執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

1.生徒の状況を推測しながらの授業づくり
 本稿は前回の続編です。
 筆者の前にいる生徒は,どうやら租税抵抗が高くないようです。しかも納税を私たちの“責任”だと捉えている生徒が少なからずいるということもわかりました。今回は,この情報をもとに授業案作成について考えることにします。

2.「知識の地図」をつくる
 授業の目的は次の2点です。
第1は,なぜ私たちが生きる社会に税が必要なのか,そしてその税を納めることがどうして義務なのかを理解することです。
第2は,税の仕組みはどのようなところでうまく機能しているのか,そしてどのような課題を抱えているのかということを共に考えるということです。
 筆者が最初に取り組んだのは「知識の地図」づくりです。例えば「神田の三省堂書店がしばらくお休みになる」という知識を伝えるとします。この時,相手がどのくらい東京都内の地図を頭の中に描いているのかという情報は,知識の発信者としてとても気になるところです。
 教師が,学習内容を生徒に伝えようとする時に,生徒がどのような知識を構成しているのかというのはものすごく大事な情報になるわけです。
筆者の前にいる生徒の多くは,文字記号として“税”や“税に関連する用語”を知っています。教師が「国民の三大義務は何ですか」と問うとすぐに3つの義務をあげてくれます。ところが,どうして義務なのかと問いかけると,生徒の方が「なんでそんなこときくの?」という顔をするのです。文字記号で覚えている「税」という用語と,実際に社会の中で機能している「税」とをくっつけてあげる必要があるようです。

3.「責任」と言ってくれないかな? その1
 そこでいよいよ税の授業案について考えてみることにします。
 授業ではじめに共有する問いは「どうして私たちは税について学ぶ必要があるのか?」ということです。はじめに生徒の心を動かす授業を計画します。
 ところがここで大きな問題点に直面します。教師が生徒の心を動かすことに夢中になってしまうと,授業で伝えようとする学習内容の精度が落ちてしまうという問題です。この問題を克服して,より正確な学習内容を生徒に届けるためには,大本となる理論との対話が必要になります。

 今回対話するのは,経済学者宮尾尊弘先生の経済教室8:公共と協力3 「公共財ただ乗りゲーム(囚人のジレンマ)」の授業です。宮尾先生が示されている授業の流れは次の通りです。
 (A)生徒4人が一組で一つの経済を構成しますが、お互いの名前は分かりません。
 (B)その経済で「公共財」提供のために、各人は10万円を払うかどうかを決めます。
 (C)集まった資金の半分は費用になりますが、残りの半分の価値に相当する公共財のサービスが提供され、その額に等しい価値のサービスを各人(10万円を支払ったかどうかにかかわれず)が享受できます。
 もし4人全員が10万円払った場合は、合計額が40万円で、費用を20万円かけて各人には残りの20万円相当のサービスが等しく提供されます。もし3人が払った場合は、15万円相当のサービスが、2人が払った場合は10万円相当、1人しか払わなかった場合は5万円相当のサービスが全員に提供されます。

 宮尾先生は,この授業を「クラス実験」と位置付け,学生に向けて「クラスでもっとも獲得額の多い人がこのゲームの「勝者」であることを告げる」というメッセージを発信しています。
筆者は,この授業を次のように再構成しました。
第1に,“公共財”という用語を「警察」,「消防」と表現しました。生徒の日常生活と結びつけるためです。
第2に,クラスでもっとも獲得額の多い人がゲームの勝者であるという表現を使いませんでした。「あなたは税を納めますか?納めるのならば手元にある用紙にYesと,納めたくないのならばNoと書いて投票してください」と指示したのです。
 同じ街に住む他の住人が誰で,どのような行動をとるのかがわからない状況で,生徒は一人の市民としてどのような行動をとるのかということを感じさせたかったのです。「えっ,私どうしたらいいの?」という場面をつくり出したいのです。
 
4.「責任」と言ってくれないかな? その2
 宮尾先生が実践されたクラスでは,多くの学生さんが10万円を納めなかったと記述しています。ところが筆者が実践したクラスでは多くの生徒が「Yes」と書いて投票しました。
 ある授業で次のような場面に出会いました。
開票結果を黒板に書いている時のことです。ひとりの生徒が立ち上がって「誰だ!Noって書いたのは!名乗りなさい」と言うのです。
教室全体に緊張感が走ります。筆者は立ち上がった生徒に向かって「何でそう思ったの?」と話しかけました。すると椅子に斜めに座り「だって,みんながまじめにお金を出しているのに不真面目なやつがいる」と主張するのです。
そこで筆者は「Noと書いた人にメッセージを一言伝えてみようじゃないか」といって全員に白紙を配付しました。「Yesと投票した人はNoと書いた人にメッセージを書いてください。Noと書いた人は,なぜNoと書いたのか,その理由を書いてください」と言ってメッセージを書いてもらいました。
 
