reader reader先生

何かいいことがありそうな4月を迎えました。
職員室の新しい座席、新しい教科書、新しい名票と教務手帳・・・。皆様は今年の授業をどのように構想しているのでしょうか。今月のメルマガも,授業づくりに役立つ情報をお届けします。
ひとつだけ、いままでと異なるところがあります。それは・・・今月からメルマガ編集者が新人になったというところです。不慣れな点はお許しください。
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【今月の内容】
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【 1 】最新活動報告
 2024年3月の活動報告です。
【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
 部会の案内、関連団体の活動、ネットワークに関連する情報などを紹介します。
【 3 】授業のヒント…「捨てネタ」の効用⑦
【 4 】授業で役立つ本…今月も授業づくりのヒントになる本を2冊紹介します。
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【 1 】最新活動報告・情報紹介
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■先生のための春の経済教室を開催しました。
(1)日時・会場・参加者
 2024年3月23日(土)13:00~17:00。慶応義塾大学三田キャンパス北館大会議室。当日は会場に41人(関係者含む)、オンライン42人の合計83人の方が参加されました。

(2)主な内容
 今回は、進行役の杉田孝之先生(千葉県立津田沼高校)の司会で、「エコノミストと考える国際経済の授業のつくり方―グローバル化と経済格差― 」をテーマに明治大学情報コミュニケーション学部の島田剛教授による講演と「エコノミストと国際経済の授業をつくる」というテーマでのパネルディスカッションの二本立て構成でした。

(3)前半、島田剛教授による講演「途上国に必要なのはフェアトレードか、ビジネスか?:グローバル経済のなかで経済格差をどう教えるか」が行われました。
講演は三つの問い、①なぜ日本の学生は国際的なことに関心が薄いのか?②アフリカから考えた日本のこと、直面する同じ課題、別の課題、③どうしてフェアトレードは昔と同じなのか?ビジネスと何が違うのか?を順番に解説する形ですすめられました。
 第一の問いでは、国連や世界銀行などにおける国際交渉の実際を紹介しながら、なぜ日本の学生の関心は二極化するのかを分析し、そこに切り込む視点を紹介しました。
 第二の問いでは、コーヒーを事例に、アフリカ経済における格差を見る視点として、歴史的にロックインされている制度、アフリカ経済の近年の動向を人口、雇用、新自由主義との関わりから分析し、産業政策やカイゼンなど日本にも役割があることが紹介されました。
 第三の問いでは、神保町コーヒープロジェクト、フェアトレードのフェアに関する捉え方のWTOと伝統的な理解との違い、福島第一原発とコーヒーの関わりを紹介し、フェアな取引が当たり前の世界になるべきであること、貧困解消にはビジネスとフェアトレードや援助とを近づけていく必要があること、最初の一歩が大事で、それは教育に期待するところであるとして講演をまとめました。
 講演後の質問は,中学校教育の立場から兼間昌智先生(札幌大学)からと,高等学校教育から金子幹夫先生(神奈川県立三浦初声高校)から出され、それぞれ回答がありました。

(4)後半のパネルディスカッションでは、まず、小谷勇人先生(春日部市立武里中)「貧困問題を考える」というテーマで「アフリカ貧困問題の原因を追及しよう」という内容の授業実践と、杉浦光紀先生(都立井草高校)からの「グローバル経済の授業―生徒にどう教えるか?―」というテーマで、授業実践報告がありました。
 二つの授業実践報告を受けて,明治大学文学部藤井剛教授から「国際経済の授業のつくりかたとは?」の話があり、教科教育法の視点から国際経済の授業づくりについてまとめていただきました。
 討論では、島田剛教授から二人の授業実践に関するコメントがあり、それをうけて島田教授を含めて三人の報告者との討論が行われました。また、フロアからは、市場価格以外の公正はあるのか、そしてフェアを扱う時に倫理、哲学は必要かという質問がありました。島田教授からは、フェアトレードでは市場価格にプレミアムを乗せるのが正当とされているが、コーヒーなどは先物取引の対象になっていたり5年サイクルでの乱高下があったりするので何が公平かは簡単には言えないとの回答がありました。後者には、杉浦先生からピーター・シンガーやロールズの議論が参考になるのではという指摘と、島田教授からは、アマルティア・センの議論にも注目したいとの指摘がありました。
 最後に進行役の杉田先生から、フェアという言葉の扱いとして、公正・包摂をどう整理して探究に持ち込むか、生徒に身近な教材をどうつくるか、国際経済・国際関係に関して生徒に関心を持たせる授業設計という三つの課題を本日の教室を手がかりに実践して欲しいとのまとめがあり、各登壇者の一言をいただいて、後半のパネルディスカッションを終えました。
 教室の内容の詳細は以下をご参照ください。
https://econ-edu.net/2024/03/29/7707/
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【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
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<定例部会のご案内です>(開催順)
■東京部会(No.139)を開催します。
 日時:2024年4月6日(土) 15時00分~17時00分
 会場:慶応義塾大学三田キャンパス 
 部会詳細は以下のHPをご覧ください。
https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2024/01/tokyo139flyerHybrid.pdf

