私ならこう教える 〜「スシダネ・サーモンの値上がりから教える市場のつながり」
執筆者 篠原総一
「分かる人だけに分かる、分からない人には分からない」教科書
大学で経済学を教える先生から、「中高の教科書は、分かる人には分かるが、分からない人には分からない」ように書かれている、というつぶやきが聞こえてきます。
大学教授は、中高の経済教育の教科書について何を言いたいのでしょうか。私は、これを
『大学で使う教科書に比べると、中高の教科書は、限られたスペースに多くの情報を詰め込みすぎ、理論の説明も端折りすぎ。ところが概念や理論は、第1にそれを使って経済のことを考える道具のはず。第2に、理論はいくつもの前提条件の下で何かを説明するもの。第3に現実と前提条件が食い違えば、理論は説明力を失っていくものです。ですから、理論の説明や使い方を詳細に書き込んでいない教科書を使う初学者(分からない人)は、理論では説明できていない論点に気づかずに(分からずに)先へ先へと進んでいく恐れがある、』
という経済学者の警告だと受け止めています。
理論の前提条件に縛られない授業の薦め
もう少しわかりやすく言えば、経済学者は、
『経済学では、理論、概念、データ、制度の知識などを使って経済のことを分析するという研究手法をとります。
しかし、例えば需要曲線と供給曲線のシフトを使って教科書通りの分析に綴じ込んだのでは、初学者でもその財の価格や生産量の変化は(図で)目で確認できますが、その他の関連財の市場で何が起こるかという、目では見えない重要な論点を見落としてしまいますよ、』
と警告しているのです。
実際の社会では、どんな市場も他の市場と繋がっています。ですから、どこかの市場で価格が上がるとか、新技術が開発されるとか、何か変化があれば、その市場の生産量はもちろん、この市場と繋がりのある別の市場でも価格や生産量が変わるという、「市場のつながり」をどの生徒にも、いつもはっきりと認識してもらいたいものです。「市場の本質は繋がりにあり」、ですから。
そこで今月は、市場のつながりを意識した授業モデルを一つ紹介してみたいと思います。
中高生には不向きな理論の応用ではなく、頼るのは中高生の常識とデータだけ、実際の例を使って市場のつながりを確認していく授業モデルです。
今月の授業ネタ:生きた市場分析
ネタは日本経済新聞電子版「価格は語る」(2024年5月23日)、タイトルは「北欧サーモン、3年で2倍:すし「一皿100円」激減 国産、郵送費安く商機」です。
(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO80860580S4A520C2QM8000/)
この記事を見れば、これがそのまま授業で使えること、一目瞭然ですが、記事にアクセスできない先生方の便を考えて、この記事の経済分析の道筋をまとめておきます。
記事の流れはこうです。サーモンの国際価格が3年で2倍になるほど高騰した、その結果、日本の回転すしの市場でこんなこと、あんなことが起こっている、そしてそれが私たちの暮らしや関連産業にこんな影響を与えている、という経済分析です。
1 授業第1幕: サーモンの需要が旺盛であることをアピールするために、回転寿司の「人気ネタ」ベスト10を紹介します。マルハニチロ「回転寿司に関する消費者実態調査2024」によれば、
1位 サーモン 50.6%
2位 マグロ(赤身) 36.3%
3位 ハマチ・ブリ 31.3%
4位 エビ 29.1%
5位 マグロ(中トロ)27.7%
6位 ネギトロ 25.0 %
7位 イカ 23.3%
8位 えんがわ 21.0%
9位 イクラ 18.2%
10位 マグロ(大トロ)16.8%
だそうです。これだけでも、なぜこの順位なのか、生徒の興味を惹きつけるに十分な捨てネタですが、この記事では、回転すし店の客は、二人に一人はサーモンを注文する、マグロ(赤身)は三人に一人、ネギトロは四人に一人、といった順位と売れ筋シェアを見せることで生徒を授業に引き込み、同時にサーモンと関連財との関係に気づかせるためのネタになっています。
2 授業第2幕:次に、「分析の我がモノ感」を引き出すためのデータ紹介です。
