経済教育ネットワーク  新井 明

(1)二つの公開授業
 先月、オンラインで、二つの公開授業を見ました。
 一つは、中学校の地理の授業で、「アフリカの経済発展を考えよう」というものです。
もう一つは、高等学校の現代社会の授業で「リスクとライフプランを考える」という金融教育の授業です。
 中学校の授業は、10分ほどの映像でしたが、高等学校の授業は50分全部を見ることができました。
 それぞれ優れたところ、感心したところがあったのですが、気になった点、疑問点が共通していたところがあり、今回考えてみたいと思いました。
 それは、生徒たちはどの立ち位置で考えているのだろうか、授業のなかで、考える視点がどこにあるのかを明確に指導していたのだろうかという疑問です。

(2)アフリカの経済発展の例
 地理の授業は中学2年生の授業です。
未開発とイメージされているアフリカが実は大きな飛躍の要素もっていて、現実に動き始めていることを学習したあとに、ではアフリカの経済発展のために今後どんな産業がもとめられるだろうかをグループで探究活動をした結果を、3年生の前で発表し、3年生の突っ込みに対して、回答するという授業です。
これは、担当者が2年の地理と3年の公民を担当していたことでできた、意欲的な授業です。
 2年の生徒も頑張ってそれぞれの企画を提示していたのですが、その企画の提案者は誰なのか、提案者の立ち位置が生徒に自覚されていないことが特徴的でした。
 日本人として(例えばJICAなど)その地域や国に関わるのか、企業の立場(例えばグローバル企業か現地の起業家なのかなど)から考えるのか、その国の人間(男性か女性か)が考えるのかなど、考える主体が誰なのかは、企画そのものの質を左右します。
その自覚なしに、取組まれた提案は、空中に浮いているように感じてしまいました。

(2)リスクとライフプランの例
 こちらは、工業科の定時制高校の実践です。
 半年をかけて、「株式学習ゲーム」を行わせながら、経済について考えさせているという「現代社会」の授業の一環でした。
 内容で気になったところは、やはり立ち位置です。
 どんな銘柄を生徒が選んだか、その変動、選んだ理由を適宜、生徒に聞きながら、授業が進みます。
 生徒の多くは、任天堂、ソフトバンクなどやはり知っている企業、日頃お世話になっている企業を選んでいました。それはそれで構わないのですが、気になったのは専門に関係する企業をほとんど選んでいないことでした。
 電機科と電子科を持つ学校で学んでいるので、その業界の企業の名前がでてきてもよいに、もったいないというのが印象でした。
 それをもっと感じたのは、リスクからライフプランを考えさせる展開部です。ライフプランは人生の四大イベントに絡んで取り上げられていますが、自分のライフプランがイメージできない生徒が多かったようで、先生の説明で進行していました。
 理由の一端は、株式学習ゲームで現れていたように、現在の自分の立ち位置が自覚されていないので、長期のライフプランが浮かばないということなのだろうと推定しました。

(4)自分の足元は何か
 社会科、公民科の場合は、「公民的資質」の育成が求められています。日本人としてというキャップをかぶることもあります。
 日本人としてということを強調しすぎるのも問題ですが、どの位置から社会を眺めるのかを自覚させることが、社会科の授業づくりでは大切な要素ではないでしょうか。
 伝統経済学では、抽象的な経済人を措定して経済を分析します。これは、科学的方法です。行動経済学では、それを批判してバイアスを持つ現実の個人を前提とした理論を提示しようとしています。
教室の授業では、科学的分析の世界の個人なのか、それとも現実の私なのかの自覚を求めることはほとんどありません。
 対象のなかからものを見るのか、外から見るのか、男性なのか、女性なのか、命令する側から見るのか、命令される側から見るのか、…。それぞれ立ち位置が違うと見え方が違うはずです。
 「自分事にする」前提として、自分の足元をまず自覚させて展開する授業がもっと必要だと、二つの授業をみて考えたのですが、皆さんはどう考えるしょうか。

経済教育ネットワーク  新井 明

(1)手書きのレポートが提出された
 今年の夏休みの宿題は二種類だしました。
 一つは、必修として『レモンをお金にかえる法』の続編(マクロ経済編)の翻訳。もう一つが、自由課題として、夏前の授業で十分時間がとれなかった株式会社に関する調査レポートです。
 後者は、自分が関心を持っている企業に関して、その経営者、大株主、株価の推移、社会的貢献などを調べて、どんな特徴のある会社かをレポートさせるもので、提出は自由ということで課しました。
 夏明けに回収。必修はさすがにほぼ100%提出。自由研究の提出率は1割強でしかありませんでしたが、びっくりするレポートが出てきました。
 それは、手書きの「任天堂」(A4版12枚)に関する研究レポートです。

(2)大学生のレポートに近い
 このレポートでは、「コロナ禍でできた暇な時間を気軽に潰す方法として任天堂の経済面での需要が高まったのだと私なりに考えた」として任天堂の分析が行われています。
 内容は、任天堂の歴史、現在の製品、経営陣の分析、現在の取組み(eスポーツなど)からはじまり、任天堂の経済状況が詳しく分析されていました。
それぞれの項目の説明の間には、貸借対照表の紹介や入金と支払いサイクルの図などが挿入されて、商学部などでの財務分析のレポートに近い内容です。
最後のまとめ、感想の箇所では、「任天堂の経営状況について調べてみて、非常にたくさんの経済に関する専門用語について深く調べることができた。…調べ学習を経て、新しいことを学ぶ事ができて、とても充実した有意義な機会になった」と、教師を泣かせるような言葉が書いてありました。
私のコメントは、「脱帽」です。

(3)なぜこんなレポートが登場したか
 「自由研究は親の研究」という言葉があります。
 「自由研究」と称しても、テーマ設定や調査などは親の手助けが大抵は入っているものです。時には、宿題代行業者が介在することもあります。
 今回のレポートも当初は、それを疑いましたが、読んでゆくうちに、自分の言葉、自分なりの分析がされている箇所がたくさんでてきて、ヒントは誰かが与えたとしても、自力のレポートと思わざるを得ませんでした。
 なぜ、こんなレポートが登場したのか。本人の関心もあるでしょうが、このレポートが手書きであるところにその秘密の一端があるように思いました。
 12枚をぎっしり手書きにしていること、それがこの生徒の情熱とテーマに対する真剣な取組みを象徴しているというのが私の判断です。

(4)昔にもあった、それが…
 実は、手書きのレポートに関しては、思い出があります。
 30年ほど前にディベート授業をはじめた時に、夏休みにディベートのテーマに関するレポートを書かせていました。
 その時の秀逸なレポートが、今回と同じ手書きのレポートだったのです。その時は、B5版52ページ(ただし1行おきに書けという指示だったので実質はその半分)でした。テーマは「歴史教科書問題について」。
 内容も優れていましたが、なにより、力業の素晴らしさでした。
 それが、インターネットで簡単に検索ができ、ワープロが普及してゆくにつれて、レポートの質が目に見えて低下してゆきました。
 異動した先も、学力的に高い生徒集団がいる学校だったのですが、こんな程度のものしか出てこないのかと嘆くようなものが多数出てきて、指導の限界を感じて、ディベート準備は夏の宿題ではなく、時間内でのグループワークにしてしまいました。
 その後も、大学生も含めて、久しく、コピペのレポートばかり見てきた年寄り教師に、手書きのレポートは新鮮でした。

(5)ハイブリッドの世界へ
 今、調べ学習が盛んにすすめられています。
 タブレットが一人一台準備されて、調べることが比較的たやすくできるようになりました。
 それにあわせて授業形態だけでなく探究活動も変わらざるを得ません。私たち自身だって、新聞の縮刷版を積み上げて、データや記事を探すことはなくなりました。
 今更手書きの時代に戻ることはないし、それは現実的でないことは言うまでもありません。実際、30年前のレポートのソースは、新聞、書籍でしたが、今夏のレポートのデータのソースは全部ネットからのものでした。
そうであっても、デジタル化の大波のなかで、アナログでの手書きという力業をしたこと、また、時にはさせることの教育的な意味はなくならないように思います。
 その意味では、板書、ノートチェック、レポート課題などアナログ教育は大変ですが、学びに向かう主体性を確認するために残しておいて、それ以外の場所ではデジタル授業をすすめるというハイブリッド方式がこれからの授業のスタイルになりそうです。
 私も時にはデジタル時代に抗って、手書きの手紙を知人や友人に書くことも必要かと思うことがあります。ただ、ちょっぴり残念なのは、もはやその手紙がラブレターではないことですが。

