■ 中島隆博 編『人の資本主義から読みとく現代社会』東京大学出版会 2026年

① なぜこの本を選んだのか?
 「人の資本主義研究プロジェクト」というのは、どのような研究をしているのかが気になりました。中島隆博先生、広井良典先生、そして2025年の先生のための「夏休み経済教室」(大阪会場)に登壇していただきました安田洋祐先生はじめ多くの先生が参加されたプロジェクトです。
 新しい人間観、そして新しい資本主義観の存在を知ることで、経済学習の授業に役立つのではないかと考えて本書を選びました。

② どのような内容か?
0.本書の執筆者について
 本書は、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクトの成果を集めたものです。以下、それぞれの項目ごとに、どの先生が書かれたものかを示しましたので参考にしてください。

1.100年前と今(中島隆博先生)
 最初に登場したのは、リヴァイアサンの図版に描かれている町の様子でした。武装した衛兵と鳥のくちばしを有した防護服を着たペスト防疫の医者だけが働いているシーンだそうです。
 100年前に「繁栄の中の苦難」がありました。その帰結は世界戦争の世紀としての20世紀でした。その轍をどうやって再び踏まないようにするのかが、今問われています。「人の資本主義」として、この問題をどう引き受けることができるのでしょうか。

2.コロナ禍で平等はすすむのか?(安田洋祐先生)
 冒頭で取り上げたペスト、そして今回のコロナの状況を見て、社会のあり方や自らの生き方をどのように捉えていけばよいのでしょうか?
 そもそも人類史の中で経済格差を解消するイベントが4つあるといいます。戦争、革命、崩壊、疫病です。欧州のペストでは平等がすすみました。労働者の数が減ったためです。
 死者数が違うことから、今回は同じことは期待できません。それでは何が起きているのでしょうか? 直近で起きているのは格差拡大です。いったいどのようなメカニズムが働くと格差拡大につながるのでしょうか?

3.外部性をはじめて明示的に扱ったのは? (安田洋祐先生)
 そのメカニズムに迫るため、過去の疫病と世の中の仕組みをどのように捉えたのかを見ていきます。1918年にスペイン風邪が流行します。その後、ピグーが『厚生経済学』を書きます。新しい貢献は、外部性や外部不経済の問題を初めて明示的に扱ったことです
 その後ケインズが『一般理論』を書きます。ケインズは、出版前にあった世界恐慌を観察した上で有効需要の原理を説明するのです。
 ミクロ経済・マクロ経済それぞれにおいて、マーシャルの弟子たちが市場の失敗を明らかにしていことを教えてくれます。

4.公共財はフロー・・・ (安田洋祐先生)
 さらにメカニズムを探るための思考が続きます。ハーディンが「コモンズの悲劇」を世に問うたとき、民営化がうまくいかないから、所有権が確立していないから悲劇が起こると言いました。しかしその後、そういう単純な話しでもないとの批判も出ました。
 民営化したからといってうまくいかないという部分を深掘りした宇沢弘文先生が登場します。宇沢先生は、公共財というのはどれくらいのサービスを行うかといったフローの概念だと指摘します。
 この質の高いフローを生み出すためには、ストックとしての何らかの資本が必要だという社会の富、資本の概念を早くから指摘していたことを教えてくれます。

5.感染症後の社会構想について(広井良典先生)
 今回のパンデミックは超過密都市を中心に拡大しました。ここに格差拡大のメカニズム、そして格差解消に向けての道が見えてきそうです。集中に対して分散型、あるいは地方分散型への転換が大きな課題だと指摘しています。
 これは、単に空間的な意味での分散型のみならず、働き方や生活、人生のデザインにおける分散型も含みます。今回のパンデミックにおける日本社会を立て直すための指摘です。

6.国家の役割を整理すると(野原慎司先生)
 それでは、社会を立て直すために、今回の感染症及び格差拡大において国家の役割はどのように整理することができるのでしょうか。
 歴史は、戦争や感染症といった危機に直面したとき、権力が民衆を強くコントロールすることを繰り返してきたと教えてくれます。そこで歴史を振り返りますと、ペストの時には国家レベルの監視をしていないことが分かるのです。国家がコントロールしなくても感染症対策はできたようです。

