「貿易」の本質、私ならこう教える  
〜貿易を支える基盤とは〜

執筆者 篠原総一

随分と前から私は、教科書の貿易単元の筋書きに疑問をもっていました。最初に自由貿易の効率性を説くリカード理論の説明、ついで国際収支表、そして自由貿易に向けた国際的な取り組みの歴史を学ぶという流れでは、生徒は理論、国際収支表、歴史をバラバラに学ぶだけで、決して貿易の本質の理解につながらないとみていたからです。

一方、前回のこの欄の文末に、こんなメッセージを残しました。
 『効率的な取引には、取引を支える基盤が必要です。取引相手とのコミュニケーション(言語、文字、通信)、効率的で安定した決済手段、モノを移動させる運輸、取引の約束が守られる制度などです。ですから経済取引のあらゆる局面をカバーする貨幣や金融を、モノの経済とは独立した学習にしてはならないという、私から先生方へのメッセージを最後に付け加えておきます。』

今回は、このメッセージを貿易授業に当てはめてみるという提案をしてみます。貿易取引を支える基盤の実際例を並べていくだけで、生徒は「貿易とは、なるほどそういうものか、だからこんな課題も出てくるのか」という見方考え方を肌感覚で会得できるような授業になると確信しているからです。(*)

◾️歴史ネタから貿易の本質を学ぶ
前回の「お金と金融の本質」では、メソポタミア古代社会のトークンマネーを捨てネタにしましたが、今回紹介するのも歴史ネタ、17世紀大航海時代の貿易の実例です。

当時、ヨーロッパでは貿易が急に増え、社会も猛烈な勢いで豊かになっていきます。それまでは、ヨーロッパ地域内の相互貿易のほか、中近東、アフリカとの地中海貿易、シルクロードを使うアジア貿易など、陸路と近距離海上輸送が貿易を細々と支えていました。そこへ喜望峰廻りや大西洋横断航路が加わり、地の涯(はて)アジアや新大陸アメリカから社会を豊かにする目新しいモノを、しかも一気に大量に、運べるようになったのです。

この時代の貿易は、現在の貿易と比べると、はるかに単純なものでした。品数も少なく、貿易の仕組みもごく簡単なものでした。ですから貿易の実態が見えるという意味で、歴史ネタは、貿易の仕組みの本質を理解し、かつ問題発見と解決法を考える上で格好の教材になるのです。今回はその中から、二つのネタを取り上げてみます。第一が貿易品目を整理してみれば貿易理論の内容を肌感覚で確認できそうなこと、第二が物資の輸送が貿易を支える基盤であることに簡単に気づくことです。今回は長文になりますが、以下でこれらの2点を順に取り上げてみます。

◾️貿易品目から貿易の特徴(需要と供給)を掴む
大航海時代でも、売り手と買い手の双方が出会わない限り貿易は成り立ちません。歴史学習ではなく経済学習なので、ヨーロッパ人は何を求めたか、アジアやアメリカ大陸の原住民はヨーロッパの何を欲しがったかという需要サイドと、双方で相手の需要に応えるだけの生産ができたという供給サイドに分けて歴史を眺めて欲しいものです。

当時の貿易は単純、品目もほんの数種類に限定できます。今では何百万、何千万もの取引品目がありそうですが、当時の貿易は、たかだか船一艘に積める範囲ですから、品目も知れています。ですから、相互の輸出入品を並べるだけで、貿易の特徴を肌感覚で捉えることができるのです。

ヨーロッパから見ると、輸入品は南アジアの香辛料、ゴム、インドの綿、中国の茶、絹織物や陶磁器、中南米の銀や砂糖、北米の綿、タバコや上質の毛皮などです。そしてアジアやアメリカ大陸から見ると、安価で上質な毛織物、ブランデー・ラム酒、ライフル銃、弾薬などに加えて、酷寒地の原住民は湯釜なども輸入していたそうです。