千葉県立松戸向陽高等学校 大倉 泰裕

 4月以来継続している評価に関する提言、ここまでの議論を総括する意味もこめて、今号では、大倉泰裕先生から、ご自身の実践を踏まえた提言をいただきました。 (経済教育ネットワーク   新井 明)

1 観点別評価が“本気”で始まる
 いよいよ来年4月からの新課程実施に伴い、高校でも観点別評価が“本気”で始まります。
「観点別評価ってどうするんだ」、「思考力・判断力・表現力の評価ってどうやって付けるんだ」などいろいろな声を聞きますが、その前に、なぜこのような評価が必要なのかということを理解しておく必要があります。
そうでないと「面倒くさいよね、今まで通りでいいじゃないか」とか、他人の実践事例を形だけ真似るだけで終わってしまうからです。
だからといって、評価の話を初めからしていくと連載ものになってしまいます。そこで私の実践をふまえてお話しします。

2 評価の前に授業がある
 「授業と評価は一体である」とよく言われますが、教育という場面での評価であると考えるのであれば、指導の結果として生徒がどのように変容したのかを見ることが評価であると思っています。
ということはまず授業が大切です。
社会科・公民科の授業はどうしても知識が多くなります。これは教科の特性として当然のことです。また知識が無いところに思考も関心も生まれません。
でも知識を大量に与えることだけで終わってはいけません。ここを変えることが最初に必要なことです。

私は授業をするとき、「この授業で大切なこと(概念、原理、法則など)は何か」ということから授業を組み立てるようにしています。
どの知識も大切ですし、教えたいと思うのは教員として当然です。でもそれをしたら、生徒は拒絶反応を起こすか、ひたすら暗記にはしるかです。
知識を概念などと結びつけて教えることで、なぜそのような制度があるのか、なぜ大切なのかを繰り返し教えて、思考につながるように心がけています。

3 考査での評価から
 その上で評価ということになります。特に高校では2単位×8クラスなどという授業の持ち方も多いと思います。
そうなるとどうしても考査での評価になるでしょう。
考査だけで評価すべきではありませんが、1クラス40人×8クラス=320人のレポートを見ろといわれたら、それだけで観点別評価から逃げ出したくなります。
そこでまず考査でしっかりと思考などを評価することを考えます。

私は通常の考査でも作問するときには観点を意識しています。
「現代社会」で4割程度、「政治・経済」でも3割は思考・判断・表現の観点で作成しています。
例えば、あるできごとやグラフを概念や原理などを用いて解釈させるなどという問題をよく出題します。
また「公共」を意識して、功利主義の立場に立てばどのような選択をすることになるのか、などという問題も作成しています。
これらの問題は記号で選ばせることもありますが、解釈や理由を記述させるという方が、生徒がしっかりと思考できたのかを見るのに適しているでしょう。

4 大切な採点基準の作成
 さてその記述させるということですが、ここでまた大切なことが出てきます。記述式問題の採点基準です。
その採点基準とは何でしょうか。分量でしょうか。
確かに短すぎるのは採点できないことがほとんどです。ですから生徒には解答の仕方を事前に、あるいは問題文中に指示することが必要です。
これは表現の評価になりますが、学力が十分身に付いていない生徒の多くは国語の力に課題があると思っています。
本来はここをしっかりと指導することが必要で、現行学習指導要領でも「言語活動の充実」はその1丁目1番地といわれてきました。
ただしそこから始めると、「現代社会」や「政治・経済」の評価までたどり着きませんから、日々の授業では指導するにしても考査の時には見本や解答の仕方を示しておくことも必要です。

 さて、生徒が、こちらが望むような文章などで解答してきました。それをどう評価すべきでしょうか。
それには目標に準拠した評価という考え方が大切です。つまり評価規準です。
簡単に言えば、こちらがこのぐらいまでは出来て欲しいという解答を文字化して用意しておくことです。そこでは採点するときの視点やポイントを明確にしておきます。
たとえばキーワードを設定したり、複数の立場から意見を論じていたりすることを正答の条件とするなどということです。それをクリアすることによって思考や判断をしたと評価することになるからです。
ですから、採点者自身が規準を文字化して明確にしておくことはとても大切なことです。ここがぶれると記述式問題の評価は出来ません。これはレポートの評価などにもいえることです。
このとき、くどいようですが、あくまで思考としての出題でなければなりません。すでに授業で話をしていることを記述式問題で出題してもそれは知識・理解の評価でしかありません。

5 最後に提案
 今回は短い中での話なので、この程度となりますが、最後に一つ提案したいことがあります。
観点別評価を進めるのであれば、ぜひ授業と考査問題を他の先生に公開してください。
他の先生方に見ていただき助言を受けるということは、授業も考査問題もよりよいものが出来ることに直結します。自分では気が付かないことを指摘してもらい、それをその後の指導に生かすことが出来ます。
「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があります。新しい評価方法を面倒と思わずに、大勢の力で生徒にとってプラスになるようにしていきたいものです。

 

執筆者  広島大学附属高等学校・中学校 阿部哲久     東京都立井草高等学校 杉浦 光紀

 4月号からこれまで5回にわたり評価の問題をとりあげてきています。
 6回目の今月号では、前号の中学校からの提言に続いて、来年度から学年進行で新学習指導要領がスタートする、高等学校における評価の在り方を、お二人の先生から報告・提案をしていただきます。 (経済教育ネットワーク   新井 明)

■観点別評価で授業改善を
              広島大学附属高等学校・中学校  阿部哲久

(1) はじめに
 来年度から高校でも観点別評価が導入されます。私自身は02年度の中学校での導入を経験し、現在は高校にも籍を置く立場ですが,中学校導入時は調査書とも直結していることから対応にとても苦労しました。
今回は大学入試で用いられる調査書には直ちに記載されない方針となりましたが,逆に形式的な導入に留まってしまう懸念もあります。
しかし今回の改訂で示された観点別評価は,これまでの小中学校の実践を踏まえて使いやすく整理されており,国際的な学力をめぐる議論等も取り入れたものになっています。
形式的な導入に留めてしまうのはもったいないのではないでしょうか。

(2) 評価と評定
 導入にあたってまず気になるのは観点別評価と評定の関係ですが,「学習改善につながる評価」と「評定のための評価」を分けるとスッキリします。
単元の途中で行うのが前者,単元の最後に行うのが後者と考えるとシンプルでしょう(文科省の調査官は「子どもが最も良い状態のところで評定のための評価をするべき」と表現していました)。
例えば小テストや授業での様子を評価するとしてもそれらを全て記録して評定に反映させる(大変な労力!)必要はなく,適切に生徒にフィードバックして学習改善につなげることの方が大切だということです。
こう考えると,単元が終わったところでペーパーテストやワークシートなどによって「評定のための評価」を行えばよいことになります。

(3) 主体的に学習に取り組む態度の評価
現場では「主体的に学習に取り組む態度」をどうするかは最もとまどうところです。
学校での観点別評価導入当初は提出物の状況などを「関心・意欲・態度」の評価に用いる事例も散見されましたが,提出状況やきれいさなどを評価するものではないということは、中学の実践などを経て定着してきました。
特に今回の改訂に関わって国立教育政策研究所の『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料』では,
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「主体的に学習に取り組む態度」については,国家及び社会の形成者として,よりよい社会の実現を視野に,現代の諸課題を主体的に解決しようとしている状況を評価する。
「解決しようとしている状況を評価する」については,この観点が,学習の調整を適切にできるか否かを判断するわけではないことを意味している。(中略)自らの学習状況を把握し,学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら,学ぼうとしているかどうかという意思的な側面を評価するものである。
次に,「解決しようとしているものは現代の諸課題であるということ」については,ここでいう「課題」が,学習上の課題ではなく,様々な社会的事象から成る現代の諸課題であることに留意する。(中略)そこで学習の結果として,学習内容を人間としての在り方生き方,社会の在り方と結びつけて深く学ぶ事の意味や意義に気付くこと,これからも問い続けていきたいこと(問い続けていかなければいけないこと)を見いだしている状況などを評価することが考えられる。
*********************************
と具体的に示されています。(同署p43~44)

