私ならこう教える 〜貿易の授業〜
執筆者 篠原総一

「私ならこう教える」シリーズも、ここしばらく profound discussion(かなり重目の話)が続きました。ここでちょっとひと休み、今月は、貿易の教え方について日頃から気になっていることを書き出してみたいと思います。話の中心は、言わずと知れた大理論、リカードの比較生産費説の使い方です。(と思いましたが、やはりつぶやきの二番目は、重い話になってしまいました。)

◾️(つぶやき1)物語の力:ストーリーのない授業は生徒の学びを奪う

授業では、毎時の学びをつないでいくことが肝要です。

例えば貿易授業では、比較生産費説だ、幼稚産業保護論だ、GATTだ、WTOだ、自由貿易圏だといった個別素材をバラバラに教えるのではなく、「それぞれの素材からの学び」を秩序正しくつないでいって初めて、貿易の本質を理解できるようになるものです。ポイントは、こんな当たり前のことを、徹底的に堅守することです。

もう少し具体的に言えば、私が薦めるのは、貿易授業のストーリー(物語りの大筋)を
① 最初に、なぜ貿易をするのか、その理由を納得すること、
② その上で、なぜどの国もいつまでも保護貿易を続けるのか、保護貿易の実際を学びながら、いく種類もある保護貿易政策の根拠を整理すること、
③ 最後に、保護貿易に対する対策の歴史と,現在の対策の仕組みについて考えること、
として、この①→②→③の流れに沿って、各素材(繰り返しになりますが、比較生産費説、幼稚産業保護論、GATT、WTOなど)を、順序正しく数珠つなぎにしていく、という授業展開です。

言うまでなく、このような「物語学習」が成功するか否かは、先生が用意する接続詞の良し悪しに掛かっています。ここで言う接続詞とは、素材と素材の間に、『前の素材がこうだったから、次にはこんな素材について、こういう観点から考えてみよう』といった先生の一言です。接続詞が素材と素材をつないでいくからこそ、生徒は「経済は繋がっている、貿易とはこういう性質の繋がりだ、そしてこんな課題にはこういう考えがあるのか」という見方・考え方の本質に辿りつけるのではないでしょうか。

実は、このような観点から各社の教科書を調べてみると、これはいかがなものか、と思える配列になっているものも目につきました。国際経済単元の中で、「自由貿易、保護貿易の解説」と、「GATT、WTO、地域統合などの解説」の間に、「国際収支、為替レート、金融危機などの長い説明ページ」が挟み込んでいる教科書もありますが、これではせっかくの物語のつながりが途切れてしまうというものです。(*)さらには、各項目の解説部分でも、素材と素材の間に接続詞を挿入しにくい配列になっているものもありました。

ですから、先生方には、教科書のページ順に丁寧に教えていく授業だけでなく、自分の作るストーリーの流れに沿って本文と欄外資料を並べ直してみるという、ややチャレンジングな授業作りにも挑戦していただきたいものです。

◾️(つぶやき2)経済理論の前提条件:仮定の使い方が学びの幅を広げる

学習指導要領解説の中に、概念や理論を使って経済現象のカラクリを紐解いていくという学習アプローチを促す箇所があります。

確かに概念や理論は、上手に使えば驚くほどの学習効果が期待できます。概念や理論は、いくら言葉で説明されてもスッキリしない経済の見方を、「なるほどそうか」と納得させてくれるからです。

・教科書で学ぶ経済理論

例えばリカードの比較生産費説(理論)は、数値の大小を比較してみて初めて、さまざまな貿易の仕方(国際間の分業と交換)の中で、比較優位に基づいた自由貿易が最も効率的だ、という交易の本質に生徒も納得感をもてる、というわけです。

しかし、経済の理論は万能ではありません。使いようによれば、真逆の結論を教えてくれる場合さえあるものです。そのことを、経済学の専門家ではない中高の先生方にもお分かりいただけるように説明してみます。(できるだけ簡単に説明しますが、それでもなお中高生には複雑すぎるようです。ですから現段階では、先生だけが、理論にはこんな側面もあるということが分かっていただければ、それで十分だと思っています。)

理論には仮定がつきものです。エッセンスを浮き彫りにするために、論理の邪魔になる条件は切り捨てる、それが仮定というものです。ちょうど、森の中の樹木の幹を観察するために、邪魔になる枝葉を切り落とすようなものです。

教科書の数値モデルでは、
 ・イギリスとポルトガルで、使うことのできる労働(生産要素)量は決まっていること
 ・毛織物とワインの生産に必要な労働量(産業ごとの労働生産性、つまり生産技術)が、イギリスとポルトガルで異なること
の2種類の仮定が置かれています。学者風に言えば、教科書ではこの仮定を数値表で見せ、生徒はその仮定を使って貿易の利益の意味を理解するという仕掛けになっているのです。

▪️教科書では隠されている学び方
ここからは経済学研究の専門家の見方です。私たちには、実は、このような貿易の利益を証明するためには、このほかにまだ別の条件が必要であることが見えています。その隠された条件のうち、中高生のレベルでもなんとかなりそうなものに
 ・イギリスとポルトガルのどちらの国でも、常に、すべての労働者が2つの産業(毛織物とワンン)に振り分けられている(完全雇用の仮定)
 ・労働者は、どちらの産業でも、同じように役に立つ仕事ができる
 ・イギリス・ポルトガル間のモノの毛織物やワインの運搬には費用がかからない
などがあります。

