① なぜこの本を選んだのか?
昨年出版されました『論理的思考とは何か』とセットで多くの先生方と学んでみたいと考え選びました。サブタイトルにあります「日本から始まる教育革命」の内容が、経済教育とどのように関連づけられるのかと思いながら読み進めるうちに、本コーナーで紹介するべき本だと確信するようになりました。
② どのような内容か?
1.どのような目的を持った本なのか?
本書は、これからの教育をどのように構想することができるのか? という問いにたどり着くまでの過程を一緒に考えていきたいという目的を持っています。
この目的の背景には、現在起きている地球規模で進行する変化があります。いったいどのようにして「大きな変化」と「これからの教育」をつなげていくのでしょうか? 鍵となるのは、これまで日本が育んできた価値観にあるようです。
2.結論が示されます
冒頭で結論が二つ示されます。第一は、人間と自然の関係について、自然を収奪の対象とする見方から、人間を自然の一部と捉える発想へと転換する必要があるというものです。
第二は、この新しい自然観に基づき、個人主義・利己主義的な価値から利他主義へと価値を転換することが、今世界的に求められているということです。
さっそく本文を読み込んでみたいと思います。
3.歴史的アプローチからはじまります
スタートは、近代の成り立ちを歴史の中で捉えます。大きな曲がり角はフランス革命です。革命により、宗教から規範、政治、経済、社会といった四つの領域が分離します。
序章では、1つひとつの領域ごとの歴史が語られます。近代資本主義誕生と同時に、規範・政治・社会領域においてどのような出来事があったのかを知ることができます。
4.学校が果たす役割
近代資本主義における「国家」を支えたのが学校です。学校が教える知識は、近代を成り立たせている「資本主義、科学主義、民主主義、国家主義」という4つの価値観です。
この4つの主義は、人類の進歩の象徴とされていたのですが、やがて大きな問題に直面します。その中でも特に大きな問題が自然破壊と経済格差でした。
研究者達がどのようにしてこの大きな問題の核心を探し求めたのか、という記述は「公共」を教えている先生の役に立つと思います。いったい問題の核心はどこにあったのでしょうか?
5.問題の核心を知っておくということ
研究者達がたどり着いた核心の1つは、人々が持つ「自然観の変化」でした。
なぜ自然観が変化したのでしょうか? その理由は、資本主義という経済領域が支配的な原理となり、規範や政治、社会領域にまで及んだ結果、自然は資源として人間が利用する対象になってしまったからだと説明しています。
そこで、次に考えることは問題解決に向けてのアプローチです。
6.スイッチは日本型資本主義の倫理?
この問題を解決するために、どこに狙いを定めればよいのでしょうか。渡邉先生は、現代の危機的状況から脱出するためのスイッチは資本主義の文化的側面にあるのではないかと考えました。いったいどういうことなのでしょうか?
これは、資本主義を成り立たせているシステムを思い浮かべると理解できます。そもそも近代資本主義は科学技術だけでは生まれません。システムを動かすためには人間の特殊な倫理が必要だからです。
この特殊な倫理を説明するために登場するのがマックス・ウェーバーと石田梅岩です。
7.「正直」は私欲のなさを意味するそうです
ウェーバーからは勤勉と倹約が、梅岩からは「正直」「勤勉」「倹約」がとりあげられて説明が進みます。この二人は同じことを主張しているのでしょうか?
西洋の近代社会は「個人主義」と「合理的経済人」としての「利己主義」を認めるのに対して、心学においてそれらは人間の存在根拠となる宇宙の摂理に反し、人々の幸福のもととなる和合を妨げ社会秩序を乱すものとして、厳しく排除するべきだと捉えます。
「正直」を貫くことは、「利他主義」となることです。この利他主義はどのようにして教育の場で育てることができるのでしょうか?
8.世界における教育の流れ
いよいよ教育の登場です。利他主義と教育の問題を考えます。この問題を考えるために、現在の教育を取り巻く大きな流れが紹介されています。その一部は次のようなものです。
国際機関は「経済成長を最優先するモデル」から「人間の幸福や発達を重視するモデル」への転換を呼びかけています。この新しいモデルに対応した人材を育成するために、社会で求められる能力をコンピテンシーとよびます。人間の総合的な能力を示す概念です。
このコンピテンシーの概念は、世界の教育を学習内容中心の教育から「資質・能力」中心の教育に変化させました。この国際機関の呼びかけた内容は、世界中で自国に合わせて翻訳されています。日本語の訳は「主体的・対話的で深い学び」です。日本の教育も「資質・能力」中心の教育に変化しているのです。
9.流れをどう受け止めるのか?
