執筆者 新井明

 今回は、金子幹夫先生(神奈川県立平塚農業高校初声分校)の研究の一端を紹介するものです。タイトルはちょっと抽象的ですが、税に関して、高校生がこれまでどんな内容を学んできたのか、それを小学校の歴史教科書と中高の公民の教科書を読み通すことでしっかり理解しておくことが、高校の公民の授業に新しい視点が生まれるという事例です。

 最初は、小学校の教科書を読んでみましょう。
 税金に関して、小学生は歴史で、何回か触れてゆきます。例えば、古代、公地公民、租庸調が登場します。次は江戸時代です。年貢が重い、百姓一揆という形で税金は取られるものという位置づけの記述です。
 ところが明治になると関税が登場します。小学校ではまだ地租はでてきません。ここで歴史の税金の扱いは終わりです。
 小学校の後半は公民的分野です。
 そこで突然、納税の義務が登場します。そこで、なぜ納税が義務なのか、もし税金が納められないとどうなるかという学習が続いているという構図です。
 ここからみると、小学校の社会科では、税に関して深い断絶があり、それが強い印象で生徒に残されていることになります。

 では、中学校の教科書ではどうでしょうか。
 中学歴史ではかなり税に関する記述が登場しています。日本史では、律令制下の租庸調、平安時代に国司が税を搾り取る、鎌倉時代に地頭による年貢の取り立てが書かれています。室町時代の半済が登場します。
 そして太閤検地。耕作権を保証する代わりに年貢を納める義務を負うという記述が書かれています。
 世界史が扱われる部分では、アメリカ独立革命の「代表なくして課税なし」がしっかり書かれています。
 日本史に戻ると、江戸時代の村請制、年貢米の流通、株仲間と営業税なども出てきます。そして、重税と一揆。
 幕末の条約で関税が突然登場するのは小学校と同じです。地租改正、日露戦争と増税と続きますが、ここでほぼ終了です。
 公民的分野になると、突然、憲法学習で納税の義務が登場します。そして、財政の働き、政府の働き、社会保障と財源と続いて登場してきます。
 中学校の教科書も日本史では、とられるもの、重税、反発という構図で税が扱われ、なぜ税が必要なのか、政府(権力者)は何のために税をとるのかという部分の説明はありません。
 そして、「代表なくして課税なし」が登場していますが、それが日本史の学習と強くリンクされることなく、日本国憲法の国民の義務、経済学習の財政と続きます。
 ここでの学習内容は小学校に比べて格段に詳しくなっていますが、構図は同じと言ってよいでしょう。
 中学生は、小学校での税のイメージをもって中学の学習にのぞんでいます。高校生は、中学校のイメージというより、小学校でつくられたイメージをもっていると考えた方が良いかもしれません。

 経済教育で、税を扱う時、また、政策選択で増税問題を扱う時、税について生徒がどんなイメージ、先入観をもって教室の椅子に座っているか、私たちはしっかりとらえて、授業の設計をはからないと、自己満足的な授業にしかならないかもしれません。
 これは税だけでなく、経済学習全体に言えることだろうと思います。
 なお、金子先生は、とられる税と納める税のギャップを埋めて、主権者として政府の経済活動を支えるものとしての税を自分の頭で考えられる生徒を育てるためのプランを研究中とのことです。成果が期待されます。

(メルマガ 105号から転載)

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