例えば学習の見通しを書かせ,途中での学びを記入し,最後に新たな課題を見いだして書かせる1枚ものポートフォリオのプリントを用いることが考えられます。

(4) 思考・判断・表現の評価
「思考・判断・表現」については,記述式による評価(学習した内容をもとに「見方・考え方」を用いて意見を書けるか,等)だけでなく,記号による選択式での評価も可能でしょう。
共通テストの問題には参考になるものが多いように思います。
私自身は,生徒の文章力の影響や採点のブレを避ける意味で,極力選択式で出題(学習した内容をもとに特定の「見方・考え方」を用いて導かれる意見を選択させる,等)するように頭をひねっています。

(5) 評価と授業改善
例えば前述の1枚ものポートフォリオを作成するためには,教員の中で「単元」の構成やまとまり,各時間のねらいとつながりが明確になっている必要があります。
また「思考・判断・表現」の評価問題を作成するためには,思考のベースとなる「授業で獲得させる知識」と、用いさせたい「見方・考え方」が明確になっている必要があります。
評価を意識することは自然に目標を明確にすることにつながり、目標を達成するための授業づくり=授業改善につながるのではないかと思います。
どうせやるなら授業改善につながる観点別評価を意識してみるのも悪くないのではないでしょうか。

■高校での評価原論―“はかる”と”ふえる”―
                   東京都立井草高等学校 杉浦 光紀

(1) 評価の正しい理解
単元学習で有名な国語教師、大村はまの言葉に学んだことがある。
評価をしたら、学力がふえるのではない。学習指導をするから、学力がふえるのである。「はかる」と「ふえる」の2つを誤解してはいけない。だから、「はかる」に目を奪われず、教材の用意と学習指導(声掛け・足場かけ)の促進こそが大切である。

評価は教師にとって、生徒の学びを見取る絶好の機会。授業改善にもつながる。しかし、全国の先生方は、部活にクラスに授業準備、更にはコロナ対応と、すでにスーパーマンな働き方をしている。
生徒のすべてのアウトプットやパフォーマンスを評価し、評定に換算しなければ、と誤解しないようにしたい。評価そのものが複雑だと、「ボトルネック」(理論は正しくても現実にはうまくいかない)となってしまいかねない。

(2) 効果的な評価の枠組み-ルーブリック
実質的で有効な評価はないか。そこで、ルーブリックである。
ルーブリックは、「学びのガイドライン」であり、どのようなパフォーマンス(発表・論述等)をしてほしいか、「努力の仕方」を生徒と教師で共有するためにある。
単元全体ではなく、ある成果物やパフォーマンスを対象に学習到達度を示す評価基準表である。
ルーブリックの強みは、用いること自体が「ナッジ」(強制ではなく望ましい行動を手助けする方法)である点にある。
指導と評価の一体化が、ルーブリックの用法・用量を間違えなければ、実現できる。
行動経済学に基づいた設計の枠組みに「EAST」があるが、評価もイージー・アトラクティブ・ソーシャル・タイムリーでありたい。この原則に従い、生徒の理解や学びの目標に応じて、回数や方法を工夫するのである。

(3) 評価が活きる場面の厳選
ルーブリックが役立つ場面を2つ。
まずは、現任校での夏休みの宿題である。日本思想の先哲を調べて2学期に発表する課題を出した。
このような課題において、評価のポイントが事前にわかるのは、生徒にとってタイムリーでアトラクティブだ。なぜなら、提出後にこの書き方ではダメだと言われるより、調べようと思ったその場に基準がある方が便利だからである。
3つの項目に絞り、理解がイージーな説明を心掛けた。個人の解釈に幅が出てしまうが、それは事後の振り返りに活かせばよい。

もう1つは、前任校で実践していた新聞記事の発表である。
導入前は、ほとんど調べずに15秒ぐらいの発表で終わってしまう生徒もいた。しかし、事前に発表の仕方や内容についての基準を示し、発表者以外の生徒には評価させるようにしたところ、発表時間も内容も向上した。
努力をしようにも、その方法がわからず、説明を理解するのも苦手な前任校の生徒には、効果抜群であった。
全員が同じ基準で取り組み、他者への発表を意識する点は、ソーシャルだともいえる。

(4) 評価基準の共有で「学ぶ力」を育成
ルーブリックや観点別評価にしても、これまで教師が心の中で行ってきたことである。それを少しクリアにして、生徒にあらかじめ示すことで、以下のような会話(仮)を減らすことになる。

先生「なんで、こんなレベルの内容しか書けていないんだ。教えたはずだぞ。」
生徒「そう言われても、何を書いたらいいか、わかりません…。だから、やる気も出ませんでした。」
先生(心の中で)「これだと学びに向かう力は、Cだな。」

仏道(禅宗)なら、不立文字、以心伝心で秘儀を伝授するのだろうが、40人クラスで週に数時間の授業では難しい。
ゆえに、学びを深めるための目に見える手引きを用意する。評価基準を共有できていれば、どう頑張ればよいかがわかる。完全にブラックボックスで評価するよりは、客観性を保つことにもなる。
努力の方向性を示した上で、生徒が「見通しをもって」「粘り強く」取り組むことを期待する。
そうすれば、観点別でもっとも困る「学びに向かう力」を伸ばせる。
高等学校における観点別評価は、学力を「はかる」のではなく、どうしたら「ふえる」のかを考えて、進めていきませんか?

 執筆者     大阪市立加美南中学校  李 洪俊   福井県美浜町立美浜中学校 行壽 浩司    春日部市立武里中学校 小谷 勇人

4月号から4回にわたり評価の問題をとりあげてきました。 5回目の今月号では、新学習指導要領がスタートした中学校における三観点評価の実情と、新学習指導要領における評価の在り方を、3人の中学校の先生から報告・提案をしていただきます。 (経済教育ネットワーク 新井 明)

■学期末の職員室から
             大阪市立加美南中学校  李 洪俊
「期末テストが終わりましたので、今週の金曜日までに素点入力と評定交換をお願いします。なお観点別の重みは学校で決めた比重で、本校の評定平均は3.3±0.3で3.6までです」と教務主任。
中堅教員は、「テスト・提出物・授業態度等で観点別に集計してつけよう、入試で不利にならないように3.6だな…」とつぶやく。
ベテランは、「毎回思うけど、評定平均を決めた大阪の真の絶対評価って何のこっちゃ?ところで、(教科は違うけど)“主体的に学習に取り組む態度”ってどのようにしているの?」と隣に。「点数だけ取る生徒もいるけど、内面は分からないので、宿題などの客観材料を点数化して出すことになるでしょう。主体的でなければ提出物を出さないから」とお隣さんも困り顔。
新任は、「学びに向かう力の “主体的に学習に取り組む態度”ってどのようにつけていますか?」と先輩へ質問。「適当でいいんじゃないの?前回の“関心・意欲・態度”と同じで親に説明さえできればいいよ。評価って本来とても難しいものだからね」と先輩。それを聞いて、新任「そうですか…」と少し不安な顔。

この風景は、これまで再任用で異動してきたいくつかの中学校の平均的な職員室だ。
新学習指導要領の観点別評価に関して、個人的には、意図している目的=授業改善の方向や学習内容から三つの観点の具体的な内容が検討されて、「主体的・対話的で深い学び」をどのように取り組んだとか、授業実践で生徒は何を学んでどのような力が身についたか、また「指導と評価の一体化」を基本にしたPDCAサイクルで決めた今回の評価はどうだろうか、などの話題が職場ででれば望ましいと考えている。

