■ 鈴木一人『地経学とは何か─経済が武器化する時代の戦略思考─』新潮社2025年

① なぜこの本を選んだのか?
 本書を執筆しました鈴木一人先生は、今年の先生のための「夏休み経済教室」で講演をしていただく先生のお一人です。そこで、先生のご講演をより深く理解するために事前に予習をしておこうと考えて本書を選びました。

② どのような内容か?
1.鈴木一人先生について
 東京大学大学院教授・地経学研究所長です。2012年『宇宙開発と国際政治』で第34回サントリー学芸賞受賞。国際政治学、国際政治経済学がご専門です。
 
1.経済的資源に着目
 書店に行くと「地政学」というタイトルの本はたくさん見かけますが、「地経学」と何が異なるのでしょうか?
  本書は冒頭で、地経学というのは地政学と経済安全保障とをかけ算するようなイメージで捉えてはどうかと教えてくれます。どうやら経済的資源に着目するところがポイントのようです。

2.地経学における経済安全保障
 経済的資源に着目して世の中を見るというのはどういうことなのでしょうか? これからみていく地経学という概念では、その国が持つ天然資源に加えて技術力や人材、企業の経営力も含めた複合的なものに注目します。
 そして、経済的手段にによる他国からの圧力に対抗する能力を構築することが地経学における経済安全保障だと考えるのです。伝統的な国家安全保障とは異なるようです。

3.政府と市場の距離感が変わる
 伝統的な概念の捉え方が異なる経済安全保障については、政府と市場の関係における変化を見ることでより一層明確に理解することができます。
 これまでは、政府はできるだけ市場に介入しないという考え方が続いていました。ところが今ではこの考え方は変わりつつあります。各国の経済が相互依存関係にあるためです。
 特定の国家が過度な地経学的パワーを持つようになり他国を威圧するという場面に出会ったら、その状況を回避しなくてはなりません。これが経済安全保障の概念なのです。

4.二つのキーワード
 私たちは、この威圧からの回避をどのように捉えればよいのでしょうか? 本書では2つの大切な概念を紹介しています。それは、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」です。
 戦略的自律性は、自国が他国への依存度を減らしていくことにより、その国が依存状態をテコに圧力をかけてくることを防ぐ目的があります。
 もう一つは、自国がグローバルサプライチェーンにおいて不可欠な存在になることで、他国が攻撃しにくくなるという「戦略的不可欠性」です。日本は、いくつかの分野において不可欠性を持っている国であることを教えてくれます。

5.スモールヤード・ハイフェンス
 ところで、安全保障戦略という考え方においては「何を」「どのような脅威から」「どのような手段で」守るのでしょうか?
 本書では自由貿易のルールを徹底することと国家の安全保障を確保することが両立しないのではないかと指摘しています。経済が「武器化」される中で、ルールが守られなくなる世界が徐々にでき始めているのです。
 注目すべき考え方として「スモールヤード・ハイフェンス」があげられています。「管理すべき対象はできる限り小さい庭に収めて、そしてそれを高いフェンスで守る」という考え方です。

6.三つの罠
 なぜ地経学や経済安全保障が、今注目されるようになったのでしょうか? 鈴木先生は、冷戦後の世界において各国が相互依存を深める中、三つの罠があったのではないかと指摘しています。
 一つ目は、私たちがある種の計算違いをしていた部分があるということです。二つ目は「相互依存の罠」、そして三つ目は二つの罠にかかってしまった結果、そこから抜け出せない状況で、経済を武器にして攻撃を仕掛けるというものです。2010年の中国によるレアアースの輸出停止が例としてあげられています。
 相互依存の罠を読み解くことで、今日の中国やグローバルサウスの国々の動きの背後にある事情が見えてくると思います。

7.半導体と地経学
 大きな枠組みを共有した後、本書は、地経学の視点から半導体、IT、AI、宇宙、資源というテーマを見ていきます。
 はじめは世界中が探し求めている半導体です。日本の半導体産業は衰退したと言われていますが、それはロジック半導体についてだそうです。日本はメモリには強く、パワー半導体やアナログ半導体でも優れた製品を生産しています。
 その日本の半導体産業は1990年代以降に衰退の一途をたどります。その理由は日米半導体協定が要因なのでしょうか? それとも垂直統合から水平分業への移行、そしてグローバルサプライチェーンの誕生という流れで理解できるのでしょうか? 読み取ってみてください。
 アメリカは、中国が先端半導体をつくれない状態を何とかこのままにして、その間に西側諸国で優位性を維持することを目指しているという記述が印象的です。

