経済教育ネットワーク  新井 明

今回の授業のヒントは、メルマガ4月号掲載の「経済で戦争を教える」の続稿です。 

(1)前回で語りきれなかったこと
 4月号では、戦争は多面的であるということ、そのなかでも経済からの視点を持つことは必要であること、経済からみたら、ヒト・モノ・カネから見る視点が重要であること、教えるためには焦点をしぼって教えることが現実的であること、感情を勘定に転換する試みをしてみること、などを語りました。
 ここで語りきれなかったことは三つあります。
 一つは、ヒト・モノ・カネの視点の具体的事例です。
 もう一つは、情報の重要性とその具体例です。
 そして、ヒトの問題です。
 ウクライナ戦争が始まってから9ヶ月になる現在、もう一度これらのことを考えて授業作りのヒントにできればと思います。

(2)経済の視点を細かく分けてみる
モノとカネを概念別に分けてその具体例を提示してみます。各項目の事例は重要度では濃淡がありますが、こんな事例が浮かび上がります。
<ミクロ経済・課題の領域>
・希少性:戦略としての希少資源(石油、天然ガス、食糧など)
・機会費用:徴兵制の機会費用、戦争そのものの機会費用
・分業と交換:貿易と関連させてブロック化の結果を考える
・市場取引:経済制裁による価格高騰
・市場の失敗:兵器のヤミ市場、軍事産業、軍産複合体の存在
・家計:戦争による消費への影響
・企業:グローバル化の逆回転とその対応
・政府:どこまで戦争を続けるか(政治、財政と関連)
・労働・職業選択:難民、外国人労働者への対応
・産業構造:戦争による産業への影響(サービス業など)
・資源・エネルギー:原発問題(原発存在そのものが危険)
・農業:世界的食料危機(戦場以外の地域への影響)
・流通:物流の寸断の影響(サプライチェーンの分断)

<マクロ経済・国際経済・課題の領域>
・景気変動:戦争は経済にプラスかマイナスか(GDP、経済成長)
・財政:軍事費の調達、増税、軍事債(戦後インフレ)
・金融:国際金融と戦争(資金源を断つ)
・福祉・社会保障:大砲かバターか、外国人の人権保障
・貿易:ブロック化、貿易の途絶、自給経済は可能か
・為替:国際金融への影響
・地域統合:EU、ASEANなどの変化
・新興国:食糧難、経済不振による内乱、権威主義国家化
・国際的経済格差:最貧国の不安定化
・地球環境:戦争による環境への悪影響
・国際公共財:世界の警察官役はだれか

 ここで取り上げた事例は相互に関連し合っているものがほとんどです。その意味では、単独で取り上げるよりもそれぞれの学習のなかで、事例で取り上げて、さらに総合的な探求の時間で深掘りしてゆくことも考えられます。

(3)戦争と情報の問題
 4月号では、現代の情報戦のなかでの情報リテラシーの問題、また、戦争をやめるための方策としてのSNSによる発信などを提言してみました。
 そのような現代的な情報の問題以前に、戦争でのプロパガンダについて考えさせることも取り組ませたいところです。
 ヒントになるのは、アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社)という本です。
この本に指摘されている10の法則を使って、マスコミ報道の吟味をすることは歴史学習や経済面での企業間競争の事例でも役立つはずです。以下、10の法則を紹介しておきます。

1 我々は戦争をしたくない
2 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3 敵の指導者は悪魔のような人間だ
4 我々は領土や派遣のためでなく偉大な使命のために戦う
5 我々も意図せざる犠牲をだすことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた損害は甚大
7 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9 我々の大義は神聖なものである
10 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

(4)最後に残るヒトの問題
 戦争は力と力の対決です。経済的な生産力がものを言う世界です。そこにはヒトは登場しませんが、現実の戦場ではヒトが戦います。また、背後ではヒトが戦争を支えます。そのヒトの気持ち、モラルは戦争を左右する要素になってきました。今のウクライナ戦争でも同じでしょう。
 人間はどうして合理的でない戦いをするのか、それをひもとくには人間そのもの、その人間が作ってきた社会、歴史を見ておく必要があります。これは経済学習の領域を超えますが、ヒトの行動を視野にいれた戦争の学習が、特に今回のウクライナ戦争を取り上げた場合には求められるはずです。
 そのヒントが文学作品や歴史的事実にありました。
 その一つは、トルストイの『戦争と平和』です。トルストイは、ストーリーに加えて歴史解釈を『戦争と平和』の中に多数いれています。そこにこんな記述があります。

 「力は質量と速度をかけあわせたものだ。戦争で軍の力は、やはり質量と何かを、何か未知のXを掛け合わせたモノなのだ。…そのXとは軍の士気、つまり、軍を構成しているすべての人の戦う意欲、自分の身を危険にさらす意欲の大小にほかならない。…軍の士気というこの未知の乗数の数値を突き止め、表現することこそが学問の課題なのだ。」(第四部第3萹、岩波文庫版、6巻p26-27)

 トルストイは、このなかでナポレオンの敗北とロシアの勝利について分析して、当時の軍学にはなかった町々での略奪、モスクワ大火と退却、パルチザン戦などを紹介してゆきます。『戦争と平和』での侵略軍はナポレオン軍で、侵略されるのはロシアですが、それをロシアとウクライナと逆転させると200年前の戦争と現代のウクライナ戦争がいかに相似形であるかが浮かび上がります。

 それだけでなく、ロシアが今ウクライナ攻撃で行っている絶滅戦は、第二次世界大戦の独ソ戦でウクライナを舞台に行われた旧ソ連、ドイツの戦いにも見られます。(大木毅『独ソ戦』岩波新書、参照)
 現代のウクライナ戦争はデジャブの連続です。

 いずれにしても、過去の愚行が現代にも登場しているということを自覚しながら授業を進めたいものです。
 その際には、戦争そのものを教えるなかで経済に触れるのか、経済を教える中で戦争が事例として登場するのかを区別しておくこと、教える人間が生徒に何を伝えたいのか、一緒に考えたいのかを自覚しながらすすめることが肝心かと思われます。
筆者も、経済学習の総括として、経済で戦争を教える取り組みを試みたいと思っています。

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