残念ながら、きちっと取り組めている職場もあるだろうが、それは厳しいようだ。
その最大の要因は、学校行事や生徒対応、クラブ活動などで多忙で、常に時間に追われているからだ(昨年・今年は、さらにコロナ禍で行事変更が多かったことも影響している)。
一応、年初の職員連絡会や教科会で評価方法などは決められているけれど、具体的なことは先生方に全面的に任されている。また、新学習指導要領をどれだけ理解するために準備ができているかの問題もあるが…。
先生方の関心は高校入試に関係する評定平均であり、多くの保護者もそれで納得している。
どうも、目標に準拠した評価の理想と手続きは、まだ程遠い状況にあるようだ。今こそ、新しい評価に関する現場の情報交換に期待したい。

■パフォーマンス課題、三つの工夫
               福井県美浜町立美浜中学校 行壽 浩司
中学校現場では成績付けの時期を迎え、生徒の成績をどのように評価するかということが話題になっている。
その中でも特に注目されているのがテストの点数のみならず、パフォーマンス課題などの成果物によって成績を付ける取り組みである。しかしテストの点数のように数値化されたものでないため、見る教師によって評価に差が生じてしまうのではないかという懸念の声もあがっている。
 
以前、京都府の公立中学校にて勤めていた時、校内研究の一環として西岡加名恵先生(京都大学)と共にパフォーマンス課題を作成する機会があった。
評価にあたり、自分の担当するクラスだけではなく、全クラス分を一度に評価することで、複数の教員が判断し、クラスによって評価の差が出ることも解消されるとご教示いただいた。クラスの枠を超えて、その作品自体を複数の教員が評価していく試みは、成果物のような数値化されていないものを評価する際には効果的である。

また同じころ、名前は伏せた状態でA評価のノートを廊下に掲示する取り組みも行った。
これには二つの効果があったように思う。一つは、廊下掲示された生徒は日々のノートが高い評価を受け、嬉しく感じるという点である。
そしてもう一つは、これが、どのようなノートがA評価になるのか、というルーブリックを示すことになる点である。
「なぜこのノートがBなのか」「Aはどのようなことを書けばよいのか」という生徒の疑問に答えることになり、結果的に学年全体へ良い影響を与えていく。

最後に、「質の高いパフォーマンス課題とは何か」という点についてである。
「勉強した知識を活用したらよい」程度にしか認識していなかった私に、西岡先生は「複数の知識が関連付けられているパフォーマンス課題が望ましい」ということをご教示いただいた。
すなわち、公民のパフォーマンス課題の中に、地理や歴史で学習した知識、理科など他教科の知識、生徒自身の生活経験や、先日見たテレビ番組の知識といったような知識がお互いに関連付けられるものが「質の高いパフォーマンス課題」であるということであろう。
このような視点は、公民の学習を公民の知識習得で終わらせることなく、これからの社会に生きていく上で活用できる形にしていくことにつながっていくのではないだろうか。

■評価の転換点を経験して
            春日部市立武里中学校 小谷 勇人
・評価の転換点への温度感
 昨年度、私は中国にある日本人学校で小学6年の担任を経験しました。日本へ帰国し、原籍である公立中学校での勤務が始まり、2年連続「評価の転換点」を経験しています。
現場の議論は、観点別評価のパターンをどのように揃えて評定を出すかがメインでした。説明責任を果たすための喫緊の課題なので、当たり前と言われそうですが、多くの学校でも同じ流れであったかと思います。
ちなみに、前任校では、説明をしやすくするために全教科のパターンを統一、現在の勤務校では教科の特性に応じて各観点の重みづけが違うとして、各教科でパターンを提示しました。

・「主体的に学習に取り組む態度」と「関心・意欲・態度」のちがい
 さて、現場で一番真剣に議論すべき課題は「主体的に学習に取り組む態度」だったのではないかと振り返って思います。
学校をあげて研修をすることで、定期テスト後のワークがやってあるかチェックすることやプリント類が揃っているかチェックすることなどを評価に加味していたこれまでの、「関心・意欲・態度」を見取る成績処理とのちがいが見いだせるのではないかと思います。
まずは教科会レベルでスタートし、常に議論することが必要です。
また、メルマガの中で話題になっているルーブリック評価を作成してのパフォーマンス課題を含めて「主体的に学習に取り組む態度」を見取ることのできる時間を定期テスト以外に意図的につくることは必要だと考えます。
英語のスピーキングテストや音楽の歌唱テスト姿をよく見ますが、社会科でも「主体的に学習に取り組む態度」を見取ることのできる課題を作れないかと模索しています。
テスト前の自習時間をつくるよりも、こちらの方がはるかに有意義な時間になるのではないでしょうか。

・GIGAスクールの波に乗る
その際、大きな可能性を感じるのが一人一台のタブレット型端末です。私の勤務する学校でも、本格的に活用できるようになりました。
学習を積み重ねていく中で、子ども自身が学びの深まりを見取ることができればと試行錯誤しています。
まずは、従来のワークシート形式で行っていたことと同じようなアプローチからスタートし、たくさんの学びの成果を残していくことが求められていると考えます。
教師は生徒の記述内容から、ゆっくりと丁寧に「主体的に学習に取り組む態度」を見取ります。公立中学校でよくある定期テストの前後に提出物を集め、一気に評価して返却するようなことはこれで避けられると考えています。
ただでさえ多忙感がある中、クラウド上とはいえ、常に生徒の学びの成果が、時間のある際に見取ることができるようになったことは大きな変化です。
以上、「評価の転換点」を経験した中学校現場からの報告でした。まだまだ改善点だらけですが、大きく変わる教育の転換点を一教師として迎えているのだとワクワクしています。

執筆者 新井 明

 4月号から3回にわたり評価の問題をとりあげてきました。
 今月号では、ここまでの到達点と別の角度からの評価に関しての提案をしてみます。

(1)何が問題になっているか
 出発点は二つです。
 一つは、新学習指導要領から評価が四観点から三観点に変更になったことです。そのなかでも、特に「学びに向かう力、人間性等」が入ったことです。
学びに向かう力はなんとか評価できても、人間性をどう評価するのか、それを教科の学習のなかでおこなうとするとどんな方法があるのかという疑問が主に中学校の先生方から部会で出されました。もう一つは、高校の先生方からです。これまであまり評価についてつきつめて考えてこなかったけれど、観点別評価を要求されることになり、どうしようという戸惑いです。

(2)突破口の一つがルーブリック
 そのなかから、4月号で杉田先生は、「評価に向き合えば授業が変わる」として、ルーブリックを導入して生徒のレポートの質が変わっただけでなく、授業目標・評価の基準が明確になり、授業内容の設定とリンクして授業の質が変わってきたことを報告されています。
しかし、ルーブリック作成にかかるエネルギーの多さ、ルーブリックによって逆に生徒の「忖度」を生み出すのではとの危惧も同時に指摘されました。
それに対して、5月号の奥田先生の論考では、ルーブリックも有効を認めつつ、評価で重要なのは、生徒によりそい、学びを励ますような長期的なものがのぞましく、「自己評価、相互評価、ポートフォリオ、チェックリストなど、いろいろな場面で方法をかえながら、行う方がいいように思います」と述べています。
 6月号の藤牧先生は、具体的にルーブリックの作成方法やそれを使った授業のやり方を提示してくれました。たしかに、この方法は大きく授業のスタイルを変えるだけでなく、学びのスタイルも変わってゆくだろうと思わせるものでした。
ここまでの議論の方向は、観点別評価の課題をクリアする有力な方法としてルーブリックがあり、それをどう導入して、どう観点別評価と結びつけたらよいかということになりそうです。同時に、生徒の理解をひろげ、認識を深めるにはどんな内容の授業が必要になるかという授業内容の吟味と評価の関連の探究も、さらに課題として残りそうです。