いずれも教科書には書かれていない、いわば暗黙の仮定ですが、現実の経済で、もしこの種の仮定が成り立たなければ、理論モデルの教え(=結論)も様変わりする可能性があるのです。

そのことを、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)をネタにして、自由貿易促進の是非をめぐる理論解釈の形で確認してみましょう。(TPP問題は2008年から2012年にかけて大きな政治課題になりましたが、今では生徒にとっては歴史上の出来事、とても肌感覚で使えるネタにはなりそうにありません。)

当時、中学生、高校生の間で、自由化賛成論者はもちろん比較生産費説(理論)を根拠にしましたが、反対論に立つ生徒は「被害者が気の毒だから」という情緒論に頼りがち、被害者がなぜどのような被害を被るのか、を他の生徒を客観的に説得できませんでした。

▪️労働者が産業間を自由に移動できない時には、保護貿易の方が有利になるかも 

しかし、実は、上述した隠された仮定が成り立たない時には、同じ理論モデルが自由貿易よりも保護貿易だという結論も引き出してくれるのです。その理屈(頭の中で展開する経済分析)は次のとおりです。

 ・TPPで貿易自由化が進むと、比較劣位にある農業の市場には安価な海外食料品が入ってくる、そのため農業関係者の所得が減る、ひどい場合には失業者も出てくる

 ・一方、比較優位にある先端工業部門では、海外からの需要が増え、企業は生産と労需雇用も増やそうとする

・(ここで、教科書のモデル理解では、こうなっています。

農業部門で失業した人々は、次の日にはコンピュータ関係の企業に再就職して、前から働いているソフト開発者と同じように仕事をしている。このように労働(生産要素)が生産性の低い農業から生産性の高いコンピューター産業に移ったのだから、経済全体もそれぞれの労働者も前よりも豊かになる。:これが自由貿易の根拠です)

・ところが実際には、これまで農業部門で働いていた人は、簡単には情報産業でプログラマーにはなれません。(これが、先にあげた隠れた仮定[=労働者は自由に産業間を移動でき、どちらの産業でも同じように働きの効果をあげられる]が外れた場合です。)

 ・その結果、仕事はあっても実際には失業者は雇ってもらえない。だから、彼らがどこかで再就職できるまでは、比較優位産業でも、思ったほど生産を増やすこともできない。

 ・こうして、TPPに加入すると、産業間で生産要素(特に労働)の移動ができない限りは農業関係者だけでなく、しばらくの間は経済全体のGDPも減少してしまう可能性もあることがわかります。(これが比較生産費説を使った保護貿易論の根拠です。)

▪️労働者が産業間を自由に移動できない時には、保護貿易の方が有利になるかも 
しかし、実は、上述した隠された仮定が成り立たない時には、同じ理論モデルが自由貿易よりも保護貿易だという結論も引き出してくれるのです。その理屈(頭の中で展開する経済分析)は次のとおりです。
 ・TPPで貿易自由化が進むと、比較劣位にある農業の市場には安価な海外食料品が入ってくる、そのため農業関係者の所得が減る、ひどい場合には失業者も出てくる
 ・一方、比較優位にある先端工業部門では、海外からの需要が増え、企業は生産と労需雇用も増やそうとする
・(ここで、教科書のモデル理解では、こうなっています。
農業部門で失業した人々は、次の日にはコンピュータ関係の企業に再就職して、前から働いているソフト開発者と同じように仕事をしている。このように労働(生産要素)が生産性の低い農業から生産性の高いコンピューター産業に移ったのだから、経済全体もそれぞれの労働者も前よりも豊かになる。:これが自由貿易の根拠です)
・ところが実際には、これまで農業部門で働いていた人は、簡単には情報産業でプログラマーにはなれません。(これが、先にあげた隠れた仮定[=労働者は自由に産業間を移動でき、どちらの産業でも同じように働きの効果をあげられる]が外れた場合です。)
 ・その結果、仕事はあっても実際には失業者は雇ってもらえない。だから、彼らがどこかで再就職できるまでは、比較優位産業でも、思ったほど生産を増やすこともできない。
 ・こうして、TPPに加入すると、産業間で生産要素(特に労働)の移動ができない限りは農業関係者だけでなく、しばらくの間は経済全体のGDPも減少してしまう可能性もあることがわかります。(これが比較生産費説を使った保護貿易論の根拠です。)

▪️さらに深い、広い学び
中高生の反対論者も、こうして他人を説得する理論を手にいれるわけです。そして、両陣営が同じレベルの理論武装できて初めて、今度は次の段階の議論に進めるはずです。例えば
  ・貿易自由化の被害者に対する救済・支援策は
  ・失業者などをどのような産業や企業で吸収し、完全雇用に戻し、自由貿易の利益を最大限に活かせる方法は
など、実に建設的で、質の高い議論に進めるというものです。

▪️お願い
今月の私のつぶやきは、ここまでです。
最初にお断りしましたが、せっかくの分析も、このままでは中高生には複雑すぎます。私も、中高生の手に負えるような単純な分析モデルを工夫してみますが、生徒の理解度を熟知しておられる先生方にも、是非、生徒にも分かる単純モデルの開発をお願いしたいと思います。また、開発された授業モデルは、是非、noticeあっとecon-edu.net までお送りいただけるようお願いいたします。

注*)教科書の記載の順番は、教科書会社が作ったストーリーを反映しているはずですが、私にはそのストーリーの狙いを読み取れないだけなのかもしれません。

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