執筆者 新井明

 今回のヒントは、新井紀子さん(国立情報学研究所)の『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)から得たものです。

(1)衝撃的な指摘
 この本、新井さんの前著『AI vs.教科書を読めない子どもたち』の続編です。
 新井さんがはじめた「リーディングスキルテスト」のサンプルがあり、そこから分ること、テスト結果のタイプ別の課題が分析されています。
 それだけでなく、実際に新井さん自身がが行った授業の紹介、見学した授業から発見した知見が書かれています。
 そこに指摘されていたのが、教科書が読めなくなっている一つの要因として、授業で使うプリントが取り上げられていました。
 これまで、プリント授業を行ってきた筆者にとって、ちょっと衝撃的な指摘でした。

(2)穴埋めプリントの意図せざる結果
 新井さんは、小学4年の算数の研究授業を見学、よく練られた良い授業だったのだが、気になることを発見します。
 それは児童の使う鉛筆が2Bだったことでした。
 小4で2Bの鉛筆を使うというのは、ノートに鉛筆で書く量が減っているということの反映ではないかと仮説をたて、生徒たちをみてゆくと、黒板を写すスピードが遅い。
 参加されていた先生に聞くと、ノートをあまり取らせないという。なかには、「黒板を写させる活動はアクティブラーニングではなく、一方的な教え込みですから」、「黒板を写させる時間がもったいない。それならば話し合いの活動に時間を割いた方がいい」という先生もいたと同書では紹介されています。
 なぜ、黒板を写すことをやらなくなったか。それを確かめるために全国のワークシートやプリントを集めると、穴埋め形式のものが圧倒的に多かったことを発見します。
 つまり、文章を文章として理解するのではなく、用語をキーワードとして覚えてしまえば分かった気になり、テストでも得点がとれてしまう。それが、文章が読めない生徒を作り出す要因ではないかということです。
 それが積もり積もって、ノートのとれない中学生、高校生、はては大学生になる。
 日本の先生は真面目だから、生徒のために熱心に穴埋めプリントを作る。それが意図せざる結果を生み出しているという指摘です。

(3)筆者の体験
 筆者は、教員なりたてからずっとプリント授業はやってきましたが、穴埋めプリントを作り出したのは、それほど昔ではありません。(プリントづくりは、当初はガリ版刷り、次が謄写ファックス、そして現在へと進化?してきました。)
 進学重点校に異動して、予備校関係者から授業診断を受けた(受けさせられた)ことがあり、そのなかで板書が下手との指摘をうけたことがきっかけでした。
 ある程度の進度を確保する必要と、もとから板書が苦手でもあったこともあり、それまでの資料の読み取り型を残しつつ、板書事項を入れたプリントを作り、そこに穴をあけはじめたという次第。
 生徒から穴に番号をふってほしいという要望もでて、今では典型的な穴埋めプリントになってきています。(板書事項プリントと資料プリントを分けて、前者はカラー紙で印刷するという丁重ぶりです。)
 どんなに授業を聞いていない生徒でも、穴の部分の用語を紹介すると、条件反射的にそれを埋める風景はちょっと恐ろしいくらいです。
 話は飛びますが、同じ本のなかで、新井さんは、大学時代の阿部謹也先生の「一橋大学生の知的レベルが劇的に下がったと感じたのは、生協にコピー機が導入されたときだ」という言葉を紹介されています。
 似たような経験を筆者もしています。
 ディベート授業の準備に夏休みの宿題にテーマのリサーチレポートを課していました。
 当初は、まだパソコンが普及してなかったこともあり、生徒は図書館に通い、必要部分を写してレポートを作成していました。(今でも、そのなかの優秀な手書きのレポートをもっています)
つまり、生徒たちは力ずくの作業をしていたことになります。
 その時のディベートは今振り返っても内容充実のものだったと言えると思います。
 それが出来なくなったのは、PCの普及で簡単にレポートができるようになってからです。事前の準備をきちんとしないディベートは内容がスカスカになります。だから、進学重点校でしたが、ディベート授業の質はそれほど高いものとはなりませんでした。

(4)ではどうするか
 新井さんも書いていますが、いきなり昔のスタイルのチョーク・アンド・トークの授業を復活させるのは現実的ではありません。
 なにより、一度、自分の授業スタイルを点検してみることから始めるしかないでしょう。
その際に、自分の授業のなかで、これは伝えたいというコアの内容を生徒にどう伝えるか、また、それが伝わるためにはどんな方法がよいか半年かけて再考してみることをすすめます。
 生徒が黒板をリアルタイムで写せるようになる、穴埋めプリントを使わなくとも自分のあたまを使って話を聞くことができるようになるためには、新井さん流に言えば、生徒たちの状態を「耕す」必要があるということだろうと思います。
 生徒を「耕す」ための仕掛けはなにか、昔ながらの良い授業をしていたと新井さんが評価した小学校の若い先生は、新聞記事の要約と感想を半年かけて継続して、ノートがとれる子どもたちを育ていたと紹介されています。
それぞれ先生方は、生徒たちと格闘しながらつくりあげた「耕す」方法のノウハウをお持ちのはずです。それを共有しながら、論理的に考える生徒、読解力がある生徒づくりをすすめたいものだ、その場にネットワークがなればよいと、自身の反省を込めて考えています。
さあ、まずは自分の穴埋めプリントの修正版をつくらなければ。

(メルマガ 129号から転載)

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