① なぜこの本を選んだのか?
タイトルから想像すると自然科学に関する文献のように見えますが、読み進めていくと人文・社会科学にも共通する内容であることがわかります。経済学も登場します。
世の中に出回る多くの情報を前に、私たちは無意識の中で起きるバイアスをどうとらえるのでしょうか。今月紹介した『シン読解力』と合わせて読むことで、AI社会における科学的思考をどう教えるのかという手がかりが見えてくると考えて本書を選びました。
② どのような内容か?
1)植原亮先生は何を研究しているのか?
植原先生は科学哲学・分析哲学、脳神経倫理学を研究している東京大学,大学院情報学環・学際情報学府の准教授です。著書には『道徳の神経哲学』、『脳神経倫理学の展望』などがあります。
2)本書が目指しているのは何か?
私たちの周りには質の高い情報もあれば疑わしい情報もあります。この疑わしい情報を見抜くためには何が必要なのでしょうか?
本書では「科学的に考える力」があれば、目の前の情報が疑わしいモノかどうかを見分けることができると主張しています。本書は、科学的に考える力が欲しい人に応えることを目指しています。
3)「科学的に考える」の「科学」とは何か?
それでは、この「科学」というのはどのようなものなのでしょうか。
ポイントが2つあります。1つ目は、専門的に確立された用語や概念を使っているかどうか、2つ目は、説明がなぜ成り立つのかを解き明かすことができるかどうかです。この2つで科学といえるかどうかを判別できると教えてくれます。
本書が扱う科学は自然科学だけでなく社会科学も科学として解説してくれます。そこで次に、科学的に考えるというのはどのようなものかを具体的に捉えていくことになります。
4)科学的思考の核心をなすテーマ
本書は、科学的に考えることについて「因果関係」を用いて具体的に説明しています。
この「因果関係」とはどのようなものなのでしょうか。植原先生は2つの手がかりを私たちに示してくれます。1つ目は「時間的順序について」、2つ目は「反事実条件文が成り立つかどうか」です。
さらに私たちにとって紛らわしい事例(因果関係が逆である例、別に原因がある例、単なる相関関係との混同)も示してくれます。
ところで、私たちはこの紛らわしい事例についていつも適切な判断をしているのでしょうか?
5)人間には思考のクセがある?
人間は、物事を科学的に捉えようとしても思考のクセがあるようです。本書ではこのクセを「認知バイアス」と名付けて人間の適切な判断について考察しています。
さらに、一人ひとりが日常生活の中で身につけている、この世界を説明する枠組みを「素朴理論」と表現して説明してくれます。
例えば、A型の人は宝くじに当たりやすいのでしょうか?といった問いを一緒に考えてくれるのです。
6)本当に因果関係があるのか?
そこで因果関係にもどります。私たちは因果関係があるのではないかと狙いをつけた事象について、どのような検証方法を用いることができるのでしょうか?
本書では標準的な実験として「対照実験」というものを取り上げています。これはどのようなものなのでしょうか? どのようにして仮説を検証するのでしょうか?
対照実験について知るためには、私たちの身の回りで起こる「いつも繰り返されるパターン」(Aが起きた後にBが起こる)を探すところからはじめます。前のできごとは後のできごとの原因なのでしょうか?ここでの記述は、私たちが経済を教えるときの見方や考え方を思い出させてくれます。
その見方や考え方というのは、反事実的な状況(もしAがなかったらBは起こらなかったはず)を作り出すという考え方や、検証の前後で変える条件は一つだけにするといったことです。
さらに検証過程における注意点も示されます。プラシーボ効果(医学や薬学で指摘されているもの)を考慮しているかどうか? 検証するために集めたサンプルに偏りがないかどうかといったことです。
7)どの理論が優れた理論なのか?
様々な検証を通して理論が形成されるわけですが、その理論を私たちはどう読み解くのでしょうか?
ある仮説が科学的であるかどうかを判別するための考え方を知っておく必要があります。植原先生は「その主張が間違いだと判明することがあるとしたら、それはどんな場合ですか?」と問いかけてはどうかと提案してくれます。
この問いに「そんなことはありえない」「絶対に正しいんだ」という反証を受け付ける余地のない答えが返ってきたら、まともに取り合う必要はないと教えてくれます。
次は本書267ページに掲載されている問題です。
・問題 以下のAとBのうち反証可能性(何らかの仕方で反証ができること)が高いのはどちらだろうか?
A:日本銀行が利上げを宣言すると、その翌日は必ず株価(日経平均)が500円以上暴落する。
B:日本銀行が利上げを宣言すると、その翌日は株価に何らかの変化が生じる。
皆様はどちらだと思いますか?
8)知識の整理
本書は科学的な推論を「演繹的推論」と「非演繹的推論」に細分化して説明してくれます。後者の「非演繹的推論」はさらに①枚挙的帰納法 ②アナロジー ③アブダクションに分けています。そして演繹的推論と非演繹的推論との合わせ技である「仮説演繹法」まで紹介してくれます。
公民科の教科書に登場する演繹や帰納は、2025年に実施された大学入学共通テスト「公共」にも出題されていました。本書で知識の整理をすることができます。
9)人に何をどうやって説明できるのか?
ここまでで科学的思考の基盤らしきものが見え隠れしてきました。現実の社会は複雑です。よって科学は世の中で起こることをそのまま相手にはしないようです。
科学は、世の中で起こったことを図にしたり模型にしたり数式で表したりします。これがモデルを作るということのようです。
本書の中で印象に残った文がありましたので次に紹介します。
「説明が上手な人は、その場面に応じてどんな説明がふさわしいかを見きわめることに長けているのである。大事なのはメカニズムや法則なのか、それとも当てはまる個別の事例か、はたまた技術への応用か。そのつどの目的や関心にかなった説明ができるのは、深い理解に裏打ちされているからこそのものだ」(p.226)という文です。
経済学習では、様々な経済主体の行動について生徒と共に考えます。その時に教師が科学的説明を意識していれば「何かについて単発の説明をして終わるのではなく、その説明がなぜ成り立つのかの根拠まで説明することができる」(p.229)と解釈しました。
10)本書の全体像
以上が、本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
第1章 科学的思考をスケッチする
第2章 因果関係を考える
第3章 科学的思考を阻むもの - 心理は真理を保証しない
第4章 実験という方法
第5章 科学的に説明するとはどういうことか
第6章 科学的に推論し、評価する
第7章 みんなで科学的に思考する
③ どこが役に立つのか?
本書は、経済を教える教師に「鳥の眼」を感じさせてくれる1冊だと思います。
経済のしくみは教科書に書かれています。教師はこのしくみを説明するために、記述の背後にある科学的な見方や考え方を知っておく必要があります。本書にある見方や考え方を知っていれば、1つひとつの説明が厚いものになるのではないかと思います。
④ 感 想
科学的思考という大きなテーマを簡単に理解できるわけはありません。しかし生徒に教える以上「理解したい」という気持ちは持ち続ける必要があります。本書はこの気持ちに応えてくれる1冊だと感じました。新井紀子先生の『シン読解力』と合わせて読むことで、
「これから創る私の授業」というものが見えてきそうな予感がしました。
(金子 幹夫)
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