教科書から少し離れることについて
執筆者 金子幹夫
1.一度立ち止まろうと思います
ここ数ヶ月間、生徒が肌感覚で分かる授業づくりについて考えてきました。
さて、次の一歩をどのように踏み出せばよいのでしょうか? 勢いに任せて「こんな材料はどうでしょうか?」と提案し続けることもできそうですが、一抹の不安がよぎります。
その不安というのは、いつかやがて話題が底をつくという心配です。それだけではありません。例えばGDPとか国際収支といった生徒の生活経験とは遠いところにありそうな授業案を、いつかは考えなくてはいけないとわかっているからです。
そこで今月は「肌感覚で分かる授業づくり」ということそのものについて、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
2.「肌感覚で分かる」をどう捉えるのか?
生徒が「分かる」学習と聞いて、パッと思い浮かぶのは、先月のメルマガで紹介した教育心理学者犬塚美輪先生の『読めば分かるは当たり前? 読解力の認知心理学』(筑摩新書)です(メルマガ198号 2025年7月1日)。
この本によりますと、単語には①日常語彙 ②専門用語 ③学習語彙があるとのことでした。そして「説明文」よりも「物語文」の方が読みやすいことを取り上げていました。
これらを経済学習に当てはめてみますと、登場する用語は②専門用語と③学習語彙、そして教科書記述は「物語文」ではなく「説明文」ということになります。
3.単純に考えると・・・
そうであるならば、教師は教科書から少し離れたところで、できるだけ日常用語を使った物語を構成すれば、生徒がこちらを向いてくれるのではないかと、ここ数ヶ月考えてきました。これが「肌感覚」で教える一歩ということになります。
ところで、経済学習に関して、どこまで日常用語を使った物語づくりが可能なでしょうか? 何もかも日常用語で表現しようとすると、学問的な正確さを保てなくなってしまいそうで心配です。
4.「教科書から少し離れたエピソード」の再解釈
そこで再び足元を見つめての問いかけです。「教科書から少し離れたエピソード」というコトバを再解釈してみたいと思います。
ここ数ヵ月間取り上げてきたエピソードは、文字通り教科書から少し離れたところにある、生徒の生活経験を材料にした出来事でした。教師は、生徒の心をこちらに向かせるために、今どういうことに関心があるのか? といった取材を続けるのです。
ところで、この「教科書から少し離れたエピソード」というのは、生徒の生活経験の周辺にしかないものなのでしょうか? 別の角度から見たり、別の次元から捉えたりすることのできるエピソードもあるのではないかと思い書店を訪ねました。
5.経済を教えてきた人たち
探した本の内容は、教師でない人(できれば経済学者)が経済を教えるという本です。
全国の書店で手に入りやすい書籍を2冊選びました。
1冊目は、経済学者が自分の娘に経済のことを教えるという、ヤニス・バルファキスが執筆した『父が娘に語る経済の話』(ダイヤモンド社2019年)です。バルファキスはイギリス、オーストラリア、アメリカで経済学を教え、本書執筆時点ではアテネ大学教授です。教わる娘は10代半ばと書いてありました。
2冊目は、南ドイツ新聞の経済部記者ニコラウス・ピーパーによる『親子でまなぶ経済ってなに?』(主婦の友社 2004年)です。こちらは表紙に「小学生でも身につきます」との記載があることから、10歳前後の子どもを対象にしているのかと推測しました。
6.偶然かもしれませんが・・・
この2冊は、教師ではなく保護者が自分の子に経済を教えています。
1人は経済学の研究者で、もう1人は経済を専門にしているジャーナリストです。
読み進めていくと、この2冊にはいくつかの共通点が見つかりました。
第1の共通点は、話の始まりが歴史を扱っているところです。人類が農業をはじめたところから社会は大きく変わるという展開です。
第2の共通点は、その歴史の話を、物語文のように語っているところです。ある日、村の外れに余った毛皮を持っていき岩の上に置きます。2,3日経過すると魚が岩の上に置いてありました。見たこともない魚なので食べることができるかわからないので放置します。すると5日目に大きな壺が置いてあったので持ち帰ったという交換の場面が生き生きと書かれています(実際はもっと躍動感のある文です)。
