執筆者 茨城県立並木中等教育学校講師・法政大学兼任講師 藤牧 朗

 前々号、前号と、お二人の先生方の論考を読ませていただきました。そこで、自分が常に考えている「これからを生きる生徒のための授業」のことを思いました。そして、その教育を進めていこうと同じように考えていらっしゃる先生方と「授業と評価の一体化」について無理なく自然体でいっしょに進めていきたいと強く感じたところです。

(1)評価すること
私は、率直に言って、「評価をする」ということがとても苦痛でなりません。こういうと、「評価を苦痛と感じるなんて、教師失格だ!」と言われてしまうかもしれません。
しかし、そこには大きく分けて二つの意味が含まれています。一つは、同じ人間として自分が「他人を評価することが適切なのか」という、いわゆる一般的な意味です。
そして、もう一つは、それぞれの事項(教科科目ならその教科科目のそのとき指定の範囲)において、そこで用いるそれぞれの評価方法が適正なのかどうか悩んでしまう、ということです。
つまり、試験であるならば、もともとその試験における出題方法や解答方法などそれぞれが、その指定の範囲の評価をするのに公正で適正なものであるのかどうかです。また、ある事柄の「知識や解き方を訊く問題に正しく答えられるかどうか」ということを測定できたからといって、その項目を「理解しているかどうか」を評価できると本当に言えるかどうか、ということです。

(2)「授業-試験-評価」の一体的改革の試み
従来の知識事項の確認中心の学習及びそれに応じた試験では、学び方も受験勉強の方法も、そして評価の仕方も、多くの生徒も受験生も出題者もお互いに暗黙の了解があり、迷うことなく学習を進め試験を行いそして評価者も迷いなく「評価」を行ってきたことと思います。
 しかしながら、情報知識基盤社会と言われるようになり、学び方も社会構成主義の立場から語られるようになってきました。そして、新しい学習指導要領にはっきりとした表現で示されることにより、従来の知識を問うことに重きを置いた試験や授業のままで済ましていくことは難しくなってきました。
 そこで、当時担当していた中学社会科公民分野、高等学校「政治・経済」と「現代社会」において、授業の改善とそれに合わせた定期考査の出題方針の変更を同時に行いました。これは、私自身にとっての「授業―試験―評価」の一体的改革でした。

(3)全員参加型の授業へ
 理科を担当していたときは、実験という方法で「生徒がアクティブに参加する授業」ができていましたが、社会科、特に公民科では生徒受け身になってしまいがちです。そこで、自分自身が関わっていた獲得型教育研究会で身につけた理論と「演劇的手法」を積極的に取り入れ、全員参加型の授業設計を行いました。
その結果、授業における生徒の様子は大きく変わりました。そうなると、その授業とその授業で身につけることの評価規準もおのずから変わってゆきます。定期試験の形式も、短答式の事項を答えるものや選択式の問題はなくして、すべて文章や図などで説明する形式のものとしました。
このような形式変更を行うことにより、私が担当する授業でどのような学びを行い、どのような力をつけて欲しいのかを示していきました。しかし、この段階では、その意味を読みきれない生徒が多く存在したことは否定できないことにも気づきました。また、試験終了後試験返却時に、自分の答案の得点に納得がいかず「質問」に来る生徒が少なからずいました。
「どうにかしなければならない…」

(4)ルーブリックが使える
 そのような中、たまたま森朋子先生(当時島根大学、現桐蔭学園)の授業を受ける機会を得ました。そこで初めて、「授業から評価まで」一通りつながった流れを作成し、説明する機会を与えられました。そのときに、ルーブリックを用いることによって、学びの意義や学びの方法を明確に意識できるようになるものと感じたのです。
 ルーブリックは「その評価規準を明確に示すことができる」ことが最大の魅力です。それを学ぶ人が、「どのように学べばいいのか」すなわち「そこでの学びの道」「そこでの学び方」を示すことになります。私たち教師が、学ぶ人に対して学び方を明示できる強力な手段であるということになります。
「ここがポイントだ」「これを覚えればいい」という暗記中心で終わることができないからこそ、ルーブリックは学びの方向性を示すものとして、非常に重要な役割を担うものと感じています。
 とはいえ、作成に時間がかかりとても導入できないと感じる方も多いのではないかと思います。ここでは、私個人の作成時の意識とポイントを伝えさせていただこうと思います。

(5)ルーブリックへの心配とその克服
 作成のポイントを示す前に、よく言われる一つの危惧について言及しておきます。
「ルーブリックにあること以上のことの評価ができない」「ルーブリックにあること以上のことをしなくなるのではないか」この二つの話をよく聞きます。
 そこまでご理解いただいているのであれば、その方には、もうそれで充分に対処の方法はみえていることと思われます。その上位のことをも配慮したルーブリックを作成すればいいのです。あるいは、示したルーブリックを超えたものにはさらに上位の評価を与える旨を明記すればいいのではないでしょうか。そこは臨機応変に対応すればいいと考えています。

(6)具体的なルーブリックのつくり方~小さく・細かく
 IB(インターナショナル・バカロレア)のルーブリックなどをみるとあまりにもきっちりできているので、それを真似しようとするとあまりにも重く感じつくれなくなってしまうかもしれません。
ご自分でつくるときはその目的をはっきりさせた上で、小さくつくることが肝要です。そして、一回目で完璧なものをつくろうと考えずに、少しずつ完成させていくつもりでいきましょう。そして、ルーブリックの目的によってルーブリックをつくり分けるようにしていきましょう。
私自身は、
①通常授業用(自己評価と授業評価)
②発表時用(自己評価、他者評価、教員などによる評価)
③定期考査用
④レポート用、など分けて作成しています。
特に、試験用ルーブリックは、問題とともに細かく分けて作成することをお奨めします。例えば、20問100点満点とすれば、1問5点となります。1問について一つまたは二つの評価規準を示し、段階をつくります。そして、基準表を作成します。
初めは3段階がいいでしょう。3段階であれば採点するときもほとんどぶれることはありません。

(7)ルーブリックの「本質」
 「できるだけ先に明示する」「利用の場によって分けて作成する」ということが大切なことと考えて作成しています。
 学ぶ側にとっては、ルーブリックを用いることにより、学びの方向性や学び方を示されることになります。すなわち、自分自身の「学び方」を身につける道筋を示されるものがルーブリックといえます。当に、これからの学びの方向性を示す形成的評価の中心としての役割をするものといえるでしょう。

 なお、今年も産業能率大学の「授業力向上セミナー」で、このテーマを取り上げる予定ですので、産業能率大学のホームページをご参照ください。

執筆者 元公立中学校教諭 奧田 修一郎

私は、パフォーマンス課題とか評価論の研究者ではありませんし、現場からも離れていますので、実践者でもありません。
そのため、杉田先生の論考を受けて何か書くことは、とてもできることではありません。ただ、全くの私見ということであれば、普段考えていることを、独り言のように呟くことができるのではないかと、パソコンに向き合っています。

1 評価はもらってうれしいもの
 評価は教師にとっては楽しいものであり、生徒にとってはもらってうれしいものです。
おっと待ってくれ!「評価」「成績」「テスト」は不快で面倒な言葉じゃないか!という声が聞こえてきそうです。教師は、生徒は何ができなかったか、ここまでしか到達していなかったかを、判定する人でないのか?
確かに、テストをし、成績を出すということが学期末に控えていると、「楽しいもの」なんて、悠長なことは言っていられませんよね。でも、評価することは、生徒が自らの成果(パフォーマンス)を発揮するのを助けることと考えてもいいのではないでしょうか。教師は、これまでの紆余曲折の生徒の学びに一喜一憂し、生徒は教師の言葉に励まされて、一歩前進む!なんていうイメージです。理想過ぎるぞという声がさらに大きくなりそうですが。