8.ITと地経学 ~ケーブルとデータセンター~
 第1次世界大戦のエピソードが紹介されています。開戦直後にイギリスがドイツの海底ケーブルを切断したこと。その影響でドイツの策略がアメリカに伝わり、アメリカが参戦を決意した経緯が書かれています。
 そこでITと地経学です。注目するのはケーブルとデータセンターです。
 海底ケーブルの市場シェアの90%はアメリカ、フランス、日本の企業が持っています。そこに参入しようとしている中国企業の記述から、いかに海底ケーブルが重要なものなのかが伝わってきます。
 もう一つのデータセンターについて。大量のデータを処理するデータセンターが抱える問題は、巨大な電力消費にあります。二酸化炭素を排出しない電源を使ってデータセンターを運用したい場合、有力な場所はどこになるのでしょうか? 意外な場所が指摘されていました。

9.宇宙
 海底の次は宇宙です。
 核兵器を搭載している潜水艦が自らの位置を正確に把握し、核ミサイルを発射できるようにすることを目的として作られ、現在、私たちがよく使う便利なものは何でしょう? と生徒に問いかけてみたい記述がありました(答えは本書で)。
 現在の宇宙開発に関しては、商業化と軍事化が進められています。その中で問題になっているものに「宇宙空間で物体に対する攻撃が行われた場合、それは戦争だと言えるのか」があります。宇宙空間において何が兵器になるのかを判断するのは非常に難しいのです。
 宇宙を地経学的観点から見ることは難しいです。特定の空間を排他的に支配することができないため、地上のガバナンスの仕組みが通用しないからです。この課題を克服するための工夫が書かれていました。

10.相場観
 次は資源です。
 資源について留意する点は、「資源がある国が地経学的パワーを持っているとは限らない」ということです。現時点で資源の武器化が可能な国はアメリカ、ロシアのようです。
 この資源と地経学的パワーに関する記述で印象的な言葉は「相場観」という用語でした。戦争による攻撃にはメッセージ性があるというものです。なぜ迎撃されると分かっているミサイルを撃つのか?どうして速度の遅いドローンを使うのか? 紹介者は、その意味を知ることができたという点で本書が貴重な1冊になりました。

11.日本が進むべき道は?
 世界最大級のGDPを誇るアメリカと中国は、国際公共財を提供するというよりも、それを武器として地経学的なパワーを行使する国のようです。
 アメリカは、他国にアメリカへのリスペクトを求め、「アメリカ・ファースト」を要請し、それが認められないなら仲間として受け入れないという考え方を持っているようです。 一方で中国は、共産党による支配を維持することに協力的でなければ仲間として認めないようです。
 さて、日本の生きる道がどこにあるでしょう? 鈴木先生は、この問いについての考えを示しています。いったいどのような道を描いているのでしょうか? そして皆さんが授業で生徒と共有しようとしている未来像と比較しながら読んでみてはいかがでしょうか。

12.本書の全体像
 以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
 はじめに
 序章 地経学時代の経済安全保障
 第一章 半導体をめぐる地経学
 第二章 地経学からみたITとAI
 第三章 地経学で考える宇宙の秩序
 第四章 資源と地経学的パワー
 第五章 経済制裁と地経学
 終章 トランプ時代の地経学
 おわりに

③ どこが役に立つのか?
 先月号は、ジャーナリストによる国際政治関連の著書を紹介しました。今月号は研究者が執筆した本です。この2冊に加えて、私たちの前には国際社会のことが書かれている教科書があります。生徒たちはネット社会を通して国際社会像を構築しています。国際社会を捉える眼はたくさんあります。眼がたくさんあると「どうすればよいのか分からなくなってしまいそう」です。本書は、教師の授業づくりが揺れたときに、戻るべき拠り所になる1冊だと思います。

④ 感 想
 印象に残っているの記述の中に「相場観」があります。新聞の紙面は戦争や紛争の記事でいっぱいです。生徒たちは、いつ大きな戦いに発展してしまうのかを心配しているのではないでしょうか。これまでにあった「相場観」。そしてその「相場観」を超える動きを見せる一部国家の存在。ものすごく心に残りました。「相場観」とは何か? と思われた方は、本書の後半部分でこの記述を見つけてみてください。 (金子 幹夫)

Tags

Comments are closed

アーカイブ
カテゴリー