執筆者  神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫

0.経済学習のスターたち
 夏休みが終わり「公民科」ではそろそろ経済学習に入ろうとしている頃かと想像します。 では、経済学習の一番はじめの授業で何を教えたらよいのでしょうか。
 パッと教科書をひらくと,図版や写真と共に太字で書いてある文字に注目してしまいます。そこには財、サービス、経済、見えざる手、市場・・・と経済学習のスター的存在にあたる用語が並んでいます。
多くの生徒は,この目立つ情報と自分の生活経験とを結びつけて経済学習の内容を想像しているのだと思います。
しかし,私たちが注目するのは,この太字になっている用語だけでよいのでしょうか。
 そこで,教科書のはじめに書いてある内容に注目してみました。
一行目の文は太字にはなっていません。しかし,教科書執筆者がどのような学習をしてもらいたいのかという一番の想いとつながっていると思うのです。
さっそくページを開いてみると、
「自分一人では生活できないということ」,
「社会は分業と交換で成立していること」,
「毎日買っている商品はどこかで誰かがつくり、私たちの近くまで運ばれて売られているものであること」、といったことが様々な表現で書かれています。
教科書では経済分野のはじめのところで「分業」と「交換」をとりあげていることがわかります。

1.実はスーパースター?
 経済分野の授業開きにおいて,教科書の太字部分に注目するのか,それとも冒頭の文(第一行目)に注目するのか。筆者は冒頭の文に手がかりを見つけたいと考えました。
そこで解決しなければいけない問題に出会います。「分業?」,「交換?」。文字記号で意味を伝達すれば,それで教えたことになるのか?という問題です。
 教科書執筆者が冒頭で示している用語なのですから,これは経済学習のスーパースターに違いない。ということは,文字記号を使って知識を伝達する授業とは異なる教え方を模索することで,厚みのある授業を実践するべきだと考えました。

2.「社会科」における分業と交換
 アダム・スミスは『国富論』で,分業は人間がもつ,物と物とを交換する性向のせいでゆっくりと達成されたという意味の文を書いています。人間は交換したいという性質を持っていると読み取れます。
科学ジャーナリストのマット・リドレーは『繁栄』(勁草書房2010年)の中で「初めて物を交換し始め、それを契機に文化が急に累積的になり,人類の経済的『進歩』という,がむしゃらな実験がはじまった」として「人間は交換によって『分業』を発見した」と主張しています。
人間の行動についてこれから学習しようとする場合、「分業と交換」は,人類の歴史に関わる大きな流れの中で捉えるべき用語だと読み取ることができそうです。
さて,この解釈を,どのように生徒に伝えたらよいのでしょうか。そこではじめに「交換」について,つぎのような授業を設計してみました。

3.本当に交換するのかな? 準備編
 100円ショップでお菓子を買ってきました。小さくて同じお菓子がたくさん入っているもの(一口サイズのチョコレート)や,1つずつ包装されているクッキー等です。
 次に生徒の人数分封筒を用意します。一人ひとりに手渡す封筒です。そこには,同じお菓子を5,6個入れます。セロテープで閉じてしまえば,中に何が入っているのか分かりません。生徒人数分の封筒ができました。
 さあ教室に行きます。
「今日は何の勉強をするの?」と問いかけが殺到します。大きな荷物を持って教室に入るのですから聞いてみたくなるのは当然です。たくさんある封筒ですから,いつかもらえる物だなと予想していることは,生徒の目を見れば分かります。
 授業が始まり,少しお話をしたところで「みんなこの封筒が気になるでしょ?」と生徒の状況を探ってみます。
そして「もらってもまだ開けないでください」といって配付します。       
 全員に封筒が配られました。
「早く開けたい」というエネルギーが教室に充満します。
「開けたら,中に何が入っているのかを確認してください。入っている物は皆さんに差し上げます。それと・・・周りの人が持っている封筒に何が入っているのかを見に行ってください。立ち歩いてもいいです。」といって「それではどうぞ!」と開封を宣言します。