2 ルーブリック評価がすべて?
 評価については、評価と学び(指導)の一体化が言われ続けてきました。つまり、評価の目的は、教師の教え方と学び方を改善することにあるというものです。
評価は、教師が明確な到達目標や評価基準を設定し、生徒がその基準の意味を理解できるようにし、授業の目標を達成した、またはしていないかどうかを、自分自身で形成的に評価しながらフィードバックすることで、目的を果たします。そのためには、生徒が教師の設定した到達目標や目安の理解できるように、ゴールに向かうように、助ける必要があります。
この場合、ルーブリックはとても大切な評価ツールになるのですが、すべての課題にルーブリックを作成しようとすると、杉田先生が書いておられるように、不必要な時間がかかってしまうわけです。そのため、評価は、自己評価、相互評価、ポートフォリオ、チェックリストなど、いろいろな場面で方法をかえながら、行う方がいいように思います。時には、チェックリストで十分な時だってあります。評価疲れしないことです。また、評価ということであれば、地域社会、企業、学術的研究などの現実社会からの評価がとても有効であることを多くの実践で確かめられてきていますよね。

3 パフォーマンス課題と永続的理解
 明確な基準を設定し、生徒がそれを達成できるように支援することは、その基準そのものが、課題にとって意味のある場合、あえてそもそも論でいうと、課題そのものが学ぶ意味のある場合のみに意義があると言ってしまうのは言い過ぎでしょうか。
パフォーマンス課題とは「リアルな文脈の中で、様々な知識やスキルを使いこなすことを求めるよう課題、具体的には、レポートや新聞といった完成作品や、プレゼンテーションや実験のプロセスなど実演を評価する課題」(西岡加名恵)こととされています。また、質のよいパフォーマンス課題は、いろんな場面で役立つ内容、大人になっていつも覚えてほしい理解につながっているのか、また、学問の中核部分の永続的理解(原理や一般化)ができているかどうかを評価するためのものになっているかが問われます。
授業レベルで話しをすると、まず、公民の授業で理解させたい原理や一般化、もしくは考え方を、教師が明確にします。次に単元を通した「本質的な問い」を考えてゆき、各授業時間の主発問を設定するという逆向きの設計でしょうか。

具体例にお話します。昨年、小学校・中学校の授業をお手伝いさせてもらい、「水の行方」という授業を展開しました。この授業での永続的理解は、「水は循環している」こと掴ませたいというものにしました。
そのため、水の授業では、「飲料水の確保」というアプローチがとられていますが、「再生水利用と水質の改善」という視点から、カリキュラムをつくれないかを考えました。
具体的な学習課題としては、
「どこからが排水、どこからが廃水?」
「再生水はどこに流され、どのように利用されている?」
「宇宙ステーションの水利用はどうなっている?」
「自分の町の下水道は、分流式それとも合流式?」
「豪雨時、町を浸水から守るために行っていることは?」
「船の乗組員の水は、どのように確保している?」などです。
その授業のある時間に入らせてもらったのですが、子どもがこんなことをブツブツ言っていたのです。
「じゃあ、恐竜のおしっこをオレら飲んでいるんや」と。このつぶやきをどう思われますか。
 
中学校社会科公民的分野では、どんな永続的理解を考えていけばいいのでしょうか。実践は多くこれまでも出されてきたので、あえて提案することもないのですが、カリキュラムの面で少し考えてみたい枠組みがあります。
それは、「歴史的に見ても、現代もいろんな所や場面で対立があります。実際に対立をどのように対処・解決し、さらに対立が残る場合にはどうしたらいいのかを考えていきましょう」という大きな括りです。
ただ、どんな論争問題が適切かは、学ぶ子どもたちのリアルな文脈が大切にされる必要があります。というのも、事前知識がないところでは学びが成立しにくいと考えるからです。

4 「探究する」ということ
 「探究」が中高で今後はもとめられるのですよね。では、「探究」とは何かです。
学習指導要領も踏まえて、あえて定義すると、「探究とは、意味のある問いを示し、情報を見つけ、整理・分析し、結論を導き、可能性のある解決策を対話的に考えるプロセスのこと」としておきます。
しかし、子どもははじめから探究していく上で必要なスキルや知識は持ち合わせていないわけです。
そのために、まず求められるのが、教師によって生徒が課題に興味を持つように仕向けていくことですよね。これは、河原和之先生が取り組んでこられたネタ研の真骨頂の部分だと思います。

次に求められるのが、子どもへのはげましです。
面白いと思っても、やる気は長くは続かないのが、学びの姿としてよくあることです。はげましは、教師だけでなく、仲間や保護者、地域の方、実社会現場の人などからあるといいでしょう。
私がよく行っていたのは、カンファランスと言いたいですが、ほとんどカウンセリングでした。
それともう1つ!探究する手順を示すこと、または探究のモデル、中学生だったら高校生、かつての先輩のやってきたことがあると、前に進みやすくなります。

5 最後に「学びに向かう力」「主体的な学び」について
 新学習指導要領では、4観点から3観点になり、「関心・意欲・態度」が「主体的に学習に取り組み態度」に変わったことは周知の通りです。
また、この主体的な学びの評価は、これまでの関心・意欲に加えて、「粘り強く取組を行うとする側面」「自らの学習を調整しようとする側面」から、学びの姿を見取ろうというものです。
ここで考えておきたいのは、粘り強く取り組む態度だけを注目しても、その力の十分な育成にはつながらないということです。
「探究」にはある期間がどうしても必要です。この長距離(マラソン)を走るには、学習者は教師・仲間のはげましを受け、自己の振り返りから自分を知り、他者に思いをはせながら、示されたモデルからイメージしたゴールに向かって、できれば楽観的に!走る必要があります。
教師は教師で走り(学び)の中で、認知と非認知という2つのスキルがどう育成されているのかを見取り、子どもたちにその都度、フィードバックしていく必要があります。
この時、教師はどこにいるのでしょうか。伴走者として寄り添い、勝負どころの沿道脇でエールを送り、ゴール付近のラストスパートをきかす地点で、声を枯らしている。そんな姿でしょうか。

(メルマガ 148号から転載)

執筆者 千葉県立津田沼高等学校 杉田 孝之

(1)評価研究のきっかけは突然に
 ついに私も定年まで残りあと数年となった。
そんな私が、定年までの課題を、評価と授業の質的研究とした。
きっかけは二点である。新学習指導要領で導入される三観点評価への対応を考えなければならない外的事情もあったが、残された時間の最後の最後まで、自らの授業を改善させ、生徒にとって学びがいがある時間を提供してゆきたいと思ったからである。そのためには私自身が評価に向き合う必要があると考えたのである。
 もう一つは、ある学会のプロジェクトで、モデル授業を開発し、この授業の単元に関するルーブリックも作成せよとの課題を受け取ったことである。私は単元全体のルーブリックを作成したが、ルーブリックの書きぶりが今一歩はっきりせず、これではダメだ、もっときちんと評価と向き合わなければと思ったことである。
その過程で、参考文献に記した現在は富山県氷見市で活動されている吉田英文氏の研究との出会いと学び合いがあったことも大きい。

(2)学校現場は評価ばかりに時間をつぎ込めない
 評価を自らの授業設計に導入し、授業改善の資とするために、まずは、学期に1回程度のルーブリックを作成することを目標とした。
毎回作成しないという目標を立てたのは理由がある。
現場は常に時間に追われており、評価研究ばかりでは他に影響が出る。例えば、読書や活字に向き合う時間の確保である。確保した時間での読書や、新聞を毎日眺めながら、生徒にとって学びがいがある授業設計をしなければならない。
 ルーブリック、パフォーマンス評価などの評価はあくまでも生徒の学習意欲を上げるための道具であり、その道具を使って授業改善がはかることが最大の目的だ。
教科教育の先進校である附属高ではなく、普通の公立高校で、平均的な教員ならば誰でもルーブリックを作成できるような環境が望ましいが、その環境作りは簡単なものではないからである。
つまり、評価研究ばかりに限られた研究時間をつぎ込まない姿勢が必要なのである。
結局、2020年度は、1学期に1回、2学期に2回、計3回(一年必修の「現代社会」の経済概念、働き方改革の単元、三年理系選択「現代社会」のいのちの授業の時間)のルーブリック作成にとどまったが、さしあたりは、それでも十分と考えている。