(3)リアペ方式
 ここで観点を変えて、筆者がやっている「リアペ方式」を紹介してみましょう。
 「リアペ」は、リアクションペーパの略です。大学の講義では、かなり普及しているやり方ではないでしょうか。
 筆者も、大学の教科教育法の授業で、出席カード代わりに授業の感想を最初は200字の原稿用紙で、それでは少なすぎることが分かったので、B5の用紙で書かせる方式を採用してきました。
 書かれた内容ですぐれたものは、次ぎの回の授業の最初に時間をとって紹介し、場合によっては書いた学生にさらに質問や補足の発言をさせるというやり方を続けています。そのような形でフィードバックしながら、紹介しきれない良く書けている学生のリアペは毎回チェックをしておき、平常点として評価に組み入れていました。このやり方を、今、中学生にも行っています。

(4)こんなリアペがでてくる
 中学生に行うようになったのは偶然です。昨年、コロナ明けの対面授業が40分授業だったことで、出席を取る時間がもったいないので出席カード代わりに大学方式ではじめました。
 用紙は、A6版(A4の四分の1)で、100字~200字程度はかけるものです。授業理解度は、自己申告で三段階。絵入(ワードのテンプレートにある退出チケットを加工して使っています)です。
 最近の授業でのリアペの例です。
 テーマは需要曲線と供給曲線のシフトを理解させること。事例として、夏休みの旅行代金、マスクの値段、豊作貧乏の三つを、グループで作業させて(分からない生徒に分かった生徒が教える)、発表させる形をとりました。リアペでは、自己評価は9割方理解できたということでしたが、これはあまり信用ができません。
 生徒の理解度や学びに向かう力を測るにはリアペの文章を点検します。
 この時に、大きく三段階に評価をしてゆきますが、これはと思うものはちょっと角を折っておいて、あとでもう一度読み直すようにしています。返却はしません。本当はコメントを付けるなりして返したいところですが、200名毎週それをやるのは非常勤でも難しいので、「返さないけれど、しっかり読んでいるからね」と言っています。

 三段階の評価は以下のようなリアペをもとにしています。
 ・課題あり。
「需要と供給を学んだ」、「野菜をつぶすのはもったいないと感じた」など。
 ・ほぼ理解している。
「価格が需要量にあわせて変化するのはとても面白かった」、「グラフが苦手なので正直、自分で書ける気がしなかったが、仕組みを理解してかけば思いの外すらすら書けた。まだ完全ではないのでテストでしっかり書けるようにしたい」など。
 ・かなり考えている。
「豊作貧乏の時、需要曲線の傾きがゆるやかだと豊作でも良い(というかむしろ儲かる)ということが理解できた」、「農作物の需要は一定にしていたが、これは農作物が生活必需品だからで、豊作貧乏になるのはこれも一因なのかと思った」、「何かのきっかけである商品の需要、供給が変化し、また、その影響で商品の価格が変動するという繰り返しで、まさに「風が吹けば桶屋がもうかる」というのも成立しそうな気がする」など。

(5)自由だから深められる
 ルーブリックの良さは、生徒に到達目標を見える化できることだろうと筆者は考えています。
 その意味では、どこから手をつけてよいかわからない生徒にとっては、杉田先生流に表現すれば「忖度」できるルートが見えることで、学習の手がかりが得られるところではないかと思います。
 リアペ方式は、それに対して、発見できたこと、授業のなかで疑問に思ったことを自由に表現させることで、生徒の理解度、到達度や学習への意欲をある程度推定できる点で活用ができるように思います。
 この事例は、選抜された中学生集団のもので、公立中学でどこまで通用するかこころもとないところがありますが、高校生なら通用するかもしれません。
 例に出したように、生徒のリアペに、教えていないのに弾力性に注目する生徒がいたり、一般均衡に近い考え方を表明する生徒がいたりすることを発見できるのは、自由に書かせることのメリットではないでしょうか。
 教える方でも、例えば、「需要と供給のグラフでの移動する幅はある程度適当で良いか気になりました」というリアペが出てきたので、次に教えるクラスでは、この点に注意して話をするなど、授業の改善に通じる疑問や指摘もでてきます。
 生徒にとって、毎回、こんな形でリアペを要求されるのは、しんどいかもしれませんが、非常勤で週1回の付き合いの講師にとって、生徒の理解度、取組みの姿勢がわかるリアペ方式は、なかなかすぐれものの授業評価法と思っています。

(6)それでも残る問題
 一番大きな課題は、このやり方だと課題のある生徒がだれであるかは分かるけれど、どのようにその生徒たちをフォローしてゆくか、その道筋はここからは直ぐにでてこないことです。
 もう一つあげると、実際に評価を出すときに細かく基準をもうけて数値化していないため、恣意的な要素が入ることです。
 現実に、観点別評価を出せと言われている今、その要求に対して、現場としてどんな形でそれをクリアしてゆくのか、さらに、教える私たちの評価に対する理解度と「学びに向かう力」が問われていると言えるでしょう。

執筆者 茨城県立並木中等教育学校講師・法政大学兼任講師 藤牧 朗

 前々号、前号と、お二人の先生方の論考を読ませていただきました。そこで、自分が常に考えている「これからを生きる生徒のための授業」のことを思いました。そして、その教育を進めていこうと同じように考えていらっしゃる先生方と「授業と評価の一体化」について無理なく自然体でいっしょに進めていきたいと強く感じたところです。

(1)評価すること
私は、率直に言って、「評価をする」ということがとても苦痛でなりません。こういうと、「評価を苦痛と感じるなんて、教師失格だ!」と言われてしまうかもしれません。
しかし、そこには大きく分けて二つの意味が含まれています。一つは、同じ人間として自分が「他人を評価することが適切なのか」という、いわゆる一般的な意味です。
そして、もう一つは、それぞれの事項(教科科目ならその教科科目のそのとき指定の範囲)において、そこで用いるそれぞれの評価方法が適正なのかどうか悩んでしまう、ということです。
つまり、試験であるならば、もともとその試験における出題方法や解答方法などそれぞれが、その指定の範囲の評価をするのに公正で適正なものであるのかどうかです。また、ある事柄の「知識や解き方を訊く問題に正しく答えられるかどうか」ということを測定できたからといって、その項目を「理解しているかどうか」を評価できると本当に言えるかどうか、ということです。

(2)「授業-試験-評価」の一体的改革の試み
従来の知識事項の確認中心の学習及びそれに応じた試験では、学び方も受験勉強の方法も、そして評価の仕方も、多くの生徒も受験生も出題者もお互いに暗黙の了解があり、迷うことなく学習を進め試験を行いそして評価者も迷いなく「評価」を行ってきたことと思います。
 しかしながら、情報知識基盤社会と言われるようになり、学び方も社会構成主義の立場から語られるようになってきました。そして、新しい学習指導要領にはっきりとした表現で示されることにより、従来の知識を問うことに重きを置いた試験や授業のままで済ましていくことは難しくなってきました。
 そこで、当時担当していた中学社会科公民分野、高等学校「政治・経済」と「現代社会」において、授業の改善とそれに合わせた定期考査の出題方針の変更を同時に行いました。これは、私自身にとっての「授業―試験―評価」の一体的改革でした。

(3)全員参加型の授業へ
 理科を担当していたときは、実験という方法で「生徒がアクティブに参加する授業」ができていましたが、社会科、特に公民科では生徒受け身になってしまいがちです。そこで、自分自身が関わっていた獲得型教育研究会で身につけた理論と「演劇的手法」を積極的に取り入れ、全員参加型の授業設計を行いました。
その結果、授業における生徒の様子は大きく変わりました。そうなると、その授業とその授業で身につけることの評価規準もおのずから変わってゆきます。定期試験の形式も、短答式の事項を答えるものや選択式の問題はなくして、すべて文章や図などで説明する形式のものとしました。
このような形式変更を行うことにより、私が担当する授業でどのような学びを行い、どのような力をつけて欲しいのかを示していきました。しかし、この段階では、その意味を読みきれない生徒が多く存在したことは否定できないことにも気づきました。また、試験終了後試験返却時に、自分の答案の得点に納得がいかず「質問」に来る生徒が少なからずいました。
「どうにかしなければならない…」

