたり、借金をしたりしながら戦う方法もあります。また、カネを作ることも戦費の調達の手段です。
 今回のロシアとウクライナをこの三つの概念から比較してみてください。
 ここでは細かいデータを示しませんが、例えば、外務省のHPの各国情報をチェックして基本的なデータを押さえた上での比較検討が求められます。ちなみにウクライナは以下。
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ukraine/index.html
 もう一つ、経済から戦争を見るとき、特に今回のウクライナ侵攻に対するロシアへの経済制裁、政府のカネと指導者の取り巻きのカネを枯渇させようとする作戦にも注目しておきたいものです。
 さらに、国際決済からの締め出しなどに関しても検討が必要になりますが、かなり専門的になるので、ここでは指摘だけにしておきます。

(4)では、どう教えるのか
 経済を中心にして戦争をどう語るか。特に、ウクライナ侵攻をどう理解して生徒に伝えるのか。
 まずは、経済を離れて、具体的に語ることです。新聞記事や映像などを用いるのが一番ですが、具体性をさらに深めるには、戦争の中の一人一人のヒトに注目することだと思います。ウクライナ人だけでなく、ロシア人もそこに入れておく必要があるでしょう。生身の人間が傷つけ合って、殺し合っていると言う現実から目をそらさないこと。これが一つの突破口です。
 さらに、戦争の多面性のなかのどれかに焦点化して、それを多角的に扱うことが求められます。多角的というのは、教える人間なり、生徒の立ち位置を確認して、そこからだけでなく、別の視点からの見方を紹介することです。その際には、今回の侵攻をロシアによるウクライナに対する「いじめ」とみたてて、ロールプレイをしてみるのも一つの方法になるかもしれません。
 そして、感情を、(3)でとりあげた要素の検討を通して「勘定」からも見る視点を加えられれば、戦争の多面性を理解できるのではと思われます。

 今の生徒の情報発信能力から見て、学校を離れて個人でSNSを使っての運動や寄付の呼びかけなどを行うこともあるでしょう。
 今回のウクライナ侵攻では、世論の形成が戦争を止めるまでにはゆかないにしても、一定の力を持つことも明らかになっています。
 学校でできること、やらなければいけないことを考えながら、ごまめの歯ぎしりでもよいから、戦争をやめさせるための教育、平和を求める教育をすすめたいものです。

・今回のコラムで参考にした文献:
 黒川祐次『物語ウクライナの歴史』中公新書、小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ちくま新書、ポール・ボスト『戦争の経済学』バジリゴ、小野圭司『日本戦争経済史』日本経済新聞出版、日経新聞3月24日付記事 

 今月の授業のヒントは、本年1月に実施された共通テストの「現代社会」と「政治・経済」の問題をもとに、それを日頃の授業にどう生かすか、二人の先生に寄稿していただきました。
 共通テストの問題は大学入試センターではまだ本年度分がアップされていないので、新聞社や予備校のHPからダウンロードしてください。(こちらは読売新聞のHPが参照できます。)
 

■さらに読み解く力をつける授業実践を!
千葉県立津田沼高等学校 杉田孝之
(1) 読み解く力を保障する授業を
 今回の共通テスト「現代社会」を解いたのだが、リード文や問題の設定、統計の読み取りで、正確に読みこなす能力が必要であり、筆者は試験時間を恥ずかしながら数分オーバーした。
設問で「すべて選んだとき、その組み合わせ…」も問われたので、問われている制度や基本的な知識などを活用して選択する必要があった。

限られた時間で正確に読み解く力を育てる実践について、公民科だけで日々おこなうだけでよいのかという疑問を持っている。
共通テスト翌日の自己採点提出日に、私が担任する理系生徒との何気ない会話で、先生の授業では初見の資料や統計などを読み解き、生徒間で読み取った内容を共有する時間が保障されているので続けてほしい。さらに国語や他教科でも限られた時間で問題や統計、分野横断的な長文を読み解く学習場面を設けてほしいとの声があった。

(2) 共通テストのメッセージから得られた授業構想
 公民科の授業は共通テストで高得点を獲得するための実践ばかりでなく、地歴科とも連携し主権者を育成する目的もある。
この点をふまえると、生徒が教科書や統計などを読み解き、考えるに値する学習内容で実践したい。できれば学習内容は具体的で、かつ発展性や他の単元とも関連性がある教材で、公民科らしい学習内容で実践したい。
例えば、今回の共通テストから得られた授業構想として、「現代社会」の第5問、問3や問5をベースに、少子高齢社会を前提にした、財政や世代間交流などを通じた地方自治体の持続可能性、NPOとの協働のあり方などを、教科書と初見の資料を組み合わせ、各単元のまとめなどで取り組んでみたい。

(3) 共通テストのメッセージから多様な生徒を前に、どう実践するか
 共通テストは大学入学のためのハードルである。高得点を取らなければ、難関大学突破は困難だ。
一方で大学入試とは無縁な高校生(「公共」は必履修)も存在する。
今を生きる高校生が将来幸せになるためにも、テスト対策とともに、時間はかかっても、正しく読み取り習得した学習内容をもとに、実生活で活用できるようになったほうが良いと筆者は考えている。
とはいえ、共通テスト2回のメッセージは今後も続くであろうから、まずは生徒が共通テスト本番でうまく向き合うためにも、生徒は筆者が提示した学習内容から「なぜ」と問い続け、考えることができるような実践を続けたいと考えている。

■「攻めた」問題をもとに「攻めた」授業を
大阪府立三国丘高等学校 大塚雅之
(1)「攻めた」問題
今回の共通テストは前回以上に色々な意味で「攻めた」ものであったと思います。
変に気になってしまったのが、「政治・経済」の第2問リード文で「白板に書いた」という設定。「黒板」でも「ホワイトボード」でもない。何か教育政策的に意味があるのか?深読みしてしまいました。
ここでは、さらに深読みして、今後授業をどのように行うかを問題から考えてみたいと思います。

