執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.問題点が見えてきました
 この連載も第4回目を迎えることができました。ここまでで見えてきたものが2つあります。一つ目は、教師が発信している概念を生徒がどのように認識しているのかという問題です。二つ目は、わかりやすい教材を作成しようとする時に直面する、教師と学問の関わり方という問題です。
 この2つの問題は、つながりを持っています。教師は、生徒にとってわかりやすい教材をつくるために生徒の認識状況を調べます。同時に教師は目の前の生徒に適した教材を作成するのですが、そこで直面するのが経済学の世界です。どこまで生徒の認識に即した具体的事例を当てはめていいのかを考えるのです。
 そこで第4回目は、経済に関連する概念を生徒に伝えることについてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

1.はじめに登場する概念
 筆者が使用している教科書で、経済分野のはじめに登場する概念に「機会費用」があります。さて、どうやって手に取って見ることのできない知識を生徒に伝えたらよいのでしょうか。職員室では「概念を教えるのは難しいねー」という会話が聞こえてきます。
この難しさを乗り越えるために考えることは「どうして機会費用を学ばなければいけないのか?」を生徒と共有することだと狙いを定めました。

2.なぜ「機会費用」を学ばなければいけないのか?
 「さあ、今日から経済分野の学習です。教科書のはじめに登場するのは『機会費用』・・・」なんて授業をはじめてしまうのは、生徒にとっては教える側の都合に聞こえてしまいます。生徒は「なんで機会費用なの?」、「それ学習していいことがあるの?」と受け止めてしまうと思うのです。
筆者は、目の前にいる生徒について、教科内容の知識が生活経験から得た知識と接する時に何らかの反応をするのではないかと推測しています。
そこで機会費用の事例探しが始まるのです。筆者は「高校生の進路」を題材に選びました。

3.経済学習の入り口で概念を教えることができるのか?
 経済学者の猪木武徳先生は「われわれが観察の対象を認識する場合、実は目で見ているというよりも、概念で見ていると表現した方が適切なことが多い」と指摘しています(『経済社会の学び方』中公新書)。
筆者は高校生が抱えている進路の問題をストーリー化して提示することで、自分の人生を選ぶということを考え、そこで得られる価値と得ることのできない価値を概念として受け止めることができると判断しました。

4.現在地の確認
 旅行にしても、授業にしても、どこかに向かうという目的地を設定する時に重要なのは現在地の確認です。今どこにいるのかということを知っていて、はじめて目的地との関係を把握することができます。目的地として設定した「機会費用」は経済学ではどのように表現されているのでしょうか。
 例えば、経済学者ヴァリアンの『入門ミクロ経済学』(勁草書房)を読むと、「(機会費用の名称の由来は)ある人が自分の労働をあることに用いている場合、他の雇用機会を棄て、その雇用から得られるはずの賃金を失っていることによる。したがって、その失われた賃金は生産費用の一部である。」とあります。
「同様に、土地を例に取ると、農業者は農地を誰か他の人に貸す機会があるが、その農地を自分自身に貸すために得られるはずの地代をあきらめている。この失われた地代は機会費用の一部になる」、と続けて書いています。
 この記述から、機会費用を高校生に教える場合、比較的幅広く例えを示すことができそうだという見通しが立ってきました。

5.大きな授業の流れ
 (1)体はひとつしかない
 忙しいサラリーマンの台詞ではありません。高校生も体はひとつしかないから、選ぶことのできる進路先は1つだということです。ということは、選ばなかった進路先はいくつあるのでしょうか。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・とあがります。その進路先候補に順位を付けることはできますか。このような内容で生徒と対話する授業をつくってみたくなりました。
 
(2)授業展開の順番
 ① ある生徒がもつ将来の希望は?→大学進学
 ② 大学卒業後の進路希望を問うと →パッと6つ思い浮かんだとします
       第1位:家電メーカー
       第2位:自動車メーカー
       第3位:食品メーカー
       第4位:芸能界
       第5位:プロ野球選手
       第6位:ユーチューバー    という具合にです。
 ③ 選ぶことができる選択肢はいくつかと問うと?  → ひとつ
 ④ それでは、選ばなかった選択肢で最も価値のあるものはと問うと→自動車メーカー
 ⑤ 希望する進路として「家電メーカー」を選んだ場合、他の希望する進路にはすすめません。そのときの機会費用は自動車メーカーを選択したときの利益に等しいということを学習します。
  
(3)選ばなかったものを考えるということ
 高校生にとっては選ばなかったものを丁寧に可視化して考えるという習慣は、あまり見られません(真剣に考えていた生徒の皆さんごめんなさい)。きっと多くの高校生は、なぜ“選ばなかったもの”に注目する必要があるのかという問いを持つと思うのです。
 経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは『スティグリッツ ミクロ経済学(第4版)』(東洋経済新報社)の中で、「経済学では、一般の人が用いるのとは異なった費用概念をいくつか用いる」としたうえで、機会費用は比較優位について考える際にあてはめることができる概念だと説明しています。
なぜ機会費用を学ばなければいけないのか?その答えの一つは、これから学ぶ経済分野の学習で繰り返し登場する概念だからと授業で説明することにしました。
 
6.目的地の確認
 次は目的地について考えます。授業づくりの視点で表現する必要があるので、ここからは目標と言いかえます(評価しなければいけないからです)。
具体的な目標は、2022年大学入学共通テスト第2問の問3に関して答えることができることとしました。実際の問題は次の通りです。
 
生徒Xは、クラスでの発表において、企業の土地利用を事例にして、機会費用の考え方とその適用例をまとめることにした。次の生徒Xが作成したメモの空欄に入る語句として適当なものを①~③の中から選びなさい。これが問題文です。生徒が作成したメモは次の通りです。
 ・機会費用の考え方・・・ある選択肢を選んだとき、もし他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のうち、最大のもの。
 ・事例の内容と条件・・・ある限られた土地を公園、駐車場、宅地のいずれかとして利用する。利用によって企業が得る利益は、駐車場が最も大きく、次いで公園、宅地の順である。なお、各利用形態の整備費用は考慮しない。
 ・機会費用の考え方の適用例・・・ある土地をすべて駐車場として利用した場合、他の用地に利用できないため、そのときの機会費用は(空欄)を選択したときの利益に等しい。

 以上が生徒のメモで、この(空欄)に入る選択肢として ① 公園 ② 駐車場 ③宅地という三つの候補を示しました。

7.きちんと読みとることで正解できる問題
 まだ経済についての学習をはじめていない生徒を対象にこの問題を解いてもらいました。普段の授業では入試問題を教室に持ちこむことはしていません。問題文を見た生徒はビックリしたと思います。
採点をしてみると、予想を超える高い正答率でした。クラスによっては、ほとんどの生徒が正解だったというクラスもありました。
この問題は、知識を問う問題ではありません。文を読み込むことで正答にたどり着くものです。
 ここで気になるのが、きちんと読み込めていない解答がいくつか見られたところです。
実は、この問題を提示したときに、次の2つの質問も同時に投げかけていました。
一つ目は「どうしてその選択肢を選んだのですか?」というものす。
二つ目は「あなたが最近感じた『機会費用』って何ですか?」というものです。
この質問に対する回答から、問題文をどう読み解いたのかという手掛かりをつかむことができると考えたのです。

8.いろいろな認識があるようだ
 正解にたどり着くことができなかった生徒の記述を分析してみると、いろいろなパターンを見つけることができました。
 第1は、生徒が作成したメモ中の「ある土地をすべて駐車場として利用した場合」という部分を読み飛ばしてしまったのではないかと推測できる場合です。この場合、②の駐車場を選んでしまうわけです。
 第2は、教師の説明で機会費用についておおよそ理解できているのに、活字で問題文を読むと知識が混乱してしまうという場合です。
「あなたが最近感じた「機会費用」って何ですか?」という設問にはきちんと答えられているのに、紙で書かれた問題文を読むと誤答を選んでしまうという場合です。
 第3は、あるクラスで見られた現象です。そのクラスでは、機会費用という概念を説明する際に計算問題を混ぜて授業をすすめたのです。すると、極端に正答率が低くなってしまったのです。
なぜ正答率が低いのか、原因はわかりません。読解が苦手な生徒が偶然に集まってしまったのか。それとも計算問題なんて入れないで、教えることをひとつに絞り込んで教えるべきだったのか(筆者はおそらくこれが原因だと推測しています)。いや、もしかしたらパワーポイントを用いて説明したことが原因なのか。いずれにしても、これから授業をすすめていく中で分析を続けていかなければなりません。

