私ならこう教える 〜比較優位の原理〜
執筆者 篠原総一

◾️捨てネタ:デイビッド・リカードって誰?

今月の捨てネタは、イギリス国教会(Church of England)を代表する大教会、ウエストミンスター寺院 (West Minster Abbey)です。
ロンドンはテムズ川北岸に聳えるこのゴシック建築は荘厳そのもの。かつて世界を席巻した大英帝国の歴史の証人でもあります。この教会では、千年も前からイギリスの国事行事や儀式が執り行われてきました。最近ではエリザベス女王の葬儀(2022年)とチャールズ3世(現国王)の戴冠式(2023 年)が有名ですが、世界にテレビ配信された儀式の模様を通して、この教会の威厳を目に焼き付けた方も多いかと思います。

ウエストミンスター寺院は、大英帝国が生んだ世界レベルの偉人を顕彰する場でもあります。ウインストン・チャーチルのような政治家から、アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウイン、ジョン・メイナード・ケインズなどの学者を寺院に埋葬しているほか、歴史的に顕著な人物の記念碑を壁面に埋め込んでいます。どの記念碑も、日本の教科書にも登場するほど名のある人物のものばかりです。

その記念碑組の中に、中高の経済学習にも必ず登場する二人の経済学者が含まれています。もちろん、アダム・スミスとデイビッド・リカードですね。二人の「見方・考え方」は、それぞれスミスの道徳的感情論(1759年)と国富論(1776年)、リカードの経済学原理(1817年)の中にあります。私は、中高の経済教育では経済学の理論に頼りすぎない方がよいと思っていますが、この二人の考え方だけは別です。それが、「分業と交換」で成り立つ経済の根本原理であるからです。(注1)

今月は、そのウエストミンスター組の一人、リカードの「比較優位の原理」を取り上げてみたいと思います。

◾️比較優位の原理

比較優位は、公共の教科書ではごく簡単に名前が出てくる程度、これでは暗記学習の対象に成り下がってしまいます。東京書籍「公共」(令和4年版、184ページ)でも、本文で「イギリスの経済学者リカードは比較生産費説によって国際分業にもとづく自由貿易のメリットを説き、・・・」とあり、欄外で例のリカードの「毛織物と葡萄酒、イギリスとポルトガル」の数値例を載せているだけです。

しかし、私は、この原理こそ、貿易の章ではなく市場の章で、1ページ分か、せめて半ページ分の扱いを受けるに値する大切な見方・考え方であると思っています。これこそ、「分業と交換」でなりたつ経済の「分業」の意義を説く考え方であるからです。

今月は、このことを中高生に肌感覚で納得できるような授業のストーリーを作ってみました。授業のネタとして、大学教科書「サムエルソン経済学」の中で使われている「弁護士と秘書」の例を使っています。(注2)

◾️比較優位を教える授業ストーリー

授業の手順(1):授業の舞台は弁護士事務所
まず、授業のための舞台を弁護士事務所に置きます。
そこでの弁護士の仕事は、個人や企業が抱える問題を法的に解決することです。法律の専門知識を活かしてクライアントの相談に乗る、裁判でのサポートをする、契約書や和解書を作るなどが主な仕事です。そしてどの弁護士も、文書作成、相談者との面談予約の管理、資料収集など、弁護士を補助する仕事をしてくれる事務員(あるいは秘書)を雇っています。
それを経済学風に表現をすれば、弁護士と事務員が共同で「法的に問題を解決する」というサービスを生産する。その生産プロセスで、弁護士資格や専門知識が必要な業務を弁護士が担当し、事務員がそれ以外の業務を受け持っていると言います。また、弁護士と事務員が業務を分けて担当することを「分業」していると言い換えることもできます。
もちろん、教室では、仕事の内訳をここまで細かに説明する必要はありません。ただ、弁護士事務所での業務には、弁護士資格を持つ弁護士だけにできる業務と、その補助をする業務の2種類があることだけは、生徒にもはっきりわかるような授業舞台でなければなりません。

