執筆者 金子幹夫
1.「捨てネタの効用」シリーズから生まれた問い
 3月から5月にかけての「授業のヒント」は、篠原総一先生による15回の連載(捨てネタの効用)からいくつか選び出し、教師目線で解釈を試みました。
 そこで、今月はどのテーマに注目しようかと「捨てネタの効用」を読み解いていたのですが、その前に整理すべき課題があると思うようになりました。その課題というのは「捨てネタの効用」シリーズに共通するメッセージを明らかにすることです。
そこで6月号は、「捨てネタの効用」が発信しているメッセージを一教師が解釈する過程を示してみたいと思います。

2.肌感覚で理解するということ
 「捨てネタの効用」では、「肌感覚で分かる」という言葉が何回も登場します。これはどういうことなのでしょうか。
 筆者は、これを生徒と教師がつくりだす「認識の齟齬」という視点で読み解きました。つまりこういうことです。「①生徒は五感を通して日常生活でいろいろな経験をしています」。一方で「②教師は授業でいろいろな情報を発信しています」。
 ①は、生徒一人ひとり異なります。皆異なる人生を歩んでいるからです。②は様々な形をとります。文字記号中心で伝える授業もあれば、絵や写真、動画で伝えるものもあります。体験型学習で身につけてもらおうという情報もあります。
 ①で構成された生徒の認識と②で発信する教師の認識は一致しません。教師と生徒の間に生じる齟齬は、生徒の人数分発生します。教師はこれらの齟齬をできる限り小さくすることで、授業内容を生徒に伝えていくわけです。
 そこで「肌感覚で分かる」授業というのは、教師と生徒がつくりだす認識の齟齬を小さくする授業のことだといったん解釈してみます。いったいどのようにして教師は認識の齟齬を小さくしていくのでしょうか?

3.歩み寄るのは教える側
 認識の齟齬を小さくする手がかりが「捨てネタの効用」第1回目にありました。そこには「ほんのわずかだけ教科書から離れて、どんな生徒にも『なるほどそうか、感覚でわかるぞ』と思わせるようなエピソードや例を投げ込んでやるだけで、『経済も教え易い』科目になる」と書いてあるのです。
 それでは、教師はエピソードや例をどのように投げ込むことができるのでしょうか。具体的な例を、本メルマガの189号(2024年10月号)に筆者が掲載しました「編集後記」を手がかりに考えてみたいと思います。内容は次のようなものでした。
 ・ある日、筆者は突如声が出なくなったので喉スプレーやトローチを購入しました。
 ・治らないので耳鼻咽喉科に行き薬をもらいましたが症状は改善しませんでした。
 ・翌日の授業で、ここまでの経緯を生徒に伝えました(出ない声を絞り出して)。
 ・すると、ある生徒が鞄から箱を取り出して「これ知ってる?」と言ったのです。
 ・これを見た周囲の生徒も「私も持っている」「私も」と鞄から箱を取り出しました。
 ・まるでテレビCMのような光景を前に筆者はその商品名を確かめたのです。
 ・商品名は「たたかうマヌカハニー」というのど飴でした。
 ・授業後に生徒がその飴をひとつくれたので、職員室で口に入れたら声が出たのです。
 ・退勤後スーパーに行って買おうとしたら目立たないところに陳列されていました。
 ・もしかしたら一部の高校生に熱烈に支持されている商品なのかなと思いました。
という内容です。
 この教室にいる生徒は、生活経験の中で「たたかうマヌカハニー」を認識しています。どんな生徒にも「なるほどそうか、感覚でわかるぞ」と思わせるようなエピソードの手がかりが見えました。「よし! これで肌感覚で分かる授業ができる」といきたいところですが、ここで舞い上がってはいけないというのが今月号のポイントになります。どういうことなのでしょうか?

4.エピソードと教科書記述の接続をどうするか?
 教師と生徒との間に共通するエピソードに出会ったのですから、このまま授業を構成すればよいではないかと思ってしまうのですが、話はそう簡単ではないようです。
 肌感覚で分かりかけた生徒は、そのエピソードを用いて教科書に登場する理論を理解しようとします。しかし、エピソードと教科書に書かれている表現との間には距離があるようです。教師はその距離をどのように捉えるのでしょうか。

