経済教育ネットワーク  新井 明

(1)二つの公開授業
 先月、オンラインで、二つの公開授業を見ました。
 一つは、中学校の地理の授業で、「アフリカの経済発展を考えよう」というものです。
もう一つは、高等学校の現代社会の授業で「リスクとライフプランを考える」という金融教育の授業です。
 中学校の授業は、10分ほどの映像でしたが、高等学校の授業は50分全部を見ることができました。
 それぞれ優れたところ、感心したところがあったのですが、気になった点、疑問点が共通していたところがあり、今回考えてみたいと思いました。
 それは、生徒たちはどの立ち位置で考えているのだろうか、授業のなかで、考える視点がどこにあるのかを明確に指導していたのだろうかという疑問です。

(2)アフリカの経済発展の例
 地理の授業は中学2年生の授業です。
未開発とイメージされているアフリカが実は大きな飛躍の要素もっていて、現実に動き始めていることを学習したあとに、ではアフリカの経済発展のために今後どんな産業がもとめられるだろうかをグループで探究活動をした結果を、3年生の前で発表し、3年生の突っ込みに対して、回答するという授業です。
これは、担当者が2年の地理と3年の公民を担当していたことでできた、意欲的な授業です。
 2年の生徒も頑張ってそれぞれの企画を提示していたのですが、その企画の提案者は誰なのか、提案者の立ち位置が生徒に自覚されていないことが特徴的でした。
 日本人として(例えばJICAなど)その地域や国に関わるのか、企業の立場(例えばグローバル企業か現地の起業家なのかなど)から考えるのか、その国の人間(男性か女性か)が考えるのかなど、考える主体が誰なのかは、企画そのものの質を左右します。
その自覚なしに、取組まれた提案は、空中に浮いているように感じてしまいました。

(2)リスクとライフプランの例
 こちらは、工業科の定時制高校の実践です。
 半年をかけて、「株式学習ゲーム」を行わせながら、経済について考えさせているという「現代社会」の授業の一環でした。
 内容で気になったところは、やはり立ち位置です。
 どんな銘柄を生徒が選んだか、その変動、選んだ理由を適宜、生徒に聞きながら、授業が進みます。
 生徒の多くは、任天堂、ソフトバンクなどやはり知っている企業、日頃お世話になっている企業を選んでいました。それはそれで構わないのですが、気になったのは専門に関係する企業をほとんど選んでいないことでした。
 電機科と電子科を持つ学校で学んでいるので、その業界の企業の名前がでてきてもよいに、もったいないというのが印象でした。
 それをもっと感じたのは、リスクからライフプランを考えさせる展開部です。ライフプランは人生の四大イベントに絡んで取り上げられていますが、自分のライフプランがイメージできない生徒が多かったようで、先生の説明で進行していました。
 理由の一端は、株式学習ゲームで現れていたように、現在の自分の立ち位置が自覚されていないので、長期のライフプランが浮かばないということなのだろうと推定しました。

(4)自分の足元は何か
 社会科、公民科の場合は、「公民的資質」の育成が求められています。日本人としてというキャップをかぶることもあります。
 日本人としてということを強調しすぎるのも問題ですが、どの位置から社会を眺めるのかを自覚させることが、社会科の授業づくりでは大切な要素ではないでしょうか。
 伝統経済学では、抽象的な経済人を措定して経済を分析します。これは、科学的方法です。行動経済学では、それを批判してバイアスを持つ現実の個人を前提とした理論を提示しようとしています。
教室の授業では、科学的分析の世界の個人なのか、それとも現実の私なのかの自覚を求めることはほとんどありません。
 対象のなかからものを見るのか、外から見るのか、男性なのか、女性なのか、命令する側から見るのか、命令される側から見るのか、…。それぞれ立ち位置が違うと見え方が違うはずです。
 「自分事にする」前提として、自分の足元をまず自覚させて展開する授業がもっと必要だと、二つの授業をみて考えたのですが、皆さんはどう考えるしょうか。

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