(4)ルーブリックが使える
 そのような中、たまたま森朋子先生(当時島根大学、現桐蔭学園)の授業を受ける機会を得ました。そこで初めて、「授業から評価まで」一通りつながった流れを作成し、説明する機会を与えられました。そのときに、ルーブリックを用いることによって、学びの意義や学びの方法を明確に意識できるようになるものと感じたのです。
 ルーブリックは「その評価規準を明確に示すことができる」ことが最大の魅力です。それを学ぶ人が、「どのように学べばいいのか」すなわち「そこでの学びの道」「そこでの学び方」を示すことになります。私たち教師が、学ぶ人に対して学び方を明示できる強力な手段であるということになります。
「ここがポイントだ」「これを覚えればいい」という暗記中心で終わることができないからこそ、ルーブリックは学びの方向性を示すものとして、非常に重要な役割を担うものと感じています。
 とはいえ、作成に時間がかかりとても導入できないと感じる方も多いのではないかと思います。ここでは、私個人の作成時の意識とポイントを伝えさせていただこうと思います。

(5)ルーブリックへの心配とその克服
 作成のポイントを示す前に、よく言われる一つの危惧について言及しておきます。
「ルーブリックにあること以上のことの評価ができない」「ルーブリックにあること以上のことをしなくなるのではないか」この二つの話をよく聞きます。
 そこまでご理解いただいているのであれば、その方には、もうそれで充分に対処の方法はみえていることと思われます。その上位のことをも配慮したルーブリックを作成すればいいのです。あるいは、示したルーブリックを超えたものにはさらに上位の評価を与える旨を明記すればいいのではないでしょうか。そこは臨機応変に対応すればいいと考えています。

(6)具体的なルーブリックのつくり方~小さく・細かく
 IB(インターナショナル・バカロレア)のルーブリックなどをみるとあまりにもきっちりできているので、それを真似しようとするとあまりにも重く感じつくれなくなってしまうかもしれません。
ご自分でつくるときはその目的をはっきりさせた上で、小さくつくることが肝要です。そして、一回目で完璧なものをつくろうと考えずに、少しずつ完成させていくつもりでいきましょう。そして、ルーブリックの目的によってルーブリックをつくり分けるようにしていきましょう。
私自身は、
①通常授業用(自己評価と授業評価)
②発表時用(自己評価、他者評価、教員などによる評価)
③定期考査用
④レポート用、など分けて作成しています。
特に、試験用ルーブリックは、問題とともに細かく分けて作成することをお奨めします。例えば、20問100点満点とすれば、1問5点となります。1問について一つまたは二つの評価規準を示し、段階をつくります。そして、基準表を作成します。
初めは3段階がいいでしょう。3段階であれば採点するときもほとんどぶれることはありません。

(7)ルーブリックの「本質」
 「できるだけ先に明示する」「利用の場によって分けて作成する」ということが大切なことと考えて作成しています。
 学ぶ側にとっては、ルーブリックを用いることにより、学びの方向性や学び方を示されることになります。すなわち、自分自身の「学び方」を身につける道筋を示されるものがルーブリックといえます。当に、これからの学びの方向性を示す形成的評価の中心としての役割をするものといえるでしょう。

 なお、今年も産業能率大学の「授業力向上セミナー」で、このテーマを取り上げる予定ですので、産業能率大学のホームページをご参照ください。

執筆者 元公立中学校教諭 奧田 修一郎

私は、パフォーマンス課題とか評価論の研究者ではありませんし、現場からも離れていますので、実践者でもありません。
そのため、杉田先生の論考を受けて何か書くことは、とてもできることではありません。ただ、全くの私見ということであれば、普段考えていることを、独り言のように呟くことができるのではないかと、パソコンに向き合っています。

1 評価はもらってうれしいもの
 評価は教師にとっては楽しいものであり、生徒にとってはもらってうれしいものです。
おっと待ってくれ!「評価」「成績」「テスト」は不快で面倒な言葉じゃないか!という声が聞こえてきそうです。教師は、生徒は何ができなかったか、ここまでしか到達していなかったかを、判定する人でないのか?
確かに、テストをし、成績を出すということが学期末に控えていると、「楽しいもの」なんて、悠長なことは言っていられませんよね。でも、評価することは、生徒が自らの成果(パフォーマンス)を発揮するのを助けることと考えてもいいのではないでしょうか。教師は、これまでの紆余曲折の生徒の学びに一喜一憂し、生徒は教師の言葉に励まされて、一歩前進む!なんていうイメージです。理想過ぎるぞという声がさらに大きくなりそうですが。

2 ルーブリック評価がすべて?
 評価については、評価と学び(指導)の一体化が言われ続けてきました。つまり、評価の目的は、教師の教え方と学び方を改善することにあるというものです。
評価は、教師が明確な到達目標や評価基準を設定し、生徒がその基準の意味を理解できるようにし、授業の目標を達成した、またはしていないかどうかを、自分自身で形成的に評価しながらフィードバックすることで、目的を果たします。そのためには、生徒が教師の設定した到達目標や目安の理解できるように、ゴールに向かうように、助ける必要があります。
この場合、ルーブリックはとても大切な評価ツールになるのですが、すべての課題にルーブリックを作成しようとすると、杉田先生が書いておられるように、不必要な時間がかかってしまうわけです。そのため、評価は、自己評価、相互評価、ポートフォリオ、チェックリストなど、いろいろな場面で方法をかえながら、行う方がいいように思います。時には、チェックリストで十分な時だってあります。評価疲れしないことです。また、評価ということであれば、地域社会、企業、学術的研究などの現実社会からの評価がとても有効であることを多くの実践で確かめられてきていますよね。

3 パフォーマンス課題と永続的理解
 明確な基準を設定し、生徒がそれを達成できるように支援することは、その基準そのものが、課題にとって意味のある場合、あえてそもそも論でいうと、課題そのものが学ぶ意味のある場合のみに意義があると言ってしまうのは言い過ぎでしょうか。
パフォーマンス課題とは「リアルな文脈の中で、様々な知識やスキルを使いこなすことを求めるよう課題、具体的には、レポートや新聞といった完成作品や、プレゼンテーションや実験のプロセスなど実演を評価する課題」(西岡加名恵)こととされています。また、質のよいパフォーマンス課題は、いろんな場面で役立つ内容、大人になっていつも覚えてほしい理解につながっているのか、また、学問の中核部分の永続的理解(原理や一般化)ができているかどうかを評価するためのものになっているかが問われます。
授業レベルで話しをすると、まず、公民の授業で理解させたい原理や一般化、もしくは考え方を、教師が明確にします。次に単元を通した「本質的な問い」を考えてゆき、各授業時間の主発問を設定するという逆向きの設計でしょうか。

具体例にお話します。昨年、小学校・中学校の授業をお手伝いさせてもらい、「水の行方」という授業を展開しました。この授業での永続的理解は、「水は循環している」こと掴ませたいというものにしました。
そのため、水の授業では、「飲料水の確保」というアプローチがとられていますが、「再生水利用と水質の改善」という視点から、カリキュラムをつくれないかを考えました。
具体的な学習課題としては、
「どこからが排水、どこからが廃水?」
「再生水はどこに流され、どのように利用されている?」
「宇宙ステーションの水利用はどうなっている?」
「自分の町の下水道は、分流式それとも合流式?」
「豪雨時、町を浸水から守るために行っていることは?」
「船の乗組員の水は、どのように確保している?」などです。
その授業のある時間に入らせてもらったのですが、子どもがこんなことをブツブツ言っていたのです。
「じゃあ、恐竜のおしっこをオレら飲んでいるんや」と。このつぶやきをどう思われますか。
 