(2)新たな知識の必要性
まずは知識面ですが、「マネタリーベース」など定義をしっかりと押さえておかないと解けない問題が出題されました。(「政治・経済」第2問の問4)
また、同じ第2問には、昨年度に引き続き、銀行のバランスシートが出題されています。
センター試験の時より細かい知識を問う。これは、これまで教えられていない新しい知識もきちんと正確に教えろということかと捉えました。
もっと深読みすると、現場の授業は少しずつ知識を上書きして、バージョンアップしながら変えろ、ということかとも思いました。

(3) 良問を授業に生かす
他方、知識以外の問題については、読み取らせたり、考えさせたりする良問も多かったのではないかと思います。
注目問題として「政治・経済」の第2問の問2を取り上げたいと思います。
「環境問題と関連させて生徒が書いた経済主体の関係図を会話文から読み取って選べ」という問題です。問題自体は単なる読み取りです。ただし、生徒がやっていること自体は、知識の活用ではないかと思います。

この問題をヒントに授業を行うとすれば、
①知識を正確に教えていく。
②授業の途中で関係図(絵)を個人で書かせる。グループで説明しあう。
③教師側から条件設定を変えて、関係図がどのように変化するか、前後の違いを議論させて、発表させる。
と言うようなプロセスが考えられます。
例えば、「地方自治に関する関係図を書きなさい。ただし、地方交付税交付金、国庫支出金、住民税、所得税、ふるさと納税という語句は使うこと」といった課題を与える。
その後、「地方交付税を減らした場合どうなる?」、「特定の自治体だけふるさと納税制度から排除したらどうなる?」と条件変更を行い、新たな図を書かせて政策の意味に気付かせるといった感じです。
これなら授業のマイナーチェンジで済みながら、主体的に生徒が取組む要素を組み入れることができ、現場でやれそうかと思い提案させてもらいました。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)物議をかもした今年の共通テスト
 第2回目となった今年の共通テスト。
 傷害事件やカンニング事件などで受検生が追い詰められてることが話題になっただけでなく、共通テストは、学校教育の内容にも大きな影響力を持ってくることが、改めて浮かび上がりました。
 平均点が過去最低になった数学では、その理由に、出題傾向が変わったという要員が大きいことが指摘されています。
 「これって国語の問題じゃないか」という声も聞こえるくらい、設問にたどり着くまでの文章が長く、そこについても、さらに小問でダメ押し的な新しい状況が登場して計算を要求するという形です。
 これまでの、例題、ドリルの繰り返しで得点できるという問題ではなくなって、授業の方法も変えざるを得ないという「圧力」を現場の先生は感じていることが報道されています。
 これは一時的なものではなく、出題者はかなり本気であるということがわかります。

(2)経済分野も変化してきている
 数学の変化が顕著なだけではなく、公民科、地歴科も含めて、要求されている内容がかなり変化しているのは先生方承知の通りです。
 「政治・経済」の経済分野で言えば、数学の問題ほど複雑な長文の設定はありませんが、ホワイトボードに書かれた授業の内容をもとにした設問、学校新聞のスタイルがだされています。
 この形式は、予備調査以来の予想されていた形式であまり変化はありませんでしたが、設問に関しては、かなりの変化があります。
 例えば、問3では、機会費用についての理解が問われています。
 これまで機会費用という概念を授業で聞いていなかった生徒は、はじめて見る言葉と定義から内容を理解するのは大変だったかも知れません。
 ちなみに、機会費用については、これまでの経済教育関係者の調査、例えば山岡道男先生(早稲田大学名誉教授)らのグループの国際比較の調査では、日本の高校生の理解度がきわめて低い概念の一つとして、その普及が課題として指摘されていたものです。
 他にも、銀行の貸借対照表、マネーストックとマネタリーベース、購買力平価説(ビッグマックレート)、労働力調査の定義の読み取り、消費税率の逆進性の計算など、授業ではあまり扱われなかったり、表面的な説明で終わっていたりしていた部分に関する突っ込んだ設問が登場しています。
 平均点は、昨年に比べて大幅な変化がなかったようですが、少なくとも、教える内容、どこまで教えるか、その方法に関して、共通テスト対応という点からみても、授業の内容ややり方を変えてゆく必要に迫られることになりそうです。

(3)心配な合成の誤謬
 入試問題が変わることで、高校の授業を変えるというメッセージが強烈に読み取れる共通テストですが、これがうまく行くかどうかはまた別問題かもしれません。
 一つは、現場の授業が本当に変わることができるかどうかです。
 変えることは、圧力をかければ変えられかもしれませんが、変わるのは主体的な行為となります。
 学校の先生たちは真面目だから、過剰に反応すると「合成の誤謬」がおきないとも限りません。つまり、それ読解力だということで、試験対応のための準備教育に力を注ぐことが予想されます。
 これは、アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)が必要だということで、それ話し合いだとなった風景に近いかもしれません。
 来年、多少揺り戻しがあったとしても、出題側の「本気」で授業を変えようとする姿勢は変わらないでしょう。
 もう一つは出題者側の問題です。
すべての出題者がその気持ちで作問すると、ほとんどの問題が複雑なリード文で、設問にたどり着けないような「良問」だらけになってしまう恐れがあります。
 今年の数学の問題などは、典型的な合成の誤謬の結果と筆者は推定しています。それが繰り返される可能性は否定できません。

(4)授業を変えるだけでなく
 このような変化に対して、どうするか。
 一つは、共通テストのメッセージに対して、本気で授業を変えることです。
 授業を変えるには、大きなストーリーをもって授業構成を考えることが必要になるでしょう。
 教科書をベースにしたとしても、個々の知識や対象をつなぐ論理をもった物語にできるかどうかです。三枝利多先生(目黒区立東山中学校)が書かれている教科書での「パン屋の話」などがそれにあたります。
 逆に、一つのテーマから多くの関連事項が生まれるようなテーマを探し出せるかという方向もあります。丹松美代志先生(おおさかまなびの会)が報告された「厠・トイレ考」の話などはそれにあたるでしょう。
 もう一つは、おかしいものはおかしいと声を上げることです。
 だいたい、現場のベテランの先生が問題に挑戦して時間内で解答が終わらない問題を出題すること事態がおかしいのです。
 そのおかしさ、正しさ故のおかしさを様々なルートで発言することが必要だと感じます。研究団体を通しても良いし、個人でできる範囲での発言でも良いと思います。
 
