①どんな本か
 SNSや新書などでナチスは良いこともしてきたのではという主張に対して、検証批判をして話題になっている、岩波のブックレットです。

②どんな内容か
 <はじめに>と<おわりに>をはさみ全8章で構成されています。
 <はじめに>では、問題提起と、なぜ「良いこと」論が出てくる背景が示され、歴史を理解する場合には、事実と解釈と意見の三つの層があり、それぞれは別々に検討することが必要であること、そのなかでも解釈が重要であることが述べられます。
 第一章から第三章までは政治関連の概説と検証です。
ナチズムとは? ヒトラーはいかにして権力を握ったか? ドイツ人は熱狂的にナチス体制を支持していたのか? がそれぞれのタイトルです。
 ここではナチスを「国民社会主義」と訳すべきという指摘からはじまり、ヒトラーのナチスは、社会的反ユダヤ主義を政治的反ユダヤ主義に転換させることで、アーリア系ドイツ人を民族共同体に囲い込むことで、権力を掌握していったいったものと指摘されています。
 第四章から経済政策や各種政策の検証に移ります。
 第四章では、ナチス時代の財政のからくり、失業率の低下の実態、アウトバーンやフォルクスワーゲンといった「成功例」の検証です。
 第五章では労働者の味方であったかどうか、第六章では家族支援の実際、第七章では環境保護政策、第八章では健康政策に対して、それぞれ事実を踏まえた解釈が提示されます。
 最後の<おわりに>で、著者の田野さんによる、「良いこと」言説が出てくる背景を、学者によるポリコレ(ポリティカルコレクト=政治的な正しさ)をひっくり返したいという反権威主義的な願望と、自分たちは「本当のこと」を知っている優越感を同時に満足したいという欲求からと指摘します。それは、解釈抜きに断片的な事実から意見へと飛躍しているからと指摘しています。

③どこが役立つか
 まずは、歴史学習でナチスを取上げる際に参考になる本です。
特に、ナチスの経済政策に関しては、教科書では、「公共事業をおこして失業者を減らし、世論の支持を高める」(『中学校の歴史』帝国書院)とか、「大規模な公共事業によって失業を克服」(『現代の歴史総合』山川出版社)と記述されている箇所をそのままさらりと教えてしまうことに対する警告となるでしょう。
 経済学習では、ナチスの経済政策の概略を知ることができます。公共授業を行う際の資金はどこから調達したのか(巨額の負債とユダヤ人や占領地などからの収奪)、が簡潔に書かれているので参考になります。
 学習面では、断片的な事実をキャッチーな形で取上げることへの警告にもなります。面白授業にするためにどうしても分かりやすい、それも意外な事例をあげて話を進めることが起こります。
ナチスの公共政策、健康政策、環境保護などはその例かもしれません。各種の政策にある「包摂と排除」の両面をしっかり見据えることの必要性をあらためて伝える本です。

④感想
 あらためて知る事実がいくつかありました。
 その一つが、ナチスの正式名称です。
現行の教科書では「国民社会主義ドイツ労働者党」となっているという指摘です。「国家社会主義」がてっきり定番の翻訳だと思っていました。
 この本の指摘で、手元にある高校の歴史教科書を引っ張り出したら、確かにそうなっていました。それに対して、ネット上の訳はほとんど「国家社会主義」です。
たかが翻訳と言うなかれです。これは事実の解釈の問題になります。この落差を埋めないと「良いこと」言説は再生産されるなと感じました。
 もう一つは、経済政策の評価です。
ナチスの政策がうまくいって失業が減ったのではなく、ワイマール共和国末期の景気浮揚策が効果を上げてきたこと、様々な方法で若者や女性を労働市場から引き上げたことによるという指摘は、そうなんだと思わせるところでした。そのようなナチスの経済政策、財政・金融政策を概観できる研究や本を探して自分自身でも検証してみなければと思いました。
 この本、タイトルも含めてかなり挑戦的です。不正確な挑発をうけてたったという意味では、勇気のある本だとも感じました。特に<おわりに>の著者の一人の田野氏の所説は読ませます。

(経済教育ネットワーク 新井 明)

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