ヨーロッパの輸入需要の大きさは歴史データで確認できていますが、中高生には、輸入品のそれぞれがどのように使われていたかという文化史のエピソードから、大規模輸入需要があったことを類推、納得してもらえれば十分でしょう。例えば、インドやアメリカの綿からは、麻の衣服と比べるとはるかに着心地が良く、安価でしかも簡単に洗濯できる下着やシャツが作れます。人々は綿製品を追い求め、ついにはヨーロッパの病気率が下がり、平均寿命も延びたほど大量の綿が輸入された、といった類の類推です。

また、インドネシアやインド産の香辛料は、塩だけに頼っていた肉料理の味付けを変え、どの家の台所でも必需品になっていった、お茶は人々の余暇時間の過ごし方を変えるほど余裕のある人々の間で広まっていった、などといったエピソードがあれば、「なるほど、そうか、十分な需要があったのか」と納得できるのではないでしょうか。

後ほど第二のネタとして取り上げるカナダ産のビーバーの毛皮も、寒い冬を乗り切るコートや帽子用に使う必需品で、大変な人気があったそうです。それまで頼りにしていたロシア産の毛皮に比べて圧倒的に高品質で、しかも安価で大量に入手できたからでした。

一方、アジアやアメリカ大陸では、それまで白人と出会うまでは存在すら知られていなかったヨーロッパの物資を欲しがりました。地域の為政者は強力な破壊力をもつ武器や弾薬を求めたことは自明でしょう。

◾️貿易品目の比較から貿易理論の内容を学ぶ
このような需要と供給が結びつき、ヨーロッパとアジア、ヨーロッパとアメリカとの間で二国間貿易が始まり、やがてアジア産の茶をヨーロッパ経由でアメリカに運び、代わりにアメリカの綿織物を輸入するような三角貿易に発展していきます。

そしてこのような貿易の利益を理論で説こうとしたのが、アダム・スミスの絶対優位原理であり、デイビッド・リカードの比較優位原理でした。

歴史学習としては、貿易の副産物としてヨーロッパ各国が植民地支配に凌ぎを削る、当時の三角貿易の仕組みの中に奴隷取引が組み込まれる、英印中の三角貿易がアヘンを中国社会に持ち込む、さらにはアメリカでは茶会事件から南北戦争に発展していく背景になるなど、貿易の不幸な側面も学びのトピックスに入ってきます。

しかし経済教育では、上で整理した貿易品目を比較することで、生徒が絶対優位や比較優位の原理の内容を、理屈ではなく肌感覚で理解できることに注目したいものです。
例えばインドには綿花、綿織物に比較優位があり(=ということはイギリスよりも安く作れ)、毛織物にはイギリスに比較優位があった(=ということは、産業革命を経たイギリスの方がインドより毛織物を安く作れる)、だから、それぞれ比較優位を持つモノは自国消費量よりも多く生産し、余剰分を相手に売る(=輸出する)、比較劣位にある品物は相手から輸入する、そうすることによって両国とも生活が豊かになる、という具合の理解です。この程度の推論なら、数値例を使ったモデル理解は不得手な生徒にも理解可能ではないでしょうか。

◾️歴史ネタから貿易の基盤を抽出する
ここまでが、大航海時代の貿易の実例ネタが「貿易理論の理解」を助けるという授業のヒントです。が、しかし、貿易の実際は紙の上で考えるほど簡単なものではありません。貿易取引を行うための準備、つまり貿易基盤の準備と維持の方がはるかに大変な作業が必要なことを、「ハドソン湾会社」の貿易の歴史例を使って確認できそうです。

「ハドソン湾会社」は(1670年から19世紀後半まで)カナダの毛皮通商を独占した、北米大陸最古の会社で、教科書にも出てくる東インド会社と同じような機能を持つイギリスの勅許国策会社の一つです。

この会社は現在もカナダのトロント市に本社を置く多国籍企業として存続していますが、生徒には当時ハドソン湾地域のビーバーの毛皮の独占取引権を許されたこの会社の正式名が「ハドソン湾に於いて通商に従事するイングランドの総督ならびに冒険家の一団」(The Governor and Company of Adventurers of England trading into Hudson’s Bay)という長たらしいものであったことだけを伝えれば十分でしょう。この正式名の中の「総督ならびに冒険家」に注目です。総督(イングランドのカナダにおける統治役)と冒険家の手でもって初めて貿易取引が実行できた、という貿易の実際を表しているからです。
 