(5)与件を変える
 前号で紹介したシュンペーターは、『理論経済学の本質と内容』で静学的均衡の世界を描き、『経済発展の理論』で動学的世界を描きました。
 それに関して、「静学の中心問題は、経済外部からの適応であるとすれば、動学の中心問題は経済内部からの変化としての革新である」と故塩野谷祐一氏はその著『シュンペーター的思考』のなかで述べています。
 共通テストからの挑戦に対して<適応>で臨むのか、<革新>を目指すのか、問われているのは私たち現場教員だろうと思います。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)部会報告でのテスト問題
部会報告にもありますが、12月の東京部会では、4人の先生の定期考査が紹介されました。
そこには、共通した特徴が二つありました。
一つは、経済の授業が始まったことを反映して、市場メカニズムの理解を問う問題が複数の先生から出題されていたことです。
  旧センター試験や私大の試験では毎年のように出題される事項なので、良くも悪くも高校の場合は必須の学習事項になっています。中学校でも同様かもしれません。
 もう一つは、思考力を問う工夫された問題が出されていたことです。
 これも共通テストの傾向を踏まえて、長い文章を読ませて、それをもとに問題を出すというスタイルが特徴でした。
 こちらの傾向に対しては、大倉先生から国語との差異に注意して欲しいという注文が付いていました。

(2)ちょっとした工夫で生徒の理解を深める
まず、前者の需要曲線、供給曲線の問題、学習について検討してみます。
もったいないなと思うのは、原理的な理解を問うところでそれが終わってしまっているところです。
例えば、技術革新でコストが下がった時に曲線がどちらにシフトするか?という問題や、景気が悪化し国民の所得が下がった時に曲線がどちらにシフトするか?という質問が出されています。
また、「肉まん」を製造する新技術が普及して同じ品質の「肉まん」をより安く作れるようになった時や、冬の寒い日が続き多くの人が「肉まん」を食べたくなった時の需給曲線の移動を問う問題もあります。
どちらもありそうな設定ですが、需給曲線の形式的なシフトを問うというレベルでの問いで終わってしまっています。また、リアルさという点でもいま一歩と言ってよいかもしれません。
これを一歩深めるには、例えば、次のような問題を加えたらどうでしょうか。

「長引く新型コロナウイルスの影響で外食産業の需要が落ち込む一方、主食米の生産を絞る政府の転作誘導も思うように進んでいない」(『朝日新聞』21年5月28日朝刊)という記事が新聞に載っていた。このような時に米の値段がどうなるか、グラフを使って説明しなさい。

 この問題は、筆者の中学生向けのテスト問題です。これが良い問題かどうかは読者の判断に任せますが、次のようなねらいをこめて作成しました。
 ①新聞記事を引用することで、価格の変動をリアルに考えさせる。また、日頃、ニュースなどに注意することがテスト対策にも通じるというインセンティブを与える。
 ②価格以外の条件が変わったときに、どのように曲線がシフトするか、教科書に登場する理論を実際の事例で考えさせる。
 ③新聞には、「コメ、続く値下がり 4月取引価格、前年比6.6%下落 コロナで外食用の消費減/転作進まず」とあり、正解に相当する記述があるが、グラフを書かせることで、正解にたどり着くまでの思考過程を見る。
 この問いはテストで出題したものですが、実際の授業では、一通りの説明が終わったら、グループでこの種の問題に挑戦させて、どうなるかを討論させることができればもっと良いと思います。さらに、もしコメが統制価格だったらこんな場合にどのような影響が企業や家計にでるだろうかを考えさせるなどの展開もできるでしょう。
 この種の問題を使って、日頃の授業のなかで生徒に自由に考えさせてみる。日常と理論の往復をすること、形式的な練習問題ではなく、実際の事例で、様々な価格問題への注目が広がり、思考が深まることを期待したいところです。

(3)論文資料の読み取りと思考の深まり
後者の論文問題を取り上げてみます。
部会の報告では三人の先生から資料問題(一人は参考文)が出題されていました。
 資料文は、「人新生の資本論」を書いた斎藤康平氏のインタビュー記事、岡﨑久彦氏の「戦略的思考とは何か」、大竹文雄氏編著の「こんなに使える経済学」が使われています。
それぞれ、長文を読ませるという意味では、生徒の読解力を確認して、それを問うことにより思考を深めようとしています。
ここも、もったいないと思う箇所がいくつかあります。
 一つは、文章が長すぎる点です。テスト時間に長文を読むのは悪くはないのですが、思考を深めるという点からみると、エッセンスに近い文章でもよいのではという印象です。というのは、資料文の読み取りに時間を取られて、その資料文がテーマとしている問題に関する問いを考える余裕を無くしてしまう可能性がないとはいえないということが危惧されます。
 二つ目は、「問い」が適切かどうかです。授業の改善のポイントに「問い」をいかに立てるかということが指摘されています。「問い」を重ねることにより、本質的な構造が見えてくるような授業を目指したいということでしょう。
 資料問題の問いはその意味で、資料の価値を決める最大の要因となります。その点での吟味が必要となるでしょう。
 三つ目は、一つの資料だけで、是非や賛否を問うている設問があることです。
 はじめてテスト会場で見る資料だとして、それが論争的なテーマであるとしたら、複数資料が欲しいところです。資料がなくとも、対立軸を示しての意見論述が必要であると感じました。
 その点で、経済の問いではなかったのですが、「強制投票制度」を扱った問題では、三つの資料をもとにした意見論述問題でした。最低二つの資料やヒントが、論述を伴う問題だけでなく授業でも必要と言えるのではないでしょうか。
この種の長文問題は、事前に生徒に概略や資料文を紹介しておいて、試験会場で設問は初めて見るというやり方も一考かと思います。また、テスト後の振り返りも、テスト以上に必要と言えるでしょう。

