① なぜこの本を選んだのか?
 歴史的分野の教科書には、約500人の人物が登場します。一方で、公民的分野の経済に関する教科書には記述にはほとんど固有名詞は出てきません。スミスやケインズが写真付きで掲載されていますが、これは道徳哲学者や経済学者として登場しています。
 もしかしたら、経済の授業を受けていてる生徒は、生きている人間の姿を感じることなく教師からのメッセージを受け止めているのかもしれません。
 そこで見つけたのが本書です。約370ページの中に「政府」や「企業」を動かしている人物が大勢登場します。しかもただ時系列に登場するのではなく「世襲」というキーワードを中心に物語が展開していきます。
 教師は、経済を教えるにあたって、「政府」や「企業」を動かしている人物の知識を得ておくことが有効なのではないでしょうか。これが本書を選んだ理由です。

② どのような内容か?
「はじめに」では全体像が語られています。
  第一部は、戦後政治を世襲という視点で記述しています。
  第二部は、企業創業家の世襲について自動車産業と鉄道会社をとりあげています。
  第三部は、歌舞伎界の世襲について取り上げています。
 一冊を通して、世襲というシステムがどのようにして誕生し、機能しているのか、そして破綻していくのかを描いています。
  
 第一部は「戦後政治世襲史」です。
 本書は「世襲」をキーワードにして政治の歴史を再構成しています。
 例えば、朝廷は天皇だけではなく太政大臣、右大臣、左大臣も世襲であったことを指摘しています。征夷大将軍も世襲であることから、日本の政治と世襲は深いつながりがあると捉えています。
ところが明治から昭和20年まで、政治と世襲の関係は変化します。この間に総理大臣となった人物は、世襲とは無関係でした。
 しかし戦後になると父や祖父が総理大臣であったという人物が続きます。総理大臣だけでなく、国会議員の世襲も平成以降に増えていきます。いったい政治における世襲にはどのような特徴があるのでしょうか。
 政治の世界における「世襲」を意識することで、教科書に書かれている政治的分野の捉え方が一層深まるのではないかと思います。
 ちなみに本紹介文を執筆している時点(2024年4月)での岸田文雄内閣総理大臣は、宮澤家(宮澤喜一元首相)の家系図に登場しています。

 第二部は「世襲企業盛衰史」です。
 トヨタ、日産、ホンダ、スズキ、マツダといった自動車業界と世襲の関係について取り上げています。続けて阪急、東急、西武、東武といった鉄道会社と世襲の関係が書かれています。
 生徒にとって身近な自動車会社には、創業者の名前を社名としている企業、創業家は大株主であるが経営に関わっていない企業、世襲そのものとは無縁の企業があることがわかります。
 鉄道会社については、現時点で創業家がある阪急と東急についての物語が歴史的に詳しく書かれています。「乗客がいるところに鉄道を作るのではなく、鉄道を作ることで乗客を生む」という需要の創出に関する発想が印象的でした。
 世襲した後継者が経営に失敗したらどうなるのか。兄弟で世襲する場合、その後どうなったのか。後継者が育成できなかった場合にはどうなるのか。世襲経営者がいない企業には、どのような特徴がみられるのか、といった点に注目しながら興味深く読める本です。

 第三部は歌舞伎の世襲史です。
 紹介者は、ここで2つの疑問を抱きました。第一は、なぜ歌舞伎なのか。そして、それがなぜ第三部なのかです。
 読み進めていく中で、この問いについて考える手がかりを見つけました。1つは「日本で、生まれた瞬間から、いや生まれる前から、親の地位を継ぐ運命にあるのは、天皇家と歌舞伎の大名跡の家の子くらい」という記述です。まさに世襲そのものです。本書で歌舞伎を取り上げないわけにはいきません。
 ではなぜ第三部なのかです。2代目市川團十郎が誕生したところの記述に「『偉大な父』と同じことをしたのでは、とうてい適わない。多くの二世タレント、あるいは二世経営者、二世政治家が失敗するのは、父親の劣化コピーとなるからだ」とありました。
 ここに至るまでに政治家や経営者の世襲について読み進めてきた読者だからこそ第三部「世襲」の意味を立体的に捉えることができるのではないかと考えました。
 この歌舞伎の章は、皆様がどのように読み解いたのかをうかがってみたいです。

③ どこが役に立つのか?
 経済の授業でエピソードを語る意義は大きいと思います。生徒の頭の中に、生きている人間のイメージが形成されるからです。
 経済的な見方や考え方を教えるにあたって、教師は生徒の心を動かす必要があります。「政府」や「企業」を動かしてきた人物について知ることで、教師が語るエピソードは分厚いものになると思います。
 本書は、人間が登場することなく、仕組みを解説することで構成されている授業から脱却する手がかりを与えてくれるのではないかと思います。

④ 感 想
 紹介者が20代前半の頃、政治評論家伊藤昌哉さんの『自民党戦国史』(当時は朝日文庫。現在はちくま文庫。)を読んだことを思い出しました。この本はあまりにも面白くて再読を繰り返したことを思い出します。
 このころから当時の紹介者は、突如として新聞の政治面を読むのが楽しくなってきました。今回紹介した『世襲』は『自民党戦国史』と同様に、人間の活動に関する記述が主で、その活動を補足するために制度の解説が加えられています。
生徒に「経済を学習してみようかな」という気にさせるためのヒントが満載の本だと感じました。

(神奈川県立三浦初声高等学校   金子 幹夫)

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