■ 大竹文雄『思い込みの経済学 AI時代のお金・仕事・社会』中公新書2026年
① なぜこの本を選んだのか?
 2026年8月に開催された先生のための「夏休み経済教室」でご講演をいただいた大竹文雄先生の最新刊です。当日、「もうすぐ本が出版される」というお話がありましたので、さっそく紹介することにしました。
 教室に参加された方、残念ながら参加できなかった方皆さんで「AI時代に必要な能力」について読み解いてみませんか。

② どのような内容か?
1.皆、同じような誤りを繰り返している?
 「私たちは、ふだん『それほど間違った判断はしていない』と思いながら生活している」という一文で本書ははじまります。この「思いながら」に注目します。
 つまり「間違っていない」と思いながら、私たちはけっこう間違った判断をしているわけです。しかも驚くほど似た誤りを繰り返しているようです。

2.金融教育に欠けているものが2つある
 そこで登場するのが金融教育です。本書は、金融教育に必要な内容を2点示しています。その中の1つが「人はなぜ誤った判断をするのか」を教えなければいけないというものです(もう一点は本書でどうぞ)。
 教師が経済学の思考方法、そして行動経済学の知識を身に付けることで、生徒に「自分の弱さを自覚し、迷わず適切な行動をとることができる」力をつけさせる授業ができるのですね。ポイントは、経済学のバランスシート思考にあるようです。

3.印象に残るコトバ
 印象に残る記述を紹介します。「正しい知識を与えれば、正しく行動できるようになるという誤った前提」に立ってはいけないということ、「金融リテラシーが高まるほど、行動が望ましい方向に改善するとは限らない」ということです。
 さらに本文では、金融教育に関する知識を身に付けていく過程の、どの段階で人は最も誤りやすいか? を教えてくれます。「えー・・・、その段階で?」と思わず繰り返し読んでしまう部分があります。        (第1章)

4.ゾッとしてハッとする
 次に登場するのはAIです。AIは人間の仕事を代替するのでしょうか? それとも補完してくれるのでしょうか? 本書は、楽観論と悲観論を紹介しています。「新しい薬の開発」といった楽観論を楽しみたいところですが、読者は悲観論の記述に導かれていきます。
 ゾッとするのは、AIが私たちの寿命を延ばす効果が大きければ、人類滅亡のリスクが大きくてもAIの導入を進める場合がある?・・・という記述です。
 ハッとする記述は、核兵器の場合、抑止力という均衡が成立していましたが、AIの場合に均衡が成立するのでしょうか? というところです。

5.ジワッと迫ってくる記述
 危機感を肌で感じる記述もありました。人間が学ぼうとする努力が減ると、社会全体で新しく生まれる知識も減るという場面です。AIの使用で、自分で深く考える習慣が減り、やがて知識が崩壊するという悲観論です。
 科学は「基礎理論」と「実験結果」で補完し合っていますが、AIの登場で基礎理論が弱まってしまうかもしれないというのです。危機感がジワッと迫ってきます。
 
6.重要なのは制度設計
 この悲観論を前にして、私たちはどのような工夫をすることができるのでしょうか。本書は「制度設計」が重要だと示しています。教育、労働、所得再分配のルールを社会全体で設計するのです。
 読者の皆さんが関わるのは教育です。AIの登場は、今の学校にどのような影響を与えるのでしょうか? 具体的な工夫として、何ができるのでしょうか。本書は技術力と人間の能力について考察をすすめていきます。  (第2章)
 
7.代替と補完という枠組みで考える
 それでは、その技術力と人間の能力について考えるにあたり、AIは私たちの仕事を奪ってしまうのでしょうか?
 この問いを考えるために、本書は経済学の基本概念である「代替」と「補完」を用いて私たちに説明してくれます。ラグビー日本代表の例は、この「代替」と「補完」を理解するための、最もわかりやすい事例として心に残ります。ぜひ読んでみてください。
 手順が決まった作業はAIに任せ、責任を引き受ける仕事は私たちが行うことで、仕事の奪い合いは避けられるようです。では学校の仕事に絞って考えると何が見えるのでしょうか?