(3)ルーブリックづくりの難しさ
 ルーブリックを作成して気づいた一番大きなことは、私自身がルーブリックの作法すら理解していなかったことが分かったということである。
大変お恥ずかしい話で恐縮だが、今まで高等学校の授業実践で評価を語ること、研究会で議論することにほとんど意義がないと考えていたつけが回ったのである。
 周知のことと思うが、ルーブリックとは、多様な生徒の作品を採点する指針、評価基準と定義される。
ルーブリックは、数段階の「尺度」とこの尺度に示された評点、標語に対応するパフォーマンスの特徴を示した「記述語」からなりたっている。
 新学習指導要領における三観点の評価でも、ルーブリックを作成する際、この記述語の設定が難しい。特に難しいのは、学びに向かう人間性の記述語である。
例えば、知識・技能では、十分満足とする「尺度」を測る記述語として「…を複数挙げ、説明している」等、量的にルーブリックの記述語を作成することは比較的簡単にできる。
思考・判断・表現についても、「…を活用して、複数の事例を挙げて、根拠を述べながら判断している」等、量的な記述語であれば、比較的簡単に記述できる。
 しかしながら、量的評価ばかりでは、質的評価としての完成度はまだ低いと言わざるを得ない。学びに向かう人間性を評価するために、作品やパフォーマンスなどの特徴をいかした記述語はどうあるべきかの研究が欠かせないし、十分とは言えないからである。
さらに新学習指導要領の目的に合致させるためにも、評価用語である「多面的・多角的」の言葉の定義を、生徒に伝える必要もある。
ルーブリックを作成する過程で気づいたのだが、「現代社会」などで、「多角的」に関しては、異なる立場から分析させられるが、問題は「多面的」である。どのような「…面」を想定し、考えさせるのかが、意外にも難しかった。

(4)変化はまず学習指導面に現れた
 ルーブリックを活用して実践する授業では、単元の最初にルーブリックを予め生徒に提示し、生徒にどのパフォーマンスに対し、ルーブリックを作成したのかを伝達する必要がある。
 つまり、単元の終了後に、作品(レポート)を評価するので、それを予め理解した上で、単元全体の授業に参加しろと指導するのである。
ルーブリックを用いた評価は、単元全体の評価で活用しても問題ないが、作品や発表などのパフォーマンスの評価のみでもOKであり、むしろルーブリック初心者にはそれが望ましいのではなかろうか。  

(5)レポートの量と質が変わる
 ルーブリックを作成することで、私自身が評価規準(学習目標)、学習内容の設定、この2点をうまくストーリー立てて指導するための総括(成果と課題)がしやすくなったと実感している。
それを反映して、生徒も、いわば学習目標を忖度しながらレポートを書くので、レポートの量が格段に増えた。
なかでも、経済概念を活用して自らの生活が変化した、視野を広げられた等とコメントし、具体的な変化をも記述する生徒が、昨年度のルーブリックを作成せずに求めた同単元のレポートより格段に増えたのである。
つまり、生徒も評価規準(目標)と評価基準(スケール=尺度)がはっきりして、予め評価が提示されるので、学習内容と向き合いやすかったので、量と質の面での、この成果がえられたのではと考えられる。

(6)量から質への課題
 これだけだとサクセスストーリーで「授業が変わった、生徒も変わった」であるが、ルーブリックでの評価には危険性も伴うと考えている。
第1に、過度にルーブリックに対し生徒を忖度させると、特に学びの主体である生徒の自由な学びが、ルーブリックの範囲内でしか、身につかない可能性がある。
第2に、評価の三観点の「学びに向かう人間性」などは、まさに授業者に対し、過度に忖度する主体性を育むリスクを持っているのではないかと危惧する面もある。
第3に、作品やパフォーマンス評価にしろ、生徒を評価する営みは、推薦入試などの評定を通して、生徒の将来に直接影響を与える影響がないとは言えない。
これらの危惧にもかかわらず、先にも触れたが、むしろ評価する側である私自身が、評価基準/規準の設定や問いの設定など、評価と向き合い、ルーブリックを作成したことによって、さらに授業が改善しつつあることを実感していることは事実である。
普通の公立高校でもルーブリック作成が日常化し、学習目標や学習内容、評価基準の量的、質的な記述語が提示されれば、生徒から授業者側が想定しなかった新たな「問い」や質の高い学びが生まれる可能性も考えられる。
そのためにも、これからもルーブリックを作成し記述語の完成度をさらに高め、生徒一人ひとりの学びに目が行き届く、授業改善を追求してゆきたいと考えている。

 参考:吉田英文(2009)「社会科におけるパフォーマンス評価と形成的支援-ルーブリック作成過程の分析を中心に-」日本社会科教育学会第59回全国研究大会発表資料

(メルマガ 147号から転載)

執筆者  大阪市立東三国小学校 安野 雄一

(1)はじめに
 初任校は私立の中高一貫校、その後は大阪市立中学校、大阪市立小学校へと流れつき、大阪教育大学附属平野小学校での勤務を経て、現在に至ります。
小・中・高の学校種、国・公・私立の学校を経験してきて、各学校種で授業づくりなどについて、「ここはちがう」ということは多少ありました。
そのほとんどは当然のことながら、子どもたちの発達段階によるものだと考えられます。しかし、「ここは不易だ」と感じる部分も多くありました。
今回は、どの学校種でも共通して言える、日々の授業づくりなどで「できそうなこと」についてご紹介させていただきたいと思います。

(2)出口を見据えて,未来の子どもの姿を思い描く
 「未来、子どもたちがどのような人になってほしいか」「どんな力をつけていってほしいか」。そこを思い描くところからが授業づくりのスタートです。未来と一口に言っても、想定するスパンによって、その一時間の授業の位置づけは変わってくると思われます。それぞれのスパンで、子どもたちがどのような力をつけていたらよいかということを思い描くことが大事です。
私自身は「様々な状況下において、価値判断・意思決定したことをもとに、よりよい未来を切り拓いていく力」を、目の前にいる子どもたちに身に付けてもらえたらと思い、日々の授業づくりをしています。
これは、中学校や高等学校に勤務していた時も土台としてもっていました。

その中で、小学校と中学校・高等学校との大きな違いは、「出口への責任」という部分が大きいと考えられます。「入試」です。次の学校種への進学に向けて、子どもたちが乗り越えていかなければならない試練です。
最近の「入試」の傾向を捉えてみると、「知識・技能」に重きが置かれていたところから、世の流れは「思考力・判断力・表現力」をどう評価するかというところにシフトしていっているように感じられます。以前は「記述式だけれども、これは知識・技能の力を測っているよね」という問題が多かったのですが、ここからの脱却が図られているのだと思います。
身に付けた「知識・技能」を使って、どのように「思考・判断・表現」するのか、その力をどのように身に付けられるような授業づくりをしていくのかということが重要だと考えられます。