■大阪部会(No.89)を開催します。
 日時:2024年5月19日(日) 15時00分~17時00分
 会場:同志社大学大阪サテライト(予定)
 部会詳細は以下のHPをご覧ください。
https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2024/02/Osaka89flyerHybrid.pdf
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【 3 】授業のヒント  捨てネタの効用⑦ 「貨幣」の本質
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「貨幣」の本質、私ならこう教える
〜お金とは、いつでも、どこでも、モノと交換できる権利書のようなもの〜

執筆者 篠原総一

貨幣のなぜ
 貨幣とは不思議な存在です。お札(さつ)も預金通帳の数字も、それ自体は食べることも着ることもできない、言ってみれば無用の長物です。それでも、(1)人は誰でも、なぜお金を欲しがるのでしょうか。そして、(2)なぜ社会はその無用の長物(貨幣)に依存しているのでしょうか。
 中学や高校の金融学習では、大学の金融論で扱う細かな理論や制度、政策には深入りせず、まずは、「貨幣のなぜ」への答え方を身につけること、そうすれば抽象的で小難しい金融の解説が、生徒にも肌感覚で分かる学びに変わるように思えます。
結論の先取りをすれば、その鍵を握るのは、「お金とは、いつでも、どこででも、モノと交換できる権利書のようなもの」だと教えてみることです。そうすれば、
・給料をお金で受け取るとは、自分の労働をお金に変えること、お金はいつでも暮らしに必要なモノを手に入れられるから
・給料の一部を貯蓄に回すとは、将来、子供の教育や老後の医療といったモノ(正確にはサービス)を買うための権利書(お金や銀行預金、あるいはいつでもお金に変換できる株式や投資信託など)の形で持っておくこと
・マンション購入の住宅ローンとは、実はマンション(今のモノ)と何年か先の労働(将来のモノ)の交換に他ならないこと、なぜなら5年先に返済するお金の基は5年先の労働だから
といった金融理解につながっていきます。

 結局、こうやってみれば、貨幣の本質とは「貨幣自体は役立たずでも、モノとモノの交換を仲介するから意味がある」ことだと言えそうです。
授業では、教科書の各節のそれぞれを、このような本質に則ったストーリーで読み解いていかれてはいかがでしょうか。貨幣の機能や金融機関の違い、直接金融と間接金融、日本銀行の役割、金融改革の目的など、先生の作っていくストーリーに生徒は必ずついてくるはずです。
 そこで今回は、まず、「貨幣は、いつでも、どこででも、モノと交換できる権利書のようなもの」という貨幣の本質を、簡単に教えてくれる歴史の紹介から始めてみます。

捨てネタ:人類の知恵「トークン(代用貨幣)」
 今回の導入ネタは人類史の一コマ、分業と交換が始まった頃の「お金」の発明です。文化人類学や考古学の研究では、第一千年紀のBC3500年頃、4大文明で有名なメソポタミアで「文字」と「貨幣」の原形が同時に生まれたと言われています。
アフリカから移住してきた人類が肥沃な地、チグリス川とユーフラテス川に囲まれた沖積平野で農耕を始め、やがて灌漑施設などの発明を経て農業生産性を高め、自家消費を超える収穫を可能にしていきます。その結果、余剰生産物を他人のモノ(例えば羊や牛)と交換する、つまり物々交換が始まるのです。

 ここから先は出口治明『全世界史』(新潮社)第1章に出てくるストーリーの紹介です。
当初は、ある農家が
Aさんに小麦3束を売り、代金はAさんの羊に子供が生まれたら1匹もらう、
Bさんには麦7束を、Bさんの牛が子供を産んだら1頭もらう、
という物々交換の約束をします。そしてAさんとの約束を忘れないように、粘土のカップ(ブッラというそうです)に粘土のボールを3個、BさんにはBさん用のカップ(ブッラ)に7個の粘土ボールを入れておきました。
 ところが物々交換の相手が50人、100人と増えていくと、ブッラの数も収拾がつかないほど増え過ぎて、誰と何を、どのような条件で交換の約束をしたのか、わけがわからなくなっていきます。
 そこでこの農家は、「Aさんに売った証拠として◯印をつけた粘土ボールを3個、Bさんには△印をつけた粘土ボールを7個というように、買い手を識別できるように◯や△の記号を使い始めました。そして羊や牛が生まれたとき、ブッラの中を点検すれば、この物々交換が完結するという決済の仕組みです。
 このように◯や△記号をつけたボールは、現代用語ではトークン(代用貨幣)と呼ばれています。羊や麦といった特定のモノを交換できる権利書のことです。ちなみに現代では、地下鉄の乗車券やユニバーサル・スタジオの入場券などがトークンの代表例です。

