執筆者  行壽浩司(福井県美浜町立美浜中学校教諭、兵庫教育大学連合大学院生)

(1)公民分野の悩み
中学校の公民的分野では憲法の条文に則り、自由権や社会権、参政権などの学習を行う単元が設定されています。授業者としてはどうしても憲法の条文の解説に多くの時間を割いてしまいますが、これは避けたい。
法という抽象的な概念から、私たちの生活における様々な場面、具体的な事象へとつなげてゆける授業が求められていると思います。

(2)社会権を切り口に
 社会権の学習では生徒の目が輝くような、魅力的なネタが多くあります。
例えば、団体行動権では、「野球のメジャーリーグで素人を集めて試合をした球団があるか?」。(答え、ある。選手がストライキをして出場を辞退したため。-フジTV『トリビアの泉』より)
教育を受ける権利では、「明治時代の小学校の出席簿、この<黒ちょぼ>はなに?」(答え、<黒ちょぼ>は欠席マーク。このクラスでは25人中皆勤はたったの3名。女子は全休が18人中13人。-福井県教育博物館より)
こんなネタによって具体的な事象へと学習が展開してゆきます。

河原和之氏のクーラーと生活保護の関係が問題になった「桶川事件」を扱った実践に触発されて、筆者がこのネタを福井県の公立中学校三年生に対して行いました。
「ガラケーなら固定電話があれば必要ないのではないか」
「スマホがあるなら検索機能があるのでパソコンは必要ないのではないか」
「電子レンジは冷凍食品を食べなければよいのではないか」
「いや、冷凍食品を食べることができないのは健康で文化的な最低限度の生活に反しているのではないか」
「冷凍食品は文化的かもしれないけれど、健康的かというと…」と、教員の想定していた以上のものが出てきました。

(3)もう一歩深めるために
このような社会権を扱った後に、生存権の考え方や、生活保護という制度について生徒に聞くと、おおむねこの制度に賛成します。しかし、本当にそう思っているでしょうか。それは「予定調和」的な答えであり、教員のオーダー(言ってほしい模範解答)に応えている「おりこうさん」な答えではないかという疑問が浮かび上がります。

ここでもう一度資料を提示して、生徒の価値判断を揺り動かしたい。
「もしも先生が働けなくなって生活保護を受けたとしたら、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な金額っていくらだと思う?」という問いをなげかけます。
「健康で文化的な最低限度の生活」をすべての国民が送ることができるのはよい事(善)であり正しい事(正義)であると生徒は思っていけれど、では具体的にどの程度の金額が必要なのか、とさらに問うてゆきます。
インターネットのサイトで計算したところ、20代後半の独身男性であれば月約13万円とのことでした。

このネタからさらに二つの問いを導き出すことができます。
一つは、具体的に月13万円が必要だとして、目の前の先生が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むためにそれだけの税金をかけることに、あなたはやはり賛成ですか、反対ですか?と問い直す発問です。
「行寿先生だったらクーラーじゃなくて扇風機でよくない?笑」という意見が出てくると教室が盛り上がります。
みんなで笑い合いながら、「そのように人によって判断は変わっていいのかどうか、それこそ人種の違いや性別の違い、身分で判断は変わっていいのか」と、追求していくことで生徒は「う~ん」と考え、近くの生徒とミーティングを始めてゆくのです。
生徒にとって「話し合いたい」と思える問いということだったのでしょう。この問いは、より正義や公正について考え、深めるきっかけになります。
このような学習法は高等学校「公共」の学習にもつながるはずです。

(4)ダメ押しの問い
もう一つの問いは、月13万円という金額が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要であるとしたら、それ以下の金額で生活している若者の存在は、憲法が保障している生存権の考え方に反しているのではないか、政府はこのような貧困世代を救済する政策をとるべきではないか、という問いです。
そこから絶対的貧困率と相対的貧困率を説明してゆきます。「日本は先進国で豊かな国」という授業を小学校の頃から受けてきた生徒にとって、「日本は貧しい国である」という新しい事実は刺激的なはずです。

抽象的な内容理解に終止しがちな公民的分野の学習を、ネタという具体的な事象を通して深めていく。そして「予定調和」的な価値判断意思決定を超えるために、生徒自身の価値判断が揺れるような重層的な問いをたてる。
社会権以外にも魅力的なネタやそこから派生する問いはたくさんあるはずです。それを発見しながら授業をつくってゆければと思っています。

(メルマガ 141号から転載)
 

Tags

Comments are closed

アーカイブ
カテゴリー