(3)単元を単位に考え、各分野の関連をこころにとめる
 一つ一つの単元の内容について、計画カリキュラムを立てる段階で、学習指導要領や教科書などをもとに、子どもたちが習得しておくべき見方・考え方、学習内容の詳細について整理し、大枠を捉えておくとよいとでしょう。
その上で、単元を貫いて価値判断・意思決定していくように単元を設計すると、徐々に多面的・多角的に俯瞰して対象を見つめ、自分なりに価値判断・意思決定をしていく素地の育成に繋がるものと考えられます。
様々な見方・考え方、学習内容を習得しながら単元学習を進めていき、単元末で、様々な視点、面から対象を俯瞰して見つめ直し、価値判断し、よりよい未来を創っていくためにどうしていくべきかと、思考を進めていくようにします。
これは、単元末までに習得してきた「知識・技能」をもとに、「思考・判断・表現」する学びへと繋げていく単元設計をベースにしていくとよいのではないかという提案です。
また、これは、中学校や高等学校で教鞭をとられている先生方や生徒にとっても気になる所である、「入試」の変容にも対応できる内容ではないかと考えられます。

 ここまでは、各単元の設計について述べてきました。その社会科学習における各単元での学びは、よくよく考えてみるとほぼ必ず「政治的分野」・「経済的分野」の事象との関係が認められると言えるでしょう。
歴史的分野の学習では、物々交換をしていた時代から、貨幣に代わるものが生まれ、貨幣が生みだされ使われるようになってきたそのこと自体が「経済的分野」と関連があります。政治でも、その時々の地域や国全体の状況を踏まえて、様々な経済に関する政策が行われています。
地理的分野の学習でも、農業や工業などの生産活動やその流通、国や地域の財政、情報など、「経済的分野」と深いつながりのある学習内容が目白押しです。
そのことを意識しながら、その政策や諸活動の一つ一つの社会全体における「価値」にまで思考を巡らせていき、単元末で総合的に俯瞰して価値判断・意思決定するようにしていけば、自分なりの見方・考え方、思考を組み上げていく経験を積むことができるでしょう。
単元を貫いて価値判断し続ける項目の設定が困難な場合は、その一時間で取り扱う事象について、単発で価値判断するだけでも十分だと思います。

(4)アクティブな思考を育てる評価と情報収集の方法
 子どもたちがどのようなことに興味をもっているのか、また、どんな学び方をしたいのかを捉えるために、「ふりかえりシート」などへの記述や対話による評価を有効に使うとよいと考えます。
これにより、「学びの必然性」に寄り添った形に、計画カリキュラムを修正しながら、単元の学習を進めていくようにすると、子どもたちの思考はよりアクティブになると考えられます。

その際、時事ネタの提示が重要になるケースが多くあります。状況に応じた資料の提示をするためには、日ごろからの教材研究がかなり重要になってきます。
 小学校に勤務する私自身は、日々届く新聞や雑誌をスキャンしてデータとして取り込み、PCで「地域経済」「財政」「国際情勢」「工業」「農業」「流通」「情報」などのキーワード別のフォルダに分けて整理し、保存しています。ですので、子どもたちのニーズに合った資料を選択し、提示しながら学びを進めていくことができます。
これは中学校や高等学校に勤務されてらっしゃる先生方も使えるかと思います。
これらの時事ネタは、中高の先生方にとって大きな「入試」対策にもなるのではないでしょうか。「時事問題をもとに、価値判断・意思決定をし、未来に向けて大切なことを考える」… 社会科学習にとって、とても重要なことであると考えます。

(5)さいごに
 小学校・中学校・高等学校の各学校種で勤務してきましたが、どの学校種においても、「未来を創っていく子どもたちを育んでいく」という土台は変わらないと思います。子どもたちが未来を切り拓いていく際に、「経済的分野」について知り、思考することは、切っても切り離せないものだと言い切れます。

「経済的分野」を意識しながら、一時間一時間の社会科学習の中で見方・考え方の枠を広げつつ価値判断し続け、最終的に対象を俯瞰して全体像を捉えなおして価値判断する。そして、よりよい未来について思考を進めていく。
社会科の授業づくりの在り方の一つとして提案をさせていただきましたが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

(メルマガ 146号から転載)

執筆者 新井明

(1)難しかったなあ
 1月17日に実施された初めての共通テスト。コロナ禍でどうなるかと心配されましたが、鼻マスク騒動くらいで、そちらは大過なくいったようです。でも、テスト内容に関してはいくつかの波乱がありました。
 英語や数学などに関しては予備校などでの分析がすでに紹介されているので、関心のある方はそちらを読んでいただくとして、ネットワークの活動内容と関連する公民科の「政治・経済」では、予想平均点が50点をわり、70点を超えた「倫理」と得点調整が行われる事態となり、関連して「現代社会」もあわせて調整対象になるという予想外の結果となりました。
 筆者も、「政治・経済」の問題に翌日挑戦してみましたが、お恥ずかしいことに、制限時間の60分をオーバー、かつ、何題か間違えるという体たらくでした。一言で言えば「難しかったなあ。こりゃダメだ」です。

(2)なぜ難しいか、何が難しいか
 問題そのものは、現在は予備校などのHPに掲載されています。
  
まずは出題形式からみてゆきます。
 「政治・経済」の問題数は30問。これは前年のセンター試験の問題数より4題少なくなっています。問題数は少ないのですが、それに反比例して問題文が長くなっています。また、グラフ、図表、複数資料の読み取りなど問題構成が複雑になっていることも特徴です。
 問題を私流に分類すると、30題のうち、単純なというか純粋の知識問題は16題しかありません。のこりはグラフの読み取り問題が3題、図表の読み取り問題が5題、複数資料の読み取り問題が3題、そして計算が必要な問題が3題となっています。
 これは、前年と比較するとこの違いが良く分かります。
 前年では、34題のうち、知識問題が29題。データの読み取りが2題。グラフ・表を使った問題が2題。計算が必要な問題が1題という具合です。
読み取り問題といっても知識がなければ読み取れない問題もあるので、それらを加味すると、今年の「政治・経済」では、知識を前提にしつつ、それをもとにして文章や表、グラフを読み解けという問題が大幅に増えたということになるのではないかと思われます。
この点は、ネットワークの「夏休み経済教室」で鍋島史一氏(教育実践オフィスF)が指摘していた、短時間で3万字近い文章を読み解く読解力が必要という指摘がそのまま的中したのが、今年の「政治・経済」であったとも言えるでしょう。

(3)内容だってそれなりだ
次に、内容から出題を分析してみます。大問は4題。
第1問は、「望ましい社会の姿」に関する生徒の発表という設定で、経済成長、所得分配、持続可能な開発の三つのテーマに関する設問です。ジャンルから言えば、経済学習の範囲です。これが結構難物でした。順番に問題に取組む受検生にとっては、最初に時間をとってしまい、正答率の低下の引き金になった問題かもしれません。
第2問は、大学のオープンキャンパスでの講義という設定の、民主主義の基本原理と日本国憲法に関する設問で、政治学習の分野の問題です。これも複数資料の読み取りや、二つの判例を使った読み取り問題が難物です。
第3問は、クラスの生徒たちが現代の経済状況について話し合いをしたという設定での、雇用や賃金、財政、銀行、国際政治に関する問題です。ここでは国債依存度やプライマリーバランスの計算や銀行のバランスシートの読み取りなど、大学の経済学部の学生に解かせたいような経済問題が登場していました。「おいおい」と言いたくなる難問です。
第4問は、「日本による発展途上国への国際協力のあり方」についての探究学習という設定の問題です。ここは現行学習指導要領で言えば、第三編「現代社会の諸問題」の部分の問題で、ここだけがやややさしい。ということはある意味予想通りの問題となっていて、得点源になったはずです。

センター試験にあったようなリード文があって、そこから設問、それもリード文の趣旨とは関係ない知識問題などが引っ張り出されるという形式は少なくなり、すべてが、日常の授業風景や生徒の学習活動の設定から取られているのが特徴でした。
現場感覚からいえば、こんな授業をやる教師がどれだけいるのか、こんな生徒が本当にいるのというところが本音ですが、そのあたりは棚に上げておいても、よく「工夫された」出題のオンパレードであることは間違いありません。