トークンから貨幣へ
 こうしてトークン(代用貨幣)が生まれましたが、その後、取引の拡大とともにトークンにつけられる記号も複雑になっていきます。取引相手も、取引するモノの種類も増えていけば、◯や□のような単純な記号だけでは間に合わなくなります。こうして徐々に、多くの人の中から自分の取引相手を識別する記号、そして自分が取引対象(モノ)の種類を特定する記号が生み出されていきます。
 川の上手(かみて)で麦を作っている人を現代では川上さん、山の麓で狩猟している人を山下さんと呼びそうですが、文字を持たない古代人は川や山をイメージできる独特の記号を発明していったのです。また、麦、牛、羊、衣類(毛皮)など、モノを特定する記号も生まれてきます。このように、トークンに刻まれた色々な記号がやがて文字になっていくわけです。ですから文化人類学では、メソポタミアのトークン記号を「文字の原形」と呼んでいるのです。
 一方、粘土のカップやボール(代用貨幣)の方も、取引ごとにモノや個人を識別するトークンを使っていたのでは、膨れ上がっていく取引のすべてをカバーしきれなくなっていきます。見知らぬ地域の何百、何千もの人と、何百種類ものモノを交換するわけですから、個々のモノや個人をカバーする権利書では不便で仕方がありません。
 そして、ここが人類のすごいところですが、徐々に徐々に、どんな取引にでも使える権利書を工夫していくのです。生徒もよく知っている中国は商時代に流通した貝殻貨幣はその代表例です。貝殻をもっていけば大抵のモノは手に入る。だから、自分のものを売るときも、とりあえず貝殻貨幣を安心して受けとっておくという、貨幣制度の根幹(貨幣の一般受領性)が出来上がっていくのです。

貨幣を貨幣として教えない勇気
この捨てネタから、私は
・貨幣は「モノとモノの仲介役」に過ぎないこと
・経済の主役は私たちであり、そして私たちの暮らしを支えるのはモノであること
・でもその貨幣が、文字と並んで、モノとモノの取引を支える重要な基盤であること
を読み取りました。
 効率的な取引には、取引を支える基盤が必要です。取引相手とのコミュニケーション(言語、文字、通信)、効率的で安定した決済手段、モノを移動させる運輸、取引の約束が守られる制度などです。ですから経済取引のあらゆる局面をカバーする貨幣や金融を、モノの経済とは独立した学習にしてはならないという、私から先生方へのメッセージを最後に付け加えておきます。
 取引には基盤が必要なこと、そしてメソポタミアという古き時代に経済取引を支える基盤中の基盤(文字と貨幣)の萌芽が見られたという素晴らしい歴史ロマンも、ぜひ生徒に伝えていただきたいものです。

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【 4 】授業に役立つ本 
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 今月紹介する文献は2冊です。
 公民科教師は経済的分野だけでなく政治的分野,哲学,発達心理学といった様々な学問にふれながら教材を作成しています。そこで1冊目は経済学者が見る“経済”について記述されている本を、2冊目は経済学とは異なる分野で活躍している研究者が語る“経済”という視点で選びました。
 
■ 神野直彦『財政と民主主義-人間が信頼し合える社会へ-』岩波新書2024年
① なぜこの本を選んだのか?
 本書は、なぜタイトルに“民主主義”といれたのでしょうか。どうして“人間が信頼し合える社会”というコトバと財政を結びつけようとしたのでしょうか。この問いを持ちながら精読することで、公民科教師は財政に関する一層魅力的な授業案作成が可能になると思い本書を選びました。