9.詳しくは「夏の経済教室」で
 今回の内容は、2022年8月16日と19日の「先生のための夏休み経済教室」で発表する内容の一部になっています。この教室では、なぜ本稿で書いたことを考えるようになったのか、また具体的な教材はどのようなものであったのかということを共に考えることができればと思っています。皆様と画面を通してお目にかかることを楽しみにしています。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 
第3回 

執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.はじめに
 前回は「文字記号にこだわって経済の授業を考えていきたい」と最後に示しました。そこで第3回目は、どうして文字記号にこだわるのか、からはじめます。
 ここでいう文字記号というのは、教科書に書かれている用語や、私たちが毎日ノートに書き示す際に使う言葉のようなものだとします。

2.なぜ文字記号にこだわるのか?
 なぜ文字記号について考えるのか?授業をやっていて、ものすごく気になるからです。文字記号はとても便利なものだということはここで述べるまでもありません。
ところが文字記号の有効な使い方を忘れて授業をしてしまいそうな空気が教室の周りに漂っているのではないかと思うのです。これが一つの要因となって、教師が伝えようとしている知識と生徒に届いた知識との間に齟齬が出ているのではないかと感じるのです。

3.知識の発信を巡る教師と生徒のギャップ
 筆者が授業中に気になることをもうすこし具体的に書いてみます。
 例えば、ここに経済の知識を伝えようとしている教師がいるとします。
教師の頭の中には経済学のテキストを読んだ知識、どのように教えることが有効かという知識、そもそも持っている生活経験から得た知識等が混在しています。
 同様に授業を受ける生徒がいるとします。
一人ひとり育った環境が異なります。よって皆それぞれに生活経験から得た異なる知識を持っています。今日まで積み重ねた学習から得た知識も持っています。
 そこで、教師が経済学習に関する知識を発信したとします。
主として文字記号を使って知識を発信します。生徒は自分に向かって飛んできた知識を、それまで身につけている知識にどのように組み込むのかを考えます。部分的な知識の再構成が必要になるわけです。単純な知識の足し算にはなりません。
このとき、教師が発信する知識について敏感になる必要があると授業中に強く感じるのです。
今回の結論のようなものを先取りすると、生徒にとって生活経験につながらない文字記号による知識は、認識につながらないのではないかということになります。

4.教科書記述の背景
 教師が発信する知識について考える際に道標となるのが教科書です。この教科書に書かれている“知識”はどのような背景を持って描かれているのかを考えます。
その時に、教科書には記述されることのなかった背景の存在に気付きます。教科書はページ数が限られています。あれもこれも書こうというわけにはいきません。きっと教科書の筆者は「残念ですが削ります」という思いを何回も繰り返しながら執筆をすすめたのではないかと想像します。
もしもこの想像が的外れでなければ、教師の仕事は、まずは削られてしまった筆者のメッセージ探しということになります。
 
5.「教科書の向こう側」を推測する
 教科書に書こうとしたのにページ数の都合で削られてしまった知識の集まりを便宜上「教科書の向こう側」と表現してみます。向こう側は見えません。でも周囲の景色(記述)から推測することができそうです。推測の手がかりは文献です。
 はじめに手に取った文献は、経済学者小塩隆士先生の『高校生のための経済学入門』(ちくま新書)。教科書に書かれていない記述はどこにあるのでしょうか。
さっそく第1章に「需要曲線は、人々の所得や好み、ほかの財の価格など、『ほかの条件を一定』として描かれたものです」とあります。筆者の手元にある教科書の需給曲線の箇所には、この記述はありません。
 これを手がかりに経済学のテキストを見ると同様の記述を見つけることができます。
岩田規久男先生は『ゼミナールミクロ経済学入門』(日本経済新聞出版社)の中で、「(ミクロ経済学では)『コーヒーの価格以外の全ての財・サービスの価格と人々の所得とを一定と仮定して、コーヒーの価格だけが変化したときに、コーヒーの需要量はどのように変化するか』という問題が扱われている」と記述しています。ほかにもこの種の記述を大学向けのテキストから発見することができます。
 これがきっと教科書に書かれることなく削られてしまった内容の1つなのではないかとねらいを定めました。

6.右から左にではない
 ここで舞い上がってしまうと火傷をします。
「さあ、教科書に書かれていないけれども大切な考え方があるよ」と言って、経済学のテキストに書かれている内容を教室で再現しようとすると、生徒の知識は混乱してしまう恐れがあります。
 それではどのようにして教師は経済学習に関する知識を発信することが有効なのでしょうか。
考えるのは生徒の状況です。浮かび上がるヒントは“生徒の生活”です。一人ひとりの生徒が身につけている様々な生活経験による知識と、教師が教えようと描いている知識を結びつける工夫がなんとかできないか、と考えます。でも、うまく結びつくのでしょうか。

7.決め手は「ミニミニ作文」
 それでは学問の世界と生徒が生きている世界とをどのように結びつけたらよいのでしょうか?
 本稿では、生徒がもつ知識の中にそのヒントが隠されているのではないかという実践を紹介したいと思います。
 筆者が生徒を見る中で選択した方法は“ミニミニ作文”です。タイトルは「コンビニエンスストアと私」としました。
どうしてミニミニ作文なのか。それは、生徒一人一人異なる生活経験の中から経済教育に必要な知識をあぶり出すために作文が使えると判断したからです。量は20~30行程度にしました。一番言いたいことを書いてくれると想像したからです。
なぜコンビニなのか。それは、高校生にとってコンビニは生活の一部だからです。お客様としてコンビニを見て、アルバイト店員さんの目でコンビニを見たりしているからです。ちょっと大げさですが、この目は“家計”からの眼であり、同時に“企業”からの眼でもあるわけです。

 授業では、この生徒が書いた文を紹介します。
「私は小さいころからコンビニに助けられてきました」、
「日本中、どこにでもコンビニがあります」、
「いろいろな商品が売られているだけでなく振り込みもできる」、
「私を幸せな気持ちにしてくれる」 といった記述が実際にありました。
 
 この作文を用いた授業で生徒に何を気づかせたいのか。それは、市場経済がいかにうまく機能しているのかということです。
大竹文雄先生は『競争と公平感』(中公新書)の中で、「教科書を読んだ生徒たちは、市場は失敗するし、独占はとにかく悪い、ということだけを理解するはずだ。多くの問題はあっても競争によって得るメリットは大きい、という共通の認識を私たちがもつような考え方をするべきではないだろうか」と指摘しています。「学習指導要領では、市場競争のメリットを教えるように書かれていないから」このようなことが起こるとも書いています。

 それでは、どのようにして市場競争のメリットを生徒に気付かせればよいか。それを大竹文献から探しました。
見つけた文は「市場がうまく機能する場合も多い。スーパーに商品がたくさんあり、売れ残りや、品切れが少ないのは、市場経済がうまく機能しているからである」というところです。スーパーの部分をコンビニにかえて解釈しました。
そして、教師が熱い想いで「市場経済はうまく機能している」と10回も20回も言うよりは、生徒に一回「市場ってけっこううまく動いてんじゃない」と自分の言葉で書かせてしまった方が有効だと判断したのです。
 
8.「問いの共有」で経済学習の入り口に立つ
 市場はうまく機能しているようだということを生徒に言わせました。その次に学習する内容は、「需要と供給」です。
ここで教室内において共有しなければならないのは、「どうして需要と供給を学習しなければいけないのか」ということです。
 コンビニのことを書いてくれた高校生の作文に「コンビニで売っているものは高い」という記述があります。「安く買いたいときはスーパーに行く」という記述もあります。どうしてコンビニの商品は高いのだろうかという問いを共有できそうです。

話題が「価格」に移っていきます。
 問いが共有できたら、次は直感で捉える段階に入ります。生徒との対話を続けていくと、たいていは“値下げシール”が登場します。「モノを売りたい人の気持ち」と「モノを買いたい人の気持ち」を直感で捉えて文字記号で表すことができます。
 ここからグラフを作成して説明する展開になれば、かなりのレベルの授業が展開できますが今回はそこには触れません。

