① なぜこの本を選んだのか?
 本書を選んだ理由は次の2点です。
 第1は、本書が経済学者根井雅弘先生による高校生向けの講演であるということです。研究者が高校生に向けて、どのように経済学のお話しをするのかに注目しました。
 第2は、表紙に「将来の経済学研究者のために」と書かれているところに注目したことです。研究者がこれから経済学の研究をしようとしている若者に、どのようなメッセージを発信しているのかを知りたくなったのです。 

② どのような内容か?
 「はじめに」では、「正統」と言われている理論は、異端とのせめぎ合いのなかで構築されていったという、本書を貫いている精神が示されています。例えば、「需要と供給」は、教科書に掲載されるまでに多くの論争があったというエピソードが紹介されています。
 
 第1章は「需要と供給の均衡」というタイトルです。 紹介者は、本書がなぜマーシャルの説明からはじめようとしたのかということに疑問を抱きました。そして、その理由を本文の中から探しました。
 読み進めていくと「生産費説と限界効用説は決して『水と油』のようなものではなく、『時間の要素』を明確にすることによって、『需要と供給の均衡』という共通の分析的枠組みのなかに包摂することができる」と書いてあります。
 この記述から、本書はマーシャルを要にして生産費説と限界効用説をわかりやすく説明するために第1章に「需要と供給の均衡」をおいたのではないかと推測しました。
 
 第2章は「『見えざる手』の独り歩き」というタイトルでスミスが登場します。第1章で、ストーリーの要として登場したマーシャルはスミスの学識を深く尊敬していたことを紹介しています。
 ここでは「政治・経済」の教科書に「スミス・見えざる手・自由放任」がセットで登場して多くの人々に誤解を与えているのではないかと指摘しています。 
 前半では「個人が「利己心」に突き動かされて 行動したとしても、社会的に秩序が成り立つのはなぜか」という問題について取り上げています。
 後半では,スミスが重商主義政策を批判した理由について取り上げています。資本はどういう順番に投じられるのが自然で、その順番をどのように入れ換えたことが問題なのかを分かりやすく説明しています。

 第3章は「資本主義の「歴史相対性」を学ぶ」です。第2章の流れを受けてリカード、ミルの学説についてまとめています。
 リカードとミルが決定的に異なるのはどの部分かを冒頭で示しています。さらに、ミル自身が経済学を、隣接する学問とどのように整理したのかがあげられています。「特殊社会学としての経済学」という表現が印象的でした。

 第4章は「ケンブリッジの「伝統」への反逆」です。
 本章は「不況になれば財政出動すべきだ」という政策の旗振り役としてケインズの名前が使われていることについて取り上げています。貨幣経済理論家としてのケインズを理解しないと、全体像はつかめないと指摘しています。
 ここではケインズが抱く問題関心の変化をはっきりとつかみ取ることができます。貨幣供給量と物価水準問題、投資と貯蓄の問題、物価水準ではなく雇用量や産出量がどのようにして決まるのかという問題、そして、労働者が今の賃金で働く意欲があったとして、なぜ非自発的失業者が出てしまうのかという問題関心の変化です。

 第5章は「大英帝国の経済学支配への挑戦」というタイトルでシュンペーターを取り上げています。一般均衡理論を研究していたシュンペーターは、何に失望したのか。その失望から脱却するために、どのような思考に着眼したのかが説明されています。
 本書の「はじめに」では「『正統』と言われている理論は、異端とのせめぎ合いのなかで構築されていった」とありました。シュンペーターとケインズを比較した記述は、まさに「せめぎ合い」からの構築を感じさせてくれるものだと読み取れます。

③ どこが役に立つのか?
 スミスの「見えざる手」やケインズの「財政出動」,そしてシュンペーターのイノベーションという教科書でおなじみの用語の背景に、どのような理論的せめぎ合いがあったのかを知ることができます。
 当時の経済学者が「何を問いとして抱いていたのか」、「問いを解決するためにどのように考えたのか」というストーリーを知ることは、厚みのある経済教育実践につながるはずです。
 研究者がどのように高校生に説明しているのかという点も合わせて読むことで、授業づくりの手がかりが見つかるのではないかと思います。

④ 感 想
 教科書や資料集に掲載されている「経済思想の変遷」の資料は、例えばスミス→マーシャル→ケインズ→フリードマンというように一方通行のような矢印で流れが示されています。
 ところが本書を読むと、矢印は一方向を示すような単純な流れではないことがわかります。
一つひとつの学説に論争があったこと、本書の言葉を引用するならば「『正統』は『異端』とのせめぎ合い」のなかでつくられていったことが理解できます。
 教科書を立体的に理解するための手がかりとなる記述がたくさん見つかる一冊だという印象を持ちました。

(神奈川県立三浦初声高等学校   金子 幹夫)

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