① なぜこの本を選んだのか?
2021年の「先生のための夏休み経済教室」で講演をしていただきました経済学者坂井豊貴先生が「読売新聞」(6月15日)で経済の10冊をあげていました。
その中で一番にあげていた本が小川さやか先生の『その日暮らしの人類学』だったのです。なぜ「経済を読む」ために紹介した一番はじめの本が人類学の本なのでしょうか? 読み進めるうちに、経済を教える多くの先生方と共有したいと思い本書を選びました。
② どのような内容か?
1)小川さやか先生が研究していることは?
小川先生は、立命館大学で、現代アフリカにおける消費文化を研究している文化人類学者です。タンザニアで中古品やコピー商品がどのように流通し消費されているのかを調査しながら人間の行動を分析しています。
2)どのような内容の本なのか?
2025年春、日本国内のお店からお米が消えました。この時、生徒や読者の皆さんは何を考えたのでしょうか? 不安だから少し多めに買っておこうか・・・と考えた方もいるのではないでしょうか。
本書に登場する人たちは、そのようなことは考えません。「未来のために蓄えよう」という発想を持たない人々が主人公なのです。小川先生は、過去-現在-未来といった「時間に規定されない暮らし」をしている人々を紹介しながら考察を進めていきます。どうして「時間に規定されない暮らし」に注目する必要があるのでしょうか?
3)なぜ「時間に規定されない暮らし」を考察する必要があるのか?
私たちが感じる「時間の流れ」は、人間が便宜的に生み出したものだといいます。その特定された社会のひとつとして資本主義経済システムがあると捉えるのです。
資本主義経済に生きる人びとは、時間の概念に合わせて生きることになります。この社会は「未来のためにいま頑張る義務がある」と考える人々で構成されています。頑張って成果を出した人は、次の目標に向かって今を犠牲にし続けます。一方で、成果を出せなかった人は社会不適合でダメな生き方をしていると言われてしまうのです。
ところで、このシステムが支配する社会は、ここ数年、震災、非正規雇用の問題、若年不安定労働層の拡大といった大きな問題を抱えるようになりました。この問題は「未来のためにいま頑張る義務がある」と考えている人々に大きな不安を与えます。
この不安を抱える人々にどのような手を差し伸べることができるのでしょうか? 手がかりを探すために、世界各地にある「時間に規定されない暮らし」をしている人に注目したのです。これが「時間に規定されない暮らし」を考察する理由です。
それでは「時間に規定されない暮らし」は実際にどのような暮らしなのでしょうか?
4)先のことを考えない人々
時間に規定されない暮らしをしている人々の例として1970年代のタンザニア焼畑農耕民をあげています。そこに住む人々は、生きるために必要な分だけ食糧を生産する一方で、客人をもてなす時には自分たちの食べる分まで気前よく盛大に振る舞います。
なぜ自分たちが食べる分まで客人に提供してしまうのでしょうか? その理由を嫉妬、うらみ、呪いという言葉を用いて説明するところは、すーっと読み手の心に入ってきます。タンザニア焼畑農耕民の日常生活は「何とかなる」という信念が基盤となっていて未来のことなど心配しません。そして、いざという時が来ると呪術や超自然的現象との関係を駆使してなんとか切り抜けていくのです。「時間に規定されない」というよりは「時間をあやつる」ように暮らしているようです。
ところで、この「時間に規定されない暮らし」をみて資本主義社会に生きる人々は何を学ぶことができるのでしょうか?
5)二つの社会の接点を探す?
本書にはタンザニアの農耕民、アマゾンの狩猟採集民をはじめいろいろな人々の暮らしが紹介されています。この暮らしを見て「私たちとは考え方が異なる人がいるね」として解釈を終えてしまったら、お話は終わってしまいます。
この暮らし(物事の見方や考え方)が資本主義社会に生きる人々の抱える不安解消とどのように結びつくのかを結びつけることこそ中心課題として設定するべきものです。
それではどのようにして私たちの生活と、本書に登場する人々の生活を結びつけることができるのでしょうか?
6)接点となりそうなものは?
「その日その日を生きる人々」がもつ独自の経済システムは、一見すると現行の資本主義経済とは相いれない対極にあると思ってしまいます。
ところが本書は「上からのグローバリズム」、「下からのグローバリズム」という概念を用いることで、この二つの世界を結びつけようとするのです。
上からのグローバリズムというのは、大企業や多国籍企業が主に導くグローバル化のことです。一方、下からのグローバル化は「その日その日を生きる」路上商人や零細商人が主導するグローバル化です。この二つのグローバル化をどのように結びつけるのでしょうか?
7)同じ資本主義社会の考え方?
本書に登場する人々は、上からのグローバリズム社会で生きる人にとって馴染みのない行動をする人々です。
せっかく儲かる商売を見つけたのに、その手の内を仲間に全て教えてしまう東アフリカの商売人たち。中国で生産されるコピー商品や偽物の商品、そしてそれを偽物と知った上で購入するアフリカの消費者たちです。
小川先生は、ここに登場する人たちの行動を見ていくと、下からのグローバル化は資本主義の論理で動いていると捉えるのです。しかも徹底して自由主義化した経済システムを形成しており、人間主義的な新自由主義の論理で動いているというのです。
「時間に規定されない暮らし」をしている人々は、資本主義社会に生きる人にとって全く別のシステムの中で生活しているわけではないところに二つの世界を結びつける接点を見出そうとするのです。
8)教室で意識することのない社会の存在
地球上の全ての社会が、時間は過去-現在-未来と流れているのではないということ、そして別の時間軸をもった社会がまったくの別世界ではないということ。この二つを感じることで、世の中の仕組みを捉える眼が変わってくるのではないかと解釈しました。
資本主義経済のもとで生きている人々が抱える様々な課題、そして不安をどう捉えることができるのかを冒頭で示しました。「その日その日を生きる」人々の暮らしを見つめることで、社会が抱えている課題を捉える眼が大きく変わってくるのではないかと思います。 皆様の読後の感想をうかがってみたいです。
9)本書の全体像
以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
プロローグ Living for Todayの人類学に向けて
第一章 究極のLiving for Todayを探して
第二章 「仕事は仕事」の都市世界――インフォーマル経済のダイナミズム
第三章 「試しにやってみる」が切り拓く経済のダイナミズム
第四章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経済
第五章 コピー商品/偽物商品の生産と消費にみるLiving for Today
第六章 <借り>を回すしくみと海賊的システム
エピローグ Living for Todayと人類社会の新たな可能性
③ どこが役に立つのか?
過去から現在、未来に向けて流れる直線的な時間は、資本主義経済を考えるために、仮に定めたものであるという発想は、教科書記述にはありません。
教師が、私たちと異なる時間軸で行動する人の存在を認識する意義は大きいと思います。地球上には、様々な世界観があることを発見できる1冊だと思います。
④ 感 想
教科書記述の前提を眺めることができたというのが一番はじめに浮かんだことです。
紹介者は、「教科書には全世界のことが隅々まで書かれている」と思いこんでしまっているのではないかとハッとさせられました。
生徒が持っている「世界を見る眼」を育てるためには、教師が教科書記述で省略されたところをどこまで把握しているのかが大切なのだと感じました。
(金子 幹夫)
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