授業の手順(2):最初の問いかけ
授業の舞台ができたら、次は、比較優位の考え方を引き出すための生徒への質問です。
弁護士の中には、裁判所へ提出する文書や和解書、契約書などの文書を、雇っている事務員よりもはるかに短時間で作り上げる能力を持つ人も数多くいるはずです。何でもできる弁護士です。
でも、なぜ、弁護士は、わざわざ自分よりも仕事の遅い事務員を雇っているのでしょうか。自分でやった方が文書作りは早く終わってしまうのに、なぜ自分でやらないのでしょうか。
深く考える生徒なら、この段階で比較優位のカラクリに気づくかもしれません。が、普通は、答えを引き出すための誘導が必要になるはずです。そして、次の誘導質問の狙いは、生徒の眼を、所得と機会費用の比較に向けさせることです。

授業の手順(3):2段階目の問いかけ
弁護士にも時間の制約があります。例えば1日8時間労働とかです。ですから、その8時間という自分の時間(資源)を有効に使えているかどうか、をみていくのです。
仕事の遅い事務員の代わりに、1時間だけ自分で文書作りをすれば、確かに事務員に支払う賃金(例えば時給2000円)は節約できます。しかし、その間は弁護士として「法律相談」はできません。ですから、自分で1時間、文書作りをするたびに、その間の法律相談料(例えば2万円)は諦めることになるのです。
生徒もよく知っている経済の概念を使えば、
・ 「事務経費1時間分を節約する」ことの機会費用は、「その間弁護士として働いていたならば得られたはずの所得(例えば20,000円)」
という計算ですね。

授業の手順(4):2段階目の問いかけから引き出す答え
弁護士が、自分より仕事の遅い事務員を雇うか否か、弁護士は何を基準に決めるのでしょうか。
その答えは、仕事の遅い事務員を雇うときの「節約できる事務経費」と「そのために取り逃す収入(という機会費用)」の比較です。そして、結果は明らかですね。弁護士の時給は事務員の時給をはるかに凌ぐ額です。ですから、結局、「弁護士は、自分よりも能率の低い事務員でも、事務の仕事はその事務員に任せ、自分は、自分にしかできない弁護士業に専念することを認識するはずです。仕事の遅い事務員を雇い、自分は弁護士業に特化することが、限りある自分の時間(生産資源)を有効活用することになる、というわけです。
最後に、これまでの条件を変えて、自分より事務の仕事が早い事務員が現れた場合には、やはり「この事務員を雇って自分は弁護士業に専念する」という選択に落ち着くことを(なぜか、という理由をつけて)確認させます。
そして以上の2種類の思考実験の結果から、(1)事務処理能力が弁護士の方が高い場合と、(2)事務処理能力が秘書の方が高い場合のどちらのケースでも、弁護士は秘書を雇う、つまり分業することを選ぶことがわかります。
生徒が考える授業の場面はこれで終わりにします。あとは、わかったことの整理です。

授業の手順(5):先生による「比較優位」概念と原理の説明
一見すると、自分より働きの悪い(生産性の低い)他人を雇うことはないと思いがちですが、よく考えてみると、それでも他人を雇い、文書整理よりも自分にしかできない弁護士業に特化すべしという、常識ハズレの結果でした。
結論をまとめておきましょう。
・「二つの仕事を比較して、その二つの仕事のうち自分の生産性が高い方の仕事に特化すべし」
・「二つの仕事を比較して、その二つの仕事のうち自分の生産性が低い方の仕事は他人に任
せるべし」
です。経済学では、二つの仕事のうち自分の生産性が高い方の仕事に「比較優位」があり」、逆に自分の生産性が低い仕事に「比較劣位」があると表現します。
そして最後に、この比較優位の概念を使って、弁護士も事務員も、自分に比較優位がある仕事に特化し、相手に比較優位がある仕事は相手に任せる、という分業の組み合わせを確認させます。これが、リカードの「比較優位の原理」の内容です。

