安藤泰至・島薗進編著『見捨てられる<いのち>を考える』(晶文社)

①どんな本か
・2020年に起こった京都ALS嘱託殺人とコロナ禍で発生した人工呼吸器トリアージという事態に対して、死生学や生命倫理学の研究者や当事者や支援者が、コロナ禍に集まった三回の緊急集会の記録です。
・集会では、提唱者の宗教学者の安藤泰至先生(鳥取大学)と、上智大学グリーフケア研究所長の島薗進先生(上智大学)が毎回報告され、それぞれの会で、ALS介護の当事者でNPO法人を立ち上げた川口有美子さん、安楽死・尊厳死言説の研究をされてきた立命館大学の大谷いづみ先生、障がいをお持ちのお子さんの介護をされてきたフリーライターの児玉真美さんの報告が行われました。

②どんな内容か
・全体は三部に分かれています。
・第1部は、初回の記録で、「京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージ」のタイトルで、安藤先生の「「安楽死」「尊厳死」の危うさ」、川口有美子さんの「ALS患者の「死ぬ権利」?」、島薗先生の「医療が死を早めてよいのか?」の三つの報告が収められています。
・第2部は、二回目の記録で、「「安楽死」「尊厳死」言説といのちの学び」のタイトルで、安藤先生の「コロされる/殺すのは誰か?」、大谷先生の「<間>の生を聴く/<間>の生を語る」、島薗先生の「いのちの選別をめぐって何がおきていたのか?」の三つの報告と、ディスカッションの記録が収められています。
・第3部は、三回目の記録で、「「死」へと追い詰められる当事者たち」のタイトルで、安藤先生の「生命倫理問題における「当事者」の再考」、児玉真美さんの「家族に「殺させる」社会をいきる」、島薗先生の「医療資源について語るとき考えなければならないこと」の三つの報告とディスカッションの記録が収められています。
・それぞれの会の趣旨と発言者の紹介は、それぞれの部の「はじめに」の箇所で、島薗先生から簡潔に述べられています。

③どこが役立つか
・中学校の道徳や、高校の公民で、<いのち>の授業を行う前に参照して欲しい本です。
・新科目「公共」でも、「現代社会」に引き続いて、生命倫理が扱われ、「いのちの選別」「延命治療」「安楽死」「医療資源」「トリアージ」などの言葉が登場してきています。それらの言葉がうわすべりにならないためには、当事者の言葉をじっくり聴いて、それらの言葉の持っているバイアス、価値観を吟味したうえで、授業を組み立てることがもとめられます。その時の参考になる本です。
・また、「公共」では、思考実験が取り入れられて、「トロッコ問題」など多くの事例が教科書に登場していますが、無批判に思考訓練ということで<いのち>に関わる事例を取り入れることへの歯止めにもなるでしょう。
・経済学では資源は人間が使えるものすべてを包摂する概念として使用されているため、<いのち>も資源として扱ってしまうこと、限られた資源の配分の基準には功利主義の価値観があることなどから、医療資源配分は比較衡量でよいということになってしまいます。
・現実にも、それは進行していて、その具体例が、本メルマガ21年6月号で紹介した『命に<価格>をつけられるのか』で多数紹介されています。
・そのような動向に対する、当事者や<いのち>の問題の研究者からのアンチテーゼが本書では展開されていると受け止めることができるでしょう。
・特に、終末医療では、医者から行動経済的なナッジが行われると、ある種の誘導となり、Noとは言えないスラッジになってしまうこともあります。ここでは、言葉の言いかえも含めて、<いのち>の問題、医療と行動経済学の関係を考えるためにも、重要な指摘がされています。

④感想
・第2章に登場する大谷いづみ先生は、かつて都立高校に勤務をされていたこともあり、紹介者の研究仲間でした。
・ポリオサバイバーでもあり、過労で骨折をされたことと、大学でのハラスメントの被害が重なり、現在は車イスがないと生活できない状態で研究と教育活動を続けられています。
・新井がディベートに取組んでいた時に、安楽死の是非をテーマにしたことに対して、あれかこれかで、追い込んで答えをださせるような教育は暴力的であり、<いのち>の教育にはならないという批判をうけました。
・この本のなかでも「あれかこれかの究極の選択に追い込み、追い込まれて答えを見いだすことではなく、第三の道を探るための「問い」に、「問い」を立て直すこと」が必要だと書いてありました。変わらない問題意識をもっていることが確認できて、うれしく思っています。
・私たちも「第三の道」があるかどうか、それはどんなものか、「問い」を自らになげかけたうえでの授業づくりに励みたいと、改めて思いました。

(経済教育ネットワーク  新井 明)