執筆者 新井明

今回は、高校向けですが、中学でもヒントになると思います。

 古文という科目があります。易しいところだと『今昔物語』や『宇治拾遺物語』などの説話、難しいものでは『源氏物語』などを学びます。説話は中学の国語でも勉強します。
 この古文、生徒にはあまり人気がないようです。こんな昔の話や文法をどうして勉強するのと、思う生徒は多いのはないでしょうか。漢文も同様かもしれません。

 ところが、古文の中には、経済に関係する話が意外と多くあるのです。例えば、江戸時代の伝奇物である上田秋成の『雨月物語』第十話に「貧富論」というお話があります。
 会津に岡左内という無類の金好きで、周りから守銭奴とののしられている武士がいて、その枕元に黄金の精霊が訪れるという話です。 二人は、清貧を唱え、国の経営のもとである経済を軽んじる武士道を批判し、夜通し論じます。
 武士道だけでなく、天命とか前世の因縁で貧富を説く儒教や仏教を批判して、お金は、倹約を守り、無駄をはぶいて、よく正業にはげむ人になつくものと言います。それだけなら単純な話ですが、精霊はなぜ富貴の差が生まれるのかは、昔からまだ結論がでていない議論だとも言います。この話、安土桃山時代を舞台とした話ですが、現代でも十分に通用する話です。

 『雨月物語』で古文の教科書に掲載されているのは、都に行って七年戻ってこなかった夫をまって幽霊になってしまった妻を巡る「浅茅が宿」(第三話)という話ばかりです。経済教育の観点からは、ちょっと残念です。
 古典から経済への関心を持たせるには、先生方が、越境してどんな話を生徒は古典で学んでいるかを、まずリサーチして、経済の授業の合間のエピソードとして、「君たちが勉強しているテキストの別の箇所にはこんな経済に関するおもしろい話があるんだよ」とアドバイスしてみるとよいかと思います。

 とはいえ、経済に関する箇所を探すのは、結構やっかいです。でも注意してみれば、漢文でいえば、司馬遷の『史記』には「貨殖列伝」というそのものズバリの話もあります。先ほどの「浅茅が宿」だって、夫は足利染めの絹を都に売りにゆくことから悲劇がはじまるのです。そこから、室町時代の商取引の様子がわかります。『徒然草』にも、結構お金に関わる話があります。
 そんな昔学んだ古典を思い出して、教科書や現代語訳版の本をひっくり返して、経済授業のネタ探しをすることは、同時に古典の面白さを再発見するという一石二鳥の楽しみなるかもしれません。

(メルマガ 85号から転載)

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