中学校社会科公民的分野では、どんな永続的理解を考えていけばいいのでしょうか。実践は多くこれまでも出されてきたので、あえて提案することもないのですが、カリキュラムの面で少し考えてみたい枠組みがあります。
それは、「歴史的に見ても、現代もいろんな所や場面で対立があります。実際に対立をどのように対処・解決し、さらに対立が残る場合にはどうしたらいいのかを考えていきましょう」という大きな括りです。
ただ、どんな論争問題が適切かは、学ぶ子どもたちのリアルな文脈が大切にされる必要があります。というのも、事前知識がないところでは学びが成立しにくいと考えるからです。

4 「探究する」ということ
 「探究」が中高で今後はもとめられるのですよね。では、「探究」とは何かです。
学習指導要領も踏まえて、あえて定義すると、「探究とは、意味のある問いを示し、情報を見つけ、整理・分析し、結論を導き、可能性のある解決策を対話的に考えるプロセスのこと」としておきます。
しかし、子どもははじめから探究していく上で必要なスキルや知識は持ち合わせていないわけです。
そのために、まず求められるのが、教師によって生徒が課題に興味を持つように仕向けていくことですよね。これは、河原和之先生が取り組んでこられたネタ研の真骨頂の部分だと思います。

次に求められるのが、子どもへのはげましです。
面白いと思っても、やる気は長くは続かないのが、学びの姿としてよくあることです。はげましは、教師だけでなく、仲間や保護者、地域の方、実社会現場の人などからあるといいでしょう。
私がよく行っていたのは、カンファランスと言いたいですが、ほとんどカウンセリングでした。
それともう1つ!探究する手順を示すこと、または探究のモデル、中学生だったら高校生、かつての先輩のやってきたことがあると、前に進みやすくなります。

5 最後に「学びに向かう力」「主体的な学び」について
 新学習指導要領では、4観点から3観点になり、「関心・意欲・態度」が「主体的に学習に取り組み態度」に変わったことは周知の通りです。
また、この主体的な学びの評価は、これまでの関心・意欲に加えて、「粘り強く取組を行うとする側面」「自らの学習を調整しようとする側面」から、学びの姿を見取ろうというものです。
ここで考えておきたいのは、粘り強く取り組む態度だけを注目しても、その力の十分な育成にはつながらないということです。
「探究」にはある期間がどうしても必要です。この長距離(マラソン)を走るには、学習者は教師・仲間のはげましを受け、自己の振り返りから自分を知り、他者に思いをはせながら、示されたモデルからイメージしたゴールに向かって、できれば楽観的に!走る必要があります。
教師は教師で走り(学び)の中で、認知と非認知という2つのスキルがどう育成されているのかを見取り、子どもたちにその都度、フィードバックしていく必要があります。
この時、教師はどこにいるのでしょうか。伴走者として寄り添い、勝負どころの沿道脇でエールを送り、ゴール付近のラストスパートをきかす地点で、声を枯らしている。そんな姿でしょうか。

(メルマガ 148号から転載)

執筆者 千葉県立津田沼高等学校 杉田 孝之

(1)評価研究のきっかけは突然に
 ついに私も定年まで残りあと数年となった。
そんな私が、定年までの課題を、評価と授業の質的研究とした。
きっかけは二点である。新学習指導要領で導入される三観点評価への対応を考えなければならない外的事情もあったが、残された時間の最後の最後まで、自らの授業を改善させ、生徒にとって学びがいがある時間を提供してゆきたいと思ったからである。そのためには私自身が評価に向き合う必要があると考えたのである。
 もう一つは、ある学会のプロジェクトで、モデル授業を開発し、この授業の単元に関するルーブリックも作成せよとの課題を受け取ったことである。私は単元全体のルーブリックを作成したが、ルーブリックの書きぶりが今一歩はっきりせず、これではダメだ、もっときちんと評価と向き合わなければと思ったことである。
その過程で、参考文献に記した現在は富山県氷見市で活動されている吉田英文氏の研究との出会いと学び合いがあったことも大きい。

(2)学校現場は評価ばかりに時間をつぎ込めない
 評価を自らの授業設計に導入し、授業改善の資とするために、まずは、学期に1回程度のルーブリックを作成することを目標とした。
毎回作成しないという目標を立てたのは理由がある。
現場は常に時間に追われており、評価研究ばかりでは他に影響が出る。例えば、読書や活字に向き合う時間の確保である。確保した時間での読書や、新聞を毎日眺めながら、生徒にとって学びがいがある授業設計をしなければならない。
 ルーブリック、パフォーマンス評価などの評価はあくまでも生徒の学習意欲を上げるための道具であり、その道具を使って授業改善がはかることが最大の目的だ。
教科教育の先進校である附属高ではなく、普通の公立高校で、平均的な教員ならば誰でもルーブリックを作成できるような環境が望ましいが、その環境作りは簡単なものではないからである。
つまり、評価研究ばかりに限られた研究時間をつぎ込まない姿勢が必要なのである。
結局、2020年度は、1学期に1回、2学期に2回、計3回(一年必修の「現代社会」の経済概念、働き方改革の単元、三年理系選択「現代社会」のいのちの授業の時間)のルーブリック作成にとどまったが、さしあたりは、それでも十分と考えている。

(3)ルーブリックづくりの難しさ
 ルーブリックを作成して気づいた一番大きなことは、私自身がルーブリックの作法すら理解していなかったことが分かったということである。
大変お恥ずかしい話で恐縮だが、今まで高等学校の授業実践で評価を語ること、研究会で議論することにほとんど意義がないと考えていたつけが回ったのである。
 周知のことと思うが、ルーブリックとは、多様な生徒の作品を採点する指針、評価基準と定義される。
ルーブリックは、数段階の「尺度」とこの尺度に示された評点、標語に対応するパフォーマンスの特徴を示した「記述語」からなりたっている。
 新学習指導要領における三観点の評価でも、ルーブリックを作成する際、この記述語の設定が難しい。特に難しいのは、学びに向かう人間性の記述語である。
例えば、知識・技能では、十分満足とする「尺度」を測る記述語として「…を複数挙げ、説明している」等、量的にルーブリックの記述語を作成することは比較的簡単にできる。
思考・判断・表現についても、「…を活用して、複数の事例を挙げて、根拠を述べながら判断している」等、量的な記述語であれば、比較的簡単に記述できる。
 しかしながら、量的評価ばかりでは、質的評価としての完成度はまだ低いと言わざるを得ない。学びに向かう人間性を評価するために、作品やパフォーマンスなどの特徴をいかした記述語はどうあるべきかの研究が欠かせないし、十分とは言えないからである。
さらに新学習指導要領の目的に合致させるためにも、評価用語である「多面的・多角的」の言葉の定義を、生徒に伝える必要もある。
ルーブリックを作成する過程で気づいたのだが、「現代社会」などで、「多角的」に関しては、異なる立場から分析させられるが、問題は「多面的」である。どのような「…面」を想定し、考えさせるのかが、意外にも難しかった。

(4)変化はまず学習指導面に現れた
 ルーブリックを活用して実践する授業では、単元の最初にルーブリックを予め生徒に提示し、生徒にどのパフォーマンスに対し、ルーブリックを作成したのかを伝達する必要がある。
 つまり、単元の終了後に、作品(レポート)を評価するので、それを予め理解した上で、単元全体の授業に参加しろと指導するのである。
ルーブリックを用いた評価は、単元全体の評価で活用しても問題ないが、作品や発表などのパフォーマンスの評価のみでもOKであり、むしろルーブリック初心者にはそれが望ましいのではなかろうか。  

(5)レポートの量と質が変わる
 ルーブリックを作成することで、私自身が評価規準(学習目標)、学習内容の設定、この2点をうまくストーリー立てて指導するための総括(成果と課題)がしやすくなったと実感している。
それを反映して、生徒も、いわば学習目標を忖度しながらレポートを書くので、レポートの量が格段に増えた。
なかでも、経済概念を活用して自らの生活が変化した、視野を広げられた等とコメントし、具体的な変化をも記述する生徒が、昨年度のルーブリックを作成せずに求めた同単元のレポートより格段に増えたのである。
つまり、生徒も評価規準(目標)と評価基準(スケール=尺度)がはっきりして、予め評価が提示されるので、学習内容と向き合いやすかったので、量と質の面での、この成果がえられたのではと考えられる。