9.まとめ
 文字記号はとても便利なもので授業には不可欠のものです。しかし、薄っぺらな使い方をしてしまうと、教師の発信したメッセージは生徒に届かないことが生じます。
「公民科」教師は文字記号の前提や多面性を「厚く」捉えないと生徒の心に届くメッセージを発信することはできないと思うのです。それではどうやって文字記号を「厚く」捉えることができるのでしょうか。
 文字記号を厚く捉えるためには、「公民科」教師が経済学習をとりまく文字記号の世界をできるだけ細分化して、1つひとつを掘り下げて言葉と生活実感をつなげてゆく作業が有効だと思うのです。
本稿では教科書の記述を一部掘ってみました。本文に書き込むスペースがなく埋もれてしまった記述を掘り起こそうと試みました。掘り起こす際に手元に置いたのは経済学者が書いたテキストです。
1つひとつのテキストデータに丁寧に向き合い、それをもとに、生徒の持つ知識を掘り起こしながら、生徒に届く授業づくりをしてゆきたいと考えています。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 

                                      執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.生徒の状況を推測しながらの授業づくり
 本稿は前回の続編です。
 筆者の前にいる生徒は,どうやら租税抵抗が高くないようです。しかも納税を私たちの“責任”だと捉えている生徒が少なからずいるということもわかりました。今回は,この情報をもとに授業案作成について考えることにします。

2.「知識の地図」をつくる
 授業の目的は次の2点です。
第1は,なぜ私たちが生きる社会に税が必要なのか,そしてその税を納めることがどうして義務なのかを理解することです。
第2は,税の仕組みはどのようなところでうまく機能しているのか,そしてどのような課題を抱えているのかということを共に考えるということです。
 筆者が最初に取り組んだのは「知識の地図」づくりです。例えば「神田の三省堂書店がしばらくお休みになる」という知識を伝えるとします。この時,相手がどのくらい東京都内の地図を頭の中に描いているのかという情報は,知識の発信者としてとても気になるところです。
 教師が,学習内容を生徒に伝えようとする時に,生徒がどのような知識を構成しているのかというのはものすごく大事な情報になるわけです。
筆者の前にいる生徒の多くは,文字記号として“税”や“税に関連する用語”を知っています。教師が「国民の三大義務は何ですか」と問うとすぐに3つの義務をあげてくれます。ところが,どうして義務なのかと問いかけると,生徒の方が「なんでそんなこときくの?」という顔をするのです。文字記号で覚えている「税」という用語と,実際に社会の中で機能している「税」とをくっつけてあげる必要があるようです。

3.「責任」と言ってくれないかな? その1
 そこでいよいよ税の授業案について考えてみることにします。
 授業ではじめに共有する問いは「どうして私たちは税について学ぶ必要があるのか?」ということです。はじめに生徒の心を動かす授業を計画します。
 ところがここで大きな問題点に直面します。教師が生徒の心を動かすことに夢中になってしまうと,授業で伝えようとする学習内容の精度が落ちてしまうという問題です。この問題を克服して,より正確な学習内容を生徒に届けるためには,大本となる理論との対話が必要になります。

 今回対話するのは,経済学者宮尾尊弘先生の経済教室8:公共と協力3 「公共財ただ乗りゲーム(囚人のジレンマ)」の授業です。宮尾先生が示されている授業の流れは次の通りです。
 (A)生徒4人が一組で一つの経済を構成しますが、お互いの名前は分かりません。
 (B)その経済で「公共財」提供のために、各人は10万円を払うかどうかを決めます。
 (C)集まった資金の半分は費用になりますが、残りの半分の価値に相当する公共財のサービスが提供され、その額に等しい価値のサービスを各人(10万円を支払ったかどうかにかかわれず)が享受できます。
 もし4人全員が10万円払った場合は、合計額が40万円で、費用を20万円かけて各人には残りの20万円相当のサービスが等しく提供されます。もし3人が払った場合は、15万円相当のサービスが、2人が払った場合は10万円相当、1人しか払わなかった場合は5万円相当のサービスが全員に提供されます。

 宮尾先生は,この授業を「クラス実験」と位置付け,学生に向けて「クラスでもっとも獲得額の多い人がこのゲームの「勝者」であることを告げる」というメッセージを発信しています。
筆者は,この授業を次のように再構成しました。
第1に,“公共財”という用語を「警察」,「消防」と表現しました。生徒の日常生活と結びつけるためです。
第2に,クラスでもっとも獲得額の多い人がゲームの勝者であるという表現を使いませんでした。「あなたは税を納めますか?納めるのならば手元にある用紙にYesと,納めたくないのならばNoと書いて投票してください」と指示したのです。
 同じ街に住む他の住人が誰で,どのような行動をとるのかがわからない状況で,生徒は一人の市民としてどのような行動をとるのかということを感じさせたかったのです。「えっ,私どうしたらいいの?」という場面をつくり出したいのです。
 
4.「責任」と言ってくれないかな? その2
 宮尾先生が実践されたクラスでは,多くの学生さんが10万円を納めなかったと記述しています。ところが筆者が実践したクラスでは多くの生徒が「Yes」と書いて投票しました。
 ある授業で次のような場面に出会いました。
開票結果を黒板に書いている時のことです。ひとりの生徒が立ち上がって「誰だ!Noって書いたのは!名乗りなさい」と言うのです。
教室全体に緊張感が走ります。筆者は立ち上がった生徒に向かって「何でそう思ったの?」と話しかけました。すると椅子に斜めに座り「だって,みんながまじめにお金を出しているのに不真面目なやつがいる」と主張するのです。
そこで筆者は「Noと書いた人にメッセージを一言伝えてみようじゃないか」といって全員に白紙を配付しました。「Yesと投票した人はNoと書いた人にメッセージを書いてください。Noと書いた人は,なぜNoと書いたのか,その理由を書いてください」と言ってメッセージを書いてもらいました。
 
書かれた内容を教室で共有します。
「みんなでお金を出し合うというのは私たちの責任なんじゃないか」というようなことを多くの生徒が書いてくれました。
「安心した社会をつくるための私たちの約束ごと」だというメッセージも複数見られました。
「お金を払うというのは私たちの義務なんだ」という記述もありました。黒板に“責任”,“約束”,“義務”と書きました。税を納めるということの根底には,この3つの用語が示す精神が存在しているのではないかということを共有したのです。
 
5.教科書には何と書いてあるのか?
 次は,ここまでの学習と教科書とをつなげます。ここ数年,公立高校にもWi-Fi環境が整いつつあります。せっかくですからスマホを取り出して調べさせることにしました。
 日本国憲法には3つの義務が定められていますが,英語ではどのように表記されているのかを調べてみましょう,という課題を出しました。
すると,“子どもに普通教育を受けさせる義務”,“勤労の義務”の場合には,義務を「obligation」と表現していることがわかりました。
一方で“納税の義務”の場合には,義務を「liable」と表現していることがわかったのです。三大義務というけれども,何かが違うらしいと生徒は受け止めます。
「それでは,何が違うのでしょう?調べてみよう!」ということになります。
 
教師の方は,事前に次のような教材研究を行っておきます。
『法律英語用語辞典』では“ obligation”は「義務,債務」と,そして“liable ”は表記がなく“liability ”が「①責任②債務③借金④負債」と記述されていました。
英語語源学を研究している田代正雄さんは“liable ”を「責任を負うべき;~を受けるべき」と書いています。
翻訳家の島村力さんは日本国憲法を訳すにあたり“obligation”を「義務」とし,“liable ”を「(法的に)責任がある」と示しています。
理論言語学者畠山雄二さんとジャーナリスト池上彰さんは,日本国憲法第26条をめぐって「shall be obligated to do で『絶対に~する義務がある』という意味になる」ことを指摘しています。その一方で「『勤労の義務』は訓示的(努力目標的)なもので法的拘束力はありません」と解説しているのです。

 授業は教師が調べたことを生徒に向けて発表する場ではありません。生徒の心に残らないような気がするからです。そこで次のように展開してみました。
 「“liable ”ってはじめて聞く単語ですか?」と質問します。多くの生徒はうなずきます。そこで「実は,みんなが持っている教科書に書いてあるんだよ」と紹介します。「誰が一番はじめに見つけるか競争しましょう」と少し盛り上げます。なかなか見つからなくて飽きてしまいそうな時には「教科書の後半かな?」とか,「消費者問題の頁かな?」とヒントを出します。