(4)要求に応える三つの視点
 いくら出題の設定を皮肉っても、間違いなく、この傾向は続くででしょう。なぜなら、そもそもテストを起爆剤にして授業改善をねらって共通テストがつくられ、実施されているからです。その意味では、「おぬしやるな」の問題といえるでしょう。
 また、大阪の李洪俊先生(加味南中学校)が分析されているように、高校入試でも授業改善をねらいとした工夫された問題が出題されていることもあります。

 それらを考えると、受験対策だけでなく、普段の授業でも相当自覚して共通テストが要求するものに応える必要があるのではと思わざるを得ないことになります。
 
 さて、ではどう受け入れるか。ここでは、三つだけあげておきます。
 なによりも、読解のスピードを上げることを目指すことが必要ということを改めて確認しておきたいと思います。これは、素早くだけでなく、的確に文章を読むことも必要になります。まるで国語の授業のようですが、スマホ慣れをしている生徒たちに紙ベースでの文章をきちんと読ませるのは、すべての学習の基礎となる力を付ける前提であり、こころして指導する必要がある部分と言えるでしょう。

 二番目には、資料やデータの読み取りをできるだけ多く入れる事です。当たり前なことですが、その際、資料は複数。政策関連で言えば、肯定、否定は必ずいれる。多面的という点では、立場の違いによってもう一つの局面をいれるくらいの工夫が必要になっています。
 グラフやデータでは、グラフの傾向を見るだけでなく、縦軸は何を意味しているのか、単位は何か、などから始める必要があります。数字やグラフの変化の要因は何だったのかなども時系列の変化のなかで確認する必要もあります。それをやったら下手をすると授業時間のかなりの部分を使ってしまう事にもなりかねませんが、最初は丁寧に、次第に慣れさせるようにどこかで腹をくくるしかありません。ここは、学習が転移することを期待するところ大です。

 第三にあげたいのは、計算能力の確保です。今年の「政治・経済」の、大問1の問2(問題番号2)は、実質GDPから名目GDPを計算させたり、実質成長率を計算させたりする問題でした。慣れれば単純な計算問題ですが、GDPデフレーターの意味を理解しつつ、変化率を計算するのは、何を何で割るのかを判断して素早く計算するということで、なかなかの難物のはずです。
 同じような問題が、大問3の問3(問題番号18)にもあり、ここでは国債残高、国債依存度、プライマリーバランス、税の直間比率の四つを計算する必要がでてきます。もちろん、選択肢から逆算したり、選択肢を吟味することで正解にたどり着けないことはないのですが、その種のテクニックで対応するのではなく、基本的な計算能力を社会科や公民科でも養う心構えが必要になっていると言えるのではないでしょうか。

(5)隠れたメッセージを読み取る
 センター試験でもその種の問題がありましたが、共通テストから隠れたメッセージを込めた問題を見つけることも、授業を活性化させるヒントになるかも知れません。

 「政治・経済」では、政治の問題でダールの「ポリアーキー」の図式が出されています。この問題では、現在の日本国憲法下の政治体制を「包括性」と「自由化」の満たされたポリアーキーと位置付けていますが、それって本当なのかという問いをここから引き出すことができるでしょう。そもそも、ポリアーキー論まで視野にいれて民主主義の授業をやって欲しいという隠れたメッセージを読み取ることができます。
 同じく「政治・経済」では、先にもふれたように不良債権に絡んで銀行のバランスシート(貸借対照表)が登場しています。金融の授業で、バランスシートを使って教えたらというメッセージだけでなく、貸借対照表の考え方でできている領域、例えば、国際収支の考え方など、に視野をひろげて教えたらどうだろうというメッセージとして受け止めることもできます。

 他教科では、「世界史B」で、『史記』から正史における改ざんや焚書坑儒、オーウェルの『1984』が出されるなど、現在の日本の政治体制を批判的に捉える視点も欲しいというやはり隠れたメッセージを読み取ることもできる問題が出されています。ただし、設問はメッセージとは関係ない知識を問う問題でしたが。
 「倫理」では、吉本隆明、リオタール、ヨナス、ベンヤミンなどが登場しています。これらの人物は、すでに教科書には登場しているのでしょうが、この種の問題や選択肢は、どうも生徒向けというより教員向けの読書案内的な問題じゃないかと思わざるをえないとことがあります。
 ここから考えると、授業改善は、授業方法の改善だけでなく、授業者が現在の社会を広く、深くとらえて、いかに生徒と対峙してゆくのかを問い直すきっかけにしてほしいというメッセージがあるという面があるということで、そんなところもおさえておきたいところです。

(6)おわりに
 限られた時間でどこまで教えるかというの課題からみても、また、全国の学校は受験校だけでないということから言っても、共通テストだけを視野にいれての授業改善は一面的な指摘にもなりかねません。とはいえ、読解力、読み取り能力、計算能力はどんな学校でも求められる学力の要素のはずです。
 受験対策という視点だけでなく広い視野で授業を見直し、そこにおける改善方向を共有できることを期待したいものです。

 ここまで書くと、なんだか入試センターの代弁のような文章で終わりそうなので、最後に一つこんな社会人からの意見を紹介しておきます。これは、企業に勤めながら大学でも講義を行っていた私の知人が、今年の共通テストをやってみて、もらした感想です。
 「それにしても、あれだけの難解なテストをクリアした優秀な学生が、なぜ、毎年、大学の授業で私が出題する簡単なテストに満足に答えられなかったのかは永遠の謎です。」

執筆者 青島日本人学校 小谷 勇人

(1)1人の消費者として見た中国経済事情
 私は現在、中国の青島日本人学校で勤務をしています。
中国に来てから肌で感じたキャッシュレス決済の浸透具合や、スマートフォンがあればすべての生活がワンクリックで済むこと、逆にないと普通の生活ができないというフィンテック社会には本当に驚きました。
淘宝(中国版amazonのようなアプリ)では、好みの商品のお得な情報をアプリ内メッセージとしてよく受信し、気づけば買っていたといった消費生活です。中国人もこの便利さを進んで受け入れる代わりに、自分の情報を差し出すことは当たり前になっているように感じます。

新型コロナが流行して、スマートフォンの健康コードアプリ(緑色のQRコードが出れば健康)を提示しなければ、地下鉄やバスに乗ることやスーパーに入店することもできません。
10月の国慶節後に青島市では港の労働者が輸入品の冷凍食品を介して新型コロナに感染する第2波がありました。それに伴い、市内では960万人の一斉PCR検査が行われました。すべての検査が陰性であったというニュースがあり、その後は感染拡大の情報は全くありません。
中国では新型コロナ対策としてこれほど厳格に管理がなされているので、経済は順調に回復しているようです。
もう中国は内需だけでもやっていけるのではと聞いていましたが、「これ程までとは!」とまざまざと見せつけられました。

(2)中国人の起業家精神に驚愕
 中国に来て、驚いたことに中国人の商売人気質(起業家精神?)があります。
新型コロナの流行は中国経済にも大きな影を落とし、たくさんの商店にシャッターがおりました。
そのまま、「招租(テナント募集中)」の張り紙がされて、まもなく1年という商店もあります。しかし、そもそも青島市では2年経営がもてば老舗、一番儲かるのは実は内装屋ではという笑えない話があります。

先日、こちらで働く日本人に、中国経済が日本経済と違う点について聞く機会がありました。
「100%の完成度を持つ商品やサービスにこだわらず、できることからドンドン取り組む。失敗したと考えればすぐにやめる。常にスピード感がある。」と回答をもらいました。
商機があれば準備が万全でなくても会社をつくってみようとする精神は、日本人として見習いたいものです。
このような起業家精神がお隣の国に急激な発展をもたらしていることを今の中学生に伝え、失敗を恐れず自由な発想で挑戦する姿勢を身に付けた人材が増えてこないと、日本の中で革新的なイノベーションは今後起きにくいのではないかと思っています。
今こそ、中国企業から日本企業が学ぶべきことがあるのではないでしょうか?