(6)量から質への課題
 これだけだとサクセスストーリーで「授業が変わった、生徒も変わった」であるが、ルーブリックでの評価には危険性も伴うと考えている。
第1に、過度にルーブリックに対し生徒を忖度させると、特に学びの主体である生徒の自由な学びが、ルーブリックの範囲内でしか、身につかない可能性がある。
第2に、評価の三観点の「学びに向かう人間性」などは、まさに授業者に対し、過度に忖度する主体性を育むリスクを持っているのではないかと危惧する面もある。
第3に、作品やパフォーマンス評価にしろ、生徒を評価する営みは、推薦入試などの評定を通して、生徒の将来に直接影響を与える影響がないとは言えない。
これらの危惧にもかかわらず、先にも触れたが、むしろ評価する側である私自身が、評価基準/規準の設定や問いの設定など、評価と向き合い、ルーブリックを作成したことによって、さらに授業が改善しつつあることを実感していることは事実である。
普通の公立高校でもルーブリック作成が日常化し、学習目標や学習内容、評価基準の量的、質的な記述語が提示されれば、生徒から授業者側が想定しなかった新たな「問い」や質の高い学びが生まれる可能性も考えられる。
そのためにも、これからもルーブリックを作成し記述語の完成度をさらに高め、生徒一人ひとりの学びに目が行き届く、授業改善を追求してゆきたいと考えている。

 参考:吉田英文(2009)「社会科におけるパフォーマンス評価と形成的支援-ルーブリック作成過程の分析を中心に-」日本社会科教育学会第59回全国研究大会発表資料

(メルマガ 147号から転載)

執筆者  大阪市立東三国小学校 安野 雄一

(1)はじめに
 初任校は私立の中高一貫校、その後は大阪市立中学校、大阪市立小学校へと流れつき、大阪教育大学附属平野小学校での勤務を経て、現在に至ります。
小・中・高の学校種、国・公・私立の学校を経験してきて、各学校種で授業づくりなどについて、「ここはちがう」ということは多少ありました。
そのほとんどは当然のことながら、子どもたちの発達段階によるものだと考えられます。しかし、「ここは不易だ」と感じる部分も多くありました。
今回は、どの学校種でも共通して言える、日々の授業づくりなどで「できそうなこと」についてご紹介させていただきたいと思います。

(2)出口を見据えて,未来の子どもの姿を思い描く
 「未来、子どもたちがどのような人になってほしいか」「どんな力をつけていってほしいか」。そこを思い描くところからが授業づくりのスタートです。未来と一口に言っても、想定するスパンによって、その一時間の授業の位置づけは変わってくると思われます。それぞれのスパンで、子どもたちがどのような力をつけていたらよいかということを思い描くことが大事です。
私自身は「様々な状況下において、価値判断・意思決定したことをもとに、よりよい未来を切り拓いていく力」を、目の前にいる子どもたちに身に付けてもらえたらと思い、日々の授業づくりをしています。
これは、中学校や高等学校に勤務していた時も土台としてもっていました。

その中で、小学校と中学校・高等学校との大きな違いは、「出口への責任」という部分が大きいと考えられます。「入試」です。次の学校種への進学に向けて、子どもたちが乗り越えていかなければならない試練です。
最近の「入試」の傾向を捉えてみると、「知識・技能」に重きが置かれていたところから、世の流れは「思考力・判断力・表現力」をどう評価するかというところにシフトしていっているように感じられます。以前は「記述式だけれども、これは知識・技能の力を測っているよね」という問題が多かったのですが、ここからの脱却が図られているのだと思います。
身に付けた「知識・技能」を使って、どのように「思考・判断・表現」するのか、その力をどのように身に付けられるような授業づくりをしていくのかということが重要だと考えられます。

(3)単元を単位に考え、各分野の関連をこころにとめる
 一つ一つの単元の内容について、計画カリキュラムを立てる段階で、学習指導要領や教科書などをもとに、子どもたちが習得しておくべき見方・考え方、学習内容の詳細について整理し、大枠を捉えておくとよいとでしょう。
その上で、単元を貫いて価値判断・意思決定していくように単元を設計すると、徐々に多面的・多角的に俯瞰して対象を見つめ、自分なりに価値判断・意思決定をしていく素地の育成に繋がるものと考えられます。
様々な見方・考え方、学習内容を習得しながら単元学習を進めていき、単元末で、様々な視点、面から対象を俯瞰して見つめ直し、価値判断し、よりよい未来を創っていくためにどうしていくべきかと、思考を進めていくようにします。
これは、単元末までに習得してきた「知識・技能」をもとに、「思考・判断・表現」する学びへと繋げていく単元設計をベースにしていくとよいのではないかという提案です。
また、これは、中学校や高等学校で教鞭をとられている先生方や生徒にとっても気になる所である、「入試」の変容にも対応できる内容ではないかと考えられます。

 ここまでは、各単元の設計について述べてきました。その社会科学習における各単元での学びは、よくよく考えてみるとほぼ必ず「政治的分野」・「経済的分野」の事象との関係が認められると言えるでしょう。
歴史的分野の学習では、物々交換をしていた時代から、貨幣に代わるものが生まれ、貨幣が生みだされ使われるようになってきたそのこと自体が「経済的分野」と関連があります。政治でも、その時々の地域や国全体の状況を踏まえて、様々な経済に関する政策が行われています。
地理的分野の学習でも、農業や工業などの生産活動やその流通、国や地域の財政、情報など、「経済的分野」と深いつながりのある学習内容が目白押しです。
そのことを意識しながら、その政策や諸活動の一つ一つの社会全体における「価値」にまで思考を巡らせていき、単元末で総合的に俯瞰して価値判断・意思決定するようにしていけば、自分なりの見方・考え方、思考を組み上げていく経験を積むことができるでしょう。
単元を貫いて価値判断し続ける項目の設定が困難な場合は、その一時間で取り扱う事象について、単発で価値判断するだけでも十分だと思います。

(4)アクティブな思考を育てる評価と情報収集の方法
 子どもたちがどのようなことに興味をもっているのか、また、どんな学び方をしたいのかを捉えるために、「ふりかえりシート」などへの記述や対話による評価を有効に使うとよいと考えます。
これにより、「学びの必然性」に寄り添った形に、計画カリキュラムを修正しながら、単元の学習を進めていくようにすると、子どもたちの思考はよりアクティブになると考えられます。

その際、時事ネタの提示が重要になるケースが多くあります。状況に応じた資料の提示をするためには、日ごろからの教材研究がかなり重要になってきます。
 小学校に勤務する私自身は、日々届く新聞や雑誌をスキャンしてデータとして取り込み、PCで「地域経済」「財政」「国際情勢」「工業」「農業」「流通」「情報」などのキーワード別のフォルダに分けて整理し、保存しています。ですので、子どもたちのニーズに合った資料を選択し、提示しながら学びを進めていくことができます。
これは中学校や高等学校に勤務されてらっしゃる先生方も使えるかと思います。
これらの時事ネタは、中高の先生方にとって大きな「入試」対策にもなるのではないでしょうか。「時事問題をもとに、価値判断・意思決定をし、未来に向けて大切なことを考える」… 社会科学習にとって、とても重要なことであると考えます。

(5)さいごに
 小学校・中学校・高等学校の各学校種で勤務してきましたが、どの学校種においても、「未来を創っていく子どもたちを育んでいく」という土台は変わらないと思います。子どもたちが未来を切り拓いていく際に、「経済的分野」について知り、思考することは、切っても切り離せないものだと言い切れます。

「経済的分野」を意識しながら、一時間一時間の社会科学習の中で見方・考え方の枠を広げつつ価値判断し続け、最終的に対象を俯瞰して全体像を捉えなおして価値判断する。そして、よりよい未来について思考を進めていく。
社会科の授業づくりの在り方の一つとして提案をさせていただきましたが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

(メルマガ 146号から転載)