時事問題解説
量的金融緩和政策
日本銀行が2001年3月から06年3月にかけて実施していた金融緩和政策のことをいいます。日本銀行では2001年3月、日本経済をデフレから脱却させるには相当思い切った金融緩和政策が必要と判断しました。そして、デフレ脱却のため、金利がゼロとなっても緩和措置を継続的に実施するべく、金利に代えて日本銀行当座預金残高(銀行等の金融機関が日本銀行に預けている当座預金のこと)という量的な指標を誘導目標に採用し、その目標額を達成するように債券や手形を売買することにしました。この思い切った政策措置は、量的な指標を誘導目標に採用して金融緩和を図ろうとすることにちなんで、量的金融緩和と呼ばれました。
日本銀行当座預金は利息を生まないため、銀行等では準備預金制度により定められた金額(これを所要準備といいます)以上のお金を保有しようとはしません。2001年当時、銀行等の所要準備は合計で4兆円程度でした。それゆえ、量的緩和政策が導入された当初は「日本銀行当座預金残高が5兆円となるよう金融市場調節を行う」というかたちで運営されていました。その後、この日本銀行当座預金残高目標は段階的に引き上げられ、最終的には30~35兆円となっていました。一方、日本銀行当座預金残高を所要準備の数倍となる水準に維持するには、大規模な資金の供給を継続的に行う必要がありました。そのため、日本銀行では手形の買いオペのほか、長期国債の買いオペを活用していました。2006年3月、日本銀行では消費者物価の伸び率が安定してゼロを上回るようになったため、デフレ危機は克服されたとして量的緩和政策を解除し、通常の金利(無担保コールレートのオーバーナイト物)を誘導目標とする政策運営に復帰しました。
(同志社経済学部教授 鹿野嘉昭)