 しばらくすると「はい,ありました!製造物責任法(PL法)のところ!」という声が聞こえてきます。この部分には「Product Liability」と小さく記述されているのです。
皆がその頁を開いたら「liabilityって教科書では何と訳しているの?」と発問します。「製造物責任なんだから,責任じゃないかな?」と多くの生徒は判断するようです。ここまでくると生徒は黒板に書かれている知識を自分の力でつなげてくれます。

6.目指したい授業
ここまでの実践は,あくまでも筆者のフィールドに限定したものです。すべての教室に通用するとは思っていません。
その上で振り返りますと,筆者が“納税の義務”というフレーズを覚えて,この文字記号を定期試験の解答用紙に再現するということで税を理解したとは限らないということにこだわった授業だということを書き留めておきたいと思います。
一人ひとりの生徒が持っている生活を入り口にして,教科書に書かれている知識と結び付ける1つの道筋を探し求めた授業を目指したのです。
 この授業の先に,本授業第2番目の目標である税の仕組みはどのようなところでうまく機能しており,同時にどのような課題を抱えているのかということを考える場面が待っているのです。
 次回は,文字記号の再生という点に少しこだわって,経済の授業について考えていきたいと思います。
 
【参考文献】
宮尾尊弘先生の経済教室8はこちらに掲載されています。
尾崎哲夫『法律英語用語辞典』 自由国民社 2009年 p.275
田代正雄『語源中心英単語辞典(改装版)』 南雲堂 2005年 pp.196-197
島村力『英語で日本国憲法を読む』グラフ社 2001年 pp.78-81
畠山雄二 池上彰『英語版で読む日本人の知らない日本国憲法』KADOKAWA 2016年 pp.154-170

また先月号のシリーズ第一回目
教室の扉を開ける前に-「税」の授業をつくる
こちらに掲載されています。

            執筆者 神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.教室の扉を開ける瞬間
 何年やっても緊張する時があります。それは、新年度にはじめて教室に入る直前です。
 全生徒が強い視線でこちらを見ます。
 “怖い先生なのか?”、“厳しい先生なのか?”、“分かりやすく教えてくれる先生なのか?”生徒にとっては不安でいっぱいなのでしょう。
 ところが、教師の方も不安で心は揺れています。この心の揺れは、不安感ではなく好奇心に近いものかもしれません。いったい今年はどのような生徒と共に学ぶことができるのかという好奇心です。生徒の視線に負けないように、強い心の視線をもって教室の扉に手をかけます。心の視線を支えるのは事前の教材研究です。
 
2.教師と生徒の“ズレ”を見る
教師が教えようとしている教科内容の枠組みは、おおよそ決まっています。問題は、目の前にいる生徒がどのような知識を備えているかです。小・中学校で何を学習してきたのか。経済学習で言えば、日常生活で経済に関するどのような知識に出会っているのか。何しろ教室で初めて会うわけですからわかるわけがありません。
 小・中学校の社会科教科書に書かれているからといって、その内容を理解しているという前提で授業案を作成すると、時として教師は火傷をします。火傷にもいろいろありますが、ここで問題にしたいのは“自覚症状のない火傷”です。
教師も生徒も「わかっているつもり」と思い込んでしまうことで、気が付かないうちに両者の持つ認識がどんどんズレていってしまうという問題です。

3.注目したい、教科書に何回も登場する用語
 教師が火傷を負う場面の多くは、教科書に何回も登場する用語を教えようとするときにやってきます。「教科書に何回も登場する用語はたくさんあるではないか」と指摘されそうです。
ここで取りあげたいのは、まず、登場する場面によって意味する内容が異なる用語についてです。社会科、公民科では、例えば、“国家”であるとか“契約”といった用語がそれにあたるでしょう。
 歴史的分野で学習する“国家”と公民的分野で学習する“国家”は、意味が一致しない場面があります。
公民的分野に限定すると“契約”は、社会契約、神との契約、契約自由の原則の契約と様々な意味で用いられます。
生徒にとっては同じテキストデータなのですが、教科内容としては意味が異なることもあるわけです。教科書は、そのたびごとに意味が異なることを示してはくれません。「えっ?その違いは分かっていますよね?」という前提で授業をすすめてしまうと、やがて“自覚症状のない火傷”になってしまうのではないかと思うのです。

4.「税」の授業をつくる…「税」は要注意
 今回と次回の「授業のヒント」では、この何回も登場する用語の中から「税」を取りあげてみます。「税」は要注意なんです。
歴史の授業では、聖徳太子が登場する場面から「税」は登場します。年貢で苦しめられる人々の記述もたくさん出てきます。やがて突如として「関税」が登場します。公民の授業では「納税の義務」について学習します。
1つひとつの税のどの部分が同じで、どこが異なるのかという説明は教科書には登場しません。「税」という1つの用語を整理するだけで、教師の持つ知識と生徒の持つ知識のズレがグッと狭くなるはずです。

5.「税」に対する教師と生徒のズレ
 用語を整理すると同時に、生徒は税をどう見ているか、それを探ることが生徒と教師のズレを埋めるために必要な作業になります。
実は、筆者は生徒が税をどのように受け止めているのか、ということに関して「思い込み」をもっていました。
その思い込みとは、「税を納めることについて肯定的に捉えている生徒は少ない」というものです。
 テレビを見ると“増税に反対する人々”の映像が流され、政治家は減税を主張し、書店に行き「節税対策」と表紙に大きく書かれた本が売られている光景を見ているうちに税についての思い込みが形成されていったと言えるでしょう。
 実際に教材研究をするために購入した文献には次のように書かれていました。
財政学者神野直彦さんは雑誌のインタビューで「(日本では)自分たちの外部に存在する支配者が取っていく、あるいはその支配者に上納するお金だという意識なので、税に抵抗観をもっている」と述べています(『税とは何か』別冊環 藤原書店p.10)。
同じく財政学者の石弘光さんは「税とか税金とかいうのはあまりいい印象を人々に与えていないと思われます」と書いています(『タックスよ、こんにちは!』日本評論社p.1)。
新書に手をのばしても多くの本は税に関するマイナスイメージを指摘しています。30分ほど書店を歩くだけで、同じような傾向の文献にまだまだ出会うことができます。
筆者はこれらの文献を読みながら教材研究を続ける中で、生徒が税について否定的な見方をしているのではないか、という先入観をもってしまったようです。

6.実際に調べてみると・・・
 授業開きにあたって筆者は、生徒を対象に税についての印象をたずねてみました。その1つが「税金についてどのような印象を持っているか、次の用語をランキングしなさい」 というものです。
用語は「寄付・会費・罰金・献金・料金・没収」の6個で、これらを1位から6位までランキングさせました。「寄付・献金」は肯定的な意味を、「会費・料金」は中立的な意味を、「罰金・没収」は否定的な意味もつとして、回答結果を分類すると次のようになりました。
 約100名を対象に行った調査は、税について肯定的態度を示す傾向がある生徒は約27.3%、中立的態度を示す傾向がある生徒は約51.5%、否定的態度を示す傾向がある生徒は約7.1%という結果でした。
否定的態度を示す生徒が極端に少ないというのが筆者にとっては驚きだったのです。「えーっ、納税することに抵抗がないんだ!」というのが職員室で発した声です。
 次に思い浮かんだ記号が「?」です。もしかしたら「公民科」の授業案を作成しようとしている時に、目の前の生徒が「税に抵抗を持っている」という前提に立って計画を進めようとしているのではないかと不安になったのです。まさに思い込みです。
 
7.納税の義務=納税の○○?
 もう一つ、生徒が税についてどのような意識をもっているのかを知りたくて「“納税の義務”の義務を別の漢字2文字で表現すると、どのようになりますか?」という質問をしてみました。
同じく、約100名の生徒を対象にした回答結果は、「約束」と書いた生徒が25名、「権利」と書いた生徒が9名、「責任」と書いた生徒が9名、「絶対」と書いた生徒が8名でした。
 ここから先は推測です。約束という言葉の周囲には「契約」という用語がちらつきます。そして何と言いましても注目したのは「権利」や「責任」と書いた生徒が複数名いたことです。
以前「夏の経済教室」に登壇されたことのある諸冨徹先生は、著書『私たちはなぜ税金を納めるのか-租税の経済思想史-』(新潮社)において、租税を「国家から提供される便益(生命と財産の保護)への対価として市民が支払うもの。この租税観は市民革命期のイギリスで確立された、いわば『権利』としての税である」(同書p192)と指摘しています。
諸冨先生の著書で紹介されている池上惇さんの『財政学』(岩波書店)を読んでみると「国民の納税に対する関係を表現しようとすれば(略)『納税の責任』と表現する方が適切な訳語であろう」(同書p9)と書かれています。生徒の感性の方が筆者の認識よりもすすんでいる、というのが率直な感想です。
授業案をどのようにつくるかのヒントを生徒から教えてもらったわけです。
 
