■ 渡辺尚志『年貢 せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』中公新書2026

① なぜこの本を選んだのか?
 政治的分野、経済的分野、歴史的分野の学習において、「税」の知識を整理できるのではないかと思い選びました。
 この知識の整理は、小学校・中学校、そして高等学校の公民科、地歴科の教科書登場する「税」に関する知識の整理にもつながるはずです。

② どのような内容か?
1.渡辺尚志先生は?
 渡辺先生は、日本の歴史学者で一橋大学名誉教授です。日本近世史がご専門で、江戸時代の村と農民の歴史について研究しています。2022年4月から松戸市立博物館長に就任しています。

2.年貢の始まりは?
 歴史学習で出会う「年貢」は、いつ頃から始まったのでしょうか? どうやら11世紀から広がりはじめ、19世紀まで続いたようです。年貢は米だけではありません。麦や大豆で納められることも多かったようです。

3.なぜ百姓は年貢を納めたのでしょうか?
 領主と百姓の間で取り交わされた契約文書の第一条には、領主・百姓共に神仏を大事にすることが、第二条には、領主側に農業生産の条件整備に努める義務があることが記されています。第三条に、百姓には年貢を完納する義務があることが記されます。
 年貢は領主が百姓から一方的に搾り取るものではなく、領主が自らに課せられた責任を果たさないなら、百姓にも年貢を納める義務はないという契約関係があったのです。(第一章)


4.納める年貢の量を決める方法
 戦国時代になると村が前面に出てきます。年貢は個々の百姓に対して個別に賦課されたのではなく、村に賦課されたものです。
 どのくらいの年貢を賦課するのかは、検見(けみ)と呼ばれる作柄調査で決まります。サンプル調査ですね。この調査の結果、百姓のもとには収穫物の約三分の一程度が残ったようです。(第一章)

5.年貢=税とは異なる解釈がある 
 この賦課された年貢ですが、研究者の間では「年貢=税」と即断しているわけではないようです。田畑は誰のものかという議論があるからです。
 それでは、当時の大名や百姓は年貢をどのように捉えていたのでしょうか? どうやら「公儀の土地は大名が預かり、それを百姓が預かる」という共通認識があったようです。
 土地は誰のものか? そして土地の私有はいつころからどのようにして広がっていったのかという問いについて福沢諭吉らの文献を紹介しながら説明してくれます。(第二章)

6.農民の義務、武士の義務
 ここで、先ほどの「年貢=税」かどうかの問題に戻ります。どうやら江戸時代の百姓は
年貢を納めることが、その身分に応じた義務だと考えていたようです。百姓と武士が、それぞれ身分に応じた役割を果たしながら社会の安定を維持していたと捉えるのです。
 それでは武士の義務とはどのようなものでしょう? それは、武力で平和を維持し、農業基盤を整備し、百姓が安心して農業に励める環境を保障する義務です。本書では、江戸時代人は、年貢=地代というよりは年貢=税と認識していたのではないかと解釈します。(第二章)


7.町人にも貧富の差があった?
 ところで幕府の財政は年貢だけで賄えるものなのでしょうか? ここで登場するのが御用金や献上金です。実態としては、ほぼ献金のようなものでした。なぜ町人や百姓が献金のようなものに応じるのでしょうか?
 それは、幕府や藩が平和を維持しているおかげで庶民が安心して暮らせるのだから、御用金を上納してその恩に報いるべきだという論理が働いているのだと教えてくれます。(第二章)


8.幕府領の視点から見る年貢
 幕府は、収入の大半を年貢に依存していました。この年貢収入の中から、将軍家の生活費と旗本・御家人の給与を支出し、残りを行政費用に充てていました。この財政状況を教科書に記述されている内容と合わせて理解する具体例はあるのでしょうか?
 本書は、年貢収入と年貢率を比較する例を挙げています。1706年と1715年のデータを比較して、年貢収入は増加しているのに年貢率が低下していることを指摘します。この年貢率低下の問題が徳川吉宗の政策課題となり享保の改革につながっていくわけです。
 田沼意次、松平定信、水野忠邦がどのような政策選択をしたのか? その成果はどうだったのかを読み取ることで、歴史の学習に経済的視点を加えることができます。(第三章)

9.大名領の視点から見る年貢
 大名領における年貢は、国税ではなく地方税にあたります。ということは、地方によって税率は異なるのでしょうか?
 徳川家康は、年貢額については、近隣の領主の年貢額を勘案して判断するように指示しています。自らの領内だけ重い年貢を賦課しないようにするためだそうです。結果として年貢率は全国的に一定の幅の中に収まっていたようです。
 なぜ領主は重い年貢を課さなかったのでしょうか? もう一つ深い理解が必要です。(第三章)


