執筆者 新井明

 簡単に言えば、経済の授業から越境してみようということです。逆に、経済以外の授業のなかで経済の視点を入れてみようということです。

 生徒は、歴史は歴史、国語は国語、英語は英語と教科の枠で授業に取り組んでいます。総合的授業の時間が設定されていますが、空洞化しているのは先生方ご存知のとおりです。では、総合学習は成り立たないのかというと視点を入れることである程度可能になります。

 例をあげてみます。倫理で中国思想を扱います。必ず出てくるのは孟子の性善説、荀子の性悪説。それをディベート風に討論させるのも良しですが、前号でも触れたゲーム理論の「囚人のディレンマ」ないし「チキンゲーム」の数値例を使って、ぐー・ちょきゲームをやらせて、あなたは善人?悪人?という問いかけをするという授業などはどうでしょうか。もう一つあげてみましょう。漱石の『こころ』。これを三角関係ととらえ、機会費用の重さを語ることもできます。Kを裏切ってお嬢さんを獲得した先生のコストは、さびしさと自死でした。選択のコストです。こんな国語の授業はありえないでしょうが、これも一種の総合です。

 経済は経済だけと思わずに、経済を軸足にどんどん越境する。また楽しからずやです。

(メルマガ 46号から転載)

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