シンポジウム 「経済教育:次期学習指導要領に即した教え方」
■日時 日時:2010年12月4日(土) 13時00分~17時00分
■場所:同志社大学 至誠館1階 S1番教室
【プログラム】
1300~13:05 開会挨拶
13:05~14:00 講演: 時事問題をどう教えるか
地主 敏樹(神戸大学大学院経済学研究科)
14:05~17:00 基調講演:「効率と公正」「幸福、正義、公正」をどう教えるか
林 敏彦(同志社大学大学院総合政策科学研究科)
パネルディスカッション
司会 大倉 泰裕(千葉県立松戸秋山高等学校)
問題提起 岩野 清美(中間市中間東中学校)
小栗 英樹(宇都宮大学教育学部附属中学校)
林 敏彦(同志社大学大学院総合政策科学研究科)
峯本 英紀(広島県立呉昭和高等学校)
講演資料: クリックするとリンクしております
地主 敏樹 講演内容
林 敏彦 講演内容
岩野 清美 岩野資料2
小栗 英樹 小栗資料2
峯本 英紀 峯本資料2
【要約】
12月4日(土)、午後1時より同志社大学至誠館において、経済教育ネットワークのシンポジウム「経済教育:次期学習指導要領に即した教え方」が開催された。
篠原代表の挨拶の後、第一部の講演「時事問題をどう教えるか」が神戸大学の地主敏樹先生によって行われた。地主先生は、時事問題を扱う経済の授業は多いが、なにが起きているかを知ることも大事だが、その現象のなかのメカニズムやからくりを知ることが大事であると前置きを語られ、現状把握、政策論議、金融危機、各国経済の4つのトピックから具体程な例をあげながら、話をすすめられた。
最初のトピック現状把握では、「失業率」が取り上げられた。10月の日本の失業率が5.1%と悪化したとのマスコミ報道があったが、失業率を見るには、失業率というデータがどのような仕組みで調査されているか、雇用情勢を知るには失業率だけでなく有効求人倍率も見る必要があることなどを指摘された。さらに、長期的な波動や、年齢別の失業率、海外の失業率の比較なども行い、総合的に景気の判断をする必要があると述べられた。
次に、政策に関するトピックでは、エコポイントを取り上げられた。エコポイントの効果はミクロの効果とマクロの効果の両面から見てゆく必要があることが大事とされ、もう少し、深く考えてみると、エコポイントの主効果は、購入のタイミングを変えることでしかなく、問題はより長期的な効果を発揮するための政策が求められることを理解させる必要があると指摘された。
政策と関連して取り上げられたのは「デフレと金融政策」である。現在の日本は、「マイルドだが頑固なデフレ」であることを、一橋大学の物価研究センターの資料から説明された。
三番目のトピックは、「金融危機に関するトピック」である。事例としては、最近のアイルランドの危機を取り上げられた。アイルランドでは、住宅バブルの崩壊で傷んだ銀行を政府が救済したが、その資金を国債発行で賄おうとして危機にいたった経過は、日本の20年前の経験に類似している。違うのは、アイルランド国債への信頼がなく、買い手が出ず、EUとIMFに救済を求めたことで、それが引き金になりユーロが揺らいでいるということを、英『エコノミスト』の記事を示しながら説明された。
最後の、「各国経済」では、昨月のアメリカ中間選挙での民主党の敗北について触れられた。オバマ政権は、金融改革や医療保険改革、景気対策などそれなりに仕事をやってきたたが、失業率が、選挙前の公約より高どまりしていること、保険改革の中で、ティーパーティーのような極端な反税金運動が起こってきたことなどが背景にあることを指摘された。
海外情報の入手法に関しても触れられ、最もよいのはロンドン『エコノミスト』であり、分析の鋭さと深さ、カバーしている範囲ではぴか一であると紹介された。英文であり読むのは大変だが、学生などには、各パラグラフの、冒頭の文章をざっと読み、あとは必要な箇所や大事な箇所をしっかり読めば、読めないことはないと指導しているというエピソードも紹介された。