(3)「中国企業から日本企業が学ぶべきこと」を授業化する
 先日、中学3年生の「これからの経済と社会」の学習の1時間で「他国に学ぶ日本経済の未来」という授業を行いました。
中国経済の中で進んだキャッシュレス決済やアリババの芝麻信用などの信用スコアの実態やBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)に代表されるような中国ベンチャー企業の特徴ある経営戦略について紹介し、まとめとして日本に導入した際のメリットとデメリットを中学生に考えさせたいと思い、授業を構想しました。

 導入として、コロナ禍の世界経済の中で結果として中国は2020年度GDPを5%増加させたことに触れました。
生徒たちは、どの国もコロナで苦しい経済状況と考えていたようで、この結果には驚いていました。補足として、1~3月期は-6.8%であったことを伝えると、年間でここまで持ち直した理由は何かということに俄然興味が湧いてきたようでした。

 青島に住む生徒はお小遣いをWe chat Payで親からもらっているようで、キャッシュレス決済の話はすんなり理解しましたが、その背景にある信用スコアの実態に驚いていました。
信用スコアをあげるためにはさまざまな個人情報を細かく書かなければならないという話には「個人情報だから怖い」という声が聞かれました。
芝麻信用のスコア算出において重視されているのは「学歴や勤務先」、「資産」、「返済」、「人脈」、「行動」の5つの指標です。
生徒からは、「人脈や行動はどこまで分かられているんだろう」という声も聞かれました。
BATHの話では、コロナ禍の中でもさまざまなイノベーションが起き、生活が大きく変わったことを生徒は実体験しているので、商機があれば転職や起業は当たり前、コロナですらビジネスチャンスとする中国企業の姿勢に共感していました。

 最後に思考ツールのバタフライチャートで日本企業に導入した際のメリットとデメリットをまとめました。
「日本は安全性を大事にしすぎて、いろいろな開発をする機会を失ったと思う。」というデメリットの記述は私の心にも強く突き刺さりました。一方で、「日本の安全性にこだわる部分は強みでもあるので、両方の良いところをみていく必要がある」というつぶやきは中学生の学習段階として染まりすぎていない良い考えだと評価しました。

(4)比較のなかから未来を構想する学習を
 私は中学校の経済単元のまとめに「未来の日本経済や企業の在り方を中学生なりに構想する学習」が必要であると考えています。
その際、アメリカのGAFAや中国のBATHの特徴ある経営戦略について触れることは、大きなヒントとなると思っています。
今回、私が中国にいるのでBATHについて取り扱いましたが、これについては日本と比較してイノベーションを感じさせるのであれば、どの国や地域の経済事情について扱っても良いと考えています。
比較した上で、日本に取り入れた際の影響を考えることが、何よりも大切な学習機会となるはずです。
中国にて、私自身の学びも継続中です。

執筆者  京都府立山城高等学校 下村 和平

(1)秋は魔の季節
9月の某日、某高校の3年「政治・経済」の授業。単元は財政。
 高校3年9月は指定校推薦の校内選考がとりあえず終了。AO入試や国公立の小論文入試が必要と意識し出す生徒は、同時に面接対策も意識し出す頃。
共通テストでグラフが出るらしいとの噂に恐れている生徒、今年はコロナ関連の問題がでるのではと勝手に不安がっている生徒も教室にちらほら。
一方で、政経を受験に必要としない生徒は「もう関係ないよ」とばかり内職が多くなる時期。教員にとっては授業がしにくくなる魔の時期のはじまりである。

 筆者は、普段は黒板の板書と聴覚障害を持つ生徒への要約筆記(聴覚障害を持つ生徒へのポイントの板書)をしながら、教科書を使うオーソドックスな授業を行っている。
ところが、今回は初めてパワーポイントで3種類のグラフを投影して、そこに線を引いたり、質問をしたりしながら、ICT教育らしき授業をやったこともあり、なんと生徒は全員おきていた。
 ただし、わかったのは、パワポで示す資料は1時間では3~4枚が限界。これ以上資料を示しても、生徒は自分の世界(睡眠の世界)に入っていくだけ。また、要点を必ずメモさせることが大切だということ。そうでないと、聞くだけになり、「電動紙芝居」になってしまう。これってICT教育の弱いところだ。

(2)まずはオーソドックスに
この授業で生徒に示したグラフ資料は、「令和2年度一般会計」の当初予算と第二次補正予算の歳出と歳入を円グラフで示したものと、「国債の発行額と一般会計額の推移(1975年~2020年)の三つである。これらのグラフから、読み取れることを答えさせながら、日本の財政の現状と課題についてすすめる。
教員は、生徒はグラフを読むのが苦手なので、その練習をしながら財政を一気に終えようとして強引に授業をはじめる。全国どこにでもある授業風景である。

 生徒に投げた最初の問いは、「令和2年度の当初一般会計と二次補正を比較しながら、相違点を5つ見つけなさい。政経で受ける予定の人は8つくらい見付けてね。皆さんが知っている知識を総動員してくださいね」というもの。
 グラフを「読み取く」なかで、一般会計総額が約102兆円から160兆円に拡大(約6割増加したこと)に気づいた生徒が出てきた。
そこで、「プライマリーバランス赤字」を説明したりするうちに、2次補正の歳出の項目に「コロナ関連対策予備費」として7.2%が計上されていることに気づく生徒も出てきた。
「よいとこに気が付いたな」と思い、そこから、教員のちょっと横道にそれた雑談が始まった。

(3)授業はちょっと横道に
私:アベノマスクはみんな2枚ももらいましたが、メディアの報道を見る限り、あまり評価が高くありませんでしたね。でも、もし、あのマスクをユニクロの AIRism でもらったら、国民は喜んだんじゃないかな。」(数名の生徒にやにや…)

私:「でも、なんでユニクロ?安倍さん、ユニクロと何かあるの?などと変なことを疑われてしまったりして、叩かれるかもしれませんね。じゃあ、こんな方法はどうでしょうか。」(生徒不思議そうな顔)

私:「首相が、『皆さん、国内にマスクが不足しています。マスクは感染予防に効果的だと言われていますので、国民にマスクを政府が配布したいのです。涼しく良いマスクをできるだけ早く、安価に誰か生産してもらえませんでしょうか?政府が国民に今回配るので買いますよ!』『費用は国民の皆さんには申しわけありませんが、赤字国債を発行させてもらいますので、ご理解ください』ってね。こう言ったら国民の反応はどうなったでしょうね。」 (生徒爆笑!)

