① なぜこの本を選んだのか?
「公共」や「政治・経済」の教科書を書いた執筆者は、本当はもっともっと多くのことを書きたかったのではないかということを想像することがあります。
 実際にはページ数に限りがあるため、仕方なく文を削り、そして1つの文に多くのメッセージを込めようとしたのではないでしょうか。
 この想像が正しいのであれば、授業者は「削られた文にはどのようなものがあるのか」、そして「1つの文に込められたメッセージにはどのようなものがあるのか」を推測しなければなりません。
 今回紹介する『新 入門・日本経済』は、教科書に書かれるはずであった知識がたくさん示されていて、私たちの授業づくりを厚いものにしてくれるのではないかと考えました。
「教科書に書いてあることはこういうことだったのか」という体験を多くの先生方と共有できるのではないかと考えて本書を選びました。
 本書は、経済教育ネットワークの篠原総一先生が編者で、同じく野間敏克先生が「日本経済の見方」と「日本経済の課題 『格差』」について執筆されています。

② どのような内容か?
 今月は次のような流れで内容を紹介してみたいと思います。
(1)はじめに
 本書は大学生の講義用として書かれた日本経済の入門書です。
 本コーナーは、教師が経済をどのように教えたらよいのかということを考え続けています。よって、大学生としてではなく、教師だったらこのように読み解くことができるのではないかという一例を示してみたいと思います。
(2)本書の構成
 本書の構成は次のとおりです。
 序章「日本経済はなぜ停滞したのか?」
 第Ⅰ部 基礎編
「日本経済の見方」、「企業」、「労働」、「社会保障」、「政府」、「金融」、「貿易」
 第Ⅱ部 発展編
「日本経済の歩み」と「日本経済の課題」

(3)第Ⅰ部「基礎編」
 第Ⅰ部は企業、労働、社会保障の順で構成されています。大学生が経済を学ぶ場合、なぜこの順番だと都合がよいのでしょうか。 
 第1章「日本経済の見方」に「私たちの働く場であり、所得を稼ぐ場でもある企業は、現代経済において中心的な役割を果たしている」と書いてありました。大学生は、分業を支える大切なプレーヤーとしての企業を理解することから経済学習を始めるとわかりやすいのだと解釈してみました。

 第Ⅰ部を読み終えて心に残る用語が3つありました。
 1つ目は「アニマル・スピリット」、2つ目は「失われた30年」、3つ目は「労働者のスキル」です。章を超えて繰り返し登場するからです。
 この3つの用語の周辺に本書を貫く精神が潜んでいるのではないかと推測しました。
 このことを意識しながら順番に本書の魅力を紹介してみたいと思います。

(4)アニマル・スピリット
「アニマル・スピリット」は第1章、第2章に登場する用語で「企業が挑戦する姿勢」、「企業家精神」という意味で用いられています。
 なぜ繰り返し登場するのでしょうか。本書では、執筆時点での「企業」を「挑戦する姿勢をもった主体」であるべきだと描いているようです。
 教師はこの「企業」をどのようなものとして生徒に伝えることができるのでしょうか。教科書は、家計、企業、政府の順に経済主体を紹介し、次に家計と企業がどのように経済活動を営んでいるのかについて市場を舞台にして考えるように記述されています。
 教師は、「企業」に対して「守りに強い主体」であるべき時と「攻めに強い主体」であるべき時があることを認識した上で、その時々の躍動感をどのように吹き込めば教科書に記述しきれなかった経済を教えることができるのかを考えなくてはいけないと受け止めました。
 企業はどのようにして外部から資金を調達するのか。リスクを含んだ事業をどのように推し進めるのか。複雑な利害関係に打ち勝って経済の発展にどのように貢献しているのかというところを生徒に伝える必要があるようです。
 
(5)失われた30年
 これも章を超えて繰り返し登場する用語です。
 原因も様々な視点から記述されています。
「なぜ失われた30年という現象が起きたのですか?」という生徒からの質問に答えるための知識が次のように随所に登場します。
 経済環境の変化という切り口(国際化と国債化)からの説明。
 医療や介護等、高等教育が必要な分野の人材育成が追いついていないという切り口。
 会社の寿命は30年だという企業の高齢化問題という切り口。
 日本型企業システムの制度疲労という切り口。
 日本型企業システムが崩壊した後も経営に対する適切な規律づけが働かなかったという日本経済における土壌の問題という切り口等々です。
 
 そして、この「失われた30年」と先ほどあげた「アニマル・スピリット」が第Ⅱ部「発展編」第9章「日本経済の歩み2」で融合するのです。そこには失われた30年に関連して「多くの日本企業はリスクをとって事業を拡大しようとする企業家精神を失い、グローバルな経営環境の変化に対応できず、競争力を低下させてしまった」(p.277)と書かれています。

