執筆者 山﨑辰也(北海道北見北斗高等学校)

(1)二つの栃木
 北海道佐呂間町に栃木という地名があります。なぜ、北海道に栃木なのか。そこには鉱毒事件を巡る歴史の暗部があります。
この地区の歴史を掘り起こし紹介したのは、私が今勤務している高校で50年ほど前に社会科教師を勤めていた小池喜孝さんです。

 小池さんはもともと東京の小学校教師で、草創期の社会科に関する討論会に、当時32歳で現場教師の代表として参加された人でした。しかしGHQによって公職追放にあい、公職追放解除後、1953年から教職に戻ることになりますが「東京だけは絶対お断り」として北海道の北見北斗高校で社会科を教えることになりました。小池さんは北見の地で地域の民衆史掘り起こし運動で活躍し、数々の本を残しました。その中の代表作が『鎖塚―自由民権と囚人労働の記録』(岩波現代文庫)です。この本の「あとがき」に、次の文章が記されています。

  「(北見の)北方に、ひときわ高い仁頃山が見えます。山の向こうには、足尾鉱毒移民が、『奸策』をもって、明治44年に入植させられた栃木部落があります。」

(2)二つのカリキュラム
 なぜ、小池さんの紹介をしたか。それには、経済教育をめぐる二つのカリキュラムの対立と相克の歴史があるからです。

 アメリカの経済教育には大きく2つのカリキュラムがあることが指摘されています。それは「学問中心カリキュラム」と「社会問題中心カリキュラム」です。
 学問中心カリキュラムとは、学問知(経済学)によって教育内容が規定されるものです。それに対して、社会問題中心カリキュラムとは、教える側の先生が社会の中から学習内容となりうる教材を選択し、生徒はその中から興味・関心に基づいて学問知を取り入れて社会的行動につなげるものです。
日本で言うならば、前者は系統学習の系譜に属し、後者は問題解決学習の系譜に属するものとして位置付けることができます。この両者は、これまでの社会科の歴史のなかではシーソーのようにゆれてきました。

私は、この「学問中心か、社会問題中心か」を二項対立にするのではなく、どちらの立場でも取扱われる学問知を大事にして、2つのカリキュラムの両立を図ることを目指しています。
このため、基本的には「学問中心カリキュラム」の発想で授業を展開しつつ、テーマによって「社会問題中心カリキュラム」の発想を使って、学んだ学問知が問題分析の道具として役立つという実感を持てるような学習活動をおこなうようにしています。そのためには、教師による社会問題の事例選択が大きなカギとなってきます。生徒に社会問題を自分ごととして捉えてもらうには、地域の事例を用いることが一番だと思っています。
 その一つが、最初に登場させた、公害と栃木地区の話です。

(3)公害と地域社会
 公害は、外部不経済の問題です。その影響は、地域社会、地域経済に負の影響を与えます。経済の授業ではここで普通は終わります。
 しかし、それだけでは生徒に問題を十分に自分事として捉えさせることはできないと思います。

 佐呂間町栃木集落は、足尾銅山の鉱毒対策として渡良瀬遊水地を造営するために、この遊水池に沈む栃木県谷中村の人たちの移住先として政府が用意した場所だったのです。明治政府は稲作農民たちに、こんなオホーツク海からの寒風吹きすさぶ山あいの土地で何をさせようとしたのでしょうか。
鉱毒問題を治水問題にすり替えた明治政府と、その背後の古河財閥にたたかいを挑んだ田中正造の政治家としての生き方は公民科の教科書にも書かれています。しかし、それだけでは、地域社会に引き起こした深刻な亀裂と、政府の政策にしたがった元村民たちの苦難の歴史は浮かび上がりません。
経済活動の背景やその結果まで伝えて、考えさせる。そこまでやってはじめて生徒にとっての問題意識や課題意識が生まれるはずです。

 この栃木集落への移住事例を公害問題に関連させて、経済の授業で紹介したことで、生徒たちは教科書に出ている公害問題を自分とは遠くにある一般的なものから、自分たちとは無縁でない出来事と捉えてくれたようです。そしてこのような地域の事例に対して、学問知である経済概念(外部不経済)を使って、外部不経済を内部化するために明治政府はどのような方法を取れば良かったかを考察する活動を行ったことで、「何が問題かを考えることができた」「考える手がかりがつかめた」との生徒の声がでてきました。

(4)両立を目指して
 人の価値が多様であるように、カリキュラムにも政治的思惑や社会に対する基本的な捉え方の対立が存在すると言われます。
だからこそ、学習指導要領を無自覚に是とし、上意下達で学習内容を生徒に受け流すだけになっていないか、それは果たして世の中の仕組みを理解し、課題に立ち向かう主体的な主権者を育てるものとなっているか、ということを教師である私自身が自問自答していく必要があると思っています。
そのなかで、地域の課題や隠された歴史などを掘り起こしながら、学問をベースとした社会問題を追究する経済の授業がつくりあげてゆければと考えています。

(メルマガ 139号から転載)

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