① なぜこの本を選んだのか?
 公民科教師は、経済学者ではない研究者が経済学をどのように語っているのかを知ることで、経済的な見方や考え方を一歩離れた場所から見ることができるのではないかと思い選びました。
 きっかけは 2024年2月に開かれた,大阪大学・感染症総合教育研究拠点主催のシンポジウム「パンデミックの“今”と“これから”-私たちは次の感染症にどう備えるか」でした。
このシンポジウム後に、ファシリテーターである経済学者大竹文雄先生は医学者押谷仁先生と激論を交わしたと振り返って、医療の立場と経済学の立場との間に生じる認識のギャップを埋めることの重要性を指摘しています。
そこで紹介者は,医学の視点から経済学がどのようにみえているのかを知りたくなり、東北大学大学院薬学研究科出身の瀬名秀明さんが前出の押谷先生と対話している本書を見つけました。
読み進めていくと,すぐにアダム・スミスやリチャード・セイラーの記述が目にとまります。経済学者ではない研究者が経済学をどのように語っているのかを知ることができそうです。

② どのような内容か?
 本の前半は作家の瀬名さんが8名の専門家にインタビューをしています。8人の専門家は,公衆衛生学の小坂健、社会心理学の大渕憲一、科学哲学の野家啓一、災害医療の石井正、宗教人類学の木村敏明、行政法の飯島淳子、物理学の本堂毅、ウィルス感染症学の押谷仁の各氏です。
後半は瀬名さんとサイエンスライター渡辺政隆さん(同志社大特別客員教授)の対談を中心に構成されています。 
瀬名さんは今回の新型コロナウイルス感染症が拡大する中で作家の小松左京を思い出したと書いています。小松は1995年の阪神・淡路大震災を罹災した経験を全て記録し、未来に活かそうという作業に取りかかったのですが、一人の人間が全ての情報を総括して未来を予言することに無理があったと振り返っています。
瀬名さんは小松と同じ作家として、新型コロナ感染症をどのように総括して未来に活かすことができるのかを考え、東北大学に注目しました。多様な知を擁する総合大学の専門家とインタビューを重ねることで知の統合を目指すことにしたのです。

 目次は次のとおりです。
はじめに COVID-19で試される〈総合知〉 渡辺政隆
第一章 〝お役所仕事〟の新型コロナ対策の現場 
第二章 人はなぜ攻撃的になるのか
第三章 専門家の枠を打ち破る〈総合知〉
第四章 災害医療と地域パンデミック対応
第五章 人と寄り添う──宗教人類学からのアプローチ
第六章 地方自治とパンデミック──地方行政に託される課題
第七章 専門家が果たすべき役割とは──「専門知」の活かし方
第八章 COVID-19の特異性を理解してこそ
第九章 いまこそ〈総合知〉を──COVID-19は転換点
第十章 〈総合知〉に何ができるのか①──いままでを振り返って
第十一章〈総合知〉に何ができるのか②──科学なしでも科学だけでも
第十二章〈総合知〉に何ができるのか③──知の統合をめざして
第十三章 SDGS-IDセミナー 2022年9月30日 
第十四章 総合知と全体知の新たな「連帯」に向けて

③ どこが役に立つのか?
 2つの点で役に立つと考えます。
第1は本書に登場する経済的分野に関する記述です。
本文中に経済的分野に関する記述がたくさん登場します。リチャード・セイラーと行動経済学における分配ゲームについての記述。社会心理学者がアダム・スミスの『国富論』、『道徳感情論』についてコメントしている部分。マルサスやジョン・スチュアート・ミルも出てきます。
この中で,利己的・利他的について書かれた部分が役立ちそうです。
公民科教師は経済を教えるときに,どのような人間を前提としているのでしょうか。利己的な人間でしょうか?それとも利他的な人間もいるとした上で教えているのでしょうか。本書では,利他性は教育により後天的に形成されるものだけでなく内発的なものもあるという見方を紹介しています。
政策選択に関しても,新型コロナウイルスが招いた危機的状況について、感染症対策と経済を回すことは、どのような関係があるのかという視点で考え方を紹介しています。コロナに関する記述が多い本ですが、いたるところに登場する経済的な見方は,授業づくりの役に立つと思います。
 
第2は,経済を教える公民科教師の姿勢についてです。
公民科教師は「政治・経済」では政治的分野と経済的分野を教えます。「公共」では発達心理学に関すること、哲学に関すること、そして政治的分野と経済的分野を教えます。1年間で多くの学問分野と付き合う公民科教師は,どのようにして「知」と接すればよいのかという道標を手に入れる必要があります。
本書は,複数の知を連携させるために良心、共通感覚、メタ視点による公平な観察者を駆使し、情報爆発の罠に陥ることを賢く避けて、分担しながら広く、大きく衆知としてつながってゆくという方向性を示しています。
公民科教師は,複数の知を連携させながら「政治・経済」や「公共」を教えるために、どのようにして複数の知を連携させていけばよいかというヒントを本書から見つけることができるのではないかと思います。

④ 感 想
 プリンストン高等研究所における記述が印象に残りました。
この研究所における唯一のオブリゲーションは,教授会に出席することではなく、週に一度水曜日午後3時から開かれるティータイムにホールに集まっておしゃべりすることだというものです。プロによる学問的交流の一場面を感じることができました。
振り返りますと、かつては高等学校の職員室に、食事コーナーやお茶飲み場があって、社会科の先生、理科の先生、数学科の先生、外国語科の先生といった様々な学問分野にふれている教師達の会話が毎日ありました。ふと気がつくと教師たちの会話の多くは学問の話しではなく書類づくりの話しになっていきました。
本メルマガをお読みの先生方が所属している職員室はどのようになっているのでしょうか。

(神奈川県立三浦初声高等学校 金子 幹夫)

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