私:「だって、マスクが不足した4月や5月頃、皆さんも自分で作ったでしょ。僕も作りましたよ。そのうち、作り方を示す人がサイトを作ったり、いろんな業種が作ったりしたじゃないですか。京都市内でも、和装業界が着物を作る「絹の余り」で作って配布してくれた会社だってあったじゃないですか。はじめは、ボランティアのようなかたちで したが、そのうち、様々な業種がマスクを作り出しましたよね。」(生徒うなずく)

私:「そのうち、国民の側(需要者)から『形が良いマスクがほしい』『涼しいものがほしい』『カラフルな色がほしい』など要求が出てきて、各企業がマスク産業に参入しましたね。つくれないなと思った企業はそこから撤退し、良いものが市場に残りつつありますよね。これって、資本主義の基本的な競争原理じゃないですか?」

私:「また、消費者が求める商品を企業がそれに求めて生産していくというのは、いわゆる『消費者主権』が目の前で展開されているんじゃないでしょうかね。これって、授業でならった言葉が皆さんの目の前で展開されていますよね。」(生徒半分納得)

(4)雑談こそいのち
 この授業、最初は、パワーポイントを使って普段白黒の授業プリントをカラーで示しながらやってみようかという軽い気持ちで、資料を読む練習程度に考えていたのだが、生徒の「コロナ対策費」という面白い気づきからやや暴走してしまった。
その日にやろうとしていたことが全てできたわけではなかったが、この脱線で、本質からは大きく離れず、なんとか授業は終了。

ちょっとした脱線、暴走だったのだが、こうした話、案外生徒は聞いているものだと実感。
卒業生に会うと、「先生の授業の中身はほとんど覚えていないけれど、雑談、脱線はおぼえていますよ」という言葉を聞くことがある。うれしいような悲しいような気持ちだ。
別に意図して雑談をするわけではないが、今回のように生徒の気づきやちょっとした発言がきっかけで脱線することは悪くないのではと思うが、いかがだろうか。
ただし授業と全く関係のない雑談では意味がないことは言うまでもない。でも、授業に関連した雑談は案外難しいもの。
そんな雑談を引っ張り出せるような「問い」とは何だろうと考えながら、これからの授業づくりに挑戦してゆきたいと思っている。

(メルマガ 143号から転載)

執筆者  行壽浩司(福井県美浜町立美浜中学校教諭、兵庫教育大学連合大学院生)

(1)公民分野の悩み
中学校の公民的分野では憲法の条文に則り、自由権や社会権、参政権などの学習を行う単元が設定されています。授業者としてはどうしても憲法の条文の解説に多くの時間を割いてしまいますが、これは避けたい。
法という抽象的な概念から、私たちの生活における様々な場面、具体的な事象へとつなげてゆける授業が求められていると思います。

(2)社会権を切り口に
 社会権の学習では生徒の目が輝くような、魅力的なネタが多くあります。
例えば、団体行動権では、「野球のメジャーリーグで素人を集めて試合をした球団があるか?」。(答え、ある。選手がストライキをして出場を辞退したため。-フジTV『トリビアの泉』より)
教育を受ける権利では、「明治時代の小学校の出席簿、この<黒ちょぼ>はなに?」(答え、<黒ちょぼ>は欠席マーク。このクラスでは25人中皆勤はたったの3名。女子は全休が18人中13人。-福井県教育博物館より)
こんなネタによって具体的な事象へと学習が展開してゆきます。

河原和之氏のクーラーと生活保護の関係が問題になった「桶川事件」を扱った実践に触発されて、筆者がこのネタを福井県の公立中学校三年生に対して行いました。
「ガラケーなら固定電話があれば必要ないのではないか」
「スマホがあるなら検索機能があるのでパソコンは必要ないのではないか」
「電子レンジは冷凍食品を食べなければよいのではないか」
「いや、冷凍食品を食べることができないのは健康で文化的な最低限度の生活に反しているのではないか」
「冷凍食品は文化的かもしれないけれど、健康的かというと…」と、教員の想定していた以上のものが出てきました。

(3)もう一歩深めるために
このような社会権を扱った後に、生存権の考え方や、生活保護という制度について生徒に聞くと、おおむねこの制度に賛成します。しかし、本当にそう思っているでしょうか。それは「予定調和」的な答えであり、教員のオーダー(言ってほしい模範解答)に応えている「おりこうさん」な答えではないかという疑問が浮かび上がります。

ここでもう一度資料を提示して、生徒の価値判断を揺り動かしたい。
「もしも先生が働けなくなって生活保護を受けたとしたら、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な金額っていくらだと思う?」という問いをなげかけます。
「健康で文化的な最低限度の生活」をすべての国民が送ることができるのはよい事(善)であり正しい事(正義)であると生徒は思っていけれど、では具体的にどの程度の金額が必要なのか、とさらに問うてゆきます。
インターネットのサイトで計算したところ、20代後半の独身男性であれば月約13万円とのことでした。

このネタからさらに二つの問いを導き出すことができます。
一つは、具体的に月13万円が必要だとして、目の前の先生が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むためにそれだけの税金をかけることに、あなたはやはり賛成ですか、反対ですか?と問い直す発問です。
「行寿先生だったらクーラーじゃなくて扇風機でよくない?笑」という意見が出てくると教室が盛り上がります。
みんなで笑い合いながら、「そのように人によって判断は変わっていいのかどうか、それこそ人種の違いや性別の違い、身分で判断は変わっていいのか」と、追求していくことで生徒は「う~ん」と考え、近くの生徒とミーティングを始めてゆくのです。
生徒にとって「話し合いたい」と思える問いということだったのでしょう。この問いは、より正義や公正について考え、深めるきっかけになります。
このような学習法は高等学校「公共」の学習にもつながるはずです。

(4)ダメ押しの問い
もう一つの問いは、月13万円という金額が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要であるとしたら、それ以下の金額で生活している若者の存在は、憲法が保障している生存権の考え方に反しているのではないか、政府はこのような貧困世代を救済する政策をとるべきではないか、という問いです。
そこから絶対的貧困率と相対的貧困率を説明してゆきます。「日本は先進国で豊かな国」という授業を小学校の頃から受けてきた生徒にとって、「日本は貧しい国である」という新しい事実は刺激的なはずです。

抽象的な内容理解に終止しがちな公民的分野の学習を、ネタという具体的な事象を通して深めていく。そして「予定調和」的な価値判断意思決定を超えるために、生徒自身の価値判断が揺れるような重層的な問いをたてる。
社会権以外にも魅力的なネタやそこから派生する問いはたくさんあるはずです。それを発見しながら授業をつくってゆければと思っています。

(メルマガ 141号から転載)
 

執筆者  大塚雅之(大阪府立三国丘高等学校)

(1) 高校生の一番の関心は?
高校生の一番の関心事はなんでしょう。受験やクラブ活動と言う回答もあるかもしれませんが、本音では恋愛ではないでしょうか。どんな生徒であっても、それなりに興味をもって聞く話といえば、まずは恋愛、そして結婚といっても過言ではないでしょう。
今回は。最近結婚した私の知人の話などを参考に、恋愛の先にあるかもしれない結婚に関する事例を二つとりあげて、それらの活動がいかに経済概念と関連するか、社会科や公民科の授業での題材になりうるかを考えてみたいと思います。
そもそも恋愛から結婚にいたるまでにはさまざまな過程があります。

(2) 結婚相手を探す過程
昔はお見合い、戦後は恋愛結婚が主流したが、現在では結婚相手を、SNSを活用して見つけることが増えてきているようです。
『「家族の幸せ」の経済学』(山口慎太郎、光文社新書)では、現在の日本のカップルの2割がマッチングサイトで出会っているというデータが紹介されています。また、『オンラインデートで学ぶ経済学』(ポール・オイヤー著、安藤至大解説、NTT出版)よると、アメリカ人の三分の一超が結婚相手をネット上で見つけ、しかもそのようなカップルの方が結婚後の幸福度が高いという結果が出ているとのこと。
実際に、日本国内でも怪しげで要注意な出会い系サイトばかりでなく、ペアーズなどといった無料登録のマッチングサイトを多くの人が活用しているようです。また、楽天オーネットなどの有料サイトになるとそれだけ本気度の高い人たちが集まる傾向にあり。成約率も高いようです。
例えば、それぞれのマッチングアプリやサイトがどのようなビジネスモデルで行われているのか、実際はどうなのか、問題点は何かなどを考えさせてはどうでしょうか。
そのような活動を通して、最近注目されているシグナリングやネットワーク外部性の理論の概容を紹介したり、学校選択や臓器移植のような恋愛や結婚以外の具体的事例を探させ、関心を広げさせたりする活動につなげる授業が可能になるのではと思います。

