① なぜこの本を選んだのか?
 いつの日か「先生のための経済教室」でお話を伺ってみたいと思っている先生です。私たちが教室で実践している授業について、新しい発見があるのではないかと期待して選びました。経済教育に関する具体的な記述も登場するので、授業づくりのヒントになると思います。


② どのような内容か?
1)新井紀子先生はどのような研究者?
 新井先生は、国立情報学研究所社会共有知研究センター長教授で数理論理学を研究しています。人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトディレクターです。また読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の開発をしています。
 主な著書として『ロボットは東大に入れるか』(新曜社)、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)、『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)があります。

2) 新井先生はなぜこの本を書こうと思ったのか?
 冒頭で教科書の読み方を失敗したというエピソードが語られます。
 自己流で身につけた「物語の読み方」で数学や物理・化学の教科書を読もうとしたら、読みこなせなかったというお話しでした。
 なぜ「物語の読み方」ではダメだったのでしょうか?私たちは職員室で「本を読まないから教科書が読めないのだ」と言ってしまいますが、どうもその考え方とは異なる捉え方をしているようです。
 本書は、教科書を読む力と読書の力は異なると捉えています。そして教科書を読む力を「シン読解力」と名付け、その力を身につけるための手順を解き明かしていくのです。

3)なぜ今「シン読解力」が必要なのでしょうか?
 新井紀子先生は前述したとおり『ロボットは東大に入れるか』という挑戦をしていました。その開発作業で苦労したのが計算機であるコンピュータにどうやってイラストを理解させるのかという問題でした。
 ところがこの難問をチャットGPTは乗り超えてしまったのです。これはものすごい発展に見えますが、同時に危機的状況のはじまりでもありました。その危機というのは「チャットGPTが平気でウソをつく」ということです。えっ?チャットGPTはウソをつくの?と紹介者は思ってしまいましたが、読み進めていくと、チャットGPTはもともと人々に正確な情報を提供するために開発されたのではないことを知りました。
 私たちはチャットGPTがつくかもしれないウソを見破ることができるのでしょうか?私たちがAIを使いこなすには“シン読解力”が必要だという説明がいよいよはじまります。

4)読めばわかるはずの文章が読めない?
 AIは日々賢くなっているようです。本書で問題にするのはAIではなく子どもたちを賢くすることです。どのようにして賢くするのでしょうか?
 まずは現状把握です。新井先生はRSTという、誰でも読めばわかるはずの文章(以下「自己完結的な文章」と表現します)を読み解く力を測るテストをつくりました。誰でも読めばわかる文章ですから、みんなスイスイと読み解いていくと思ってしまいますが現実は違いました。誤読している大人や子どもがたくさんいるのです。
 実際にどのような問題が出題されているのでしょうか?1つだけ紹介します(p.104)。
Q 次の文を読みなさい。
  資金が不足している経済主体と、資金に余裕がある経済主体との間で資金を貸し借り するのが金融である。金融は資金の貸し手と借り手が直接に資金を融通し合う直接金融と、銀行などの金融機関を介して資金の貸し借りを行う間接金融に大別される。

直接金融を利用している主体(人や会社)として当てはまるものを以下の選択肢から すべて選びなさい。
   ① A銀行に預金している中学生
   ② 祖父母からお年玉をもらったBさん
   ③ C銀行に勤めている人
   ④ D大学から奨学金を借りた人

 いかがでしょうか。正解は本書を参照してください。
 自己完結的な文章を読み解く力は才能ではありません。スキルだといいます。それでは子どもたちは、このスキルをどこでどのようにして身に付けるのでしょうか?

5)「真面目に読めば読めるはず」という思い込み
 子どもたちは学校教育で自己完結的な文章を読み解くスキルを身につけていくのだ・・・と話が進めば安心するのですが、実態は違うようです。約50万人のデータを分析した結果、このスキルの伸びは15歳くらいで止まってしまうようです。
 なぜ止まるのでしょうか?「誰だって真面目に読めば読めるはず」という思い込みがあるという指摘は痛快です。教師は多忙?教育予算が不足?子どもの相対的貧困率?読書時間が減少?IT活用の低さ?本書はこれらとは異なる視点で読むことを苦手とする子どもにアプローチしているのです。

