「なぜ人は働くのか?」を問う新しい角度からのアプローチ
執筆者 金子幹夫
1.はじめに
筆者は、2025年9月13日に慶應義塾大学で開催された経済教育ネットワークの「第146回東京部会」に出席しました。今月は、そこで発表された内容をもとに経済教育について考えてみたいと思います。
はじめに、どのようなテーマで発表があったのかを紹介します。次に、筆者がそこで発表された内容のどこに注目したのかを紹介します。その上で、その注目した内容が経済教育とどのようにつながるのかを提案するという順番で話を進めていきます。
結論を先取りしますと、今月号は、「なぜ人は働くのか?」という教師が生徒に向けて発する問いかけに、新しい角度からのアプローチができるのではないかということを提案してみたいと思っています。
2.「起業」に関する発表がありました
第146回東京部会では、東京都立豊多摩高等学校の井波祐二教諭が「『政治・経済』における実践~起業家と連携した授業~」というテーマで発表しました。
この発表は、「起業」について教えてみたいと考えている教師に多くのヒントを提供するものでした。詳しい内容は経済教育ネットワークのホームページに掲載されていますのでご覧ください。本稿は、この報告で示された、あるデータに注目しました。
3.起業家が形成している職業観・勤労観
注目したデータは、井波先生が示した授業前アンケートの「世の中の起業家は、どのような目的で起業している人が多いと思いますか?(複数回答可)」という問いかけです。 回答結果は次のとおりでした。
お金・収入関連(13件)
自由・働き方の選択(8件)
やりたいこと・好きなことの実現(14件)
社会貢献・社会的意義(12件)
革新・新しいことへの挑戦(13件)
自己実現・野望・かっこよさ(6件)
このデータを見て、皆様はどこに注目しますか? 筆者は「お金・収入関連(13件)」と「社会貢献・社会的意義(12件)」という結果に注目しました。なぜか心がざわめくのです。どうしてでしょう?
筆者は井波先生の設定した「世の中の起業家は、どのような目的で起業している人が多いと思いますか?」という問いかけを「起業家がもつ勤労観・職業観はどのようなものでしょうか?」と勝手に翻訳し、その上で回答結果を見ていたのです。
4.勤労観・職業観を問うと?
皆様の前にいる生徒に、「人はなぜ働くのでしょうか?」と問いかけたら何と答えるでしょうか? 筆者が経験した教室では、「生きるために働くのだ」、「収入を得るために働くのだ」という回答が圧倒的に多かったことを思い出します。
本当に人は「生きるため、お金のため」だけで働くのでしょうか? 何かが足りない? と感じるのです。 働くという行為は、「生きるため・お金のため」だけでなく、「社会に貢献したい」とか「自分のスキルを向上させたい」というように多様な意味をもっているはずです。
6,起業家の視点で「働く理由」を考えるということ
そこで今回の授業前アンケート結果に再度注目します。
ここで示した問いは、企業に就職することを選ばなかった人々が「どうして人は働くのでしょうか?」という問いに対する回答を示しているように見えたのです。
調査対象の高校生は、起業を志した人が「お金・収入関連」のため、そして「社会貢献・社会的意義」があるから働くと考えているようです。
高校生に「働く」意味を問うているのに、回答結果が異なるのはなぜでしょう? 調査対象が異なるからというだけではない理由があると感じるのです。それは示した問いが発信する意味が微妙に異なるからではないかというものです。
同じ「働く」意味を問うたとしても、企業に勤めることを前提に問うのと、起業して働くことを問うのでは意味が異なると考えたのです。
どちらも世の中に出て働くのですから不安がつきまといます。しかし前者の不安と後者の不安は質が異なると思うのです。起業して働こうと志した人の心には「もう逃げ道はない」という「覚悟」が感じられるのです。
覚悟を決めて働く意味を考えた場合、その人が心にもっている奥深い勤労観・職業観がでてくるのではないかと想像しました。
※1 これは企業に勤めようとしている人には「覚悟」がないということを言っているわけではありません。皆、働くことを真剣に想像して答えてくれています。両者を比較すると、という意味で推測を重ねて比較したということです。
※2 この推測を後押ししたのは、スマホやテレビCMで流されている「転職」という言葉の存在です。企業に就職した場合、その人には転職という道があります。一方の起業を志した人の場合には、転職すればいいというわけにはいかないという事情があります。この差を表すために「覚悟」という用語を用いました。
6.生徒は深く考えているということ
井波先生が示したデータは、生徒が持っている、深い勤労観・職業観を掘り起こしたのではないかと読み取れます。筆者がかつて高校生に示した質問は、生徒達の奥深い心にまで到達しませんでした。生徒達は、本当は働くことを深く考えているのに、そのことをあぶり出せなかったのです。
今回発信した「起業」についての調査には、失敗したら後がない、逃げ道がない、といった覚悟を持って「働く意味を考えてみよう」というメッセージが含まれてたのだと思います。その結果、生徒達が普段から考えている勤労観・職業観が可視化されたのではないかと受け止めました。
7.起業・・・金融・・・
今回の発表テーマは「起業」でした。夏の経済教室では「金融」についての研究発表もありました。経済教育が扱うテーマはいろいろあって、先生も生徒もたいへんです。ところが、この大変さのすぐ足元に、大きなヒントが隠されているのではないかと今回の発表で気付くことができました。
あれもこれも教えないと大変だ! と険しい顔をしてしまいそうですが、その過程で「何か変だな?」「何か不思議だな?」と感じることで、すぐ近くに授業のヒントを見つけることができるのではないかということを書いてみたわけです。今月はここまでです。
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