 経済の授業づくりにおいて「市場」の単元と「日本経済のあゆみ」の単元は離れたところにありますが、決して独立したものではありません。どのように各単元の学習内容がつながっているのかを教師が語ることで、より一層わかりやすい授業につながります。本書でそのストーリーづくりのために必要な知識を得ることができます。

(6)労働者のスキル
 本書は「企業」の次に「第3章 労働(すべての人が働きやすい社会に向けて)」と展開していきます。日本的雇用慣行、女性の社会進出、ワーク・ライフ・バランスと、教科書にかかれれている内容を深く理解するための記述が盛りだくさんです。
 その中で授業づくりに役立ちそうな表現に「労働者のスキル」がありました。
 労働者をめぐる環境の変化を追いかけながら、「労働者が自発的に企業の外で(略)新技術に対応できるスキルを身につけようとする需要は高まる」(p.78-79)と指摘しています。
 これは「第7章 貿易」のところでも語られています。新貿易理論と呼ばれる貿易モデルでは、生産性の低い企業は競争激化で退出を迫られます。「退出する企業に雇用されていた労働者がスムーズに他企業や他産業に移動できるなら、労働者に不利益はなく、経済全体の効率性を高める」(p.200)と説明しています。
 1人ひとりの労働者がどのような意思を持って「働く」ための力を身につけていくのかを考える授業づくりができそうです。

(7)第Ⅱ部「発展編」から授業を創る
 第Ⅱ部は、授業づくりに結びつく記述という視点から紹介したいと思います。
 第8章「日本経済の歩み1」から、次のような授業の導入案を考えてみました。
 注目した文は「日本の総人口の伸びは1%程度で推移していたが、世帯数は3~4%と大きく伸び、新製品の登場もあいまって耐久消費財の需要を高めることになった」(p.222)です。
 さっそく「国立社会保障・人口問題研究所」の調査結果から総人口と総世帯数のデータを探してみました。データ中の1956~70年頃に注目して生徒に示すところから授業ははじまります。
 1)教師「この資料は何を示していますか?」
   生徒「人口と世帯数の推移」
  2)教師「増え方に違いがありますが、どうしてでしょう?」
   資料から人口の増え方よりも世帯数の増え方が多いことを読み取り・・・
   生徒「1人で住む人が増えた」、「核家族が増えた」といった発言が予想されます。
 3)教師「どうして1人で住む必要があるのでしょうか?」
   生徒(ここは生徒の生活経験で得た知識によりいろいろな発言が出ます)
 4)教師「教科書や資料集に掲載されている『電化製品が並ぶ店頭』や『集団就職』の写真を見てみましょう」
 ここから先は生徒が示す問いによって展開が変わります。
 例えば「なぜ地方の新規学卒者の多くが大都市の企業に集団で就職しなければいけなかったのですか?」と問われた場合、高度成長を背景に次男や三男が都会で働くことになったわけを考えるという展開になります。
 例えば「大都市でどのような仕事をするのですか?」と問われた場合、三種の神器や3Cというものづくりの話しや、それらを販売するための様々な仕事という話につながっていきます。そして世帯の数が増えたということは耐久消費財の需要増につながるという流れになります。
教科書では、わずか5行程度で示されている「高度経済成長」の背景にどのような物語があったのかを第8章「日本経済の歩み1」から読み取り、授業の導入づくりにつなげることができそうです。

(8)どのような授業ができるのか
 ここまで、第Ⅰ部「基礎編」と第Ⅱ部「発展編」について、一授業者の視点から本書を紹介してきました。
 授業者の視点で読むと、読み手によって解釈のポイントが異なるのではないかと思います。中学校や高校の先生方がどのような視点で読み解いたのかを持ち寄って共有したらどうでしょうか。そして「本書をもとにこのような授業を創ってみました」という読書会をやってみたくなる一冊だと思います。
 
③ どこが役に立つのか?
 知識の整理ができます。これは知識を体系的に理解すること、そして一つひとつの知識がもつ背景も合わせて整理できるということです。
 例えば、第4章「社会保障」では、体系的知識と合わせて日本の年金制度がどのようにしてはじまったのかという歴史を知ることができました。これは「公共」や「政治・経済」の教科書には書かれていません。
 知識と知識とがつながるという体験を通して明日の授業づくりに役立つ一冊になると思います。

④ 感 想
 本書は15人の編者・執筆者で構成されています。
 これだけ見るとそれぞれの原稿が集められた本のように見えてしまいますが、そのようなことはありませんでした。問題意識が共有されていること。示された問いの答えが別の章で示されていること。「このように理解すればよかったのか」、「これは授業づくりに活かせる知識だ」とラインマーカーが手放せない一冊でした。

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