執筆者 新井明

 昨年4月のこの欄には「しょっぱなのインパクト」という題で、最初の授業の重要性を書きました。今回は、最後の授業のインパクトです。
 3月の期末考査、学年末考査が終了したあとの時間は授業という点では、一種の空白が生じます。その対策として、埋め草的に映像を見せたり、作業をやらせたりすることもありますがそれではもったいない。また、二年前の3月のこの欄にかいたように、「一年間の授業で覚えていることは何?」という問いを生徒に投げかけることも有効です。
それ以上におすすめなのは、これだけは伝えたかったんだという個人的メッセージをこの期間に投げ込むことです。

 多くの学校では普段は教科書の消化におわれて先生方自身の個人の思いを生徒に伝えるような授業はできません。また、公立学校では、中立性を強く要請されますから、一方的な価値観での授業はできないことは言うまでもありません。
 でも、せっかくの最後。ドーデの「最後の授業」ほどドラマチックではなくとも、思い切ったメッセージを生徒に投げることは悪くはないと思うのです。

 筆者の場合は、最近は最後に「40年周期説」というのをやります。1945年を基準点として現代に向かって40年ずつ前進し、過去に向かって40年ずつさかのぼる。そうするとある波が描けます。1865年は維新前夜、そこから40年後、1905年は日露戦争、さらにそこから40年後は敗戦。そこから40年後はプラザ合意、さらにそこから40年後2025年はどんな年?そして「第二の敗戦」にならないためには何が必要かという問いをなげかけるという授業です。1905年では夏目漱石の『三四郎』のなかの広田先生の「亡びるね」という言葉も紹介しておきます。

 この波は、経済で登場する景気変動の波のように明確な原因があるようなものとはちがってかなり恣意的なものです。生徒の反応も納得だけでなく、根拠がない、私たちがそうさせないなどの批判や反発も結構あります。
  「40年周期説」がどこまで生徒の胸に響いてゆくかは、わかりませんが、先生が伝えたいという内容をここに込めているなということはわかるようです。

(メルマガ 98号から転載)

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