4.本当に交換するのかな? 実践編
 開封後の教室は,デジタル騒音計があったら計測してみたくなるような状態になります。
筆者はジッと待ちます。必ず質問が出るはずだと信じています。
20~30秒もすると「食べていい?」という質問が出ます。「どうぞ!」と答えます。
「交換していい?」と複数の質問が出ます。「来た!!」と筆者は心の中で叫び,落ち着いた声で「どうぞ」と答えます。
しばらくの間、食べたり交換したりといった活動が続きます。10分もすると,教室は落ち着きを取り戻します。自席に戻るように指示して,次の発問をします。

5.どうして交換したの? どうやって交換したの?
 「何が入っていましたか?」,「それをどうしましたか?」。の順番に発問します。
後者の発問に対しては「食べた」,「取りかえた」という発言がありました。「取りかえた」と発言した生徒には「どうして取りかえようと思ったの?」と尋ね,次にどのように交換したのかをきいてみました。
 「どうして交換したのか」という問いには,「自分の物が全て同じでつまんないから」,「取りかえた方がトクするから」という発言がありました。
交換で手放すモノの価値よりも,手に入れるモノの方に価値があると判断したようです。
 「どうやって交換したの?」という問いには,たくさんの発言がありました。
○○と△△を交換した,というものもあれば,☆☆2つと××1つを交換したと,比率を示す者もいました。小さい一口サイズのチョコが価値を計る基準の役割を果たしているようです。

6.交換・・・好き?
 盛り上がりが一段落したところで,「交換をしてみてどうでしたか?」と問うてみます。
 「そりゃ楽しいに決まっているでしょ」,「もっとチョコがあればいろいろと交換できたのに」といった発言がみられました。この言葉を待っていました。
「チョコがたくさんあればラッキーっていうことだよね」とつなぎ、モノをたくさんつくることというのはどういうことなのかを考える手がかりをつかむのです。
交換はこころよい感じがするということ,そして手持ちのモノが多いほど交換の機会が増えるという感覚を共有しました。

7.どうしてこのような学習をしなければならないのか?
 経済学習の多くは,教師が知識や概念を生徒に伝達することで構成されています。
 生徒に合った教材が用いられていれば,経済的な見方や考え方を伝えることは可能だと思います。しかし,それだけでは足りないと筆者は感じているのです。
 政治の学習が終わり経済について学び始めようとする生徒に,文字記号による知識の伝達だけでは伝わらないものがあると捉えています。
この伝わらないものを教室の外から補充するのではなく,生徒の内側から湧きあがる知識と結びつけて認識を形成することができるのではないかと考えて今回の授業を考えてみました。
 交換と分業の授業に関連して,今回は交換について生徒を動かすという方法で教えてみました。経済学習を進めるための基盤を形成する力が培われるのではないかと期待しています。

8.交換から分業へ
 次の授業で教えようとする内容は「分業」です。
交換は心地いいものである(幸福につながる)
→できればたくさん交換したい
→モノがたくさんないと交換の機会は減る
→どのようにしてたくさんのモノづくりが可能になるのか?
と授業を設計したいのです。
 分業にもいろいろありますが,次回はものすごく話を単純にして,1つの製品をつくるために工程を細分化した場合、つまり工場内分業を想定した授業について考察したいと考えました。
教科書には、アダム=スミスの『国富論』のピンの製造の分業を紹介して、分業と交換について説明しているものもあります。
そこで,次回は教室の中を生徒が動き回る授業を考えてみたいと思います。

9 つけたし
 今回の授業実践は,お菓子を使いました。実際に同じことをしようとするといくつか乗り越えなければならない問題に直面します。例えば,お菓子を持ち込ませない中学校では難しい、授業中ものを食べることが許されない、予算の問題やアレルギーの問題等々もあります。
そこで筆者はあるとき,お菓子の写真が入ったカードを定期券サイズでたくさん印刷して配ったことがあります。恐る恐る生徒の行動を見ていたのですが,幸いにして交換活動は活発に行われました。
紙ベースでも実践は可能だということを補足します。

これまでのシリーズ「金子Tの授業づくり」
第1回 
第2回 
第3回 
第4回 

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