課題は、ここで得られた情報を、どのように授業につなげるのかということです。その具体的な提案は来月号に書かせて頂きます。

 経済教育ネットワーク  新井 明

 今月は、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえて、教室で生徒に「この戦争はどうなるの?どうすればよいの?」と問われた時、どのように生徒に伝えたら良いか経済教育の観点から考えてみます。

(1)社会科、公民科の授業が問われる
 ロシアのウクライナ侵攻が始まってから1ヶ月余。毎日報道される戦争の様子をみて生徒は胸を痛めているのではないでしょうか。
 侵攻がはじまったのが2月下旬だったこともあり、授業で戦争の話をしたり、生徒から問いかけがあったりすることは少なかったかも知れません。
 しかし、4月からの授業の場面では、何らかの言及は避けられないだけでなく、原発の占拠、核攻撃準備の指令など地球的規模での危機を招く寸前までの事態に教科として何らかの応答が必要になっていると思われます。
 教科書にでてくる事項が、暗記のためではなく、リアルな形で先生方にも生徒にも投げかけられていると言って良いでしょう。

(2)戦争は多面的である
 戦争は、クラウゼビッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続にすぎない」という有名な言葉があるように、政治学習がメインの場面となります。従って、戦争を政治面から見ることが圧倒的に多いはずです。
 ウクライナに関していえば、ロシアとウクライナの政治的緊張、それをとりまくNATOという軍事同盟との関係などがそれにあたるでしょう。戦争の前後の外交交渉も政治の重要場面です。
 戦争は政治だけではなく、多くの面から捉えることができます。
 歴史から見ると、ロシアとウクライナの切っても切れない歴史的な関係がわかります。また、今回避難民を多く受け入れているポーランドとウクライナの関係も歴史的に見るとそう簡単ではないことが浮かび上がります。
 ウクライナの歴史をたどると、何度も今回のような包囲戦や民衆の被害、飢饉や虐殺を受けている国ということが分かり、民族の苦難という言葉が出てきます。
 地理から見ると、最近注目の地政学的な捉え方ができます。ウクライナ南部のクリミア半島、東部のドネツク、黒海の地政学上の双方の国にとっての重要性が注目されます。
 ほかにも、ロシアの戦争犯罪という面の国際法から見ることもできるし、人権の観点からも、文化の観点からも、イデオロギーの観点からも、情報社会の観点からもウクライナ問題を捉えることができます。
 
(3)経済からはどう見るか
 今回、ロシアに対してはG7の国々が経済制裁を行っています。これは需要面、供給面の経済のグローバル化に対応した措置です。特に、サプライチェーンのどこか一つでも切断することで、企業活動がマヒしてしまうのが現代で、それを見越しての対応です。そういう戦略的な対応も大事ですが、ここでは、もっと原理的に戦争と経済に関して押さえるべき観点をまとめておきます。
 経済では生産の三要素という概念が登場します。
 ヒト、モノ、カネです。最近はそれに加えて情報も入れる事がありますが、今回は捨象しておきます。戦争を遂行するには、この三つの要素を見てゆくことで、ある程度の推移が予測できます。

 まず、ヒトから。
戦っている兵士に注目します。その国の兵士が徴兵制なのか志願制なのかによって力量が変わります。また、どれだけのヒトを準備しているか、その数値も重要なファクターになります。
ヒトを兵士にした場合の機会費用についても考えるべき要素です。戦争をやらなければどれだけのモノが作れるのか、豊かさがもたらされるかその金額です。
さらに重要なのは、ヒトのモラルです。その闘いがどれだけ正当性を持っているか、正義にかなっているかは戦争の行方も左右する要素になります。
 もちろん、教育による洗脳で正義の戦いであると刷り込まれているヒトは自分の行為に疑問をもつことはないかもしれませんが、それでも人道に反する行為は戦場でもあるはずで、覚醒が起こる可能性があります。
 現代の戦争は、兵士だけでなく民間人も巻き込まれます。その犠牲、被害を金額にして見つめるのも経済の観点になります。

 次は、モノです。
 モノは、兵器の物量になります。これも、量と質の面から検討する必要があります。いかにヒトのモラルが高くともモノがなければ戦えません。爆弾に竹槍は通用しないということです。モノを支えるのが技術であると同時にカネになります。モノでも使ってはいけない兵器があります。現代では核、生物・化学兵器、クラスター爆弾などの非人道的兵器がそれにあたります。

 三つ目のカネです。ここが経済でのメインです。
 腹が減っては戦ができません。兵士に食糧を、武器を与えなければ戦争には負けます。戦争を準備するカネをどこから出すか、また、戦いが長引いたときにどのようにカネを出し続けることができるか、財政の問題になります。
 ちなみに、ロシアの今回のウクライナ侵攻にかかる一日の費用は2億ドルを超えると推定されています。名目GDPが日本の約3分の1の1兆7000億ドル程度のロシアにとって戦争の長期化はカネの面から耐えられなくなる可能性があります(日経新聞3月24日記事、およびIMFデータより。ただし戦費に関しては諸説あり)。
 そういった戦争にかかるカネを国民から取り立てる場合は、増税や戦時国債の販売があります。かつてのように敗戦国から賠償金をとってそれを積み立てておく方法もあります。持続可能にするには外国からの援助を受けたり、借金をしたりしながら戦う方法もあります。また、カネを作ることも戦費の調達の手段です。
 今回のロシアとウクライナをこの三つの概念から比較してみてください。
 ここでは細かいデータを示しませんが、例えば、外務省のHPの各国情報をチェックして基本的なデータを押さえた上での比較検討が求められます。ちなみにウクライナは以下。
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ukraine/index.html
 もう一つ、経済から戦争を見るとき、特に今回のウクライナ侵攻に対するロシアへの経済制裁、政府のカネと指導者の取り巻きのカネを枯渇させようとする作戦にも注目しておきたいものです。
 さらに、国際決済からの締め出しなどに関しても検討が必要になりますが、かなり専門的になるので、ここでは指摘だけにしておきます。

(4)では、どう教えるのか
 経済を中心にして戦争をどう語るか。特に、ウクライナ侵攻をどう理解して生徒に伝えるのか。
 まずは、経済を離れて、具体的に語ることです。新聞記事や映像などを用いるのが一番ですが、具体性をさらに深めるには、戦争の中の一人一人のヒトに注目することだと思います。ウクライナ人だけでなく、ロシア人もそこに入れておく必要があるでしょう。生身の人間が傷つけ合って、殺し合っていると言う現実から目をそらさないこと。これが一つの突破口です。
 さらに、戦争の多面性のなかのどれかに焦点化して、それを多角的に扱うことが求められます。多角的というのは、教える人間なり、生徒の立ち位置を確認して、そこからだけでなく、別の視点からの見方を紹介することです。その際には、今回の侵攻をロシアによるウクライナに対する「いじめ」とみたてて、ロールプレイをしてみるのも一つの方法になるかもしれません。
 そして、感情を、(3)でとりあげた要素の検討を通して「勘定」からも見る視点を加えられれば、戦争の多面性を理解できるのではと思われます。

 今の生徒の情報発信能力から見て、学校を離れて個人でSNSを使っての運動や寄付の呼びかけなどを行うこともあるでしょう。
 今回のウクライナ侵攻では、世論の形成が戦争を止めるまでにはゆかないにしても、一定の力を持つことも明らかになっています。
 学校でできること、やらなければいけないことを考えながら、ごまめの歯ぎしりでもよいから、戦争をやめさせるための教育、平和を求める教育をすすめたいものです。