渡邉先生は、資質や能力を目的にしてしまうと、何のために能力を発揮するのかという目的がぼやけてしまうという教育学の研究を紹介しています。
なぜこの研究を紹介したのでしょうか? それは、教育の本質は手段ではなく目的にあることを示したかったからではないかと解釈しました。何にでも応用がきく能力を育成しようとすると、結局のところ変化に対する対応ができなくなり目的が定まらず何にも対応できないということになってしまうからです。
それでは、教育の目的を改めて考えるとした場合、どのような道が私たちの前にあるのでしょうか?
10.教育の目的を可視化すると?
本書は教育を四象限図にして可視化してくれます。
軸は「技術を目標にするのか」、「価値を目標にするのか」というものと、「知識は体系的か」、「知識は経験的なものか」の2つです。
この2つの軸に、第一象限から順に「法技術原理」、「経済原理」、「社会原理」、「政治原理」を位置づけています。この4つの領域はどの社会にも存在しています。問題は、どの領域を主流の文化として選択するかということになります。
11.注目したのは「作文教育」です
次に、4つの領域がどのように教育の中で実行されていくのかを見ていきます。ここで取り上げているのが「作文教育」です。
はじめに各国で実践されている作文教育がどのような点で有効なのかを教えてくれます。次に、その作文教育の中でも日本の作文教育が、現代抱えている課題を乗り越え、次のパラダイム以降に貢献できるのではないかという提案があります。
12.日本における作文教育の歴史は?
作文教育が個人のどのような力を伸ばすのかが3つあげられています。さらに、4つの領域における作文教育の特徴が一覧でまとめられており、1つひとつについて解説が書かれています。
そして、日本における作文教育の歴史が、綴方から書かれています。戦後に能力主義が学校で教えられる価値観になっても綴り方の精神が受け継がれたこと、そしてコンピテンシーが叫ばれている学校においても綴方の精神が実践されていることが書かれています。
13.日本の作文教育が新パラダイムのモデルづくりに必要だ
なぜ日本の作文教育に注目するのでしょうか?
本書は、日本と日本以外の利他主義は質が違うと指摘します。日本以外の利他主義は、利己主義を土台にしたものであるというのです。近代の価値観から脱却するには、利己主義が土台にある利他主義では無理だというのです。
注目するのは4領域の1つである社会原理に基づく利他主義です。キーワードは「共感」です。この共感を育てる教育実践の1つが綴方の伝統を受け継いだ感想文です。どうしてこの共感を育む作文が新パラダイムに必要なのでしょうか?
14.利己主義を土台にした利他には限界がある
ここで取り上げるのが、ナッシュ均衡とパレート最適です。囚人のジレンマに関する表が掲載される中、利己主義に立脚した利他に限界があることが示されます。
その上で、戦略に基づいて行動するのではなく、共感や信頼に基づいて関係を築きませんかという提案がなされます。そして、戦略とは異なる新たな価値観として「共感的利他主義」を掲げながら教育との関わり方を考えていくのです。
15.「作文」で私が変わる、利他で私が変わる
日本の作文教育では、相手を理解する力を育みます。同時に、自分がどのようなことを学び、どのように変わっていくのかということまで書く指導がなされます。
そこで「利他」です。日本における利他の行為も、実践した自分自身も変わるのだと捉えます。子どもが、誰も見ていないところで利他的行動を取れるようにするという教育を目指すのです。
16.小・中・高校で何を学ぶか?
最後は教育のグランドデザインです。小学校・中学校・高校別に、何を、どのように学ぶことができるのかがまとめられています。筆者は「良い仮説の前提条件は、否定される可能性がなければならないことである」という一文が印象に残りました。
17.本書の全体像
以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
はじめに――社会と教育の大転換
序 章 近代の矛盾とポスト近代の価値観
第一章 四つの教育原理――教育文化のモデル
第二章 共感の論理――社会原理の日本の教育
第三章 教育のグランドデザイン――利他と多元的思考を育む
終 章 日本から始まる新しい秩序――利他と多元的思考が拓く未来
おわりに
③ どこが役に立つのか?
公民科の教師が、授業で生徒に文章を書かせるときに、どのようなことを知っておくと役に立つのかという知識を整理することができます。
そして、綴方の精神が、どのような歴史をたどってきたのかを知る意義は大きいと思います。
④ 感 想
「おわりに」の最後の一文が「日本の教育現場で日々奮闘を続けているすべての教師に、心からの敬意を込めて本書を贈りたい」とありました。
公民科教師が、政治、経済、法、社会、そして国語、作文教育、総合的な探究の時間のつながりを可視化するための手がかりを示しているように感じます。
(金子幹夫)
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