執筆者 京都府立山城高等学校 下村 和平
(1)秋は魔の季節
9月の某日、某高校の3年「政治・経済」の授業。単元は財政。
高校3年9月は指定校推薦の校内選考がとりあえず終了。AO入試や国公立の小論文入試が必要と意識し出す生徒は、同時に面接対策も意識し出す頃。
共通テストでグラフが出るらしいとの噂に恐れている生徒、今年はコロナ関連の問題がでるのではと勝手に不安がっている生徒も教室にちらほら。
一方で、政経を受験に必要としない生徒は「もう関係ないよ」とばかり内職が多くなる時期。教員にとっては授業がしにくくなる魔の時期のはじまりである。
筆者は、普段は黒板の板書と聴覚障害を持つ生徒への要約筆記(聴覚障害を持つ生徒へのポイントの板書)をしながら、教科書を使うオーソドックスな授業を行っている。
ところが、今回は初めてパワーポイントで3種類のグラフを投影して、そこに線を引いたり、質問をしたりしながら、ICT教育らしき授業をやったこともあり、なんと生徒は全員おきていた。
ただし、わかったのは、パワポで示す資料は1時間では3~4枚が限界。これ以上資料を示しても、生徒は自分の世界(睡眠の世界)に入っていくだけ。また、要点を必ずメモさせることが大切だということ。そうでないと、聞くだけになり、「電動紙芝居」になってしまう。これってICT教育の弱いところだ。
(2)まずはオーソドックスに
この授業で生徒に示したグラフ資料は、「令和2年度一般会計」の当初予算と第二次補正予算の歳出と歳入を円グラフで示したものと、「国債の発行額と一般会計額の推移(1975年~2020年)の三つである。これらのグラフから、読み取れることを答えさせながら、日本の財政の現状と課題についてすすめる。
教員は、生徒はグラフを読むのが苦手なので、その練習をしながら財政を一気に終えようとして強引に授業をはじめる。全国どこにでもある授業風景である。
生徒に投げた最初の問いは、「令和2年度の当初一般会計と二次補正を比較しながら、相違点を5つ見つけなさい。政経で受ける予定の人は8つくらい見付けてね。皆さんが知っている知識を総動員してくださいね」というもの。
グラフを「読み取く」なかで、一般会計総額が約102兆円から160兆円に拡大(約6割増加したこと)に気づいた生徒が出てきた。
そこで、「プライマリーバランス赤字」を説明したりするうちに、2次補正の歳出の項目に「コロナ関連対策予備費」として7.2%が計上されていることに気づく生徒も出てきた。
「よいとこに気が付いたな」と思い、そこから、教員のちょっと横道にそれた雑談が始まった。
(3)授業はちょっと横道に
私:アベノマスクはみんな2枚ももらいましたが、メディアの報道を見る限り、あまり評価が高くありませんでしたね。でも、もし、あのマスクをユニクロの AIRism でもらったら、国民は喜んだんじゃないかな。」(数名の生徒にやにや…)
私:「でも、なんでユニクロ?安倍さん、ユニクロと何かあるの?などと変なことを疑われてしまったりして、叩かれるかもしれませんね。じゃあ、こんな方法はどうでしょうか。」(生徒不思議そうな顔)
私:「首相が、『皆さん、国内にマスクが不足しています。マスクは感染予防に効果的だと言われていますので、国民にマスクを政府が配布したいのです。涼しく良いマスクをできるだけ早く、安価に誰か生産してもらえませんでしょうか?政府が国民に今回配るので買いますよ!』『費用は国民の皆さんには申しわけありませんが、赤字国債を発行させてもらいますので、ご理解ください』ってね。こう言ったら国民の反応はどうなったでしょうね。」 (生徒爆笑!)
私:「だって、マスクが不足した4月や5月頃、皆さんも自分で作ったでしょ。僕も作りましたよ。そのうち、作り方を示す人がサイトを作ったり、いろんな業種が作ったりしたじゃないですか。京都市内でも、和装業界が着物を作る「絹の余り」で作って配布してくれた会社だってあったじゃないですか。はじめは、ボランティアのようなかたちで したが、そのうち、様々な業種がマスクを作り出しましたよね。」(生徒うなずく)
私:「そのうち、国民の側(需要者)から『形が良いマスクがほしい』『涼しいものがほしい』『カラフルな色がほしい』など要求が出てきて、各企業がマスク産業に参入しましたね。つくれないなと思った企業はそこから撤退し、良いものが市場に残りつつありますよね。これって、資本主義の基本的な競争原理じゃないですか?」
私:「また、消費者が求める商品を企業がそれに求めて生産していくというのは、いわゆる『消費者主権』が目の前で展開されているんじゃないでしょうかね。これって、授業でならった言葉が皆さんの目の前で展開されていますよね。」(生徒半分納得)
(4)雑談こそいのち
この授業、最初は、パワーポイントを使って普段白黒の授業プリントをカラーで示しながらやってみようかという軽い気持ちで、資料を読む練習程度に考えていたのだが、生徒の「コロナ対策費」という面白い気づきからやや暴走してしまった。
その日にやろうとしていたことが全てできたわけではなかったが、この脱線で、本質からは大きく離れず、なんとか授業は終了。
ちょっとした脱線、暴走だったのだが、こうした話、案外生徒は聞いているものだと実感。
卒業生に会うと、「先生の授業の中身はほとんど覚えていないけれど、雑談、脱線はおぼえていますよ」という言葉を聞くことがある。うれしいような悲しいような気持ちだ。
別に意図して雑談をするわけではないが、今回のように生徒の気づきやちょっとした発言がきっかけで脱線することは悪くないのではと思うが、いかがだろうか。
ただし授業と全く関係のない雑談では意味がないことは言うまでもない。でも、授業に関連した雑談は案外難しいもの。
そんな雑談を引っ張り出せるような「問い」とは何だろうと考えながら、これからの授業づくりに挑戦してゆきたいと思っている。
(メルマガ 143号から転載)
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