「貨幣」の本質、私ならこう教える
〜お金とは、いつでも、どこでも、モノと交換できる権利書のようなもの〜

執筆者 篠原総一

貨幣のなぜ
 貨幣とは不思議な存在です。お札(さつ)も預金通帳の数字も、それ自体は食べることも着ることもできない、言ってみれば無用の長物です。それでも、(1)人は誰でも、なぜお金を欲しがるのでしょうか。そして、(2)なぜ社会はその無用の長物(貨幣)に依存しているのでしょうか。

 中学や高校の金融学習では、大学の金融論で扱う細かな理論や制度、政策には深入りせず、まずは、「貨幣のなぜ」への答え方を身につけること、そうすれば抽象的で小難しい金融の解説が、生徒にも肌感覚で分かる学びに変わるように思えます。

 結論の先取りをすれば、その鍵を握るのは、「お金とは、いつでも、どこででも、モノと交換できる権利書のようなもの」だと教えてみることです。そうすれば、
・給料をお金で受け取るとは、自分の労働をお金に変えること、お金はいつでも暮らしに必要なモノを 手に入れられるから
・給料の一部を貯蓄に回すとは、将来、子供の教育や老後の医療といったモノ(正確にはサービス)を買うための権利書(お金や銀行預金、あるいはいつでもお金に変換できる株式や投資信託など)の形で持っておくこと
・マンション購入の住宅ローンとは、実はマンション(今のモノ)と何年か先の労働(将来のモノ)の交換に他ならないこと、なぜなら5年先に返済するお金の基は5年先の労働だから
といった金融理解につながっていきます。

 結局、こうやってみれば、貨幣の本質とは「貨幣自体は役立たずでも、モノとモノの交換を仲介するから意味がある」ことだと言えそうです。
 授業では、教科書の各節のそれぞれを、このような本質に則ったストーリーで読み解いていかれてはいかがでしょうか。貨幣の機能や金融機関の違い、直接金融と間接金融、日本銀行の役割、金融改革の目的など、先生の作っていくストーリーに生徒は必ずついてくるはずです。

 そこで今回は、まず、「貨幣は、いつでも、どこででも、モノと交換できる権利書のようなもの」という貨幣の本質を、簡単に教えてくれる歴史の紹介から始めてみます。

捨てネタ:人類の知恵「トークン(代用貨幣)」
 今回の導入ネタは人類史の一コマ、分業と交換が始まった頃の「お金」の発明です。文化人類学や考古学の研究では、第一千年紀のBC3500年頃、4大文明で有名なメソポタミアで「文字」と「貨幣」の原形が同時に生まれたと言われています。

 アフリカから移住してきた人類が肥沃な地、チグリス川とユーフラテス川に囲まれた沖積平野で農耕を始め、やがて灌漑施設などの発明を経て農業生産性を高め、自家消費を超える収穫を可能にしていきます。その結果、余剰生産物を他人のモノ(例えば羊や牛)と交換する、つまり物々交換が始まるのです。

 ここから先は出口治明『全世界史』(新潮社)第1章に出てくるストーリーの紹介です。
当初は、ある農家が
Aさんに小麦3束を売り、代金はAさんの羊に子供が生まれたら1匹もらう、
Bさんには麦7束を、Bさんの牛が子供を産んだら1頭もらう、
という物々交換の約束をします。そしてAさんとの約束を忘れないように、粘土のカップ(ブッラというそうです)に粘土のボールを3個、BさんにはBさん用のカップ(ブッラ)に7個の粘土ボールを入れておきました。

 ところが物々交換の相手が50人、100人と増えていくと、ブッラの数も収拾がつかないほど増え過ぎて、誰と何を、どのような条件で交換の約束をしたのか、わけがわからなくなっていきます。

 そこでこの農家は、「Aさんに売った証拠として◯印をつけた粘土ボールを3個、Bさんには△印をつけた粘土ボールを7個というように、買い手を識別できるように◯や△の記号を使い始めました。そして羊や牛が生まれたとき、ブッラの中を点検すれば、この物々交換が完結するという決済の仕組みです。

 このように◯や△記号をつけたボールは、現代用語ではトークン(代用貨幣)と呼ばれています。羊や麦といった特定のモノを交換できる権利書のことです。ちなみに現代では、地下鉄の乗車券やユニバーサル・スタジオの入場券などがトークンの代表例です。

トークンから貨幣へ
 こうしてトークン(代用貨幣)が生まれましたが、その後、取引の拡大とともにトークンにつけられる記号も複雑になっていきます。取引相手も、取引するモノの種類も増えていけば、◯や□のような単純な記号だけでは間に合わなくなります。こうして徐々に、多くの人の中から自分の取引相手を識別する記号、そして自分が取引対象(モノ)の種類を特定する記号が生み出されていきます。

 川の上手(かみて)で麦を作っている人を現代では川上さん、山の麓で狩猟している人を山下さんと呼びそうですが、文字を持たない古代人は川や山をイメージできる独特の記号を発明していったのです。また、麦、牛、羊、衣類(毛皮)など、モノを特定する記号も生まれてきます。このように、トークンに刻まれた色々な記号がやがて文字になっていくわけです。ですから文化人類学では、メソポタミアのトークン記号を「文字の原形」と呼んでいるのです。

 一方、粘土のカップやボール(代用貨幣)の方も、取引ごとにモノや個人を識別するトークンを使っていたのでは、膨れ上がっていく取引のすべてをカバーしきれなくなっていきます。見知らぬ地域の何百、何千もの人と、何百種類ものモノを交換するわけですから、個々のモノや個人をカバーする権利書では不便で仕方がありません。

 そして、ここが人類のすごいところですが、徐々に徐々に、どんな取引にでも使える権利書を工夫していくのです。生徒もよく知っている中国は商時代に流通した貝殻貨幣はその代表例です。貝殻をもっていけば大抵のモノは手に入る。だから、自分のものを売るときも、とりあえず貝殻貨幣を安心して受けとっておくという、貨幣制度の根幹(貨幣の一般受領性)が出来上がっていくのです。

貨幣を貨幣として教えない勇気
この捨てネタから、私は
・貨幣は「モノとモノの仲介役」に過ぎないこと
・経済の主役は私たちであり、そして私たちの暮らしを支えるのはモノであること
・でもその貨幣が、文字と並んで、モノとモノの取引を支える重要な基盤であること
を読み取りました。

 効率的な取引には、取引を支える基盤が必要です。取引相手とのコミュニケーション(言語、文字、通信)、効率的で安定した決済手段、モノを移動させる運輸、取引の約束が守られる制度などです。ですから経済取引のあらゆる局面をカバーする貨幣や金融を、モノの経済とは独立した学習にしてはならないという、私から先生方へのメッセージを最後に付け加えておきます。

 取引には基盤が必要なこと、そしてメソポタミアという古き時代に経済取引を支える基盤中の基盤(文字と貨幣)の萌芽が見られたという素晴らしい歴史ロマンも、ぜひ生徒に伝えていただきたいものです。

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