(4)評価は工夫されている
注文が多くなりましたが、改善されているなと感じたものは、評価基準の明確化が進んでいる点です。
論述問題では、今回問題を紹介してくれた先生方が、論述の書き方や採点基準を明確にして、生徒に提示していました。
 観点別評価が高校でも導入されますが、思考力・判断力・表現力や学びに向かう力など、これまで数値化して表現してこなかった高校現場ですが、部会で提出されたテスト問題では、評価を生徒が見えるように提示しています。
評価基準の明確化は、テストに取組む生徒にとっても、また、採点する教員にとっても、重要な要素になっています。特に、教員にとって最初は大変ですが、適当に帳尻あわせをするのではなく、一度、しっかりと取組まれると、後が楽になるはずです。
評価に関しては、若い先生方の努力と工夫から学ぶことが多いのは喜ばしいことと思いました。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)二つの公開授業
 先月、オンラインで、二つの公開授業を見ました。
 一つは、中学校の地理の授業で、「アフリカの経済発展を考えよう」というものです。
もう一つは、高等学校の現代社会の授業で「リスクとライフプランを考える」という金融教育の授業です。
 中学校の授業は、10分ほどの映像でしたが、高等学校の授業は50分全部を見ることができました。
 それぞれ優れたところ、感心したところがあったのですが、気になった点、疑問点が共通していたところがあり、今回考えてみたいと思いました。
 それは、生徒たちはどの立ち位置で考えているのだろうか、授業のなかで、考える視点がどこにあるのかを明確に指導していたのだろうかという疑問です。

(2)アフリカの経済発展の例
 地理の授業は中学2年生の授業です。
未開発とイメージされているアフリカが実は大きな飛躍の要素もっていて、現実に動き始めていることを学習したあとに、ではアフリカの経済発展のために今後どんな産業がもとめられるだろうかをグループで探究活動をした結果を、3年生の前で発表し、3年生の突っ込みに対して、回答するという授業です。
これは、担当者が2年の地理と3年の公民を担当していたことでできた、意欲的な授業です。
 2年の生徒も頑張ってそれぞれの企画を提示していたのですが、その企画の提案者は誰なのか、提案者の立ち位置が生徒に自覚されていないことが特徴的でした。
 日本人として(例えばJICAなど)その地域や国に関わるのか、企業の立場(例えばグローバル企業か現地の起業家なのかなど)から考えるのか、その国の人間(男性か女性か)が考えるのかなど、考える主体が誰なのかは、企画そのものの質を左右します。
その自覚なしに、取組まれた提案は、空中に浮いているように感じてしまいました。

(2)リスクとライフプランの例
 こちらは、工業科の定時制高校の実践です。
 半年をかけて、「株式学習ゲーム」を行わせながら、経済について考えさせているという「現代社会」の授業の一環でした。
 内容で気になったところは、やはり立ち位置です。
 どんな銘柄を生徒が選んだか、その変動、選んだ理由を適宜、生徒に聞きながら、授業が進みます。
 生徒の多くは、任天堂、ソフトバンクなどやはり知っている企業、日頃お世話になっている企業を選んでいました。それはそれで構わないのですが、気になったのは専門に関係する企業をほとんど選んでいないことでした。
 電機科と電子科を持つ学校で学んでいるので、その業界の企業の名前がでてきてもよいに、もったいないというのが印象でした。
 それをもっと感じたのは、リスクからライフプランを考えさせる展開部です。ライフプランは人生の四大イベントに絡んで取り上げられていますが、自分のライフプランがイメージできない生徒が多かったようで、先生の説明で進行していました。
 理由の一端は、株式学習ゲームで現れていたように、現在の自分の立ち位置が自覚されていないので、長期のライフプランが浮かばないということなのだろうと推定しました。

(4)自分の足元は何か
 社会科、公民科の場合は、「公民的資質」の育成が求められています。日本人としてというキャップをかぶることもあります。
 日本人としてということを強調しすぎるのも問題ですが、どの位置から社会を眺めるのかを自覚させることが、社会科の授業づくりでは大切な要素ではないでしょうか。
 伝統経済学では、抽象的な経済人を措定して経済を分析します。これは、科学的方法です。行動経済学では、それを批判してバイアスを持つ現実の個人を前提とした理論を提示しようとしています。
教室の授業では、科学的分析の世界の個人なのか、それとも現実の私なのかの自覚を求めることはほとんどありません。
 対象のなかからものを見るのか、外から見るのか、男性なのか、女性なのか、命令する側から見るのか、命令される側から見るのか、…。それぞれ立ち位置が違うと見え方が違うはずです。
 「自分事にする」前提として、自分の足元をまず自覚させて展開する授業がもっと必要だと、二つの授業をみて考えたのですが、皆さんはどう考えるしょうか。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)手書きのレポートが提出された
 今年の夏休みの宿題は二種類だしました。
 一つは、必修として『レモンをお金にかえる法』の続編(マクロ経済編)の翻訳。もう一つが、自由課題として、夏前の授業で十分時間がとれなかった株式会社に関する調査レポートです。
 後者は、自分が関心を持っている企業に関して、その経営者、大株主、株価の推移、社会的貢献などを調べて、どんな特徴のある会社かをレポートさせるもので、提出は自由ということで課しました。
 夏明けに回収。必修はさすがにほぼ100%提出。自由研究の提出率は1割強でしかありませんでしたが、びっくりするレポートが出てきました。
 それは、手書きの「任天堂」(A4版12枚)に関する研究レポートです。

(2)大学生のレポートに近い
 このレポートでは、「コロナ禍でできた暇な時間を気軽に潰す方法として任天堂の経済面での需要が高まったのだと私なりに考えた」として任天堂の分析が行われています。
 内容は、任天堂の歴史、現在の製品、経営陣の分析、現在の取組み(eスポーツなど)からはじまり、任天堂の経済状況が詳しく分析されていました。
それぞれの項目の説明の間には、貸借対照表の紹介や入金と支払いサイクルの図などが挿入されて、商学部などでの財務分析のレポートに近い内容です。
最後のまとめ、感想の箇所では、「任天堂の経営状況について調べてみて、非常にたくさんの経済に関する専門用語について深く調べることができた。…調べ学習を経て、新しいことを学ぶ事ができて、とても充実した有意義な機会になった」と、教師を泣かせるような言葉が書いてありました。
私のコメントは、「脱帽」です。

