音読のすすめは、斉藤孝さんが『音読で読みたい日本語』を書いて有名ですが、 今回のヒントは新井の怪我の功名とでもいえるような出来事からの提案です。 この提案の出発になったのは二つです。一つは、国立情報学研究所の新井紀子 先生のグループ研究している読解力の調査です。もう一つは、新井が風邪をひき、 のどをやられ声が出なくなってしまったことです。
情報学研究所の調査は、11 月 7 日の新聞に掲載された今の中高学生が教科書 の内容をきちんと読めていないという調査データです。私たちは、教科書を教える のではなく、教科書で教えるのが優れた授業だというイメージを持ってしまいがちです が、実は、生徒はその教科書ですらきちんと読めないという衝撃的な調査結果 でした。
こちらの新井の方は、単なる風邪によるものですが、この二つがひょんなことから 結びついたわけです。 声がでないというのは教師にとっては致命的です。そこで、どうしたか。通常は プリントと私の講義で進行してゆく授業を中止して、プリントを読ませ、また、当該 部分の教科書を音読させて進行してみたというわけです。
そこで発見したこと。生徒はプリントの短文なら読めるけれど、教科書の文章 が読めなくなっていることでした。特に、漢字で出てくる専門用語は苦手である ことがよく分かりました。また、文脈で意味をとることがどうも苦手らしいことが読み 方でわかりました。読ませたあと必要最小限のコメントをして授業を終えました。 このやり方に、生徒は結構満足そうな表情で、眠くならないし、自分の声で確 認出来て理解が深まったようだと言ってくれたのです。
ここからの発見。生徒がなぜ読解力が落ちているのか。一つの仮説として、生徒 が教科書を読めないのではなく、読まなくなったから読めないらしいというのが導き 出されます。読んではいるのですが、黙読するだけ。また、スマホをみるように、 ゴシックで書かれた単語だけを追いながら、見ているだけということではないかという ことです。
かつては、新聞すら音読をする人がいた時代がありました。また、教科書を一 斉に 音読させることが小学校などでは行われていました。そういう習慣が、急速 にすたれ ているのではないかと思われます。さらに、講義型はだめ、体験的学習 が大切という 掛け声の中で、これからは、講義すら追放されてしまうかもしれません。 政治学者の丸山真男は『「文明論の概略」を読む』岩波新書、のなかで福澤の 原典を音読して、この注釈書を読んでほしいと力説しています。丸山は、「その方が 福澤の文章のリズムが一層感得される」としていますが、リズムだけでなく、体で学ぶ
ことで理解が一層進むということではないかと、生徒にプリントや教科 書を読ませたこの体験から、思われます。
ただし、音読の効果が見えたというだけで一年通すこともできず、新井の授業 は元の解説過多の講義スタイルに戻ってしまったのですが、読解力の向上の突破 口の一つは見えたかなという気持ちになっています。 とはいえ、経済の授業でグラフやデータ、数式が出てきたときに、どう音読させて 理解させるか、これはなかなかの難問です。
(メルマガ 107号から転載)
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