質疑では、景気変動を読むのに、GDPデフレータは使えるのか、インフレターゲット論をなぜ日銀は採用しないのかなどが出され、それぞれ簡潔な回答がなされ終了した。
篠原代表の挨拶の後、第一部の講演「時事問題をどう教えるか」が神戸大学の地主敏樹先生によって行われた。地主先生は、時事問題を扱う経済の授業は多いが、なにが起きているかを知ることも大事だが、その現象のなかのメカニズムやからくりを知ることが大事であると前置きを語られ、現状把握、政策論議、金融危機、各国経済の4つのトピックから具体程な例をあげながら、話をすすめられた。
最初のトピック現状把握では、「失業率」が取り上げられた。10月の日本の失業率が5.1%と悪化したとのマスコミ報道があったが、失業率を見るには、失業率というデータがどのような仕組みで調査されているか、雇用情勢を知るには失業率だけでなく有効求人倍率も見る必要があることなどを指摘された。さらに、長期的な波動や、年齢別の失業率、海外の失業率の比較なども行い、総合的に景気の判断をする必要があると述べられた。
次に、政策に関するトピックでは、エコポイントを取り上げられた。エコポイントの効果はミクロの効果とマクロの効果の両面から見てゆく必要があることが大事とされ、もう少し、深く考えてみると、エコポイントの主効果は、購入のタイミングを変えることでしかなく、問題はより長期的な効果を発揮するための政策が求められることを理解させる必要があると指摘された。
政策と関連して取り上げられたのは「デフレと金融政策」である。現在の日本は、「マイルドだが頑固なデフレ」であることを、一橋大学の物価研究センターの資料から説明された。
三番目のトピックは、「金融危機に関するトピック」である。事例としては、最近のアイルランドの危機を取り上げられた。アイルランドでは、住宅バブルの崩壊で傷んだ銀行を政府が救済したが、その資金を国債発行で賄おうとして危機にいたった経過は、日本の20年前の経験に類似している。違うのは、アイルランド国債への信頼がなく、買い手が出ず、EUとIMFに救済を求めたことで、それが引き金になりユーロが揺らいでいるということを、英『エコノミスト』の記事を示しながら説明された。
最後の、「各国経済」では、昨月のアメリカ中間選挙での民主党の敗北について触れられた。オバマ政権は、金融改革や医療保険改革、景気対策などそれなりに仕事をやってきたたが、失業率が、選挙前の公約より高どまりしていること、保険改革の中で、ティーパーティーのような極端な反税金運動が起こってきたことなどが背景にあることを指摘された。
海外情報の入手法に関しても触れられ、最もよいのはロンドン『エコノミスト』であり、分析の鋭さと深さ、カバーしている範囲ではぴか一であると紹介された。英文であり読むのは大変だが、学生などには、各パラグラフの、冒頭の文章をざっと読み、あとは必要な箇所や大事な箇所をしっかり読めば、読めないことはないと指導しているというエピソードも紹介された。
質疑では、景気変動を読むのに、GDPデフレータは使えるのか、インフレターゲット論をなぜ日銀は採用しないのかなどが出され、それぞれ簡潔な回答がなされ終了した。
引き続いて、第二部の「効率と公正」「幸福、正義、公正」をどう教えるかに移り、基調講演を、同志社大学の林敏彦先生が行った。
林先生は、中学校の教科書を執筆した経験から、教科書は「短歌のようなもの」であり、本当は子供が読んでわかるように書かなくてはいけないが、制約条件のなかで書けなかったものを先生が授業で解説をしてわからせるものだと指摘された。また、教科書は生徒のためだけでなく、教師や教育委員会に注目されなければいけないということも経験から学んだとも発言された。それを踏まえると、今回の学習指導要領がかなり変わったことは、未知の領域に突入した感じで、ライバルがどう出るかわからないなかで、新しい概念をどうとらえるかを探りながら書き進めたとされた。
本論では、効率性の問題と公平性の問題と大きく二つに議論をわけ、最後に結論という形で話をすすめられた。