回転すし店でのサーモンの注文数は13年連続で1位、その旺盛な需要を満たす原材料である生食用サーモンの大半は輸入品であること。生食用サーモンの国内市場は推計7万トン、そのうちの85%は北欧と南米からの輸入であること。主産地であるノルウエーから空輸するチルド品の輸出単価(国際価格)は1キロあたり約120クローネ(約1750円)と、3年前の2倍になったことなどです。
ここまでのデータが、
回転すし店ナンバーワン商品の仕入れ値段が大幅に上がった結果、サーモンと、マグロ、イカ、エビなどの関連財の需要や供給にどのような影響を与えるか、
という経済分析のメインパート(授業第4幕)への仕掛けになっています。
3 授業第3幕:この記事では、本格的な分析に進む前に、第2幕で見せたサーモンの国際価格上昇の理由を説明します。需要側の要因として世界的なすし人気の高まり、供給側の要因としてサケ漁のエサ代、燃料代、人件費の上昇のほか、ロシア領空飛行禁止で輸送費が高騰していることを挙げています。
「教科書で教える」授業では、この第3幕は、国際サーモン市場で需要曲線が右方向に、供給曲線が左上方向にシフトしたという分析になっています。
4 授業第4幕:考える授業の見せ場、市場のつながりまで視野に入れた学習のコア部分です。サーモン国際価格の上昇が、日本の回転すし市場(サーモンやエビ、カニ、マグロなど)のほか、ハンバーガーや餃子などの回転すしと競合する市場に与える影響も考えていきます。
この記事では、①サーモンの仕入れ価格が高くなりすぎて一皿100円のサーモンがほぼ消えてしまったこと、②すしチェーン銚子丸が提供する北欧産「オーロラサーモン」は一皿440 円で、マグロ(赤身)の352円よりも高くなったというデータを紹介し、これではサーモンの売れ行きが落ちるかも、輸入サーモンに代わって国産サーモンが売れるようになるかも、などの分析結果を並べています。
しかし、授業時間に余裕があれば、先生方の授業では消費者の選択行動や企業の供給行動などにも分析の幅を広げてみてはいかがでしょうか。
消費者選択では、サーモンの価格変化だけ見るのではなく、マグロやイカ、エビなどの関連財の価格との比較がキーポイント、まさに機会費用概念の応用例です。供給行動ではサーモンの輸入だけでなく、値段がそれほど上がっていない国産サーモンへ代替、さらにはエビやイカなどの関連財市場の分析に発展できるはずです。
また、ロシアによるウクライナ侵攻以降、政府は補助金を使って石油単価や電気料金の上昇を抑えてきましたが、サーモン業界、寿司業界でも補助金を使うべきでしょうか。一般に、産業によって補助金を出すか止めるか、といった政府の政策決定の根拠を考えてみる学習も可能です。このような問題提起によって生徒の政治参加意識を刺激できるかもしれません。
いずれにしても、理論や概念を使う正統的授業では、理論の前提条件に縛られてしまいますが、中高生の常識とデータに頼る授業では、考える枠を自由に拡大も縮小もできる柔軟性と、生徒が取り組みやすいという親和性を併せ持つ、なかなか魅力的な授業モデルではないでしょうか。
5 まとめ:経済学者は、市場学習の本質は「市場のつながりの学習だ」と考えています。サーモン国際価格の上昇は、回転すしの枠内でサーモン、マグロ、エビ、サワラと、価格や生産量に影響していきます。さらに、それが寿司ネタの中で大きなシェアを持つサーモンの場合、回転寿司以外の外食店産業の価格や生産量にも影響が及ぶことを学んでほしいモノです。
経済はつながっている、しかしそのつながりは複雑な現象です。ですからつながりを論理で追いかける作業は大学や大学院の経済学で、一方的、中高の経済教育は、肌感覚で分かる具体例を用意して、その設定の中で市場のつながりの様子をイメージしていくという頭の体操デルを使う、という中高と大学の教育の分業が好ましいように思われます。
付記:今回取り上げた記事では、そのほかに、①最近の円安がサーモン価格に影響を与えること、②サーモンの輸入量は減少したが、輸入額は増えている、という経済学習に直結しそうな指摘がありました。前者は輸入中間財市場のどこにでも起こっている問題です。例えば円安が定着すれば、国産木材はどこまで輸入木材にとって変わりそうかなど、生徒にも分かりやすい外国為替学習が展開できそうです。また後者は輸入需要の価格弾力性という概念を応用問題になります。詳しくは稿を改めて、私の教え方を紹介してみたいと思います。
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