書かれた内容を教室で共有します。
「みんなでお金を出し合うというのは私たちの責任なんじゃないか」というようなことを多くの生徒が書いてくれました。
「安心した社会をつくるための私たちの約束ごと」だというメッセージも複数見られました。
「お金を払うというのは私たちの義務なんだ」という記述もありました。黒板に“責任”,“約束”,“義務”と書きました。税を納めるということの根底には,この3つの用語が示す精神が存在しているのではないかということを共有したのです。
 
5.教科書には何と書いてあるのか?
 次は,ここまでの学習と教科書とをつなげます。ここ数年,公立高校にもWi-Fi環境が整いつつあります。せっかくですからスマホを取り出して調べさせることにしました。
 日本国憲法には3つの義務が定められていますが,英語ではどのように表記されているのかを調べてみましょう,という課題を出しました。
すると,“子どもに普通教育を受けさせる義務”,“勤労の義務”の場合には,義務を「obligation」と表現していることがわかりました。
一方で“納税の義務”の場合には,義務を「liable」と表現していることがわかったのです。三大義務というけれども,何かが違うらしいと生徒は受け止めます。
「それでは,何が違うのでしょう?調べてみよう!」ということになります。
 
教師の方は,事前に次のような教材研究を行っておきます。
『法律英語用語辞典』では“ obligation”は「義務,債務」と,そして“liable ”は表記がなく“liability ”が「①責任②債務③借金④負債」と記述されていました。
英語語源学を研究している田代正雄さんは“liable ”を「責任を負うべき;~を受けるべき」と書いています。
翻訳家の島村力さんは日本国憲法を訳すにあたり“obligation”を「義務」とし,“liable ”を「(法的に)責任がある」と示しています。
理論言語学者畠山雄二さんとジャーナリスト池上彰さんは,日本国憲法第26条をめぐって「shall be obligated to do で『絶対に~する義務がある』という意味になる」ことを指摘しています。その一方で「『勤労の義務』は訓示的(努力目標的)なもので法的拘束力はありません」と解説しているのです。

 授業は教師が調べたことを生徒に向けて発表する場ではありません。生徒の心に残らないような気がするからです。そこで次のように展開してみました。
 「“liable ”ってはじめて聞く単語ですか?」と質問します。多くの生徒はうなずきます。そこで「実は,みんなが持っている教科書に書いてあるんだよ」と紹介します。「誰が一番はじめに見つけるか競争しましょう」と少し盛り上げます。なかなか見つからなくて飽きてしまいそうな時には「教科書の後半かな?」とか,「消費者問題の頁かな?」とヒントを出します。

 しばらくすると「はい,ありました!製造物責任法(PL法)のところ!」という声が聞こえてきます。この部分には「Product Liability」と小さく記述されているのです。
皆がその頁を開いたら「liabilityって教科書では何と訳しているの?」と発問します。「製造物責任なんだから,責任じゃないかな?」と多くの生徒は判断するようです。ここまでくると生徒は黒板に書かれている知識を自分の力でつなげてくれます。

6.目指したい授業
ここまでの実践は,あくまでも筆者のフィールドに限定したものです。すべての教室に通用するとは思っていません。
その上で振り返りますと,筆者が“納税の義務”というフレーズを覚えて,この文字記号を定期試験の解答用紙に再現するということで税を理解したとは限らないということにこだわった授業だということを書き留めておきたいと思います。
一人ひとりの生徒が持っている生活を入り口にして,教科書に書かれている知識と結び付ける1つの道筋を探し求めた授業を目指したのです。
 この授業の先に,本授業第2番目の目標である税の仕組みはどのようなところでうまく機能しており,同時にどのような課題を抱えているのかということを考える場面が待っているのです。
 次回は,文字記号の再生という点に少しこだわって,経済の授業について考えていきたいと思います。
 
【参考文献】
宮尾尊弘先生の経済教室8はこちらに掲載されています。
尾崎哲夫『法律英語用語辞典』 自由国民社 2009年 p.275
田代正雄『語源中心英単語辞典(改装版)』 南雲堂 2005年 pp.196-197
島村力『英語で日本国憲法を読む』グラフ社 2001年 pp.78-81
畠山雄二 池上彰『英語版で読む日本人の知らない日本国憲法』KADOKAWA 2016年 pp.154-170

また先月号のシリーズ第一回目
教室の扉を開ける前に-「税」の授業をつくる
こちらに掲載されています。

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