効率性に関しては、最初に効率性の難問例を列挙されてから話をすすめられた。例えば、クラブ活動で上手な選手だけを出場させて勝利を狙うのか、全員参加にするかという問題に集約的に効率と公平の問題が表れているとして、ほかに、労働参加、偏差値による入学、最大限の安全建築、無駄のない街などの例を紹介された。
ついで、効率性の概念がどのように発生したかに触れ、経済学ではそれをパレート効率性として説明するが、Aさんの効用とBさんの効用のどちらの改善を優先するかの解答は出てこないと指摘された。
公平さに関しては、同じく公平さの難問例を列挙されて話をすすめられた。例えば、アリとキリギリスがそれであり、無年金者を救済すべきか、それまでのプロセスから救済はフェアでないとするかの問題に集約的に問題が現われているとして、ほかに、危険な住宅の強制移転の是非、所得の平等さと労働、お金をはらって義務を逃れることなどの事例を、阪神大震災の経験などを踏まえて話された。
公平の概念は、アリストテレスの公平から、現在の日本国憲法の公平、公正貿易のルール、公正取引委員会まで多くの具体例があるが、効率性と同じく、最終的には価値判断の問題が横たわっていることを指摘された。
結論的には、効率と公平は、人間が究極的に何を求めるのか、何を良しとするのかという問題に帰着するのであり、効率と公平が車の両輪のりょうに並立するのではない、何をプライオリティと考えるかということであるということを肝に銘じてほしいということを指摘された。
関連して、アメリカの大統領が理想と現実のはざまで揺れ動く法則を紹介されるとともに、幸福に関する、一人あたりのGDPが増えると幸福感が下がるという「イースタリンのパラドックス」の読み方、考え方を紹介され基調講演を終了した。
林先生は、中学校の教科書を執筆した経験から、教科書は「短歌のようなもの」であり、本当は子供が読んでわかるように書かなくてはいけないが、制約条件のなかで書けなかったものを先生が授業で解説をしてわからせるものだと指摘された。また、教科書は生徒のためだけでなく、教師や教育委員会に注目されなければいけないということも経験から学んだとも発言された。それを踏まえると、今回の学習指導要領がかなり変わったことは、未知の領域に突入した感じで、ライバルがどう出るかわからないなかで、新しい概念をどうとらえるかを探りながら書き進めたとされた。
本論では、効率性の問題と公平性の問題と大きく二つに議論をわけ、最後に結論という形で話をすすめられた。
効率性に関しては、最初に効率性の難問例を列挙されてから話をすすめられた。例えば、クラブ活動で上手な選手だけを出場させて勝利を狙うのか、全員参加にするかという問題に集約的に効率と公平の問題が表れているとして、ほかに、労働参加、偏差値による入学、最大限の安全建築、無駄のない街などの例を紹介された。
ついで、効率性の概念がどのように発生したかに触れ、経済学ではそれをパレート効率性として説明するが、Aさんの効用とBさんの効用のどちらの改善を優先するかの解答は出てこないと指摘された。
公平さに関しては、同じく公平さの難問例を列挙されて話をすすめられた。例えば、アリとキリギリスがそれであり、無年金者を救済すべきか、それまでのプロセスから救済はフェアでないとするかの問題に集約的に問題が現われているとして、ほかに、危険な住宅の強制移転の是非、所得の平等さと労働、お金をはらって義務を逃れることなどの事例を、阪神大震災の経験などを踏まえて話された。
公平の概念は、アリストテレスの公平から、現在の日本国憲法の公平、公正貿易のルール、公正取引委員会まで多くの具体例があるが、効率性と同じく、最終的には価値判断の問題が横たわっていることを指摘された。
結論的には、効率と公平は、人間が究極的に何を求めるのか、何を良しとするのかという問題に帰着するのであり、効率と公平が車の両輪のりょうに並立するのではない、何をプライオリティと考えるかということであるということを肝に銘じてほしいということを指摘された。