(3)なぜこんなレポートが登場したか
 「自由研究は親の研究」という言葉があります。
 「自由研究」と称しても、テーマ設定や調査などは親の手助けが大抵は入っているものです。時には、宿題代行業者が介在することもあります。
 今回のレポートも当初は、それを疑いましたが、読んでゆくうちに、自分の言葉、自分なりの分析がされている箇所がたくさんでてきて、ヒントは誰かが与えたとしても、自力のレポートと思わざるを得ませんでした。
 なぜ、こんなレポートが登場したのか。本人の関心もあるでしょうが、このレポートが手書きであるところにその秘密の一端があるように思いました。
 12枚をぎっしり手書きにしていること、それがこの生徒の情熱とテーマに対する真剣な取組みを象徴しているというのが私の判断です。

(4)昔にもあった、それが…
 実は、手書きのレポートに関しては、思い出があります。
 30年ほど前にディベート授業をはじめた時に、夏休みにディベートのテーマに関するレポートを書かせていました。
 その時の秀逸なレポートが、今回と同じ手書きのレポートだったのです。その時は、B5版52ページ(ただし1行おきに書けという指示だったので実質はその半分)でした。テーマは「歴史教科書問題について」。
 内容も優れていましたが、なにより、力業の素晴らしさでした。
 それが、インターネットで簡単に検索ができ、ワープロが普及してゆくにつれて、レポートの質が目に見えて低下してゆきました。
 異動した先も、学力的に高い生徒集団がいる学校だったのですが、こんな程度のものしか出てこないのかと嘆くようなものが多数出てきて、指導の限界を感じて、ディベート準備は夏の宿題ではなく、時間内でのグループワークにしてしまいました。
 その後も、大学生も含めて、久しく、コピペのレポートばかり見てきた年寄り教師に、手書きのレポートは新鮮でした。

(5)ハイブリッドの世界へ
 今、調べ学習が盛んにすすめられています。
 タブレットが一人一台準備されて、調べることが比較的たやすくできるようになりました。
 それにあわせて授業形態だけでなく探究活動も変わらざるを得ません。私たち自身だって、新聞の縮刷版を積み上げて、データや記事を探すことはなくなりました。
 今更手書きの時代に戻ることはないし、それは現実的でないことは言うまでもありません。実際、30年前のレポートのソースは、新聞、書籍でしたが、今夏のレポートのデータのソースは全部ネットからのものでした。
そうであっても、デジタル化の大波のなかで、アナログでの手書きという力業をしたこと、また、時にはさせることの教育的な意味はなくならないように思います。
 その意味では、板書、ノートチェック、レポート課題などアナログ教育は大変ですが、学びに向かう主体性を確認するために残しておいて、それ以外の場所ではデジタル授業をすすめるというハイブリッド方式がこれからの授業のスタイルになりそうです。
 私も時にはデジタル時代に抗って、手書きの手紙を知人や友人に書くことも必要かと思うことがあります。ただ、ちょっぴり残念なのは、もはやその手紙がラブレターではないことですが。

千葉県立松戸向陽高等学校 大倉 泰裕

 4月以来継続している評価に関する提言、ここまでの議論を総括する意味もこめて、今号では、大倉泰裕先生から、ご自身の実践を踏まえた提言をいただきました。 (経済教育ネットワーク   新井 明)

1 観点別評価が“本気”で始まる
 いよいよ来年4月からの新課程実施に伴い、高校でも観点別評価が“本気”で始まります。
「観点別評価ってどうするんだ」、「思考力・判断力・表現力の評価ってどうやって付けるんだ」などいろいろな声を聞きますが、その前に、なぜこのような評価が必要なのかということを理解しておく必要があります。
そうでないと「面倒くさいよね、今まで通りでいいじゃないか」とか、他人の実践事例を形だけ真似るだけで終わってしまうからです。
だからといって、評価の話を初めからしていくと連載ものになってしまいます。そこで私の実践をふまえてお話しします。

2 評価の前に授業がある
 「授業と評価は一体である」とよく言われますが、教育という場面での評価であると考えるのであれば、指導の結果として生徒がどのように変容したのかを見ることが評価であると思っています。
ということはまず授業が大切です。
社会科・公民科の授業はどうしても知識が多くなります。これは教科の特性として当然のことです。また知識が無いところに思考も関心も生まれません。
でも知識を大量に与えることだけで終わってはいけません。ここを変えることが最初に必要なことです。

私は授業をするとき、「この授業で大切なこと(概念、原理、法則など)は何か」ということから授業を組み立てるようにしています。
どの知識も大切ですし、教えたいと思うのは教員として当然です。でもそれをしたら、生徒は拒絶反応を起こすか、ひたすら暗記にはしるかです。
知識を概念などと結びつけて教えることで、なぜそのような制度があるのか、なぜ大切なのかを繰り返し教えて、思考につながるように心がけています。

3 考査での評価から
 その上で評価ということになります。特に高校では2単位×8クラスなどという授業の持ち方も多いと思います。
そうなるとどうしても考査での評価になるでしょう。
考査だけで評価すべきではありませんが、1クラス40人×8クラス=320人のレポートを見ろといわれたら、それだけで観点別評価から逃げ出したくなります。
そこでまず考査でしっかりと思考などを評価することを考えます。

私は通常の考査でも作問するときには観点を意識しています。
「現代社会」で4割程度、「政治・経済」でも3割は思考・判断・表現の観点で作成しています。
例えば、あるできごとやグラフを概念や原理などを用いて解釈させるなどという問題をよく出題します。
また「公共」を意識して、功利主義の立場に立てばどのような選択をすることになるのか、などという問題も作成しています。
これらの問題は記号で選ばせることもありますが、解釈や理由を記述させるという方が、生徒がしっかりと思考できたのかを見るのに適しているでしょう。

