① なぜこの本を選んだのか?
本書は哲学をテーマにした本ですが、中盤から後半にかけて民主主義、資本主義について多く語っています。「公共」の授業を担当されている方は、そろそろ「公共の扉」の次を意識するころだと思います。
「公共」の学習で青年期や哲学を学びながら、どのようにして政治的分野、経済的分野につなげることができるのかという手がかりを見つけることができると思い選びました。
② どのような内容か?
1)著者は二人です
竹田青嗣先生は哲学者で早稲田大学名誉教授です。『自分を知るための哲学入門』や『現象学入門』は、私たちに哲学をわかりやすく教えてくれます。
苫野 一徳先生は哲学、教育学を研究している熊本大学大学院教育学研究科・教育学部准教授です。教育学がご専門ですので、すでに著書を読まれた方も多いのではないでしょうか。本書は師弟関係にある二人の対談形式で構成されています。
2)哲学者は世界をどのように捉えているのでしょうか?
「公共」の教科書では、ソクラテス、プラトンからロールズ、センまで約25人の哲学者が登場します。2単位の授業でたくさんのことを教える時間はありません。どうしましょう?
山で道に迷ったら上に登って全体を見渡すべきだという考え方があります。本書は、哲学者が世界をどのように捉えているのかを、上から全体を見渡しているかのように教えてくれます。
世界を捉えるものには哲学と宗教があります。歴史的には宗教が先に誕生します。宗教による説明は物語調です。やがて交通や技術が発達して共同体間の交流がはじまると、物語ではない世界説明が必要になってきます。そこで登場したのが哲学となるわけです。
「公共の扉」には宗教と哲学が登場します。本書の第1章は、教師が宗教と哲学をどのように接続させながら教えることができるのかという手がかりを示してくれます。
3) 教師は哲学をどう捉えて教えるのか?
「公共の扉」で教える学習内容の全体を捉えるヒントがまだありました。ここでは2つほど紹介します。
1つ目は、哲学は絶対の真理を追い求める学問なのかどうかということです。答えはノーです。哲学は、共通了解が可能な普遍的原理を捉えようとしていると教えてくれます。
2つ目は、「自然科学のアプローチ」と「人間や社会を認識するためのアプローチ」を分けることです。私たちが「社会とは何か?」という問いを生徒に示したとすると、そこには「よい社会とは何か?」という価値も含んだ問いになります。人間や社会のことを認識しようとする場合、自然科学の手法をそのまま当てはめることはできません。
この2つを意識するだけで、「公共の扉」の全体像を捉える眼が変わると思います。
4) 哲学者の枠組みも整理できないか?
「公共の扉」の枠組みを捉えたところで、教科書は一人ひとりの哲学者を紹介していくことになります。ここでも本書は教科書の解釈に有効な手がかりを与えてくれます。
例えばホッブズ、ルソー、スミス、ミル、カント、ヘーゲル、マルクスといった太文字で登場する人物を2つの枠組みに分けるとしたらどうしたらよいでしょうか?
本書はこの七人の思想家を「社会の真実を客観的に認識するという発想を持った人物」と、「まったくそのような発想を持っていない人物」に分けて説明してくれます。
もうひとつ。これも太文字で登場する「真善美」です。なんで「真善美」なのでしょうか。そして「真善美」の中でもっとも優先されるのはどれでしょう?私たちの日常生活を例に、わかりやすく説明してくれます。
5)哲学者と哲学者のつながりをどう整理するのか?
哲学者の枠組みが整理できました。ところで、哲学者間の時系列でのつながりはどう見るのでしょうか?