ハドソン湾はカナダでは最北も最北、白熊とアザラシ、トナカイなどが棲む地域で、その森林地域の原住民クリー族と貿易するには相当の準備が必要でした。作業を担ったのが3人の冒険家(と総督)だったのです。彼らは出発後1年4ヶ月もの時間をかけて、
・ヨーロッパ・カナダ北部を結ぶ大西洋横断新航路の発見
・内陸部の探検、大西洋沿岸からハドソン湾までの陸路の確認
・内陸部で市場調査(良質なビーバーと交換に原住民の交換に何が欲しいかという
需要調査)
・極寒の地で越冬、原住民と取引条件の取り決め(契約)
をし、帰国後にようやく政府に会社設立を働きかけています。この間の冒険はまさに命懸けであったことは明らかでしょう。

政府はハドソン湾会社の設立を認め、同時に広大な領域を管轄し、原住民を有無を言わせず支配する権限を与えました。支配権や軍隊を持たない限り、ヨーロッパ流の法と秩序に頓着しない当時の原住民との交易はあり得ない、という当時の状況は生徒にも容易に想像がつくはずです。(ちなみにイギリス東インド会社の正式名も「東インドで交易するロンドン商人の総督と仲間たち」というもので、インドとの交易もハドソン湾会社と同じような背景をもっていたことが伺えます。)

以上が、17世紀の毛皮貿易の基盤ですが、これだけの準備がなければ原住民との交易は実現しないという「貿易のインフラ」だと思ってください。

◾️肌感覚で学ぶ貿易授業:貿易基盤の学習
ハドソン湾会社の実際を捨てネタ(導入ネタ)に使えば、今度は「現代の貿易基盤」のリストを作れるはずです。

ただし、その前にまず、「現代の貿易」の本質だけは、生徒の頭の中に定着させておく必要があります。
  ・貿易とは、国境を超えた交易(モノとモノの交換)であること
  ・交換するのは国ではなく、企業や個人であること
  ・品質が同じなら、国内の供給者よりも外国の供給者から輸入する方が安いから
の3点です。なお、この本質の第3点では、国内企業から買う場合と外国企業から買う場合の価格を比較するので、「為替レート」が貿易の学びに入ってくる理由もはっきりすると思います。

この本質3点を頭に入れておいて、あとは外国の企業や個人と取引するために必要な貿易基盤を取り上げ、基盤のそれぞれの役割と課題を追いかけるだけで満点以上の授業になるはずです。

授業時間や生徒の準備状況の制約によって、取り上げる貿易基盤の実際例を先生方が選ぶ必要がありますが、以下、その候補をあげておきます。
 ・国境を越える輸送手段と輸送コスト
   とくに海上輸送(世界の貿易の80%以上が海上輸送です)
 ・物流と物流のコスト
   例えばフランスのワイナリーのワインも、日本国内での販路が整っていない限り輸入することはできません
 ・信頼
   品質や契約履行は大丈夫か
 ・法と秩序
   国際ルール(暗黙のルールも)
   国内の貿易ルール
   外国の貿易ルール
 ・金融
   外国の企業や個人と取引の決済を行う仕組み
  
授業ではこれらを巧みに整理しておけば、それぞれが貿易にどのように役に立ち、さらには、各国が自国の都合でどのように取引介入するか(つまりどのような保護貿易を実施するか)、そしてその解決策は、といった深い学びを具体的に、しかも容易に引き出せるのではないでしょうか。

(*)参考文献として、ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドックス』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、2011年)第1章)をあげておきます。以上で取り上げた歴史ネタも、この書物から借用したモノです。(ただし、政治学、経済学の専門家を対象に書かれた著書ですので、教育の専門家は敢えて読む必要はないかと思います。)

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