10. 年貢が租税に近づいていく?
 この疑問について考える手がかりが1833年当時の史料にあります。年貢の在り方についての性格が見えてきます。
 もともと江戸時代では、百姓が納めた年貢の中から領主が家臣に給金を支給していました。ところが時代の経過と共に、百姓の武士に対する発言力が変わってくるのです。
 給金は、村々から個々の家臣に渡す方式に変わります。年貢の使途は、百姓たちが把握するのです。近代以降の租税協議権に一歩近づいてきたようです。(第三章)

11.村の構成を理解しよう
 江戸時代の年貢は、個人が直接納めるというものではありませんでした。村請制ですね。そして、この村から個々の家臣に給金を渡すのですから、村のことを知っておくと、もっとよく理解できそうです。
 村は、集落、耕地、林野で構成されていました。専任の警察や消防はありません。村人自らが担います。村はひとつの行政組織でもあったわけです。運営のために名主、組頭、百姓代といった村役人が置かれます。そして日常的な村運営は百姓に委ねられたのです。  (第四章)
12.なぜ寺子屋ができたのか?
 日常的な村運営が百姓に委ねられますと、武士は城下町に集住するようになります。江戸時代の村は、武士のいない村になるわけです。城下町から村に何か伝えることが出てきたら、それを文書にして伝えます。   
 村には武士がいないのですから百姓たちは、その文を読み解かなければなりません。
そこで文書行政に対応するための寺子屋が増えていったわけです。
 寺子屋は、読み書きだけを教えるのではありません。商品・貨幣経済が発達するわけですからそろばんも教えなければならないのです。寺子屋の歴史や、その果たした役割を本書で読み取ってみてください。経済学習をしていたのかもしれません・・・。 (第四章と第六章)

13,借金についての独特の考え方
 村は、社会的弱者・困窮者に対する保護・救済機能も持っていました。経済的に援助が必要な人に対する政策、貧富の格差を解消するための政策、村が独自で対処できない災害などが発生したときの救済などについて書かれています。
 そして、江戸時代特有の金融慣行についても興味深く読むことができます。期限が来ても借金が返済できないとき、現代社会では考えられない対応をしていたのです。どのような対応だと思いますか? (第四章)

14.農民がのぞんでいる政治とは?
 江戸時代のいろいろな面が見えてきました。領主と百姓は対等ではありませんが、年貢額の決定などでは形式的な面があったとはいえ両者の合意が必要だったようです。それでは、この両者が対立した場合には、どのようなことがおこったのでしょうか?
 ここで登場するキーワードは「一揆」です。一揆のイメージは、反権力的な武装蜂起というイメージではありません。百姓は、領主の支配を全体としては受け容れていました。それでは、何が両者の争点となったのでしょうか?
 争点は、農民を慈しみ憐れむ政治の実現についてです。武士の支配自体を否定する意図はなかったことが詳しく書かれています。 (第五章、第六章)

15.「使い方」を決めるということ
 本書の終盤では地租改正が登場します。年貢を負担していた人々に、どのようにして土地の所有権が認められるようになったのかがわかりやすく書かれています。そして、ここまでは取り上げてこなかった、集めた税の使い道について言及しています。
 最後に、年貢とはいったい何だったのかという記述があります。印象深いのは、江戸時代後期の百姓の負担と、令和7年における国民の租税負担率との比較です。皆さんは、この比較をどのように予測しますか? 答えは本書から読み取ってみてください。(終章)

16.本書の全体像
 以上が、本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
 はじめに
 第一章 古代から豊臣政権期までの年貢
 第二章 江戸時代の年貢
 第三章 領主からみた年貢
 第四章 百姓からみた年貢
 第五章 年貢の賦課から上納まで
 第六章 年貢をめぐる対立
 第七章 年貢の矛盾が深まる
 終章 年貢から地租へ

③ どこが役に立つのか?
 具体的に年貢を易しく説明した本に出会えたことをうれしく思っています。歴史学習と公民的分野の学習を接続する知識がたくさん書かれているからです。年貢と現代の税には、異なるところがたくさんあります。一方で、興味深い共通点をたくさん見つけることができます。歴史、政治、経済学習の全てに関わりのある「税」についての知識を整理することができる点で役立つ一冊になると思います。

④ 感 想
 本書には、百姓は年貢を義務だと解釈していたのではないかという記述があります。この「義務」というのはどのようなものなのかが気になりました。大日本帝国憲法における納税の義務は「Duty」、日本国憲法の納税の義務は「Liable」です(Obligationではないのです)。「義務」の強さが違うようです。どなたか本記事をお読みの方で詳しい方。江戸時代の「義務」を英語で表すとどのような単語が適切なのでしょうか。教えてください。
(金子幹夫)

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