4 大切な採点基準の作成
 さてその記述させるということですが、ここでまた大切なことが出てきます。記述式問題の採点基準です。
その採点基準とは何でしょうか。分量でしょうか。
確かに短すぎるのは採点できないことがほとんどです。ですから生徒には解答の仕方を事前に、あるいは問題文中に指示することが必要です。
これは表現の評価になりますが、学力が十分身に付いていない生徒の多くは国語の力に課題があると思っています。
本来はここをしっかりと指導することが必要で、現行学習指導要領でも「言語活動の充実」はその1丁目1番地といわれてきました。
ただしそこから始めると、「現代社会」や「政治・経済」の評価までたどり着きませんから、日々の授業では指導するにしても考査の時には見本や解答の仕方を示しておくことも必要です。

 さて、生徒が、こちらが望むような文章などで解答してきました。それをどう評価すべきでしょうか。
それには目標に準拠した評価という考え方が大切です。つまり評価規準です。
簡単に言えば、こちらがこのぐらいまでは出来て欲しいという解答を文字化して用意しておくことです。そこでは採点するときの視点やポイントを明確にしておきます。
たとえばキーワードを設定したり、複数の立場から意見を論じていたりすることを正答の条件とするなどということです。それをクリアすることによって思考や判断をしたと評価することになるからです。
ですから、採点者自身が規準を文字化して明確にしておくことはとても大切なことです。ここがぶれると記述式問題の評価は出来ません。これはレポートの評価などにもいえることです。
このとき、くどいようですが、あくまで思考としての出題でなければなりません。すでに授業で話をしていることを記述式問題で出題してもそれは知識・理解の評価でしかありません。

5 最後に提案
 今回は短い中での話なので、この程度となりますが、最後に一つ提案したいことがあります。
観点別評価を進めるのであれば、ぜひ授業と考査問題を他の先生に公開してください。
他の先生方に見ていただき助言を受けるということは、授業も考査問題もよりよいものが出来ることに直結します。自分では気が付かないことを指摘してもらい、それをその後の指導に生かすことが出来ます。
「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があります。新しい評価方法を面倒と思わずに、大勢の力で生徒にとってプラスになるようにしていきたいものです。

 

執筆者  広島大学附属高等学校・中学校 阿部哲久     東京都立井草高等学校 杉浦 光紀

 4月号からこれまで5回にわたり評価の問題をとりあげてきています。
 6回目の今月号では、前号の中学校からの提言に続いて、来年度から学年進行で新学習指導要領がスタートする、高等学校における評価の在り方を、お二人の先生から報告・提案をしていただきます。 (経済教育ネットワーク   新井 明)

■観点別評価で授業改善を
              広島大学附属高等学校・中学校  阿部哲久

(1) はじめに
 来年度から高校でも観点別評価が導入されます。私自身は02年度の中学校での導入を経験し、現在は高校にも籍を置く立場ですが,中学校導入時は調査書とも直結していることから対応にとても苦労しました。
今回は大学入試で用いられる調査書には直ちに記載されない方針となりましたが,逆に形式的な導入に留まってしまう懸念もあります。
しかし今回の改訂で示された観点別評価は,これまでの小中学校の実践を踏まえて使いやすく整理されており,国際的な学力をめぐる議論等も取り入れたものになっています。
形式的な導入に留めてしまうのはもったいないのではないでしょうか。

(2) 評価と評定
 導入にあたってまず気になるのは観点別評価と評定の関係ですが,「学習改善につながる評価」と「評定のための評価」を分けるとスッキリします。
単元の途中で行うのが前者,単元の最後に行うのが後者と考えるとシンプルでしょう(文科省の調査官は「子どもが最も良い状態のところで評定のための評価をするべき」と表現していました)。
例えば小テストや授業での様子を評価するとしてもそれらを全て記録して評定に反映させる(大変な労力!)必要はなく,適切に生徒にフィードバックして学習改善につなげることの方が大切だということです。
こう考えると,単元が終わったところでペーパーテストやワークシートなどによって「評定のための評価」を行えばよいことになります。

(3) 主体的に学習に取り組む態度の評価
現場では「主体的に学習に取り組む態度」をどうするかは最もとまどうところです。
学校での観点別評価導入当初は提出物の状況などを「関心・意欲・態度」の評価に用いる事例も散見されましたが,提出状況やきれいさなどを評価するものではないということは、中学の実践などを経て定着してきました。
特に今回の改訂に関わって国立教育政策研究所の『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料』では,
 *********************************
「主体的に学習に取り組む態度」については,国家及び社会の形成者として,よりよい社会の実現を視野に,現代の諸課題を主体的に解決しようとしている状況を評価する。
「解決しようとしている状況を評価する」については,この観点が,学習の調整を適切にできるか否かを判断するわけではないことを意味している。(中略)自らの学習状況を把握し,学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら,学ぼうとしているかどうかという意思的な側面を評価するものである。
次に,「解決しようとしているものは現代の諸課題であるということ」については,ここでいう「課題」が,学習上の課題ではなく,様々な社会的事象から成る現代の諸課題であることに留意する。(中略)そこで学習の結果として,学習内容を人間としての在り方生き方,社会の在り方と結びつけて深く学ぶ事の意味や意義に気付くこと,これからも問い続けていきたいこと(問い続けていかなければいけないこと)を見いだしている状況などを評価することが考えられる。
*********************************
と具体的に示されています。(同署p43~44)

例えば学習の見通しを書かせ,途中での学びを記入し,最後に新たな課題を見いだして書かせる1枚ものポートフォリオのプリントを用いることが考えられます。

(4) 思考・判断・表現の評価
「思考・判断・表現」については,記述式による評価(学習した内容をもとに「見方・考え方」を用いて意見を書けるか,等)だけでなく,記号による選択式での評価も可能でしょう。
共通テストの問題には参考になるものが多いように思います。
私自身は,生徒の文章力の影響や採点のブレを避ける意味で,極力選択式で出題(学習した内容をもとに特定の「見方・考え方」を用いて導かれる意見を選択させる,等)するように頭をひねっています。

(5) 評価と授業改善
例えば前述の1枚ものポートフォリオを作成するためには,教員の中で「単元」の構成やまとまり,各時間のねらいとつながりが明確になっている必要があります。
また「思考・判断・表現」の評価問題を作成するためには,思考のベースとなる「授業で獲得させる知識」と、用いさせたい「見方・考え方」が明確になっている必要があります。
評価を意識することは自然に目標を明確にすることにつながり、目標を達成するための授業づくり=授業改善につながるのではないかと思います。
どうせやるなら授業改善につながる観点別評価を意識してみるのも悪くないのではないでしょうか。

