① なぜこの本を選んだのか?
筆者は、先生のための「夏休み経済教室」で先生方とお話しをする中、渡邉雅子先生の『論理的思考とは何か』がすでに多くの方に読まれていることを知りました。
そこで本コーナーでの紹介を躊躇していたのですが、今年(2025年)の9月に同じ渡邉先生による『共感の論理 -日本から始まる教育革命』が出版されたことで編集方針を変更しました。二冊を一気に取り上げて、改めてその意義を共有したいと考えたのです。
② どのような内容か?
1.渡邉雅子先生は何を研究されているのか?
渡邉先生は、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授です。
専攻は、知識社会学、比較教育、比較文化です。
本書は、大学の教養の授業で使える教科書兼高校生にも読める本を書いてほしいという要望に応えるために書かれました。
2.本書の中心課題は?
本書が使うテーマは「論理的に考える」、「論理的に書く」というものです。この論理的というのはどういうことなのでしょうか? その答えは世界で共通なのでしょうか? 実は、論理的思考は一つではないというのが本書の立ち位置です。どういうことなのかを見ていくことにします。
3.論理的思考はひとつではなかった
渡邉先生が、論理的思考は一つではないと気付いたエピソードが語られます。アメリカの大学に留学し、小論文を提出したときに「評点不可能」と書かれて戻されたというものです。この時に、論理的思考というのは文化によって異なることを知ります。
この文化による論理的展開の違いを指摘したのは、アメリカの応用言語学者カプランでした。カプランは、留学生の論文指導を行う中で、英語が上達しても論文が上達しない学生が多いのはなぜかという問いを持っていました。
読み手は、書かれた文が論理的でない場合、独りよがりな解釈をしてしまうことがあります。この「論理的でない場合」というのが、個人の問題でなく社会や文化の問題だったらどうなるのでしょう?
4.注目したのはパラグラフ
カプランが注目したのはパラグラフの順番です。世界には、それぞれの文化に特徴的なパラグラフの順番があります。そして、このパラグラフの順番を分析するために政治、経済、法、社会という、どの社会にも存在している領域に注目します。
人が論理を考えるとき、どの領域を視野に入れるかでパラグラフの順番は変わります。
その上で構成された思考は、その人が合理的に行動することと連動します。この合理的というのは、どのようなイメージなのでしょうか。
本書は、「合理」そのものを「形式合理性」(手段に関わる合理性)と「実質合理性(目的に関わる合理性)」の二つに分けます。この二つの合理性に、目的と手段の繋がりが「個人の主観」によって決まるのか、それとも「集団によって客観的」に決まるのかという軸を交差させて四つの領域をつくるのです。
5.日本の感想文に注目?
出来上がった四つの領域は①経済領域、②政治領域 ③ 法技術領域 ④ 社会領域です。
本書は、この四つの領域を順番に解説していくのですが、この解説がなぜ重要なのかという二つのメッセージを同時に発信しています。
第一は、思考の技術を使いこなすために、目的に合った領域(思考法)を選ぶ必要があるということです。第二は、複雑で困難な時代を迎えている現代において、第4番目の「社会領域」が重要な役割を果たすこと、そしてその社会領域の文体を具体的に示しているのが日本の「感想文」だということです。
6.アメリカの論理・・・フランスの論理・・・
本書は、四つの領域に示されている論理を一つずつ明らかにしていきます。
「経済領域」ではアメリカにおけるエッセイの型が紹介されています。最初のパラグラフで結論となる主張を示します。次に、主張を支持する事実を三つ論じます。各パラグラフも、冒頭に示す一文が段落全体の概要をとらえています。
アメリカでは、このエッセイの型を小学1年生から訓練するそうです。大学の教員は、エッセイ型で書かれた論文を短時間で大量に採点することが可能になりました。
「政治領域」ではフランスのディセルタシオンが紹介されています。これは弁証法を基本構造にしています。求められる力は<正-反-合>の全体をつくりあげる「構想力」です。各部分の論証は思想家や作家の作品を引用したものに限ります。
なぜ自らの考えと距離をとるのでしょうか? それは自律して考え判断できるフランス市民を育成するためです。その根底には、フランス革命がまだ完成に至っていないという思想があることに紹介者は驚きました。
「法技術領域」では、エンシャーと呼ばれる、文全体が序論・本論・結論に分けられている型を紹介します。
序論では比喩によって主題を表現し、本論は三つに分けて比喩に関連付けた説明があり、結論でことわざや聖典、神への感謝を用いてメッセージを表現します。主張の独創性や新奇性は期待されていません。期待されたとおりに結論に落ち着くことが重視された型です。
「社会領域」は日本の感想文が取り上げられています。重視されるのは「利他」の考えに基づく善意が形成している道徳が共感されているか否かということです。日本の感想文は、体験を通して自己がどのように成長したのかを描かせます。そしてその体験を今後どのように生かすのかを考えさせるのです。
7.もう少し日本の作文教育について見てみると
日本の感想文は、いつ頃から書かれ始めたのでしょうか?
本書によると、戦前の「綴方」まで遡る必要があるようです。明治中期から大正時代にかけて、自由に題を選んで日常の実感を綴らせたのが綴方の始まりです。「文が書ける」という結果よりも「文を書く過程」を重視した教育です。
戦後、アメリカ式の作文が国語に導入されましたが、教育現場は生活綴方の教育を復活させました。児童・生徒が「見たまま、聞いたまま」を素直に書き続けたのです。
8.実はここで終わりではなかった
この四つの領域はどこの国にもあります。人々は日常において無意識にこのどれかを選んでいるようです。だからこそ、意識的に選択することが重要なのではないかと訴えるところで終章を迎えることになります。
そして・・・この四つの領域のうち、日本の感想文がどのくらい重要な役割を担うことができるのかを、1年後に出版される『共感の論理 -日本から始まる教育革命』で知ることになるのです。
9.本書の全体像
最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
はじめに──論理的思考はひとつなのか
序 章 西洋の思考のパターン──四つの論理
第一章 論理的思考の文化的側面
第二章「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範─四つの領域と四つの論理
第三章 なぜ他者の思考を非論理的だと感じるのか
終 章 多元的思考──価値を選び取り豊かに生きる思考法
おわりに
③ どこが役に立つのか?
経済をどう教えたらよいのかという視点と、「公共」の課題追究の場面で、生徒を対象にどのようなアドバイスができるのかという二点で役に立ちます。
前者は、そもそも教えるという行為に必要な前提は何かということを読み取ることができます。後者は、経済的分野における作文、政治的分野における作文、中高校生が普段取り組んでいる国語学習での作文の違いを知ることができます。
④ 感 想
「公共」にしても「政治・経済」にしても、学習内容の背後にはたくさんの学問が存在しています。1冊の教科書に多数の学問が持つ見方や考え方が記述されているわけですが、本書を読むことで、その枠組みらしきものをこれまで以上に察することができました。そんなに甘いものではないと分かってはいるのですが、分かった気にさせてしまうほど読みやすい1冊でした。 (金子幹夫)
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