6)数学科と社会科は言語が違う?
 その異なる視点というのはどのようなものなのでしょうか?
 本書は言語に注目します。学習につまずいた者は、生活言語の獲得に成功した一方で、学習言語の習得に失敗したのではないかと考えられているのです。
 生徒が学習言語に出会うのは教科書を読むときです。この教科書を書いている専門家は、学習言語にどっぷりとつかって研究を進めています。その結果、自分の使っている言語が、その研究領域における独特なものだという意識が薄れてしまうようです。
 教室にいる教師や生徒は各教科における学習言語の違いを意識することはありません。しかもこの学習言語は各教科ごとに異なるというのです。本書では数学科と社会科における学習言語の違いを例として示しています。

7)学習言語を意識した指導法はどのようなものか?
 この学習言語を意識するという考え方はこれまでなかったのでしょうか?
 かつての教育学では生活言語と学習言語の区別はなかったそうです。児童生徒は生活言語を獲得し、発達に応じて学習言語も身に付けると考えていたようです。よって、学校教育では学習言語を意識した指導法は確立されなかったと説明しています。
 それでは、教師は生徒に学習言語を身につけさせるために何をすればよいのでしょうか? はじめに意識することは語彙を増やすことだそうです。
 次に国語と英語の教育方法を意識することが挙げられています。主語と述語を意識することや板書した構文を解析するといった方法が説明されています。
 さらにこの教育方法を理科・社会・数学にどのように取り入れたら有効かが示されています。

8)読解力トレーニング方法を公開します
 読者の皆様は授業中にどのくらい教科書を使っていますか?
「はい!今日は教科書○○ページの学習です」といって教科書を開かせていますか?
 新井先生は「理科や社会や算数・数学の先生たちが教科書を開かずに授業をしたがるのに対し、国語と英語では教科書を開いて授業を進めます」(p.190)と指摘しています。
 なぜこの質問をしたのかというと、シン読解力をつけるためのトレーニングは、教科書を読み解くことを授業の中心に据えているからです。
 どうやって学習言語の構文に慣れさせるのか。そのためのトレーニング方法が公開されています。本書で紹介されているその方法は、経済を教える教師にとってものすごく参考になります。黙読、音読、聴写、視写、校閲、そして簡単な質問を1つという流れを通して、生徒がどんどん力をつけていくことが想像できるのです。

9)知識を教え込むのではない・・・という経済教育
 ここまで読み進めてきますと、各教科において教科書を読むためのトレーニング方法をはやく確立しなければいけないという気持ちになってきます。授業そのものも「教科書を読んでわかる」ということを軸に計画してみたくなります。
 新井先生の「知識を教え込むのではなく、読んで自分でわかるようになるように伴走」
(p.243)するという言葉が心に響きます。新井先生は、児童生徒に学習言語を身につけさせることで、独学できる力を身につけさせたいという思いをもって本書を執筆したのです。

10)本書の全体像
 以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
第1章 チャットGPTの衝撃
第2章 「シン読解力」の発見
第3章 学校教育で「シン読解力」は伸びるのか?
第4章 「学習言語」を解剖する
第5章 「シン読解力」の土台を作る
第6章 「シン読解力」トレーニング法
第7章 新聞が読めない大人たち


あとがき

③ どこが役に立つのか?
 生徒は教科書をどのような存在だと認識しているのでしょうか。新学期に真新しい教科書を手にした生徒は「この本に書いてあることが理解できたらうれしいな」と思って期待しているはずです。一方で「こんなにたくさんのことを学べるのかしら」と不安に思っている生徒もいるはずです。
 本書は教師が教科書そのものをどのように捉えることができるのかを教えてくれます。「わかりたい!」と思っている生徒の期待に応えるために教師が何をすればよいのか。本書はたくさんのヒントを示してくれます。

④ 感 想
 昨年度、私が教えていた教室に大きなモニターが設置されました。そこに教科書のページ(PDFにしたもの)を映したらものすごく生徒の評判がよかったのです。
「なぜ教科書を書いた先生はこの文を冒頭にもってきたのでしょうか?」、「何か隠されたメッセージがありそうです」、「手がかりを本文中から探してみましょう」といった読解をはじめたのです。
 そして鍵になると思われる文を板書して、主語と述語を明らかにしました。難しい用語は別のわかりやすい言葉に置き換えました。日本語を別の日本語に訳すという授業です。
 かつて「教科書を教えるのではない。教科書で教えるのだ。」と言っていた先輩から怒られそうなので、この授業は静かに続けました。本書を読み終えた後、昨年度の実践は静かに続けるのではなく、もっとアピールしてもよかったのではないかと思うようになりました。

                                        (金子幹夫)

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