■高校での評価原論―“はかる”と”ふえる”―
                   東京都立井草高等学校 杉浦 光紀

(1) 評価の正しい理解
単元学習で有名な国語教師、大村はまの言葉に学んだことがある。
評価をしたら、学力がふえるのではない。学習指導をするから、学力がふえるのである。「はかる」と「ふえる」の2つを誤解してはいけない。だから、「はかる」に目を奪われず、教材の用意と学習指導(声掛け・足場かけ)の促進こそが大切である。

評価は教師にとって、生徒の学びを見取る絶好の機会。授業改善にもつながる。しかし、全国の先生方は、部活にクラスに授業準備、更にはコロナ対応と、すでにスーパーマンな働き方をしている。
生徒のすべてのアウトプットやパフォーマンスを評価し、評定に換算しなければ、と誤解しないようにしたい。評価そのものが複雑だと、「ボトルネック」(理論は正しくても現実にはうまくいかない)となってしまいかねない。

(2) 効果的な評価の枠組み-ルーブリック
実質的で有効な評価はないか。そこで、ルーブリックである。
ルーブリックは、「学びのガイドライン」であり、どのようなパフォーマンス(発表・論述等)をしてほしいか、「努力の仕方」を生徒と教師で共有するためにある。
単元全体ではなく、ある成果物やパフォーマンスを対象に学習到達度を示す評価基準表である。
ルーブリックの強みは、用いること自体が「ナッジ」(強制ではなく望ましい行動を手助けする方法)である点にある。
指導と評価の一体化が、ルーブリックの用法・用量を間違えなければ、実現できる。
行動経済学に基づいた設計の枠組みに「EAST」があるが、評価もイージー・アトラクティブ・ソーシャル・タイムリーでありたい。この原則に従い、生徒の理解や学びの目標に応じて、回数や方法を工夫するのである。

(3) 評価が活きる場面の厳選
ルーブリックが役立つ場面を2つ。
まずは、現任校での夏休みの宿題である。日本思想の先哲を調べて2学期に発表する課題を出した。
このような課題において、評価のポイントが事前にわかるのは、生徒にとってタイムリーでアトラクティブだ。なぜなら、提出後にこの書き方ではダメだと言われるより、調べようと思ったその場に基準がある方が便利だからである。
3つの項目に絞り、理解がイージーな説明を心掛けた。個人の解釈に幅が出てしまうが、それは事後の振り返りに活かせばよい。

もう1つは、前任校で実践していた新聞記事の発表である。
導入前は、ほとんど調べずに15秒ぐらいの発表で終わってしまう生徒もいた。しかし、事前に発表の仕方や内容についての基準を示し、発表者以外の生徒には評価させるようにしたところ、発表時間も内容も向上した。
努力をしようにも、その方法がわからず、説明を理解するのも苦手な前任校の生徒には、効果抜群であった。
全員が同じ基準で取り組み、他者への発表を意識する点は、ソーシャルだともいえる。

(4) 評価基準の共有で「学ぶ力」を育成
ルーブリックや観点別評価にしても、これまで教師が心の中で行ってきたことである。それを少しクリアにして、生徒にあらかじめ示すことで、以下のような会話(仮)を減らすことになる。

先生「なんで、こんなレベルの内容しか書けていないんだ。教えたはずだぞ。」
生徒「そう言われても、何を書いたらいいか、わかりません…。だから、やる気も出ませんでした。」
先生(心の中で)「これだと学びに向かう力は、Cだな。」

仏道(禅宗)なら、不立文字、以心伝心で秘儀を伝授するのだろうが、40人クラスで週に数時間の授業では難しい。
ゆえに、学びを深めるための目に見える手引きを用意する。評価基準を共有できていれば、どう頑張ればよいかがわかる。完全にブラックボックスで評価するよりは、客観性を保つことにもなる。
努力の方向性を示した上で、生徒が「見通しをもって」「粘り強く」取り組むことを期待する。
そうすれば、観点別でもっとも困る「学びに向かう力」を伸ばせる。
高等学校における観点別評価は、学力を「はかる」のではなく、どうしたら「ふえる」のかを考えて、進めていきませんか?

 執筆者     大阪市立加美南中学校  李 洪俊   福井県美浜町立美浜中学校 行壽 浩司    春日部市立武里中学校 小谷 勇人

4月号から4回にわたり評価の問題をとりあげてきました。 5回目の今月号では、新学習指導要領がスタートした中学校における三観点評価の実情と、新学習指導要領における評価の在り方を、3人の中学校の先生から報告・提案をしていただきます。 (経済教育ネットワーク 新井 明)

■学期末の職員室から
             大阪市立加美南中学校  李 洪俊
「期末テストが終わりましたので、今週の金曜日までに素点入力と評定交換をお願いします。なお観点別の重みは学校で決めた比重で、本校の評定平均は3.3±0.3で3.6までです」と教務主任。
中堅教員は、「テスト・提出物・授業態度等で観点別に集計してつけよう、入試で不利にならないように3.6だな…」とつぶやく。
ベテランは、「毎回思うけど、評定平均を決めた大阪の真の絶対評価って何のこっちゃ?ところで、(教科は違うけど)“主体的に学習に取り組む態度”ってどのようにしているの?」と隣に。「点数だけ取る生徒もいるけど、内面は分からないので、宿題などの客観材料を点数化して出すことになるでしょう。主体的でなければ提出物を出さないから」とお隣さんも困り顔。
新任は、「学びに向かう力の “主体的に学習に取り組む態度”ってどのようにつけていますか?」と先輩へ質問。「適当でいいんじゃないの?前回の“関心・意欲・態度”と同じで親に説明さえできればいいよ。評価って本来とても難しいものだからね」と先輩。それを聞いて、新任「そうですか…」と少し不安な顔。

