1.肌感覚での理解を実現させるには?
 ここ四ヶ月ほど篠原総一先生による15回の連載(捨てネタの効用)をどのように授業づくりに結びつけるのかについて考えています。
 手がかりをつかむために、前回は連載の中に共通するメッセージを探しました。そのひとつとして「人と人のつながりを意識できるエピソード」を目の前の生徒に合わせて見つけることが、肌感覚での理解につながるのではないかというところにたどり着きました。

2.「それどこで買ってきたの?」の視点
 ところで、どうやって「人と人のつながりを意識する授業」を創るのでしょうか? イメージしている入り口は、「それどこで買ってきたの?」とか「それ誰がつくったの?」という生徒の視点です。
 これは、生徒の足場をつくる授業と表現できそうです。生徒の足場ができたら、そこからいろいろな人間が見えてきます。その人間同士のつながりを見ながら交換であるとか分業について学びはじめるというのはどうでしょうか。
 この足場づくりをしないで教科書を読み始めると、生徒は企業目線で世の中を解釈しようと試みることになります。例えば、企業はどこで素材を買うのか? 部品はどこで仕入れるのか?どこで組み立てるのか? どのようにして消費者のもとに届けるのか?といったようにです。
 これで世の中の仕組みを意欲的に解釈しようとする生徒もいます。ただクラス全体を見ますと、生徒の眼を出発点にして人間と人間のつながりを見た方が、世の中に隠された本当の姿を見抜く力がつくのではないかと思うのです。

3.「人間と人間のつながり」を見る際に気になるところがあるのです
 それでは、生徒の眼を出発点にして人間と人間のつながりを見る授業を構想してみましょう!と意気揚々と指導案を考えようとすると気になるところがあるのです。
 それは、生徒が「公共」で学ぶ「人間」についてどのように認識しているのかがわからないというところです。
教科書を見ると、「公共」にはいろいろな人間が登場します。このいろいろな人間を教師がどう認識しているのでしょうか? そして生徒の眼はどのように人間を捉えているのでしょうか? さらに、同一単元において教師が描く人間像と、それを受け止める生徒の人間像にはどのような齟齬があるのでしょうか?
「人間と人間のつながり」を考えるにあたって、「公共」が示す様々な人間像を整理しておきたいというのが気になるところなのです。具体的に見てみましょう。

4.迷いのある人間、架空の人間、躍動する人間
 「公共」が示す様々な人間像について、ざっくりとですが青年期、政治的分野、経済的分野について順番に見ていくことにします。
 さっそく青年期の学習内容です。そこには欲求不満を抱えたり、自己実現を目指したり、心理・社会的モラトリアムの時期にいる「迷いのある人間」像が登場します。
 エリクソンやハヴィガーストが掲げた発達課題では、平均的な人間像が取り上げられているようです。
 一方で、乳児期から老年期までの発達段階を学ぶところでは、学習内容と自分という人間像とを重ねて理解しようと試みる生徒もいるようです。
 ところが、政治的分野の学習にすすむとどうでしょう。例えば哲学者ロックは、人間をものすごく抽象化して捉えます。自然状態が本当にあったかどうかはわかりません。もしも国家や政治権力がなかったとしたら、という仮の状態での人間像を示しているようです。
 そして政治的分野の後半になりますと具体的な人間像が語られます。 社会に参加する人間、主権を行使する人間、国際的に活躍する人間像です。
 1冊の教科書の中にはいろいろな人間像が登場します。それでは経済学習ではどのような人間像を見ることができるのでしょうか?

5.経済の学習に登場するいろいろな人間像
 経済的分野の学習では「選択する人間」が登場します。放課後に遊ぶのか勉強するのかを「選択する人間」、そして卒業後に進学するか就職するかを考える「選択する人間」です。ここで機会費用やトレードオフといった概念が紹介されます。いったい私の選択は合っているのでしょうか? と思い悩みながらも決断する人間像が登場します。
 授業が進み、「市場の役割」や「需要と供給」を学習するようになると、高校生にとってお手本となる人間像が描かれます。正しい情報持ち、正確に計算して選択を繰り返す理想的な人間像です。
 さらに、働く人、消費する人、お金の貸し借りをする人、税を納める人、若者や高齢者といった身近な人間像を見ます。

6.1つひとつの人間像に説明がないということ
 ここまで見ても、いろいろな人間像が語られます。人間は複雑な生き物ですから、抽象的に捉えたり具体的に捉えたりして学習するということはわかります。ただ、各単元において、どのように人間を捉えているのかという前提部分の多くは、教科書記述の中で省略されているようです。
 よって、読み手である生徒の中には、各人間像の違いを曖昧にしたまま次の単元に進むなんてこともでてくるのではないかと想像します。
 すぐに役立つことはありませんが、「公共」が示す様々な人間像を整理しておくことで
「人間と人間のつながり」を考える授業に厚みが出てくると思うのです。例えば、生徒が授業中に次のようなことをつぶやいたら、どのような対応が選択肢として考えられるでしょうか?

7.生徒からの発言を考えてみませんか?
 一緒に考えてください。場面は、需要と供給の学習をしているところです。授業中に生徒が「ネットで漫画の古本を買うときに、一番安いのは買わないよ」、「一番下(価格が安いという意味)から2番目か3番目の方が安心だね」と発言したとします。
 さて、教師はどのように対応すればよいのでしょうか? 中学校3年生の場合、高等学校「公共」の場合、「政治・経済」の場合、「家庭科」の場合、そして何よりも学校やクラスの状況の違いによって、対応は異なります。みなさんは瞬時にどのような設計図をアタマの中に描き、最初の一言で何を発しますか? 今月はここまでです。
      (金子幹夫)

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