① なぜこの本を選んだのか?
2024年7月に大竹文雄先生の『いますぐできる実践行動経済学: ナッジを使ってよりよい意思決定を実現』を紹介しました。今回紹介する川越敏司先生は、大竹先生が顧問をされている行動経済学会の会長であることを本書の奥付で知りました。
学問の世界で行動経済学は何が明らかになっていて、どのような課題があるのか?そして授業に活かすことができる部分があるのかを知りたくて本書を選びました。
② どのような内容か?
「はじめに」は次のように展開します。
第1に、本書は行動経済学の中心理論であるプロスペクト理論を対象にした研究を再検討することが示されます。
第2に、行動経済学に投げかけられた2つの疑問点が示されます。ひとつめは再現性があるのかどうかということ,ふたつめはナッジの効果についてです
いったいプロスペクト理論とはどのような理論なのでしょうか?ナッジについてどのような説明があるのでしょうか?第1章を読み進めることにします。
第1章は行動経済学は科学的か?です。次のように展開します。
第1は,川越先生がある教授と話をしていたエピソードからはじまります。
そのある教授が、行動経済学の中心的な理論であるプロスペクト理論は、実は何も説明できない理論ではないかと指摘したのです。理由は、参照点(ここでは損得の判断を分ける基準点と解釈しました)次第でどんなことでも説明できるからというものでした。
第2は、このエピソードを受けて科学と非科学をどのように分けることができるのかを考えはじめます。科学的な理論ならば「反証可能かどうかが基準」になるというのです。
第3として、ようやくここでプロスペクト理論は「人は得する場面と損失場面とでは選択する行動が異なる」ことが説明されています。
第4は、このプロスペクト理論が反証可能かどうかを検討し、その結果を整理しています。
第2章は「何が利益と損失の違いを決めるのか?」です。次のように展開します。
第1は、参照点がどのようにして決まるのかという話題からはじまります。現在、主流の「期待に基づく参照点」という概念について説明しています。いったいどのような概念なのでしょうか?
第2は、この「期待に基づく参照点」について『新約聖書』にある「マタイによる福音書」を用いて説明してくれます。この例は授業で用いると生徒はいろいろと発言してくれそうです。
第3は、人々が抱く参照点について実験室実験で行われた検証結果を取り上げています。伝統的経済学の考え方とどのように異なるのかが示されて興味深いところなのですが、再現性のなさが指摘され「期待に基づく参照点」という考え方には限界があるとの結論に至ります。ここでの記述から実験の難しさが伝わってきます。
第4は、フィールドでの検証について取り上げています。実験室ではなく、実際の生活場面で人間の行動をどのようにとらえているのでしょうか。
第3章は「一度手にしたものは手放すのが惜しくなる?――保有効果」です。
次のような展開で話が進んでいきます。
第1は、人が一度手に入れたものは、たとえ価値が小さいものであっても手放したくないという心理が働く保有効果は伝統的な経済学の視点で捉えると矛盾が生じるという理由について説明しています。
第2は、この保有効果についてプロスペクト理論で考えると合理的に説明できることを示しています。しかし、いざフィールドで実験をしてみると再現性がないことがわかってしまうのです。
第3は、なぜ実験で理論通りの結果が得られないのかについて2つの仮説を立てて検討を進めています。この仮説は、取引をする人の知識や経験が十分なのかどうかというところに注目して立てたものです。
第4章は「損失は利益よりも重要視される?」です。
次のような展開で話が進んでいきます。
第1は、プロスペクト理論にある損失回避についてタイガー・ウッズのエピソードを用いて説明しています。
第2は、サッカーワールドカップの勝ち点を例に挙げながらプロスペクト理論の損失回避性について説明しています。
第3は、大学生のように若くて経験や知識が相対的に乏しい人と、そうでない人とでは損失回避に関する実験結果は異なるのかという視点で分析しています。
第5章は「ものは言いよう? フレーミング効果」です。
次のような展開で話が進んでいきます。
第1は、表現の違いだけで人の選択や判断が変わるというフレーミング効果を示す実験があげられています。
第2は、実験をしていく中で,同じ内容を表した文でも記述次第で被験者の好みが変化することをどう考えるのかという問題を考えます。
第3は、この問題がプロスペクト理論で合理的に説明できると展開します。
第4は、この説明が本当かどうかを確かめようとした実験が紹介されています。
おわりにでは「行動経済学は信用できるのか?」というテーマでまとめています。
第1は、プロスペクト理論を検証するための決定的な証拠が得られたかどうかが述べられています。
第2に、プロスペクト理論と、そこから導かれる仮説は経済学に充実した研究課題をもたらしていることが示されています。
第3は、行動経済学というのは,決して人間の判断や決定の不合理性を示す理論でないことが強調されています。
③ どこが役に立つのか?
第1に、行動経済学が経済学の中でどのような位置を占めているのかを感じ取ることができます。
第2は、紹介されている様々な実験を授業の中で活用することができそうだということです。
第3は、豊富なエピソードが紹介されていることです。ワールドカップやゴルフを取り上げた話しは授業で活用することができそうです。
第4に、本書は、経済を教えるということは、ものすごく複雑な人間の行動を考えなくてはいけないということを感じさせてくれます。この感覚を感じ取れたことは、授業づくりに役立てることができるのではないかということをあげたいと思います。
④ 感 想
本書は、最初から最後まで行動経済学の中心的な理論であるプロスペクト理論について論じているという点で読みやすさを感じました。テーマを拡散させることなく、一つの中心課題で貫き通した記述は、授業案を作成する者にとって多くのヒントを提供してくれると思います。
説明するというのはどういうことなのか。検証するというのはどういうことなのかを取り上げながら記述しているところが印象に残りました。
(神奈川県立三浦初声高等学校 金子 幹夫)
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