第3の共通点は、単なる歴史を語るのではなく、私たちの身の回りのものがどのように誕生したのかを教えてくれるのです。文字、お金、軍隊等々です。
第4の共通点は、身の回りにあるモノの歴史だけでなく、概念や思想といったものが、いつどのようにして誕生したのかを物語のように語ってくれるのです。国家や宗教、分業、交易、権力、契約等々です。説明文ではありませんから、面白く読むことができます。
第5の共通点は(第3,4の共通点と被るところもありますが)、教科書で学習する用語の歴史を知ることができるというところです。教科書に記述されている用語が、いつ、どのようにして誕生したのかが書かれているのです。
バルファキスは、商品がどのようにしてこの世に誕生したのか? 利益という考え方がなぜ人間の心に宿るようになったのか? どうして人々が借金をするようになったのか? 文化、芸術、僧侶、兵士が誕生した歴史を易しい言葉で語っています。「あー、そういうことだったの」という生徒の声が聞こえてきそうです。
ちなみにこのバルファキスはギリシア経済危機の時に財務大臣を務めています。そしてこの本を書くときに影響を与えたものとしてジャレド・ダイアモンドの『鉄・病原菌・鉄』、カール・マルクス、古代アテネ人によるギリシア悲劇、ケインズをあげています。
7.いろいろな方向に踏み出せます
私たちは、ここまでのところをどのように受け止めることができるのでしょうか?
筆者が発信したいメッセージは、足元を見たら、次の一歩を踏み出す道がまだまだありそうだということです。
「経済学者が自分の娘に経済を教える時に歴史的アプローチをしているのだから、私たちも歴史から学習をはじめてみませんか」ということを主張したいのではありません。そういうやり方もあるというひとつのカードを示しただけです。
教師は「教科書から少し離れたエピソード」というものを幅広く捉えることで、教材づくりにおける不安が少し解消するのではないかと思います。
本稿の冒頭であげましたGDPとか国際収支といった生徒の生活経験とは遠いところにありそうな授業案をつくらなければいけないとき、足元を見るとまだ踏み出していない方角があるのではないかということです。
そんな抽象的なことを言われたら、ますます不安になってしまうという声が聞こえてきそうです。そこで少しでもヒントになればと思い、今月の「授業に役立つ本」で井堀利宏先生の『知らなかったでは済まされない 経済の話』(高橋書店)を紹介したわけです。
8.こんな教え方もあるのだ
今月の「授業に役立つ本」で紹介しました井堀利宏先生の『知らなかったでは済まされない 経済の話』(高橋書店)は、経済学者が経済に関心のない28歳の会社員に経済を教える物語です。教える目線は歴史ではなく大臣(総裁)からのものでした。
生徒は大臣に会ったことはないでしょう。しかし(テレビやネットで)見たことのある生徒はいるはずですし、皆が思い描く大臣像に大きな違いはないと思います。私たちからは遠い存在ですが、実はそんなに遠くなかったという不思議な存在です。
生徒は、どのような話題に反応するのか分かりません。ということは、教師がエピソード探しに好奇心を持つこと、そしてまだ掘り尽くされていない話題がたくさんあるという事実を知ることが次の教材づくりの一歩につながると思います。
9.夏の経済教室でエピソード探しの話をしてみませんか?
今月は「肌感覚で教える」ことについて少し立ち止まって考えてみるというテーマで考えてみました。この背景にはエピソードの話題が底をつくという心配や、生徒の生活経験とは遠いところにある話題をいつかは授業で扱う必要があるという心配がありました。
少し立ち止まっただけでも、歴史的に捉えるというアプローチや、大臣だったらどのような政策を考えますかというアプローチの存在を知ることができました。
今月は「先生のための夏休み経済教室」があり、多くの教師や研究者が集まります。「あのメルマガを読んでどう思いますか?・・・」といった会話がきっかけでネットワークが広がればうれしいです。今月はここまでです。
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