・今回のコラムで参考にした文献:
 黒川祐次『物語ウクライナの歴史』中公新書、小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ちくま新書、ポール・ボスト『戦争の経済学』バジリゴ、小野圭司『日本戦争経済史』日本経済新聞出版、日経新聞3月24日付記事 

 今月の授業のヒントは、本年1月に実施された共通テストの「現代社会」と「政治・経済」の問題をもとに、それを日頃の授業にどう生かすか、二人の先生に寄稿していただきました。
 共通テストの問題は大学入試センターではまだ本年度分がアップされていないので、新聞社や予備校のHPからダウンロードしてください。(こちらは読売新聞のHPが参照できます。)
 

■さらに読み解く力をつける授業実践を!
千葉県立津田沼高等学校 杉田孝之
(1) 読み解く力を保障する授業を
 今回の共通テスト「現代社会」を解いたのだが、リード文や問題の設定、統計の読み取りで、正確に読みこなす能力が必要であり、筆者は試験時間を恥ずかしながら数分オーバーした。
設問で「すべて選んだとき、その組み合わせ…」も問われたので、問われている制度や基本的な知識などを活用して選択する必要があった。

限られた時間で正確に読み解く力を育てる実践について、公民科だけで日々おこなうだけでよいのかという疑問を持っている。
共通テスト翌日の自己採点提出日に、私が担任する理系生徒との何気ない会話で、先生の授業では初見の資料や統計などを読み解き、生徒間で読み取った内容を共有する時間が保障されているので続けてほしい。さらに国語や他教科でも限られた時間で問題や統計、分野横断的な長文を読み解く学習場面を設けてほしいとの声があった。

(2) 共通テストのメッセージから得られた授業構想
 公民科の授業は共通テストで高得点を獲得するための実践ばかりでなく、地歴科とも連携し主権者を育成する目的もある。
この点をふまえると、生徒が教科書や統計などを読み解き、考えるに値する学習内容で実践したい。できれば学習内容は具体的で、かつ発展性や他の単元とも関連性がある教材で、公民科らしい学習内容で実践したい。
例えば、今回の共通テストから得られた授業構想として、「現代社会」の第5問、問3や問5をベースに、少子高齢社会を前提にした、財政や世代間交流などを通じた地方自治体の持続可能性、NPOとの協働のあり方などを、教科書と初見の資料を組み合わせ、各単元のまとめなどで取り組んでみたい。

(3) 共通テストのメッセージから多様な生徒を前に、どう実践するか
 共通テストは大学入学のためのハードルである。高得点を取らなければ、難関大学突破は困難だ。
一方で大学入試とは無縁な高校生(「公共」は必履修)も存在する。
今を生きる高校生が将来幸せになるためにも、テスト対策とともに、時間はかかっても、正しく読み取り習得した学習内容をもとに、実生活で活用できるようになったほうが良いと筆者は考えている。
とはいえ、共通テスト2回のメッセージは今後も続くであろうから、まずは生徒が共通テスト本番でうまく向き合うためにも、生徒は筆者が提示した学習内容から「なぜ」と問い続け、考えることができるような実践を続けたいと考えている。

■「攻めた」問題をもとに「攻めた」授業を
大阪府立三国丘高等学校 大塚雅之
(1)「攻めた」問題
今回の共通テストは前回以上に色々な意味で「攻めた」ものであったと思います。
変に気になってしまったのが、「政治・経済」の第2問リード文で「白板に書いた」という設定。「黒板」でも「ホワイトボード」でもない。何か教育政策的に意味があるのか?深読みしてしまいました。
ここでは、さらに深読みして、今後授業をどのように行うかを問題から考えてみたいと思います。

(2)新たな知識の必要性
まずは知識面ですが、「マネタリーベース」など定義をしっかりと押さえておかないと解けない問題が出題されました。(「政治・経済」第2問の問4)
また、同じ第2問には、昨年度に引き続き、銀行のバランスシートが出題されています。
センター試験の時より細かい知識を問う。これは、これまで教えられていない新しい知識もきちんと正確に教えろということかと捉えました。
もっと深読みすると、現場の授業は少しずつ知識を上書きして、バージョンアップしながら変えろ、ということかとも思いました。

(3) 良問を授業に生かす
他方、知識以外の問題については、読み取らせたり、考えさせたりする良問も多かったのではないかと思います。
注目問題として「政治・経済」の第2問の問2を取り上げたいと思います。
「環境問題と関連させて生徒が書いた経済主体の関係図を会話文から読み取って選べ」という問題です。問題自体は単なる読み取りです。ただし、生徒がやっていること自体は、知識の活用ではないかと思います。

この問題をヒントに授業を行うとすれば、
①知識を正確に教えていく。
②授業の途中で関係図(絵)を個人で書かせる。グループで説明しあう。
③教師側から条件設定を変えて、関係図がどのように変化するか、前後の違いを議論させて、発表させる。
と言うようなプロセスが考えられます。
例えば、「地方自治に関する関係図を書きなさい。ただし、地方交付税交付金、国庫支出金、住民税、所得税、ふるさと納税という語句は使うこと」といった課題を与える。
その後、「地方交付税を減らした場合どうなる?」、「特定の自治体だけふるさと納税制度から排除したらどうなる?」と条件変更を行い、新たな図を書かせて政策の意味に気付かせるといった感じです。
これなら授業のマイナーチェンジで済みながら、主体的に生徒が取組む要素を組み入れることができ、現場でやれそうかと思い提案させてもらいました。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)物議をかもした今年の共通テスト
 第2回目となった今年の共通テスト。
 傷害事件やカンニング事件などで受検生が追い詰められてることが話題になっただけでなく、共通テストは、学校教育の内容にも大きな影響力を持ってくることが、改めて浮かび上がりました。
 平均点が過去最低になった数学では、その理由に、出題傾向が変わったという要員が大きいことが指摘されています。
 「これって国語の問題じゃないか」という声も聞こえるくらい、設問にたどり着くまでの文章が長く、そこについても、さらに小問でダメ押し的な新しい状況が登場して計算を要求するという形です。
 これまでの、例題、ドリルの繰り返しで得点できるという問題ではなくなって、授業の方法も変えざるを得ないという「圧力」を現場の先生は感じていることが報道されています。
 これは一時的なものではなく、出題者はかなり本気であるということがわかります。

(2)経済分野も変化してきている
 数学の変化が顕著なだけではなく、公民科、地歴科も含めて、要求されている内容がかなり変化しているのは先生方承知の通りです。
 「政治・経済」の経済分野で言えば、数学の問題ほど複雑な長文の設定はありませんが、ホワイトボードに書かれた授業の内容をもとにした設問、学校新聞のスタイルがだされています。
 この形式は、予備調査以来の予想されていた形式であまり変化はありませんでしたが、設問に関しては、かなりの変化があります。
 例えば、問3では、機会費用についての理解が問われています。
 これまで機会費用という概念を授業で聞いていなかった生徒は、はじめて見る言葉と定義から内容を理解するのは大変だったかも知れません。
 ちなみに、機会費用については、これまでの経済教育関係者の調査、例えば山岡道男先生(早稲田大学名誉教授)らのグループの国際比較の調査では、日本の高校生の理解度がきわめて低い概念の一つとして、その普及が課題として指摘されていたものです。
 他にも、銀行の貸借対照表、マネーストックとマネタリーベース、購買力平価説(ビッグマックレート)、労働力調査の定義の読み取り、消費税率の逆進性の計算など、授業ではあまり扱われなかったり、表面的な説明で終わっていたりしていた部分に関する突っ込んだ設問が登場しています。
 平均点は、昨年に比べて大幅な変化がなかったようですが、少なくとも、教える内容、どこまで教えるか、その方法に関して、共通テスト対応という点からみても、授業の内容ややり方を変えてゆく必要に迫られることになりそうです。

(3)心配な合成の誤謬
 入試問題が変わることで、高校の授業を変えるというメッセージが強烈に読み取れる共通テストですが、これがうまく行くかどうかはまた別問題かもしれません。
 一つは、現場の授業が本当に変わることができるかどうかです。
 変えることは、圧力をかければ変えられかもしれませんが、変わるのは主体的な行為となります。
 学校の先生たちは真面目だから、過剰に反応すると「合成の誤謬」がおきないとも限りません。つまり、それ読解力だということで、試験対応のための準備教育に力を注ぐことが予想されます。
 これは、アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)が必要だということで、それ話し合いだとなった風景に近いかもしれません。
 来年、多少揺り戻しがあったとしても、出題側の「本気」で授業を変えようとする姿勢は変わらないでしょう。
 もう一つは出題者側の問題です。
すべての出題者がその気持ちで作問すると、ほとんどの問題が複雑なリード文で、設問にたどり着けないような「良問」だらけになってしまう恐れがあります。
 今年の数学の問題などは、典型的な合成の誤謬の結果と筆者は推定しています。それが繰り返される可能性は否定できません。