(3) 指輪選びと交渉
ここでは結婚指輪を購入しようとしている某カップルと店員さんのやりとりを再現してみます。

店員さん:「当店では、はじめて来られる方限定で○○%割引させていただきます。」
彼女:「とりあえず見に来ただけなんですけど」
店員さん:「多くのお客様が、初めて来た際に指輪を購入しております。こちらの指輪をご覧ください。」
彼女:「めっちゃきれい。」
彼氏:「他とも色々比べてからの方がいいよ。他の店に行ってから戻ってきても、割引は適用されますか?」
店員さん:「いいえそれは困ります。初めてご入店いただいた方のみ割引が適用されます。」
彼氏:「でも、やっぱり違う店の指輪も見た方がいいよね。」
店員さん:「分かりました。上の者と相談してみます」
店員さんはバックヤードに行き数分後
店員さん:「上司と話し合いまして、今回は特別にまた戻ってこられたときにも同じ割引を適用させてもらいたいと思います。」

このようなやりとりを提示し、交渉教育を取り入れるというのはどうでしょうか?
『話し合いでつくる中・高公民授業 交渉で実現する深い学び』(野村美明他、清水書院)では交渉する際の指針として、以下の7つを示しています。
1、人と問題を切り離そう
2、立場ではなく利害に焦点を合わせよう
3、双方にとって有利な選択肢を考えだそう
4、客観的基準を強調しよう
5、最善の代替案(BATNA= Best Alternative to a Negotiated Agreement)を用意しよう
6、約束(コミットメント)を用意しよう
7、よい伝え方を工夫しよう

上の事例の場合は、どの指針を特に重視するかを話し合わせたり、実際に交渉のロールプレイをさせたりするというのはどうでしょうか。
そうすると、5つめの指針であるBATNAを意識し、他店の指輪をきちんと確認し、その価格等をもとに交渉に臨むのが適切ではないかという意見がでるかと推測します。
ここでも、交渉教育で終わらず、そもそも取引はwin-winの関係であることを教えるといったことも考えられます。また、他にも人間の心理についての知見を取り入れた行動経済学の理論を紹介したり、消費者問題に発展させたりすることも可能ではないかと思います。

(4) 多面的・多角的に
今回は結婚を題材にした経済学習の提案をしてみました。結婚というと同性婚や別姓の是非など政治分野で法的問題として取り上げられることが多いと思います。また、家族の在り方やその変化という文脈で社会学的に扱うことも多いかと思います。そんななかで、今回の提案のように、経済からの切り口もあり得るということで、参考にしていただければ幸いです。
ただし、この提案、実際に授業化するには、生徒の状況や学校の教育方針、プライベートでセンシティブな事情を扱っているという点を考慮する必要があるなど、様々な留意点があることにもご注意ください。

(メルマガ 140号から転載)
 

執筆者 山﨑辰也(北海道北見北斗高等学校)

(1)二つの栃木
 北海道佐呂間町に栃木という地名があります。なぜ、北海道に栃木なのか。そこには鉱毒事件を巡る歴史の暗部があります。
この地区の歴史を掘り起こし紹介したのは、私が今勤務している高校で50年ほど前に社会科教師を勤めていた小池喜孝さんです。

 小池さんはもともと東京の小学校教師で、草創期の社会科に関する討論会に、当時32歳で現場教師の代表として参加された人でした。しかしGHQによって公職追放にあい、公職追放解除後、1953年から教職に戻ることになりますが「東京だけは絶対お断り」として北海道の北見北斗高校で社会科を教えることになりました。小池さんは北見の地で地域の民衆史掘り起こし運動で活躍し、数々の本を残しました。その中の代表作が『鎖塚―自由民権と囚人労働の記録』(岩波現代文庫)です。この本の「あとがき」に、次の文章が記されています。

  「(北見の)北方に、ひときわ高い仁頃山が見えます。山の向こうには、足尾鉱毒移民が、『奸策』をもって、明治44年に入植させられた栃木部落があります。」

(2)二つのカリキュラム
 なぜ、小池さんの紹介をしたか。それには、経済教育をめぐる二つのカリキュラムの対立と相克の歴史があるからです。

 アメリカの経済教育には大きく2つのカリキュラムがあることが指摘されています。それは「学問中心カリキュラム」と「社会問題中心カリキュラム」です。
 学問中心カリキュラムとは、学問知(経済学)によって教育内容が規定されるものです。それに対して、社会問題中心カリキュラムとは、教える側の先生が社会の中から学習内容となりうる教材を選択し、生徒はその中から興味・関心に基づいて学問知を取り入れて社会的行動につなげるものです。
日本で言うならば、前者は系統学習の系譜に属し、後者は問題解決学習の系譜に属するものとして位置付けることができます。この両者は、これまでの社会科の歴史のなかではシーソーのようにゆれてきました。

私は、この「学問中心か、社会問題中心か」を二項対立にするのではなく、どちらの立場でも取扱われる学問知を大事にして、2つのカリキュラムの両立を図ることを目指しています。
このため、基本的には「学問中心カリキュラム」の発想で授業を展開しつつ、テーマによって「社会問題中心カリキュラム」の発想を使って、学んだ学問知が問題分析の道具として役立つという実感を持てるような学習活動をおこなうようにしています。そのためには、教師による社会問題の事例選択が大きなカギとなってきます。生徒に社会問題を自分ごととして捉えてもらうには、地域の事例を用いることが一番だと思っています。
 その一つが、最初に登場させた、公害と栃木地区の話です。

(3)公害と地域社会
 公害は、外部不経済の問題です。その影響は、地域社会、地域経済に負の影響を与えます。経済の授業ではここで普通は終わります。
 しかし、それだけでは生徒に問題を十分に自分事として捉えさせることはできないと思います。

 佐呂間町栃木集落は、足尾銅山の鉱毒対策として渡良瀬遊水地を造営するために、この遊水池に沈む栃木県谷中村の人たちの移住先として政府が用意した場所だったのです。明治政府は稲作農民たちに、こんなオホーツク海からの寒風吹きすさぶ山あいの土地で何をさせようとしたのでしょうか。
鉱毒問題を治水問題にすり替えた明治政府と、その背後の古河財閥にたたかいを挑んだ田中正造の政治家としての生き方は公民科の教科書にも書かれています。しかし、それだけでは、地域社会に引き起こした深刻な亀裂と、政府の政策にしたがった元村民たちの苦難の歴史は浮かび上がりません。
経済活動の背景やその結果まで伝えて、考えさせる。そこまでやってはじめて生徒にとっての問題意識や課題意識が生まれるはずです。

 この栃木集落への移住事例を公害問題に関連させて、経済の授業で紹介したことで、生徒たちは教科書に出ている公害問題を自分とは遠くにある一般的なものから、自分たちとは無縁でない出来事と捉えてくれたようです。そしてこのような地域の事例に対して、学問知である経済概念(外部不経済)を使って、外部不経済を内部化するために明治政府はどのような方法を取れば良かったかを考察する活動を行ったことで、「何が問題かを考えることができた」「考える手がかりがつかめた」との生徒の声がでてきました。

(4)両立を目指して
 人の価値が多様であるように、カリキュラムにも政治的思惑や社会に対する基本的な捉え方の対立が存在すると言われます。
だからこそ、学習指導要領を無自覚に是とし、上意下達で学習内容を生徒に受け流すだけになっていないか、それは果たして世の中の仕組みを理解し、課題に立ち向かう主体的な主権者を育てるものとなっているか、ということを教師である私自身が自問自答していく必要があると思っています。
そのなかで、地域の課題や隠された歴史などを掘り起こしながら、学問をベースとした社会問題を追究する経済の授業がつくりあげてゆければと考えています。

(メルマガ 139号から転載)