■井堀 利宏『知らなかったでは済まされない 経済の話』高橋書店 2025年
① なぜこの本を選んだのか?
経済学者が一般の人を対象に経済を教えようとする時に、何を教えているのでしょうか?それをどのように教えているのでしょうか? このことを知りたくて講読しました。
本書では、教える側は相手の情報をほとんど持っていません。ということは、その時点で一番手堅い順番で教えるはずです。それを1冊の本にまとめるわけですから、これまでにない経済の教え方があるというメッセージが発信されていると考えて選びました。
② どのような内容か?
1)井堀先生について
井堀利宏先生は東京大学名誉教授です。専門は財政学、公共経済学、経済政策です。著書には『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)、『政治と経済の関係が3時間でわかる 教養としての政治経済学』(総合法令出版)、『超速・経済学の授業』(あさ出版)があります。
2)どのような物語なのか?
本書の舞台は新宿駅東口の喫茶店です。
ここで井堀先生が、出版社に勤めている28歳の会社員と偶然出会い、日本経済を教えることになるという物語です。偶然の出会いですから相手のことをよく知りません。会社員は経済にあまり関心がないようです。さて、何を、どのような順で教えるのでしょうか。
3)なぜ本書を書いたのかという推測
なぜ井堀先生が経済にあまり関心を持たない若者相手に経済を教える本を書かれたのでしょうか? それは、これまでに世に出された経済の教え方とは異なるアプローチを示したかったからではないかと推測しました。
次に、場面設定です。教える側は相手の情報をほとんど持っていません。喫茶店で偶然出会ったわけですから仕方がありません。ということは、相手がどのような状況にあっても耐えられるような内容で教えるはずです。
井堀先生は、大人相手ならば、このアプローチで経済のことを教えられるはずだというメッセージを発信するために本書を書いたのではないかと推測しました。
そしてそのアプローチの方法は「もしもあなたが○○大臣(総裁)だったら?」という問いかけです。この問いは本書の各章で共通したものになっています。
4)登場する大臣(総裁)は?
一冊を通して登場する大臣(総裁)は、財務大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣、日銀総裁です。この4人の視点を軸に日本経済を教えることになります。
そこで読者の皆様に質問です。もし目の前の生徒に、この4人の大臣(総裁)の視点で経済を教えるとしたら、どの順番で教えますか? 考えてから次の行をお読みください。
5)会社員相手に選んだ最初のリーダーは?
井堀先生がはじめに選んだのは日銀総裁でした。金利の操作は、薬の量を調節するような難しさがあるという独特の表現をまじえながら物価のお話をしてくれます。
本書に書いてあることをそのまま中学生や高校生に説明するのは難しそうです。しかし、「経済ってこういうふうに教えることができるのだ」という経済学者の視点はものすごく役に立ちます。
例えば、「もしあなたが日銀総裁だとしたら『経済の安定』と『人々の生活』のどちらを優先して金利を決めますか?」という問いは、生徒と共に金融政策を考えるきっかけを教えてくれます。
さて、それでは2番目に選んだリーダーは誰でしょう?
6)2番目のリーダーは?
次に登場するのは財務大臣です。
ここでの問いかけは「もしあなたが財務大臣だったら『経済の成長』と『安心できる暮らし』のどちらを優先しますか?」というものです。紹介者が教えていた教室では圧倒的に「安心できる暮らし!」という答えが返ってきそうです。
この問いをきっかけに財政政策の目的を金融政策の目的と比較して説明してくれます。
話の軸は「税金は何のためにあるのか?」というものでした。
7)3番目のリーダーは
次に登場するのは経済産業大臣です。ここで学ぶことは「政策選択」です。
ここまでは、政府と家計の姿を見ながら学んできましたが、ここからは企業の存在が大きく取り上げられます。そして取り上げる時間軸も中長期的な視点になっていきます。
考えるテーマは産業支援です。どの産業を、どういう理由で支援することが有効なのか?といった問題を「どこに種を植えると収穫が多いのか?」と農業に例えて説明します。
さらに、古いビジネスモデルに固執するのではなく、新しい分野にどのように移行させるのかという発想を求めています。本文にはでてきませんが、ゾンビ企業の問題を指摘しているのだと思います。
そして、経済産業大臣は、新しい分野が成長するにあたって、ある程度の痛みを覚悟しなければならないと説いています。生産性を上げて成長させ、その後に格差是正の方法について決断するわけです。この適切な決断が日本の成長戦略につながると指摘しています。
この説明から、次に登場するのが厚生労働大臣ではないかと想像できます。
8)最後は厚生労働大臣です
ここでの問いかけは、給料明細書を見ながら「もしも厚生労働大臣だったら『負担』と『受益』のバランスをどう調整するのか?」というものです。
この負担と受益に関して、日本の公的年金が、いつどのようにして始まったのかという歴史を説明しているところは、公民科の教科書記述より詳しくわかりやすいものになっています。
そして、この年金制度の部分では井堀先生が「望ましい年金制度についての提案」ということで政策選択に向けての選択肢を示しています。この提案部分は、政策選択を教える教師が教材研究をするときに役立つ記述になると思います。
9)「わからない→文句を言う」からの脱却
喫茶店での対話は続きます。経済学の研究者は、経済をこのように教えるのかということを学ぶことができました。
井堀先生は会社員に向けて「君はもう、“文句を言う側”から“問いを立てる側”になっている」と言ってくれます。会社員が日常生活の中で持った経済に関する疑問を、大臣の視点から考えるという教え方について、中高校の教師はどう受け止めたらよいのでしょうか。
多くの皆様から感想やコメントをいただきたいと思います。最後に本書の全体像を眺めることにします。
10)本書の全体像
本書の目次は次のとおりです。
プロローグ 新宿の片隅で
第1章 物価の話
第2章 景気の話
第3章 企業と経済の話
第4章 社会保障の話
エピローグ こちら新宿区新宿駅東口前マルカド
③ どこが役に立つのか?
経済の専門家が経済を教える過程を見ることができます。どうして日銀総裁を一番はじめに取り上げたのか? なぜ問いかけが大臣の目線からなのか? を考えながら読み進めることで、生徒にとって遠い存在である経済学習を身近なところに持ってくるための手立てがつかめるのではないかと思います。
④ 感 想
最初は経済のことにあまり関心のない会社員でしたが、先生との対話を続けているうちに質問がだんだん難しいものになっていくという変化を読み取ることができました。
後半になりますと、まるでテレビの経済番組のように質問がだんだんと専門的になっていくのです。いつの間にか、28歳の会社員が成長していく過程を見ながら読み進めることができました。
(金子幹夫)
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