① なぜこの本を選んだのか?
  「公共」と「政治・経済」の両科目で取り上げられている「日本経済の歩み」について、経済学の世界でどのような論争があったのかを丁寧に示してくれているということで本書を選びました。

② どのような内容か?
 まえがきを見ると第一文に「過去30年間の日本経済は、なぜこれほどまでに停滞の状態が続いてきたのか」とあります。この一文がこの本を貫く問いであると読み取りました。 
 第1章は「バブル崩壊と不良債権処理の遅れ」です。
 本書は単なる30年間の記述でなく、経済学との関連で歴史を振り返っています。
 経済学は、1990年代初頭の不況対策にどのような考え方を示したのでしょうか。本章はケインズ主義と構造改革論の対立を軸に展開しています。説明の内容もフローとストックという教科書記述の範囲内で示されています。

 もう一つ。1990年代の企業をめぐる動きに関連して、銀行の資金が将来性の低い企業に、採算を度外視して貸し出されていたという興味深い研究が紹介されています。さらに生産性の低い企業の大多数が、その後どうなったのかという驚きの結果が示されていました。
 
 第2章は「長期化するデフレ-論争と政策」です。
 この章では1990年代以降の金融政策について多く記述されています。
 特にデフレ論争が中心課題として取り上げられており、その中で1998年に発表されたクルーグマンの「Japan Trap」が紹介されています。

本文の中に「人々の期待」、「素朴に信じた」、「イメージが広がる」といったという記述がありました。これらから、多くのプレーヤーが、思い込みや先入観をもとに行動しているのではないかと推測できます。

 紹介者が驚いたのは、執筆者の小林慶一郎先生がクルーグマンに送ったメールの内容と、その返信について記述しているところです。詳しくは本文をお読みいただきたいのですが、クルーグマンの返信にありました「toy model」という言葉の向こう側にはどのような意味があるのかを知りたくなりました。

 第3章は「世界金融危機 -マクロ経済政策の世界的変化」です。
 この章は「日本経済の歩み」の教材研究をしようとしている先生におすすめです。
 中南米諸国の累積債務危機がどのようにしておきたのか。サブプライムローンをどう教えたらよいのか。なぜ日本ではバブル崩壊後に金融処理が10年もかかってしまったのか。単なる歴史的事実の記述だけでなく、経済学の視点を加えて説明しています。
 イギリスのエリザベス女王が経済専門家に対して「なぜ誰も信用収縮が迫っているのと気づかなかったのですか?」と質問したシーンが印象的でした。この問いを誰も気づかなかったのでしょうか。それともこのような質問をしてはいけないという空気があったのでしょうか。

 第4章は「格差拡大と長期停滞」です。
 所得格差の拡大はいつ頃からはじまったのでしょうか。そもそも日本は国際的に見て不平等の度合いは高いのでしょうか。ここでは、そんな疑問に答えながら経済学をはじめとした諸学問の考え方を紹介しています。
 この章でもっとも心に残った一文は「社会の根幹に関わる基幹産業が変化すると・・・(略)所得格差が拡大する」というものです。

 第5章は「失われた30年」とは何だったのか-要望と展望」です。
 はじめに30年間を俯瞰します。そしてこの30年間の停滞原因が何であったのかを3点挙げてひとつずつ丁寧に説明しています。
 歳出削減や増税を行うと民間需要はどうなるのかという問いに対して1980年代のデンマークやアイルランドの例を出して説明しています。また、経済成長率を高めるために、低金利を続けるという考え方をどう捉えればよいのかということも示してくれています。
 
 第6章は「日本経済のゆくえ-持続性とフューチャー・デザイン」です。
 経済学には何ができるのか、そして債務比率を安定化させるためには消費税をどうすればいいのかを指摘しています。世代間問題の厚い記述は、教材研究に多くの示唆を与えてくれます。
 
 終章は「縦割り主義から『再帰的思考へ』」です。
 政策を考える人と一般国民は、持っている思考力が異なるのかという問いが提示されています。最後に、エリート主義から対話的思考へというメッセージを具体的に発信しています。

③ どこが役に立つのか?
 歴史的記述と経済学の論争がわかりやすく丁寧な流れで説明されています。
 1990年代以降の経済をどう教えようかと困っている教師が読むと、授業に厚みが増してくるのではないかと思います。所々に出てくる問いは、経済学習だけでなく「公共」や「政治・経済」全般に及ぶものです。しかも高校生が関心を持ちそうな問いも多いので、教材研究がより深まりそうだという点で役に立つと思います。
 
④ 感 想
 メッセージ性が強い本だと、読後に感じました。
 たくさんの人物が登場するのに、読み終わった後に学説史の本だとは感じませんでした。「失われた30年」を克服することができるのかということを考察するための文献だと受け止めました。
 もう一つ。「思い込み」や先入観という言葉が読後に残りました。授業で生徒と対話するときに「本当にそうなのかな?」と思う気持ちを大切にしなければならないことを学べたと思います。

(神奈川県立三浦初声高等学校   金子 幹夫)

Tags

Comments are closed

アーカイブ
カテゴリー