本書は冒頭で「哲学はリレーによって成立する」という大切な考え方を示しています。
例えば「市民社会」の原理はロック、ルソー、カント、ヘーゲルのリレーによって鍛えられてきたという考え方を大切にする必要があるということです。
市民社会の原理だけではありません。戦争の原因については、一万年前の食料革命まで遡るところからスタートし、ホッブズ、ルソー、ヘーゲルへのリレーを描いています。
人間が世界を説明する方法についても、ギリシア哲学まで遡り、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールといった哲学史のリレーを描いています。
この哲学史のリレーのところで、苫野先生は竹田先生に「現象学を中高生でも理解できるように教えてほしい」とリクエストします。この説明は、哲学の考え方をどのように教えることができるのかという手がかりを私たちに示してくれます。
6)「公共」の学習内容を整理する
「公共の扉」を学んでいる生徒は、次に憲法、政治、経済といった学習に取り組みます。目の前の生徒に「どうして憲法や政治、経済を学ぶのでしょうか?」と問いかけたらなんと答えるでしょうか?
「私が将来力強く生き抜くため」と答える生徒もいれば「よりよい社会を作るにはどのようにすればよいのかを考えるため」と答える生徒もいると思います。
「公共」は自分の人生のことを考える科目なのでしょうか?それともよりよい社会をどのように形成していくのかを考える科目なのでしょうか?
そもそも先生は、「公共」をどのような科目だと捉えているのでしょうか?教師と生徒の間に形成される科目観の違いをどのくらい意識しているのでしょうか?
本書は、哲学の視点から「人間の問い」と「社会の問い」を分けて、しかし決して切り離すことなく整理してくれます。
前者は「いかによりよく生きることができるのか?」と問いながらカント、ヘーゲル、ニーチェの思想を教えてくれます。後者は「人間が共存し、ともに楽しく生きられる社会とは?」と問いながら暴力の縮減と自由の確保について考察していくのです。
7)そして経済教育について語ります
暴力が縮減され、自由が確保された公正な社会は実現可能なのでしょうか?
本書は、資本主義経済に支えられた自由な市民社会の原理がこれを可能にすると主張しています。それでは、この資本主義をどのように捉えたらよいのでしょうか?
哲学の視点から、資本主義経済は、分業・交換・消費によって生産力を持続的に拡大していくものだと捉えます。
なぜ中国やイスラム社会は商業が栄えたのに資本主義経済として発展しなかったのか?
なぜスミスの「見えざる手」は「神の見えざる手」でないのか?を考えながら資本主義経済を語っていくのです。
8)現代の経済が抱える課題をどう考えるのか?
資本主義経済を哲学の視点で捉えると、現代社会が抱える課題はどのように見えるのでしょうか?
大きな時代の流れとして、産業中心の資本主義から金融中心の資本主義に移りつつあるという軸を示しています。その上で、気候問題、SDGs、人口問題を語ります。
現代の課題を語りながら、あらためて哲学史を振り返りますと、歴史に残る哲学者は、その時代が抱えていた問題について、ギリギリのところまで考え抜いていたことがわかると指摘しています。
教科書で紹介されている思想家が、一体何を問題にしていたのか?どこが「ギリギリ」なのか?私たちは、その哲学者たちが渡そうとしているリレーのバトンをどのような姿勢で受け止めるべきなのか。読み進めているうちに、そんなことを考えている自分に気がつく1冊です。
9)本書の全体像
以上が,本書の内容です。最後に目次を示して全体像を眺めることにします。
【目次】
はじめに
第1章 哲学をよみがえらせる
第2章 哲学の根源をたどる
第3章 何を、どこから、どのように考えるか
第4章 現代社会をどう考えるか
第5章 未来社会をどう作るか
第6章 哲学をどう始めるか
おわりに
③ どこが役に立つのか?
「公共」で学習する青年期、哲学、政治、経済といった学習内容全体を見渡すことができます。制度説明や哲学者の思想をカタログ紹介のように教えてしまうと、「教師のメッセージは生徒に伝わっているのか?」と不安になってしまいます。教科書に書かれている知識の背景に何があるのかを明らかにしてくれる1冊だと思います。
④ 感 想
「公共」で何を教えたいのですか?と問われたときに何と答えたらよいのでしょうか。 教科書は、生徒が「どのように社会に参加するのか?」、「どのように主権者として行動するのか?」「どのように国際社会で行動するのか?」「そのために必要な学問の見方や考え方にはどのようなものがあるのか?」を考えるための道標なのだ、ということを感じさせてくれる1冊だと思います。
(金子 幹夫)
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