執筆者 神奈川県立三浦初声高等学校 金子幹夫
1.教室の扉を開ける瞬間
何年やっても緊張する時があります。それは、新年度にはじめて教室に入る直前です。
全生徒が強い視線でこちらを見ます。
“怖い先生なのか?”、“厳しい先生なのか?”、“分かりやすく教えてくれる先生なのか?”生徒にとっては不安でいっぱいなのでしょう。
ところが、教師の方も不安で心は揺れています。この心の揺れは、不安感ではなく好奇心に近いものかもしれません。いったい今年はどのような生徒と共に学ぶことができるのかという好奇心です。生徒の視線に負けないように、強い心の視線をもって教室の扉に手をかけます。心の視線を支えるのは事前の教材研究です。
2.教師と生徒の“ズレ”を見る
教師が教えようとしている教科内容の枠組みは、おおよそ決まっています。問題は、目の前にいる生徒がどのような知識を備えているかです。小・中学校で何を学習してきたのか。経済学習で言えば、日常生活で経済に関するどのような知識に出会っているのか。何しろ教室で初めて会うわけですからわかるわけがありません。
小・中学校の社会科教科書に書かれているからといって、その内容を理解しているという前提で授業案を作成すると、時として教師は火傷をします。火傷にもいろいろありますが、ここで問題にしたいのは“自覚症状のない火傷”です。
教師も生徒も「わかっているつもり」と思い込んでしまうことで、気が付かないうちに両者の持つ認識がどんどんズレていってしまうという問題です。
3.注目したい、教科書に何回も登場する用語
教師が火傷を負う場面の多くは、教科書に何回も登場する用語を教えようとするときにやってきます。「教科書に何回も登場する用語はたくさんあるではないか」と指摘されそうです。
ここで取りあげたいのは、まず、登場する場面によって意味する内容が異なる用語についてです。社会科、公民科では、例えば、“国家”であるとか“契約”といった用語がそれにあたるでしょう。
歴史的分野で学習する“国家”と公民的分野で学習する“国家”は、意味が一致しない場面があります。
公民的分野に限定すると“契約”は、社会契約、神との契約、契約自由の原則の契約と様々な意味で用いられます。
生徒にとっては同じテキストデータなのですが、教科内容としては意味が異なることもあるわけです。教科書は、そのたびごとに意味が異なることを示してはくれません。「えっ?その違いは分かっていますよね?」という前提で授業をすすめてしまうと、やがて“自覚症状のない火傷”になってしまうのではないかと思うのです。
4.「税」の授業をつくる…「税」は要注意
今回と次回の「授業のヒント」では、この何回も登場する用語の中から「税」を取りあげてみます。「税」は要注意なんです。
歴史の授業では、聖徳太子が登場する場面から「税」は登場します。年貢で苦しめられる人々の記述もたくさん出てきます。やがて突如として「関税」が登場します。公民の授業では「納税の義務」について学習します。
1つひとつの税のどの部分が同じで、どこが異なるのかという説明は教科書には登場しません。「税」という1つの用語を整理するだけで、教師の持つ知識と生徒の持つ知識のズレがグッと狭くなるはずです。
5.「税」に対する教師と生徒のズレ
用語を整理すると同時に、生徒は税をどう見ているか、それを探ることが生徒と教師のズレを埋めるために必要な作業になります。
実は、筆者は生徒が税をどのように受け止めているのか、ということに関して「思い込み」をもっていました。
その思い込みとは、「税を納めることについて肯定的に捉えている生徒は少ない」というものです。
テレビを見ると“増税に反対する人々”の映像が流され、政治家は減税を主張し、書店に行き「節税対策」と表紙に大きく書かれた本が売られている光景を見ているうちに税についての思い込みが形成されていったと言えるでしょう。
実際に教材研究をするために購入した文献には次のように書かれていました。
財政学者神野直彦さんは雑誌のインタビューで「(日本では)自分たちの外部に存在する支配者が取っていく、あるいはその支配者に上納するお金だという意識なので、税に抵抗観をもっている」と述べています(『税とは何か』別冊環 藤原書店p.10)。
同じく財政学者の石弘光さんは「税とか税金とかいうのはあまりいい印象を人々に与えていないと思われます」と書いています(『タックスよ、こんにちは!』日本評論社p.1)。
新書に手をのばしても多くの本は税に関するマイナスイメージを指摘しています。30分ほど書店を歩くだけで、同じような傾向の文献にまだまだ出会うことができます。
筆者はこれらの文献を読みながら教材研究を続ける中で、生徒が税について否定的な見方をしているのではないか、という先入観をもってしまったようです。
6.実際に調べてみると・・・
授業開きにあたって筆者は、生徒を対象に税についての印象をたずねてみました。その1つが「税金についてどのような印象を持っているか、次の用語をランキングしなさい」 というものです。
用語は「寄付・会費・罰金・献金・料金・没収」の6個で、これらを1位から6位までランキングさせました。「寄付・献金」は肯定的な意味を、「会費・料金」は中立的な意味を、「罰金・没収」は否定的な意味もつとして、回答結果を分類すると次のようになりました。
約100名を対象に行った調査は、税について肯定的態度を示す傾向がある生徒は約27.3%、中立的態度を示す傾向がある生徒は約51.5%、否定的態度を示す傾向がある生徒は約7.1%という結果でした。
否定的態度を示す生徒が極端に少ないというのが筆者にとっては驚きだったのです。「えーっ、納税することに抵抗がないんだ!」というのが職員室で発した声です。
次に思い浮かんだ記号が「?」です。もしかしたら「公民科」の授業案を作成しようとしている時に、目の前の生徒が「税に抵抗を持っている」という前提に立って計画を進めようとしているのではないかと不安になったのです。まさに思い込みです。
7.納税の義務=納税の○○?
もう一つ、生徒が税についてどのような意識をもっているのかを知りたくて「“納税の義務”の義務を別の漢字2文字で表現すると、どのようになりますか?」という質問をしてみました。
同じく、約100名の生徒を対象にした回答結果は、「約束」と書いた生徒が25名、「権利」と書いた生徒が9名、「責任」と書いた生徒が9名、「絶対」と書いた生徒が8名でした。
ここから先は推測です。約束という言葉の周囲には「契約」という用語がちらつきます。そして何と言いましても注目したのは「権利」や「責任」と書いた生徒が複数名いたことです。
以前「夏の経済教室」に登壇されたことのある諸冨徹先生は、著書『私たちはなぜ税金を納めるのか-租税の経済思想史-』(新潮社)において、租税を「国家から提供される便益(生命と財産の保護)への対価として市民が支払うもの。この租税観は市民革命期のイギリスで確立された、いわば『権利』としての税である」(同書p192)と指摘しています。
諸冨先生の著書で紹介されている池上惇さんの『財政学』(岩波書店)を読んでみると「国民の納税に対する関係を表現しようとすれば(略)『納税の責任』と表現する方が適切な訳語であろう」(同書p9)と書かれています。生徒の感性の方が筆者の認識よりもすすんでいる、というのが率直な感想です。
授業案をどのようにつくるかのヒントを生徒から教えてもらったわけです。
課題は、ここで得られた情報を、どのように授業につなげるのかということです。その具体的な提案は来月号に書かせて頂きます。
Comments are closed