5.主語に注目すると?
 そこで手元にある教科書や資料集を見ますと、共通する特徴を発見することができます。その特徴というのは、具体的なヒトが登場しないということです。人間と人間が関わり合って社会を構成しているにもかかわらず、教科書や資料集からは人と人のつながりが直接見えてこないのです。
 「たたかうマヌカハニー」という商品は、誰がどういう思いで作り、どのようにして私たちの手元に届くのでしょうか?さっそく教科書や資料集で経済のことが書かれている部分を見ることにします。注目するのは文章を構成している主語です。
 パラパラッと見るだけでも「資本主義経済は」、「アダム・スミスは」、「技術革新は」、「重化学工業の発展は」、「世界大恐慌は」、「先進資本主義諸国は」、「マネタリズムは」「現代の経済は」、「財は」、「企業は」、「家計は」、「政府は」、「市場は」、「公害は」、「環境破壊は」といった感じです。
 教師は、これらの主語で構成されている文章に、「ヒト」を意識させる仕掛けを創る必要がありそうです。エピソードと教科書記述とを接続させるために「たたかうマヌカハニー」を用いて次のような授業構成を考えてみました。

6.人が活躍する経済教育
 (1)この人たちは何をしているのでしょうか?
 一枚の写真を示して生徒たちに問いかけます。写真は「たたかうマヌカハニー」を生産しているカンロ株式会社さんの研究開発風景です。生徒が端末を持っている場合には、検索して見ることもできます(https://www.kanro.co.jp/RandD/thought/)。写真には4人の社員の方が商品開発に向けて研究している様子が写っています。
 写真選びで重要なことは、仕事をしている人の視線がカメラ目線でないことです。実際に仕事をしているところを見ることで躍動感が伝わってきます。
(2)商品はどのような思いで開発されたのでしょうか?
 多くの生徒が鞄の中に入れている商品がどのようにしてつくられるのかを細かく分けます。生徒にどんどん発言してもらいたいところです。次のような問いをきっかけに教室の雰囲気を柔らかくしてみてはいかがでしょうか。
 a:なぜこの商品をつくろうと思ったのでしょうか?
 b:商品名はどのようにして決めるのでしょうか?
 c:箱や袋のデザインは、どのようにすると目立つようになりますか?
 d:なぜ多くの高校生が購入しているのでしょうか?
 e:大量生産するためにどのような工夫が必要でしょうか?
 f:もっとも売れるのはどのような店でしょうか?
 g:商品の評判を知るためにはどのような方法が考えられますか?  

 生徒はいろいろな角度から発言してくれそうです。1つひとつの発言に対して教師は「どうしてそう考えたの?」と理由を言わせることで発言者も聞いている生徒たちも一緒に考えるようになると思います。
 質問の内容ですが、d以外の主語は、冒頭で示した写真に写っている開発チームの人たちです。そしてdの主語は教室にいる高校生たちです。
 教師と生徒が対話を繰り返す中で、資本主義、技術革新、企業、家計、市場、そして環境破壊について話しが盛り上がるかもしれません。
 教科書に書かれている文の主語に、ヒトを意識させる要素を入れることで「肌感覚での理解」に一歩近づくのではないかという一案です。

(3)分業・交換・消費は人と人のつながりで行われるということ
 この授業案は、写真の中に写し出されているヒトをきっかけにすすめられますが、実際に企業では大勢の人が働いていいます。
 ひとつの商品を通して、商品開発者、販売促進担当者、工場で働く人たち、営業担当者といった分業について学ぶことができます。消費者との関係から交換についても学べます。
 人間と人間のつながりを意識して学びを続ける中で、経済理論に触れることができます。生徒は、経済理論の持つ見方や考え方に接することで、何を学んでいるのかを自覚できると思います。

7.人が登場することで理解が深まる
 授業時間数が限られていることを考えますと、教師は様々な経済理論を、文字記号として伝達するのが効率的なのかもしれません。しかし、生徒たちがこれから迎える人生を充実させるために、そして生徒たちが生きる社会をよりよいものにしていくためには、経済の仕組みを肌感覚で理解してもらいたいわけです。
 今月号は、「捨てネタの効用」が発信しているメッセージは何か?ということを立ち止まって考えてみました。経済を教えるということは「人間を意識すること」、そしてその「人間と人間のつながりを意識すること」なのではないか。このつながりを教室で共有できそうなエピソードや例は何か?教師は「この何か?」を見つけることで「肌感覚での理解」が実現するのだと思います。  
 皆様は15回にわたる連載(捨てネタの効用)をどのように読み取りましたか?いろいろな解釈を出し合って、授業について議論してみたいです。今月はここまでです。

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