8.AI時代の教育で重要なことは?
 AIは学校にどのような影響を与えるのでしょうか? この問題はAIを「禁止しろ」とか「認めるべきだ」という単純な二択にはなりません。生徒は何を学び、どの段階でAIが登場するのかという設計図の作成が必要になります。
 この設計図を描くために、AI時代の教育における重心を意識する必要があります。本書は、その重心を3つあげています。1つは、AIがうまく使えていない瞬間を見抜く力です。あと2つは何だと思いますか? (第3章)

9.働き方をめぐる思い込みについて
 ここまで技術力と人間の能力といった、個人の仕事について考えてきました。次は、「私たちの働き方と制度」について、どのような思い込みがあるのかを取り上げます。
 本書では、この思い込みについて①長時間働くことをめぐる思い込み、②男性が働くこと、女性が働くことをめぐる思い込み、③働く人を企業が囲い込むことについての思い込み、④企業理念を語ることで業績はあがるのか、という思い込みを取り上げています。

10. 思い込みの向こう側
 ①について。従業員の睡眠時間が長いことが、企業の営業利益率にどのような影響を及ぼすのかという研究が取り上げられています。
 ④について。なぜ企業が立派な経営理念を語るのでしょうか? その理由を読むと「なるほど!」と納得します。そして、その理念はどのようにすると全社員に届くのかというコツも紹介しています。皆さんの職員室を思い描きながら読んでみてはいかがでしょうか。
(第4章)

    11.裁判官は夕方になると・・・
     社会には、至る所に「思い込み」があるようです。これまであげたもの以外に、どのような思い込みがあるのでしょうか? 思い込みから抜け出す方法はあるのでしょうか?
     私たちが持つAIの印象はどうでしょう? 公民科授業で実践されることの多い最後通牒ゲームにおけるAIの反応を想像できますか? 紹介者にとっては意外な結果でした。 裁判官の判断をめぐる記述は、ぜひ読んでみてください。夕方になるとどんな判断が多くなるのか? 気温に左右されるのか? 無意識にバランスをとろうとして適切でない判断をしていないか? どれも生徒の注目を集めそうな話題だと思います。
     
    12.強制することなく人の行動を変える手立て
     この至る所に潜むバイアスから抜け出す手がかりが示されています。
     伝統的な経済学はインセンティブに注目して人の行動を変えようとします。法律学は、特定の行動を禁止し、違反者には金銭的なペナルティーを課そうとします。行動経済学は「ナッジ」と呼ばれる力を使って望ましい意思決定を可能にしようとするのです。

    13.いろいろなナッジ
     選択の自由を残しながら人々をよりよい方向に導く代表的な「ナッジ」が4つ示されています。デフォルトの変更、コミットメントといった手立てが授業づくりに役立ちます。   (第5章)


    14.本書の全体像
     以上が、本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
     はしがき――立ち止まって、考える
     第一章 お金とリスクの本質――「バランスシート」で思考する
     第二章 aiと成長の本質――補完か代替か、楽観か悲観か
     第三章 技術革新と人間の能力――aiは人間の仕事を奪うのか?
     第四章 働き方の呪縛を解く――「貪欲な仕事」、性差、転職
     第五章 「思い込み」を解くナッジ――社会とバイアスの本質
     あとがき

    ③ どこが役に立つのか?
    本書は「人は、正しい知識を教わったら、適切な行動をとるはずだ」という考え方に疑問を投げかけています。2回、3回と読み直すことで「説明したことで教えたことにしてはいけない理由」が可視化されていきます。
     世の中の仕組みはどうなっているのでしょうか?という問いと、なぜ人間は不思議な行動を選択するのでしょう? ということを両方学ぶことで、生徒の心に届く授業になっていくのだということを教えてくれる一冊です。

    ④ 感 想
     全体を通して安心して読むことができました。理由は次のとおりです。
     本書で取り上げたテーマを考察していくと、「代替か補完か」という問いが形を変えて繰り返し登場します。
     各テーマは、株と金について、AIについて、一人ひとりの仕事について、企業など働いている場所について、人間が解釈するという行為についてという魅力的な問いでした。これらをわかりやすく細分化して教えてくれます。
     この各テーマは代替と補完という枠組みに再統合されながらストーリーが進んでいきますので、常に部分と全体を意識しながら安心して読み進めることができたのです。
    (金子幹夫)

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