① なぜこの本を選んだのか?
 SDGsの授業案作成において困ることの一つに,授業が立体的な構成にならないというものがあります。道徳的にならないように、そして決意表明にもならないように,深く考えさせる授業を創りたいのだが・・・と困っていたところで出会ったのが本書でした。

② どのような内容か?
 松島先生はなぜ本書のタイトルを『サステナビリティの経済哲学』としたのでしょうか。 現在の経済学は持続可能なものではないということなのでしょうか。この問いを持ちながら内容を紹介したいと思います。
はじめに
 本書の冒頭の文はJ.S.ミルが予測したことを取り上げています。
 経済成長が停滞する一方で社会が物質的な豊かさではなく、精神的な充実や文化的な発展を求める定常状態に移行するというものです。
 なぜこの文を第一文に持ってきたのでしょうか。
 松島先生は経済学の枠組みにサステナビリティに必要な概念を取り入れることに挑戦する必要があると指摘しています。そのために経済学自身も持続可能になる必要があるとも述べています。
 現代の経済学を批判し,どのような道に進むべきかを考えたときに,J.S.ミルによる予測がその手がかりを与えてくれると確信して第一文が書かれたのだと読み取りました。

第1章は「大義の経済学」です。注目したのは次の点です。
 第1は「大義」というタイトルです。第1章のタイトルですから,強いメッセージが込められているはずです。本章は「人は利己心を超えて社会のために役立ちたいと思う存在だ」という文で始まっています。一人の人間が見つける社会的目的が大儀だと指摘しています。
 第2は「見えざる手を超える」という節のタイトルです。本章のタイトルは,現代の経済学のあり方に正面から挑戦するためにつけたと解釈しました。故に「見えざる手を超える」必要があることを早々と示す必要があったのだと思います。ではどのように超えようとしたのでしょうか。
 第3は「サステナビリティ」です。現代における最も重要な社会問題を持続可能性という理念で表現しています。そしてこの問題発生の原因として「コモンズの悲劇」を取り上げています。経済学はこの悲劇をどのように受け止めてきたのかが書かれています。
 第4はオストロムの主張です。これは多くのコミュニティにおいてコモンズの悲劇が起きていないというものです。
 第5は社会問題の規模です。小中規模のコモンズにおける問題と地球規模の問題は異なるという指摘です。この問題を整理するために本書では「新しい資本主義」と「新しい社会主義」という二つのシステム構想を提案しているのです。 

第2章は「ドグマをあばく」です。注目したのは次の点です。
 第1は松島先生が伝統的な経済学の授業で説明されている内容の力点を変えなければいけないと主張している点です。
 第2は教科書に掲載されている用語が多数登場するところです。「外部性」、「機会の平等と結果の平等」、「自由貿易」、そしてコモンズの悲劇をハーディン自身がどのように捉えていたのかについて「早い者勝ち」という言葉を使って解説しているところに注目しました。
 第3は教材づくりに向けての話題提供です。「パンデミック時におけるマスクの売買について」、「工場建設を賛成する者と反対する者との間における政治的決定について」の例は、教材化に向けての話題を提供してくれます。
 第4は新しい資本主義の提唱です。医療、教育、住居といったサステナビリティに関係する問題を解決するために「新しい資本主義」を提唱しています。ここで主役とし登場するのは「社会的アントレプレナー」です。

第3章は「新しい資本主義」です。ここでは4つの主語に注目しました。
 第1番目の主語は「世界市民」です。冒頭で、世界市民は倫理的動機に基づいた経済行動を行うように経済システムを変革することでサステナビリティに貢献できるよになると示しています。この世界市民というのは生産者、消費者、投資家を指しています。
 第2番目の主語は「企業」です。松島先生は第3章で企業を再定義すると書いています。SDGs前の企業の定義とSDGs後の企業の定義を比較します。その上で、SDGsの目標を企業の戦略にどのように組み入れることができるのかという課題を示しています。
 第3番目の主語は「個人(従業員)」です。なぜこの会社で働くのかという勤労観(職業観)と、その企業が形成している大義とを、どのように重ねることができるのかという課題が示されています。
 第4番目の主語は「経済学」です。複雑な組織としての企業を経済学はどのように捉えてきたのかが示されています。順番は、初級レベルのミクロ経済学、中級レベルのミクロ経済学、組織の経済学、サステナビリティの経済学です。
 このサステナビリティの経済学に登場する企業のひとつが「社会的企業」と呼ばれるものです。第3章では,営利企業と非営利企業との中間に位置する社会的企業を取り上げることで企業の再定義を試みています。

第4章は「新しい社会主義」です。注目したのは次の点です。
 第1はプロットです。なぜ資本主義、社会主義の順番で執筆しようとしたのでしょうか。
 松島先生は,新しい資本主義がサステナビリティのための社会的責任を果たすことができると考えるのは楽観的すぎると表現しています。そこでもう一つの構想が必要だとして「新しい社会主義」を提案しています。これで執筆の順番が理解できました。
 第2は新旧の違いです。「新しい社会主義」は古い社会主義と何が異なるのでしょうか。本章では「暗黙の協調」、「報復の連鎖」という考え方を紹介しながら「国単位で捉える約束」から「世界市民単位で捉える約束」という視点を提案しています。
 この構想は非現実的だと思われるかもしれませんが、情報ネットワークの進展で実現する可能性はあると判断しています。

第5章は「社会共通資本を超えて」です。注目したのは次の点です。
 第1は今後の経済学の進む道です。 現代の経済学はサステナブルな学問を目指しているとはいえない。経済学には意識改革が必要だと訴えています。その際にマーシャルが定義した経済学を拠り所としています。
 第2は経済学と社会科学の関係です。なぜ経済学は数学的手法と統計学を用いた分析を重視するのか。どうして人々の日常生活、倫理的なこと、社会的要素を軽く見る傾向があるのかについて教えてくれます。

③ どこが役に立つのか?
 現代の経済をどう捉えたらいいのか?その経済のことが書かれている教科書をどう読めばいいのか?そして教室で実践する経済の授業そのものをどう構想したらよいのか。経済学習そのものを大きな視点捉えることの大切さを実感できる意義は大きいと思います。

④ 感 想
 読んでいて疑問に思ったことはカッコの解釈です。
 気になった記述は「コモンズ(社会的共通資本)」と「サステナビリティ(社会的共通資本)」「サステナビリティ(SDGs)」です。なぜここでカッコを使ったのでしょうか。
 カッコの使い方に注目して読むと,他にも「SDGs(持続的な開発目標)」、「サステナビリティ(持続可能性)」があります。
 後者の2つは,言い換えることができるものという意味でカッコを使ったのではないかと推測しました。そこで同じように前者の3つも言い換えることができるとすると、さらなる精読が必要になります。
 なぜならば本書のタイトルそのものが「SDGsの経済哲学」であったり「社会的共通資本の経済哲学」とも解釈できるからです。本のタイトルに込めた松島先生の構想がどこまで深いのかを読み取る力量が紹介者にはありません。
 手がかりとして見つけた一文は198ページの「SDGsは社会的共通資本を補完する重要なガイドラインの役割をなす」と書いてあるところです。
 もしかしたら本書ではカッコを2つの意味(①「補完する、ガイドラインの役割をなす」という意味 ②言い換えることができるという意味)で用いているのかもしれないと想像しました。松島先生は春の経済教室にご登壇の予定です。ぜひ先生に質問してみたいです。また、本書を講読した先生方のお話を伺いたいです。

(神奈川県立三浦初声高等学校   金子 幹夫)

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