この風景は、これまで再任用で異動してきたいくつかの中学校の平均的な職員室だ。
新学習指導要領の観点別評価に関して、個人的には、意図している目的=授業改善の方向や学習内容から三つの観点の具体的な内容が検討されて、「主体的・対話的で深い学び」をどのように取り組んだとか、授業実践で生徒は何を学んでどのような力が身についたか、また「指導と評価の一体化」を基本にしたPDCAサイクルで決めた今回の評価はどうだろうか、などの話題が職場ででれば望ましいと考えている。

残念ながら、きちっと取り組めている職場もあるだろうが、それは厳しいようだ。
その最大の要因は、学校行事や生徒対応、クラブ活動などで多忙で、常に時間に追われているからだ(昨年・今年は、さらにコロナ禍で行事変更が多かったことも影響している)。
一応、年初の職員連絡会や教科会で評価方法などは決められているけれど、具体的なことは先生方に全面的に任されている。また、新学習指導要領をどれだけ理解するために準備ができているかの問題もあるが…。
先生方の関心は高校入試に関係する評定平均であり、多くの保護者もそれで納得している。
どうも、目標に準拠した評価の理想と手続きは、まだ程遠い状況にあるようだ。今こそ、新しい評価に関する現場の情報交換に期待したい。

■パフォーマンス課題、三つの工夫
               福井県美浜町立美浜中学校 行壽 浩司
中学校現場では成績付けの時期を迎え、生徒の成績をどのように評価するかということが話題になっている。
その中でも特に注目されているのがテストの点数のみならず、パフォーマンス課題などの成果物によって成績を付ける取り組みである。しかしテストの点数のように数値化されたものでないため、見る教師によって評価に差が生じてしまうのではないかという懸念の声もあがっている。
 
以前、京都府の公立中学校にて勤めていた時、校内研究の一環として西岡加名恵先生(京都大学)と共にパフォーマンス課題を作成する機会があった。
評価にあたり、自分の担当するクラスだけではなく、全クラス分を一度に評価することで、複数の教員が判断し、クラスによって評価の差が出ることも解消されるとご教示いただいた。クラスの枠を超えて、その作品自体を複数の教員が評価していく試みは、成果物のような数値化されていないものを評価する際には効果的である。

また同じころ、名前は伏せた状態でA評価のノートを廊下に掲示する取り組みも行った。
これには二つの効果があったように思う。一つは、廊下掲示された生徒は日々のノートが高い評価を受け、嬉しく感じるという点である。
そしてもう一つは、これが、どのようなノートがA評価になるのか、というルーブリックを示すことになる点である。
「なぜこのノートがBなのか」「Aはどのようなことを書けばよいのか」という生徒の疑問に答えることになり、結果的に学年全体へ良い影響を与えていく。

最後に、「質の高いパフォーマンス課題とは何か」という点についてである。
「勉強した知識を活用したらよい」程度にしか認識していなかった私に、西岡先生は「複数の知識が関連付けられているパフォーマンス課題が望ましい」ということをご教示いただいた。
すなわち、公民のパフォーマンス課題の中に、地理や歴史で学習した知識、理科など他教科の知識、生徒自身の生活経験や、先日見たテレビ番組の知識といったような知識がお互いに関連付けられるものが「質の高いパフォーマンス課題」であるということであろう。
このような視点は、公民の学習を公民の知識習得で終わらせることなく、これからの社会に生きていく上で活用できる形にしていくことにつながっていくのではないだろうか。

■評価の転換点を経験して
            春日部市立武里中学校 小谷 勇人
・評価の転換点への温度感
 昨年度、私は中国にある日本人学校で小学6年の担任を経験しました。日本へ帰国し、原籍である公立中学校での勤務が始まり、2年連続「評価の転換点」を経験しています。
現場の議論は、観点別評価のパターンをどのように揃えて評定を出すかがメインでした。説明責任を果たすための喫緊の課題なので、当たり前と言われそうですが、多くの学校でも同じ流れであったかと思います。
ちなみに、前任校では、説明をしやすくするために全教科のパターンを統一、現在の勤務校では教科の特性に応じて各観点の重みづけが違うとして、各教科でパターンを提示しました。

・「主体的に学習に取り組む態度」と「関心・意欲・態度」のちがい
 さて、現場で一番真剣に議論すべき課題は「主体的に学習に取り組む態度」だったのではないかと振り返って思います。
学校をあげて研修をすることで、定期テスト後のワークがやってあるかチェックすることやプリント類が揃っているかチェックすることなどを評価に加味していたこれまでの、「関心・意欲・態度」を見取る成績処理とのちがいが見いだせるのではないかと思います。
まずは教科会レベルでスタートし、常に議論することが必要です。
また、メルマガの中で話題になっているルーブリック評価を作成してのパフォーマンス課題を含めて「主体的に学習に取り組む態度」を見取ることのできる時間を定期テスト以外に意図的につくることは必要だと考えます。
英語のスピーキングテストや音楽の歌唱テスト姿をよく見ますが、社会科でも「主体的に学習に取り組む態度」を見取ることのできる課題を作れないかと模索しています。
テスト前の自習時間をつくるよりも、こちらの方がはるかに有意義な時間になるのではないでしょうか。

・GIGAスクールの波に乗る
その際、大きな可能性を感じるのが一人一台のタブレット型端末です。私の勤務する学校でも、本格的に活用できるようになりました。
学習を積み重ねていく中で、子ども自身が学びの深まりを見取ることができればと試行錯誤しています。
まずは、従来のワークシート形式で行っていたことと同じようなアプローチからスタートし、たくさんの学びの成果を残していくことが求められていると考えます。
教師は生徒の記述内容から、ゆっくりと丁寧に「主体的に学習に取り組む態度」を見取ります。公立中学校でよくある定期テストの前後に提出物を集め、一気に評価して返却するようなことはこれで避けられると考えています。
ただでさえ多忙感がある中、クラウド上とはいえ、常に生徒の学びの成果が、時間のある際に見取ることができるようになったことは大きな変化です。
以上、「評価の転換点」を経験した中学校現場からの報告でした。まだまだ改善点だらけですが、大きく変わる教育の転換点を一教師として迎えているのだとワクワクしています。