① なぜこの本を選んだのか?
 教師として「主体的・対話的で深い学び」が大切だということはわかります。
 ところが、この「深い学び」がなかなか実現しません。「深い学び」を実現させるには時間がかかるからです。限られた授業時間の中で深く学ぶには,思い切った発想の転換が必要なのかもしれません。
 そこで「スロー・ルッキング」です。「ゆっくり見る時間なんてあるのかな?」と思われるかもしれません。しかし,本書は「深い学び」について教師が持つ考え方の角度を変えるヒントをくれるのではないかと思い選びました。

② どのような内容か?
1) シャリー・ティシュマン・・・?
 ティシュマンは教育研究者です。ハーバード大学教育学大学院で教えています。学習者が自分で考え、能動的に手と心を動かす学習アプローチについて研究しています。基本的なリテラシーを超えた思考様式に興味があるようです。

2)スロー・ルッキングとは何か?
 タイトルにある「スロー・ルッキング」というのは,時間をかけて丁寧に観察することをいうようです。美術館の絵を一つ選んでじっくりと時間をかけて見る、街をゆっくりと歩きながら見るといったイメージです。
 スピード感が要求される現代社会において、「ゆっくり」を重視するというのはどういうことなのでしょうか? 周囲を見ても、誰も「ゆっくり」なんて目指さないで効率を追求していると思うのですが。

3)世の中にある「スロー」
 ところが世界を見渡すと「ゆっくり」に注目した取り組みがけっこうあるのです。
 イタリアでは、マクドナルドのオープンに反対してスローフード運動が起こりました。教育の世界でもファストフード型教育に対抗してスロー・エデュケーションという取組みがあるそうです。人間ベースの報道を目指したスロー・ジャーナリズムも「ゆっくり」に注目した取り組みです。
 世界には、いろいろな「スロー」があるようです。きっと何かいいことがあるから「スロー」に注目したはずです。いったい「スロー」の何がいいのでしょうか?

4) 小学5年生が飽きることなく絵を見続けた・・・
 ある小学校5年生の授業実践です。
 先生が「これから30分、ある絵を見てもらいます」と指示しました。それを見ていた大人の参観者は「5年生の児童が一つの絵を30分も見続けるわけないだろう。すぐに飽きてしまう」と心配したそうです。
 ところが教師の明確な指示により、子どもたちは積極的に絵を見て発言していく過程が記述されています。「スロー」が持つ力を第1章から感じさせてくれました。

5) どうして飽きないのか?
 なぜ子どもたちは飽きることなく絵を見続けたのでしょうか? 教師の明確な指示と書きましたが、それだけで児童は「スロー」を受け入れるはずはありません。他にも理由があるはずです。
 本書は、若者がスローを受け入れた理由を四つあげた上で、世界中の若者が「スローに飢えている」と主張しています。この理由を踏まえて、再び教師が出した明確な指示に注目してみたいと思います。いったいどのような指示を出したのでしょうか?

6)どのような指示を出しているのか?
 本書では、学校の授業における教師の指示だけでなく博物館・美術館のガイドが来館者に向けて出す指示が具体的に記述されています。
 どれも読んでいるだけで「あー、これだったら長い時間ゆっくりと見ることができるし、見た後の充実した達成感も得られるな」と感じさせてくれるものです。
 例えば次は博物館の例です。「この絵の中で何が起きていますか?」、「何を見てそう思いましたか?」、「さらに何を見つけましたか?」、「気付くのに時間がかかった細かなところは何ですか?」といった質問をするのです。
 来館者は予備知識なしで推測を重ねてストーリーを構築していきます。その後にガイドさんは作品の説明をすることで適切な知識を共有していくのです。
 
7) これは経済教育に応用できそうだ
 本書で紹介されている実践は、私たちが経済を生徒に教えるときに活用できそうです。
これは単なる技術ではありません。長い歴史の中でたどり着いたひとつの通過点です。著者のティシュマンは、コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、デューイの思想をあげて「スロー・ルッキング」の有効性を説明しています。
 なぜ教育史の偉人たちが登場したのでしょうか? それはこの思想家たちが「学校教育は、生徒が生まれながらに持っている、自分で物事を見ようとする興味を引き出し、それを伸ばすために組織されるべきだ」と考えていたからです。
 耳の痛い指摘ですが、教師がよかれと思って行っている指導が、児童・生徒の「自分で見たい」という心を抑える教え込み型授業になっていないかという指摘までありました。
  
8)克服しなければいけない課題があります
ここまで読み進めて、「よし!生徒の興味・関心を引き出す探究型の授業をやってみよう!」と前進しようとする教師にティシュマンは課題を提示します。
 その課題というのは「教師は探究型の授業を行う訓練を受けていない傾向にある」というものです。言われてみれば、腰を据えて探究型の授業づくりについてトレーニングを行ったという機会は少ないように思います。さあ、次の一歩をどう踏み出しますか?
 
9)一つのコツとして・・・
 その一歩目として、本書は生徒に批判的な思考を身につけさせるという設定で私たちにヒントを示してくれます。そのヒントは「広く適用できる批判的な思考を身につけさせるためには① 能力 ② 意欲 ③ 感受性」の三つが大切だというものです。
 能力・意欲・感受性か・・・とお読みいただいた読者の皆様。ティシュマンはこの三つの中で最も大切なものはどれでしょう?と問いかけています。どれだと思いますか?

10)本書の全体像
 本書の目次は次のとおりです。 
序文  
第1章 はじめに:スローということ  
第2章 見るための方策  
第3章 スローの実践  
第4章 見ることと記述すること  
第5章 博物館で見る、確かめる  
第6章 学校で見る  
第7章 科学のなかの「見る」  
第8章 スロー・ルッキングと複雑さ  
第9章 おわりに:スローから考える

③ どこが役に立つのか?
 主体的、対話的で深い学びを効率よくすすめたいのに、うまくいかないと悩んでいる先生にお勧めです。「深い学び」は時間がかかることが多いからです。
 しかし授業時数には限りがあるため「そんな時間はない」という声が聞こえてきそうです。そこで「スロー・ルッキング」です。授業のどの部分で深い学びを実現させたいのかということについて手がかりをつかんでいただければと思います。

④ 感 想
 授業者にとって、生徒の反応がない時の苦しさは思い出したくないものです。何とか生徒の心を動かそうと教材づくりを続けるのですが、アイディアがポンポンと出てくるわけでもありません。ところがこの『スロー・ルッキング』で紹介されている実践例は、すぐに教室に持って行きたくなるものが多いのです。教師と生徒がゆっくりと学ぶという行為。これも教師に必要とされているトレーニングの一つなのでしょうか。

(金子 幹夫)

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