関連して、アメリカの大統領が理想と現実のはざまで揺れ動く法則を紹介されるとともに、幸福に関する、一人あたりのGDPが増えると幸福感が下がるという「イースタリンのパラドックス」の読み方、考え方を紹介され基調講演を終了した。
シンポジウムは、千葉松戸秋山高校の大倉泰裕先生の司会で、3人の中高の先生からの実践報告、問題提起からはじまった。
最初は、宇都宮大学付属中学の小栗英樹先生からの実践報告である。小栗先生は、効率と公正に関連するテーマを、生徒に自分の考えをまとめさせ、学級全体で議論し、最終判断をするという授業をめざして実践した三つの授業を紹介された。最初に取り組んだ、ナイルの水争いは不発だったと総括。次のシングルライダーの問題でやっと火が付き、三番目に取り組んだ、掃除時間をどう配分するかという問題で生徒がしっかり問題を考え、討論し、自分の意見をまとめた例を紹介された。さらに、規制緩和問題で、地域のバスの運営をどうするかという授業では、学習した効率と公平が生徒の判断のなかに登場し、問題を深く考察した例を、板書の写真とともに紹介された。
二番目は、福岡中間市立中間東中学の岩野清美先生の報告である。岩野先生は、経済における公正のとらえ方をまとめられた上で、中学生が考える経済における公正のテーマとして貧困撲滅プログラムを提起された。授業構想としては、貧困問題を考えるうえでなぜ公正が大切さかを理解させたうえで、アフリカのカカオ農園の子どもたちの事例、池袋無差別殺傷事件の二つを素材とした授業案を提示された。これらはまだ授業実践されているものではないが、貧困撲滅のプログラムの持つ、公正さへの追求が持つ道具的価値と内在的価値に気づき、自分の問題及び社会の問題としてとらえる学習活動を目指した意欲的な試みの提案がなされた。
三番目は、広島呉昭和高校の峯本秀紀先生から、高校の立場から「幸福、正義、公平をどう教えるか」の報告がなされた。峯本先生は、指導要領の作成協力委員でもあり、その体験も踏まえて、なぜこのような新しい概念が取り入れられたか、どう扱えばよいかの見解をまとめられた。その上で、幸福と幸福通しが対立する状況を調整するものとしての公正、その結果としての正義の実現という相互関連図式を用いて、具体的事例をどう扱うかという資料を提示された。さらに、「現代社会」での授業展開の視点と各項目の学習とこれらの概念の関係を、最初に理解した「幸福、正義、公平」の枠組みを各項目の学習のなかで活用するような授業展開を考えるべきと指摘された。学習の最後には、社会の持続可能性が危ぶまれる、世代間の対立や環境の保全などの問題を取り扱うべきと提言された。
これらの現場からの報告に対し、基調講演を行った林先生は、現場の先生が実に丁寧に考え、実践を行っていることを称賛されたうえで、取り上げた問題が中学生にとっては、やや大きいものもあり、それらを単純に二項対立で考ええさせないような配慮が必要と指摘された。また、時々政府が登場するが、政府とは生徒の遠くにあるものではなく、「あなたが政府なんだよ」ということに気付かせることをしてほしいと要望された。
その後質疑があり、最後に、司会の大倉先生より、この指導要領を作っている間に考えたことは、「社会科とはいったいなんだろう」ということであり、結論としては「知識を覚えることではなく、それをもとに社会に参画させること、そのような人間をつくること」と考え、このような概念を導入したと発言された。21世紀は、拡大再生産の20世紀と異なり、未知なるものに出会い、判断を迫られる、政策決定を迫られる時代であり、その際には、価値基準の確定が必要であること、その準備を中学段階から行わせたいという希望を述べられた。今後、中学では具体的な教材の開発が、高校では、あり方生き方という公民科の目標とからめて概念を手がかりとして、政策決定ができる人間を育てていってほしいという願いを述べられ、シンポジウムを終了した。
最後に、同志社大学の西村先生から、ネットワークの紹介と挨拶があり、会は無事終了した。