8.新たな階層の誕生(鈴木鉄忠先生)
 だからといって、いつの時代、どの場所でも同じことが言えるとは限りません。コロナ禍は社会にどのような影響を与えたのでしょうか。
 そもそも社会システムは想定外の出来事に脆いことが指摘されています。そして想定外の事態に直面した社会システムは、最も弱い人々のリクエストに応えられなくなるという問題を抱えているのです。
 今回は、人々の階層に新たな変化が見られます。想定外の事態に直面したこれまでの社会には、治療の権利をもっている層と持っていない層が存在していました。
 コロナ禍では、これに加えて、感染リスクが低いところで仕事ができる人がいる一方で、感染リスクが高い場所で働かなければいけない層が存在するようになったのです。

9.政府が企業活動に介入するという考え方(鎮目雅人先生)
 国家の役割を整理しているところですが、あらためて感染症の歴史を振り返りますと、
政府が企業の活動に介入するとはどういうことなのかを整理することができます。
政府の対応についての捉え方が変化していることが分かります。
 企業の活動に政府が介入することを受け入れない時代がありました。教科書に書かれている言葉でいうところ自由放任です。
 ところがこの考え方の中に「総力戦」と「生存権」という概念が広がっていく様子が書かれています。前者は軍事思想が、後者はインフルエンザが大流行した中で誕生したワイマール憲法が登場します。この2つのキーワードと、政府による経済活動への介入の歴史が説明されます。

10.なぜ戦国時代に「茶」なのか?(高田公理先生)
  後半は、資本主義と歴史というテーマです。「嗜好品から見る資本主義と人類文明史」という章にある「茶の果たした役割」が授業づくりに役立ちます。
 千利休は堺の武器商人でした。買い手である武将と会わなければいけない危険な職業です。そこで茶室に入る入り口を極端に狭くしたというエピソードが紹介されています。刀を腰からはずさなくてはならないくらい狭くしたのです。わずか64㎝四方だそうです。
 この日本の茶の文化が17世紀のイギリス人に伝わり、生活に変化をもたらします。当時のイギリス人の朝食はパンとバターとビールだったそうです。そこに懐石料理とセットになった日本の茶の湯の情報が伝わります。
 ここから、紅茶とパンにソーセージや卵を加えたイギリス風の朝食を家族がそろって食べるという様式が成立したそうです。
 本書は、これに続けて、コーヒーの歴史にも注目しています。コーヒーはヨーロッパに伝わるまでイスラームの飲み物だったという授業で紹介したくなるネタと出会ったことが印象的でした。

11.本書の全体像
 以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
はじめに
第Ⅰ部 感染症と資本主義
 第1章 万人のためのデモクラシー
 第2章 感染症と経済学
 第3章 感染症後の社会構想
 第4章 感染症と資本主義における国家の役割
第Ⅱ部 疫病と生命と資本主義
 第5章 惑星社会システムの混乱と人間と生命の線引き
 第6章 感染症の社会経済史
 第7章 歴史から考える新型コロナウイルス
第Ⅲ部 資本主義と歴史
 第8章 資本主義はなぜ生まれたのか
 第9章 思想史から見た資本主義と経済学
 第10章 資本主義を考える:マルクスの疎外論と悪魔)
 第11章 嗜好品から見る資本主義と人類文明史
 あとがき

③ どこが役に立つのか?
 一つ目は、ペストの時期と今回のコロナ禍とを比較して論じているところが教師の知識を分厚くすることがあげられます。世界史の知識と公民科の知識との架け橋になる記述は参考になります。
 二つ目は、公共財、共有地の悲劇、外部性といった教科書に登場する用語の説明が役に立ちます。教科書とは異なる文脈で読むことで、別の角度からの理解が進むと感じました。

④ 感 想
 この本を購読中に、神保町にある一軒の喫茶店を紹介していただきました。古くからある喫茶店だそうです。「えっ?この階段をあがるの?」と思ってしまうほど狭くて急な階段をあがると、そこは昭和の世界でした。
 そうか・・・喫茶店という文化も「茶の文化」を継承していたのかと思ったのです。さすがに武器を持ち込む人はいないでしょうが・・・大切なお話しをする場所の入り口は狭くつくるという伝統を継承しているのかな? と感じました。
 昭和の喫茶店と現代の喫茶店との比較から授業づくりの話題を見つけられないかと考えています。
       (金子幹夫)

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