(4)授業を変えるだけでなく
 このような変化に対して、どうするか。
 一つは、共通テストのメッセージに対して、本気で授業を変えることです。
 授業を変えるには、大きなストーリーをもって授業構成を考えることが必要になるでしょう。
 教科書をベースにしたとしても、個々の知識や対象をつなぐ論理をもった物語にできるかどうかです。三枝利多先生(目黒区立東山中学校)が書かれている教科書での「パン屋の話」などがそれにあたります。
 逆に、一つのテーマから多くの関連事項が生まれるようなテーマを探し出せるかという方向もあります。丹松美代志先生(おおさかまなびの会)が報告された「厠・トイレ考」の話などはそれにあたるでしょう。
 もう一つは、おかしいものはおかしいと声を上げることです。
 だいたい、現場のベテランの先生が問題に挑戦して時間内で解答が終わらない問題を出題すること事態がおかしいのです。
 そのおかしさ、正しさ故のおかしさを様々なルートで発言することが必要だと感じます。研究団体を通しても良いし、個人でできる範囲での発言でも良いと思います。
 
(5)与件を変える
 前号で紹介したシュンペーターは、『理論経済学の本質と内容』で静学的均衡の世界を描き、『経済発展の理論』で動学的世界を描きました。
 それに関して、「静学の中心問題は、経済外部からの適応であるとすれば、動学の中心問題は経済内部からの変化としての革新である」と故塩野谷祐一氏はその著『シュンペーター的思考』のなかで述べています。
 共通テストからの挑戦に対して<適応>で臨むのか、<革新>を目指すのか、問われているのは私たち現場教員だろうと思います。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)部会報告でのテスト問題
部会報告にもありますが、12月の東京部会では、4人の先生の定期考査が紹介されました。
そこには、共通した特徴が二つありました。
一つは、経済の授業が始まったことを反映して、市場メカニズムの理解を問う問題が複数の先生から出題されていたことです。
  旧センター試験や私大の試験では毎年のように出題される事項なので、良くも悪くも高校の場合は必須の学習事項になっています。中学校でも同様かもしれません。
 もう一つは、思考力を問う工夫された問題が出されていたことです。
 これも共通テストの傾向を踏まえて、長い文章を読ませて、それをもとに問題を出すというスタイルが特徴でした。
 こちらの傾向に対しては、大倉先生から国語との差異に注意して欲しいという注文が付いていました。

(2)ちょっとした工夫で生徒の理解を深める
まず、前者の需要曲線、供給曲線の問題、学習について検討してみます。
もったいないなと思うのは、原理的な理解を問うところでそれが終わってしまっているところです。
例えば、技術革新でコストが下がった時に曲線がどちらにシフトするか?という問題や、景気が悪化し国民の所得が下がった時に曲線がどちらにシフトするか?という質問が出されています。
また、「肉まん」を製造する新技術が普及して同じ品質の「肉まん」をより安く作れるようになった時や、冬の寒い日が続き多くの人が「肉まん」を食べたくなった時の需給曲線の移動を問う問題もあります。
どちらもありそうな設定ですが、需給曲線の形式的なシフトを問うというレベルでの問いで終わってしまっています。また、リアルさという点でもいま一歩と言ってよいかもしれません。
これを一歩深めるには、例えば、次のような問題を加えたらどうでしょうか。

「長引く新型コロナウイルスの影響で外食産業の需要が落ち込む一方、主食米の生産を絞る政府の転作誘導も思うように進んでいない」(『朝日新聞』21年5月28日朝刊)という記事が新聞に載っていた。このような時に米の値段がどうなるか、グラフを使って説明しなさい。

 この問題は、筆者の中学生向けのテスト問題です。これが良い問題かどうかは読者の判断に任せますが、次のようなねらいをこめて作成しました。
 ①新聞記事を引用することで、価格の変動をリアルに考えさせる。また、日頃、ニュースなどに注意することがテスト対策にも通じるというインセンティブを与える。
 ②価格以外の条件が変わったときに、どのように曲線がシフトするか、教科書に登場する理論を実際の事例で考えさせる。
 ③新聞には、「コメ、続く値下がり 4月取引価格、前年比6.6%下落 コロナで外食用の消費減/転作進まず」とあり、正解に相当する記述があるが、グラフを書かせることで、正解にたどり着くまでの思考過程を見る。
 この問いはテストで出題したものですが、実際の授業では、一通りの説明が終わったら、グループでこの種の問題に挑戦させて、どうなるかを討論させることができればもっと良いと思います。さらに、もしコメが統制価格だったらこんな場合にどのような影響が企業や家計にでるだろうかを考えさせるなどの展開もできるでしょう。
 この種の問題を使って、日頃の授業のなかで生徒に自由に考えさせてみる。日常と理論の往復をすること、形式的な練習問題ではなく、実際の事例で、様々な価格問題への注目が広がり、思考が深まることを期待したいところです。

(3)論文資料の読み取りと思考の深まり
後者の論文問題を取り上げてみます。
部会の報告では三人の先生から資料問題(一人は参考文)が出題されていました。
 資料文は、「人新生の資本論」を書いた斎藤康平氏のインタビュー記事、岡﨑久彦氏の「戦略的思考とは何か」、大竹文雄氏編著の「こんなに使える経済学」が使われています。
それぞれ、長文を読ませるという意味では、生徒の読解力を確認して、それを問うことにより思考を深めようとしています。
ここも、もったいないと思う箇所がいくつかあります。
 一つは、文章が長すぎる点です。テスト時間に長文を読むのは悪くはないのですが、思考を深めるという点からみると、エッセンスに近い文章でもよいのではという印象です。というのは、資料文の読み取りに時間を取られて、その資料文がテーマとしている問題に関する問いを考える余裕を無くしてしまう可能性がないとはいえないということが危惧されます。
 二つ目は、「問い」が適切かどうかです。授業の改善のポイントに「問い」をいかに立てるかということが指摘されています。「問い」を重ねることにより、本質的な構造が見えてくるような授業を目指したいということでしょう。
 資料問題の問いはその意味で、資料の価値を決める最大の要因となります。その点での吟味が必要となるでしょう。
 三つ目は、一つの資料だけで、是非や賛否を問うている設問があることです。
 はじめてテスト会場で見る資料だとして、それが論争的なテーマであるとしたら、複数資料が欲しいところです。資料がなくとも、対立軸を示しての意見論述が必要であると感じました。
 その点で、経済の問いではなかったのですが、「強制投票制度」を扱った問題では、三つの資料をもとにした意見論述問題でした。最低二つの資料やヒントが、論述を伴う問題だけでなく授業でも必要と言えるのではないでしょうか。
この種の長文問題は、事前に生徒に概略や資料文を紹介しておいて、試験会場で設問は初めて見るというやり方も一考かと思います。また、テスト後の振り返りも、テスト以上に必要と言えるでしょう。

(4)評価は工夫されている
注文が多くなりましたが、改善されているなと感じたものは、評価基準の明確化が進んでいる点です。
論述問題では、今回問題を紹介してくれた先生方が、論述の書き方や採点基準を明確にして、生徒に提示していました。
 観点別評価が高校でも導入されますが、思考力・判断力・表現力や学びに向かう力など、これまで数値化して表現してこなかった高校現場ですが、部会で提出されたテスト問題では、評価を生徒が見えるように提示しています。
評価基準の明確化は、テストに取組む生徒にとっても、また、採点する教員にとっても、重要な要素になっています。特に、教員にとって最初は大変ですが、適当に帳尻あわせをするのではなく、一度、しっかりと取組まれると、後が楽になるはずです。
評価に関しては、若い先生方の努力と工夫から学ぶことが多いのは喜ばしいことと思いました。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)二つの公開授業
 先月、オンラインで、二つの公開授業を見ました。
 一つは、中学校の地理の授業で、「アフリカの経済発展を考えよう」というものです。
もう一つは、高等学校の現代社会の授業で「リスクとライフプランを考える」という金融教育の授業です。
 中学校の授業は、10分ほどの映像でしたが、高等学校の授業は50分全部を見ることができました。
 それぞれ優れたところ、感心したところがあったのですが、気になった点、疑問点が共通していたところがあり、今回考えてみたいと思いました。
 それは、生徒たちはどの立ち位置で考えているのだろうか、授業のなかで、考える視点がどこにあるのかを明確に指導していたのだろうかという疑問です。