今回のジンポジウムでは、二つの講演、三つの実践報告といずれも内容の濃いものが提示され、参加の先生方からの質疑もあり、充実した会合となり、東京からの参加者からは「大変充実した内容で来てよかった」という感想も多くいただいた。
(文責:新井明)
最初は、宇都宮大学付属中学の小栗英樹先生からの実践報告である。小栗先生は、効率と公正に関連するテーマを、生徒に自分の考えをまとめさせ、学級全体で議論し、最終判断をするという授業をめざして実践した三つの授業を紹介された。最初に取り組んだ、ナイルの水争いは不発だったと総括。次のシングルライダーの問題でやっと火が付き、三番目に取り組んだ、掃除時間をどう配分するかという問題で生徒がしっかり問題を考え、討論し、自分の意見をまとめた例を紹介された。さらに、規制緩和問題で、地域のバスの運営をどうするかという授業では、学習した効率と公平が生徒の判断のなかに登場し、問題を深く考察した例を、板書の写真とともに紹介された。
二番目は、福岡中間市立中間東中学の岩野清美先生の報告である。岩野先生は、経済における公正のとらえ方をまとめられた上で、中学生が考える経済における公正のテーマとして貧困撲滅プログラムを提起された。授業構想としては、貧困問題を考えるうえでなぜ公正が大切さかを理解させたうえで、アフリカのカカオ農園の子どもたちの事例、池袋無差別殺傷事件の二つを素材とした授業案を提示された。これらはまだ授業実践されているものではないが、貧困撲滅のプログラムの持つ、公正さへの追求が持つ道具的価値と内在的価値に気づき、自分の問題及び社会の問題としてとらえる学習活動を目指した意欲的な試みの提案がなされた。
三番目は、広島呉昭和高校の峯本秀紀先生から、高校の立場から「幸福、正義、公平をどう教えるか」の報告がなされた。峯本先生は、指導要領の作成協力委員でもあり、その体験も踏まえて、なぜこのような新しい概念が取り入れられたか、どう扱えばよいかの見解をまとめられた。その上で、幸福と幸福通しが対立する状況を調整するものとしての公正、その結果としての正義の実現という相互関連図式を用いて、具体的事例をどう扱うかという資料を提示された。さらに、「現代社会」での授業展開の視点と各項目の学習とこれらの概念の関係を、最初に理解した「幸福、正義、公平」の枠組みを各項目の学習のなかで活用するような授業展開を考えるべきと指摘された。学習の最後には、社会の持続可能性が危ぶまれる、世代間の対立や環境の保全などの問題を取り扱うべきと提言された。
これらの現場からの報告に対し、基調講演を行った林先生は、現場の先生が実に丁寧に考え、実践を行っていることを称賛されたうえで、取り上げた問題が中学生にとっては、やや大きいものもあり、それらを単純に二項対立で考ええさせないような配慮が必要と指摘された。また、時々政府が登場するが、政府とは生徒の遠くにあるものではなく、「あなたが政府なんだよ」ということに気付かせることをしてほしいと要望された。
その後質疑があり、最後に、司会の大倉先生より、この指導要領を作っている間に考えたことは、「社会科とはいったいなんだろう」ということであり、結論としては「知識を覚えることではなく、それをもとに社会に参画させること、そのような人間をつくること」と考え、このような概念を導入したと発言された。21世紀は、拡大再生産の20世紀と異なり、未知なるものに出会い、判断を迫られる、政策決定を迫られる時代であり、その際には、価値基準の確定が必要であること、その準備を中学段階から行わせたいという希望を述べられた。今後、中学では具体的な教材の開発が、高校では、あり方生き方という公民科の目標とからめて概念を手がかりとして、政策決定ができる人間を育てていってほしいという願いを述べられ、シンポジウムを終了した。
最後に、同志社大学の西村先生から、ネットワークの紹介と挨拶があり、会は無事終了した。
今回のジンポジウムでは、二つの講演、三つの実践報告といずれも内容の濃いものが提示され、参加の先生方からの質疑もあり、充実した会合となり、東京からの参加者からは「大変充実した内容で来てよかった」という感想も多くいただいた。
(文責:新井明)