① なぜこの本を選んだのか?
本書を選んだ理由は次の2点です。
第1は、今月紹介した『信頼と不信の哲学入門』の第7章を読み、ネット社会と「信頼」についてより一層知りたくなったからです。
第2は、スマホから得られる情報が世の中の仕組みを理解するための最も有効な手段だと捉えている生徒に、どのように対応したらよいのか、その考え方の手掛かりを見つけたかったからです。
② どのような内容か?
(1)著者はどのような人?
山本龍彦先生は憲法学が専門の慶應義塾大学大学院法務研究科教授です。
アテンション・エコノミーは「関心経済」と訳します。YouTube、TikTokといったプラットフォーム企業のビジネスモデルを貨幣経済と区別するために用いる用語です。
本書は、法学者の山本龍彦先生が、様々な人との対談を通して、このアテンション・エコノミーの正体を暴き、打ち勝つ方法を考え出そうとしています。
(2)何を問題としているのか?
本書は、私たちが受け止める情報について論じています。
民放テレビは放送法による規律を受けたうえで真実を伝えます。民主主義の重要性も伝えています。
一方のプラットフォームの無料サービスは、私たちのクリックを求めて情報を発信しています。いかに私たちの関心や時間を画面に留めておくことができるのかが勝負です。
私たちはこれらの情報をどのように受け止めるのか?という問題が提起されています。
(3)インターネットの登場で言論空間はどのように変化したのか?
文藝春秋社の新谷学さんとの対談では、インターネットの登場で、言論空間におけるルールが現実のものと乖離してしまったことやマスメディアの力が弱くなってしまったことが指摘されています。
私たちは、巨大プラットフォーム企業が形成するシステムのもと、主体的な情報を摂取できなくなってしまいました。人々が主体的に情報を集められない社会で、民主主義はどうなってしまうのかが話されています。
(4)生徒たちはこの問題とどう関わっているのでしょうか?
憲法学者の水谷瑛嗣郎さんとの対談では,プラットフォーム企業による「多くの人を長く、繰り返し訪れるようにしたい」という考え方(「ウェブの粘着性」)が紹介されています。
ネット社会を訪れる人には、ウェブの粘着性について①気付いていない ②気付いているがどうしたらいいのかわからない ③長く繰り返しネットに関わることの何が悪いのかと思っている、という三つのパターンがあるそうです。
無秩序な情報が氾濫している社会への対応策として国家による規制があります。日本はアメリカ型(国家は原則として情報空間に介入すべきではない)とヨーロッパ型(国家による適切な関与が必要だ)をどのように解釈しているのかが語られています。
(5)生徒が普段接している情報はどのようなものなのでしょうか?
弁護士の森亮二さんとの対談では、新聞とグローバルプラットフォームの情報は何が異なるのかということについて話し合われています。
新聞は報道価値を重視します。一方のグローバルプラットフォームは「いいね」をもらうことを目的としています。この両者が発信する情報の質はどこが異なるのでしょうか。
グローバルプラットフォームの世界では、私たちの知らないところで一人ひとり異なるプロファイリングがつくられます。そこでは陰謀論に弱そうな人や衝動的な怒りに流されそうな人用のコンテンツがつくられ選挙に多大な影響を与えようとしているという例が挙げられています。
グローバルプラットフォームの世界と民主主義の問題を考えたくなる対談です。
(6)デジタルプラットフォームで発信される情報の特徴は?
株式会社電通デジタルの馬籠太郎さんとの対談では、デジタル広告と新聞広告とが比較されます。
法学の世界では「広告」と「勧誘」は区別されたものでした。ところが今では多くの広告が「勧誘」のカテゴリーに吸収されているそうです。
グローバルプラットフォームの世界では、一人ひとりのユーザーの好みは分析され、その好みに合わせた情報が配信されているからです。まさに勧誘です。
「情報的健康の考え方」をどのように意識しなければいけないのかという問題を考えたくなる対談です。
(7)情報発信者と私たちの間にどのような不均衡があるのか?
「情報的健康の考え方」は、認知心理学者の下條信輔氏との対談につながります。
昔は、自分で見たもの以外は信じるなという考え方がありましたが、今は自分で見たり聞いたりしたことも信じられない時代になっています。
昔は、マスメディアが専門的な価値基準に基づいて、流すニュースを決めていました。今はプラットフォーム企業が多くのクリックを求めて流すニュースを決めています。
昔は、事業者と消費者との間には「情報の非対称性」がありましたが、今は「認知の非対称性」を気にする必要があります。教師が形成している情報の枠組みと、生徒が形成している情報の枠組みとの間には齟齬が生じているようです。
(8)本当にネットニュースは悪者なのか?
弁護士の結城東輝さんとの対談では、ネットニュースが話題になります。テーマは「民主主義の再考」です。
中世から今日に至る過程で「人が情報を探す社会」から「情報が人を探す時代」に変わっていきました。世界は、お金を出して情報を得る少数の人と、無料で情報を得る多数の人で構成されるという現象が指摘されています。
この現象の中で民主主義を考えるために、ハイブリッドという構想が語られています。
(9)民主主義は内破されるのか?
文筆家の木澤佐登志さんとの対談では「アップル憲法、グーグル憲法」が登場します。私たちは特定の国家に属しているだけでなくプラットフォームの住民にもなっているというのです。
問題なのは、社会の未来を決める大切な選挙の時にもアテンション・エコノミーの中にいるときと同じ思考・行動をとることだと指摘しています。
時には「反射的」に判断し、ここは重要だという場面では「熟考」して判断するというけじめがあることで民主主義は支えられているという話がありました。
プラットフォームの存在を知った上で、なぜ日本は間接民主制を採用しているのか? なぜ裁判官は選挙で選ばれないのか?についての説明を読むと重みが増してきます。
(10)構 成
以上が本書の大きな流れです。この流れを一言で表した各章のタイトルを最後に紹介します。
第1章 変容する言論空間
第2章 個人情報と広告
第3章 認知の仕組みと自己決定
第4章 生成AIがもたらすもの
第5章 民主主義の再考
第6章 ネット空間の行く末
③ どこが役に立つのか?
教師の多くは「情報を探す社会」で生きてきました。一方で多くの生徒は「情報が人を探す社会」で生きています。しかも生徒自身は自分で情報を探していると思い込んでいるようです。
この両者が混在している教室の全体像を見渡すことができました。教師の持つ情報社会観と生徒が持つ情報社会観の齟齬を認識できる意義は大きいと思います。
④ 感 想
ネット上のショート動画とNHK教育テレビの幼児向け番組の構成が同じだという指摘に驚きました。つながりのない短い動画を連続して見ていると、時間の経過を忘れてしまうことを生徒たちは再び経験しているのだとわかりました。
授業やテレビ、映画といったある程度長い時間でメッセージを相手に伝えることが難しい時代に、私たちは何ができるのでしょうか。「印刷→放送→インターネット→AI」と技術は進歩してきましたが、今、大きな曲がり角に直面していると感じました。
(神奈川県立三浦初声高等学校 金子 幹夫)
Comments are closed