(2)アフリカの経済発展の例
 地理の授業は中学2年生の授業です。
未開発とイメージされているアフリカが実は大きな飛躍の要素もっていて、現実に動き始めていることを学習したあとに、ではアフリカの経済発展のために今後どんな産業がもとめられるだろうかをグループで探究活動をした結果を、3年生の前で発表し、3年生の突っ込みに対して、回答するという授業です。
これは、担当者が2年の地理と3年の公民を担当していたことでできた、意欲的な授業です。
 2年の生徒も頑張ってそれぞれの企画を提示していたのですが、その企画の提案者は誰なのか、提案者の立ち位置が生徒に自覚されていないことが特徴的でした。
 日本人として(例えばJICAなど)その地域や国に関わるのか、企業の立場(例えばグローバル企業か現地の起業家なのかなど)から考えるのか、その国の人間(男性か女性か)が考えるのかなど、考える主体が誰なのかは、企画そのものの質を左右します。
その自覚なしに、取組まれた提案は、空中に浮いているように感じてしまいました。

(2)リスクとライフプランの例
 こちらは、工業科の定時制高校の実践です。
 半年をかけて、「株式学習ゲーム」を行わせながら、経済について考えさせているという「現代社会」の授業の一環でした。
 内容で気になったところは、やはり立ち位置です。
 どんな銘柄を生徒が選んだか、その変動、選んだ理由を適宜、生徒に聞きながら、授業が進みます。
 生徒の多くは、任天堂、ソフトバンクなどやはり知っている企業、日頃お世話になっている企業を選んでいました。それはそれで構わないのですが、気になったのは専門に関係する企業をほとんど選んでいないことでした。
 電機科と電子科を持つ学校で学んでいるので、その業界の企業の名前がでてきてもよいに、もったいないというのが印象でした。
 それをもっと感じたのは、リスクからライフプランを考えさせる展開部です。ライフプランは人生の四大イベントに絡んで取り上げられていますが、自分のライフプランがイメージできない生徒が多かったようで、先生の説明で進行していました。
 理由の一端は、株式学習ゲームで現れていたように、現在の自分の立ち位置が自覚されていないので、長期のライフプランが浮かばないということなのだろうと推定しました。

(4)自分の足元は何か
 社会科、公民科の場合は、「公民的資質」の育成が求められています。日本人としてというキャップをかぶることもあります。
 日本人としてということを強調しすぎるのも問題ですが、どの位置から社会を眺めるのかを自覚させることが、社会科の授業づくりでは大切な要素ではないでしょうか。
 伝統経済学では、抽象的な経済人を措定して経済を分析します。これは、科学的方法です。行動経済学では、それを批判してバイアスを持つ現実の個人を前提とした理論を提示しようとしています。
教室の授業では、科学的分析の世界の個人なのか、それとも現実の私なのかの自覚を求めることはほとんどありません。
 対象のなかからものを見るのか、外から見るのか、男性なのか、女性なのか、命令する側から見るのか、命令される側から見るのか、…。それぞれ立ち位置が違うと見え方が違うはずです。
 「自分事にする」前提として、自分の足元をまず自覚させて展開する授業がもっと必要だと、二つの授業をみて考えたのですが、皆さんはどう考えるしょうか。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)手書きのレポートが提出された
 今年の夏休みの宿題は二種類だしました。
 一つは、必修として『レモンをお金にかえる法』の続編(マクロ経済編)の翻訳。もう一つが、自由課題として、夏前の授業で十分時間がとれなかった株式会社に関する調査レポートです。
 後者は、自分が関心を持っている企業に関して、その経営者、大株主、株価の推移、社会的貢献などを調べて、どんな特徴のある会社かをレポートさせるもので、提出は自由ということで課しました。
 夏明けに回収。必修はさすがにほぼ100%提出。自由研究の提出率は1割強でしかありませんでしたが、びっくりするレポートが出てきました。
 それは、手書きの「任天堂」(A4版12枚)に関する研究レポートです。

(2)大学生のレポートに近い
 このレポートでは、「コロナ禍でできた暇な時間を気軽に潰す方法として任天堂の経済面での需要が高まったのだと私なりに考えた」として任天堂の分析が行われています。
 内容は、任天堂の歴史、現在の製品、経営陣の分析、現在の取組み(eスポーツなど)からはじまり、任天堂の経済状況が詳しく分析されていました。
それぞれの項目の説明の間には、貸借対照表の紹介や入金と支払いサイクルの図などが挿入されて、商学部などでの財務分析のレポートに近い内容です。
最後のまとめ、感想の箇所では、「任天堂の経営状況について調べてみて、非常にたくさんの経済に関する専門用語について深く調べることができた。…調べ学習を経て、新しいことを学ぶ事ができて、とても充実した有意義な機会になった」と、教師を泣かせるような言葉が書いてありました。
私のコメントは、「脱帽」です。

(3)なぜこんなレポートが登場したか
 「自由研究は親の研究」という言葉があります。
 「自由研究」と称しても、テーマ設定や調査などは親の手助けが大抵は入っているものです。時には、宿題代行業者が介在することもあります。
 今回のレポートも当初は、それを疑いましたが、読んでゆくうちに、自分の言葉、自分なりの分析がされている箇所がたくさんでてきて、ヒントは誰かが与えたとしても、自力のレポートと思わざるを得ませんでした。
 なぜ、こんなレポートが登場したのか。本人の関心もあるでしょうが、このレポートが手書きであるところにその秘密の一端があるように思いました。
 12枚をぎっしり手書きにしていること、それがこの生徒の情熱とテーマに対する真剣な取組みを象徴しているというのが私の判断です。

(4)昔にもあった、それが…
 実は、手書きのレポートに関しては、思い出があります。
 30年ほど前にディベート授業をはじめた時に、夏休みにディベートのテーマに関するレポートを書かせていました。
 その時の秀逸なレポートが、今回と同じ手書きのレポートだったのです。その時は、B5版52ページ(ただし1行おきに書けという指示だったので実質はその半分)でした。テーマは「歴史教科書問題について」。
 内容も優れていましたが、なにより、力業の素晴らしさでした。
 それが、インターネットで簡単に検索ができ、ワープロが普及してゆくにつれて、レポートの質が目に見えて低下してゆきました。
 異動した先も、学力的に高い生徒集団がいる学校だったのですが、こんな程度のものしか出てこないのかと嘆くようなものが多数出てきて、指導の限界を感じて、ディベート準備は夏の宿題ではなく、時間内でのグループワークにしてしまいました。
 その後も、大学生も含めて、久しく、コピペのレポートばかり見てきた年寄り教師に、手書きのレポートは新鮮でした。

(5)ハイブリッドの世界へ
 今、調べ学習が盛んにすすめられています。
 タブレットが一人一台準備されて、調べることが比較的たやすくできるようになりました。
 それにあわせて授業形態だけでなく探究活動も変わらざるを得ません。私たち自身だって、新聞の縮刷版を積み上げて、データや記事を探すことはなくなりました。
 今更手書きの時代に戻ることはないし、それは現実的でないことは言うまでもありません。実際、30年前のレポートのソースは、新聞、書籍でしたが、今夏のレポートのデータのソースは全部ネットからのものでした。
そうであっても、デジタル化の大波のなかで、アナログでの手書きという力業をしたこと、また、時にはさせることの教育的な意味はなくならないように思います。
 その意味では、板書、ノートチェック、レポート課題などアナログ教育は大変ですが、学びに向かう主体性を確認するために残しておいて、それ以外の場所ではデジタル授業をすすめるというハイブリッド方式がこれからの授業のスタイルになりそうです。
 私も時にはデジタル時代に抗って、手書きの手紙を知人や友人に書くことも必要かと思うことがあります。ただ、ちょっぴり残念なのは、もはやその手紙がラブレターではないことですが。