授業の手順‘6):授業から学んだ最大のこと
このようにして、リカードの「比較優位の原理」は、
社会では、どんな仕事でも、生産性の高い者が全ての仕事を一人占めするよりも、比較優
位の構造に基づいて他人と共同でことにあたるべし、なぜなら生産性の高い人にも低い人にも、時間(生産資源)に限りがあるから
という、分業の極意であることを念押しして欲しいものです。

授業の手順(7):リカードの「比較優位の原理」の応用
この原理(分業のカラクリ)は経済のあらゆる場面で当てはまる考え方です。そのことを生徒が確認できそうな例を、授業の最後にまとめてみてはいかがでしょうか。候補としては
  ・学校内の文化祭で、クラス単位で複数のイベントに参加する時の生徒間の分業
  ・開業医での医師、看護師、医療事務員の分業
  ・企業内の業務を分担する従業員の間での分業
  ・家電製品の生産で、部品生産企業、物流担当企業、組み立て企業、販売企業などの、
企業間の分業
  ・国を単位とした産業間の分業(これが、リカードの比較優位に基づく自由貿易論の内容
でした)
などなど、生徒も肌感覚で受け入れやすい分業の例は、経済単元のどの箇所にでも見つけることができます。だからこそ、比較優位の考え方に、個別経済現象を見る概念や理論ではなく、経済全般を貫く「原理」だという名前を経済学は与えているのです。

◾️終わりに

今月は、学習指導要領が薦める「概念や理論を理解して」という部分の教え方として、リカードの比較優位の原理を取り上げました。そして、せっかく「理論を理解する」授業をお見せしたので、来月は、「理解した概念や理論を使って社会の問題について考える」部分の教え方として、比較優位の原理(という抽象的な理論)を使って国際貿易をどう考えるかという授業ストーリーを用意しようと思っています。


[付録]この稿での授業の数値例モデルを作ってみました。教科書に出てくるリカードの数値表のようなものです。数値を使ったモデルの方が説得的だと思われる先生には参考にしていただけそうです。

舞台設定(数値モデル)
 ・弁護士事務所では、資格を持った弁護士が法律相談を受け、弁護士を補助する事務員が文書を作っています。
・この弁護士は、1時間4件の法律相談を引き受ける能力があります。
・弁護士は1日8時間働きます。
・その間、評判の良いこの弁護士事務所には、ひっきりなしに相談者が訪れます。
・弁護士の法律相談料(=価格)は、1件あたり5000円です。
・一方、事務員は、契約書、訴状、和解書などの法的文書の作成と書類の保管などいろいろな仕事を担当しています。
・事務員は1時間あたり法律相談2件分の書類を作成できるとしておきます。
・事務員の時給は2000円です。
・最後に、比較優位の理解のキーになる仮定です。この弁護士は器用な人で、事務員の仕事の(書類整理など)を事務員よりも早く上手にこなしてしまうとしておきます。仮に、この弁護士は1時間に4件分の文書を作成・管理できるとして置きます。(再確認ですが、事務員の働きは、1時間に2件分の文書処理でした。)


注1)   原理:原理の「原」は基本的なもの、根本的なもの、「理」は理由、法則、原則のことです。「原理」は、この二つを合わせて物事の根本的な法則や理由を指し、それに基づいて物事が成り立つことを示します。ですから、経済の原理とは、経済社会の基本的な法則、原則、理屈を指すものだと私は理解しています。
注2)   サムエルソン「経済学」:英語版、Samuelson Economicsの初版は1948年の出版で、その後版を重ねに重ね、現在は2022年に出版された第23版です。この有名な教科書は、76年もの間、世界中の学生がお世話になってきた、他に類をみない超ロングセラーなのです。

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