② どのような内容か?
 第一文に注目しました。本書は「人間の歴史がこのまま進路を変えなければ、タイタニック号が氷山に衝突したように、未来は破局へと向かってしまうに違いない」という一文で始まっています。いったい何が問題なのでしょうか。
 序章で、自然環境の破壊という危機的状況を取り上げています。この危機を乗り切るために財政がどのような役割を果たすべきか。そして私たちの意識にどのような問題点があるのかということを指摘しています。
 第1章のタイトルは「根源的危機の時代」を迎えてというものです。
本書では“危機”を人間の社会が創り出した危機と自然現象による危機に細分化し,現代社会は,この二つの危機が合体しているところに問題があると指摘しています。読み進めていくと,教科書の財政に関するページに記述されている用語を用いながら、危機の克服についてわかりやすく説明しています。
 第2章は「機能不全に陥る日本の財政」について書かれています。
根源的危機の内容がコロナ・パンデミックにおいて浮き彫りになったという展開です。医療、福祉、教育といった対人サービスはどのようにして提供することが適切なのでしょうか。本書では,経済あっての財政という考え方と財政あっての経済という考え方について記述されています。生徒が政策選択をするために、どのような考え方があるのかを知ることができます。
 第3章は「民主主義を支える財政」というサブタイトルがつけられています。
私たちが直面する「共同の困難」(この表現は本書に何回も登場します)は,どのようにして克服することができるのか。選挙に行けばよいのか。投票以外にはどのような行動を取ることが必要なのかという道標を読み手に提供しています。
 第4章は「いま財政は何をすべきか」です。
この章が抱えている問いは,人間の生命活動は賃金所得の保障だけで十分か、というものです。この問いに対する答えを産業構造の変化を示しながら説明しているところは,私たちの授業づくりに向けての大きなヒントになります。
 最終章である第5章は「人間らしく生きられる社会へ」というタイトルです。
第1章で示した「根源的危機の時代」を乗り越え,人間らしく生きることができる社会をめざすとは,どのような考え方なのでしょうか。スティグリッツ、センが研究したGDPにかわる新しい社会指標など授業づくりの視野を広げる話題が続々と登場します。

③ どこが役に立つのか?
 2点挙げます。
 第1は,公民科教師が財政の単元を教える際に、仕組みや制度の説明に多くの時間をかけてしまうと「全力を出し切って教えていないのではないか?」という思いでいっぱいになることがあります。そこで本書のタイトルに注目して考えることで、この思いから脱却できるのではないかということです。
なぜ本書はタイトルを『財政と民主主義-人間が信頼し合える社会へ-』としたのでしょうか。本文を読み進めていくと「財政を経済システムと政治システムとの交錯現象として理解するだけでは(略)現在の状況はみえてこない」、「人間の社会は(略)貨幣を媒介にした関係だけでは存続しえない」という記述と出会います。本書は、人間と人間との関係を重視して財政を記述しています。
 そして一人ひとりの人間についても「市場社会において人間は、社会システム、経済システム、政治システムという三つの舞台で、一人で三役を演じ」ていると表現しています。公民科教師は財政を教える際に、人間に注目することで、制度説明から脱却したストーリー性のある授業ができるのではないでしょうか。
 第2は教科書記述の理解についてです。本書を講読することで教科書に書かれている用語を一層深く理解することができます。
例えば、租税のルーツについて、2つのルーツを紹介しています。地方自治体における所得再分配は機能するのかしないのか?ということについて言及しています。公的扶助、社会保険が誕生した理由を歴史的に説明しています。租税と社会保険が登場する歴史を紹介しながら,両者の違いを生徒にも分かる優しい表現で説明しています。個人が持つ経済力をフローで捉えたりストックで捉えたりするという考え方を紹介しています。どうして格差と貧困が国際的に拡散しているのかということについて,考え方を示しています。
「あーそういうことだったのか・・・」という多くの記述と出会うことができます。

④ 感 想
 財政の授業を創ろうとした時に,同じ著者の『財政学』(有斐閣)を読んだことを思い出しました。このテキストは主として財政のしくみを説明したものです。当時の紹介者は,どのようにすれば生きた授業を創ることができるのかを考えていました。
本書は、同じ著者が熱い想いを込めて書かれた新書です。「人間」、「生命」といった呼吸を感じ取ることのできる1冊でした。紹介者は,制度を説明しているテキストと同じ著者が書いた新書を合わせて読むことの楽しさを体験することができました。

■ 瀬名秀明、渡辺政隆、押谷仁、小坂健『知の統合は可能か-パンデミックに突きつけられた問い』時事通信社 2023年
① なぜこの本を選んだのか?
 公民科教師は、経済学者ではない研究者が経済学をどのように語っているのかを知ることで、経済的な見方や考え方を一歩離れた場所から見ることができるのではないかと思い選びました。
 きっかけは 2024年2月に開かれた,大阪大学・感染症総合教育研究拠点主催のシンポジウム「パンデミックの“今”と“これから”-私たちは次の感染症にどう備えるか」でした。
このシンポジウム後に、ファシリテーターである経済学者大竹文雄先生は医学者押谷仁先生と激論を交わしたと振り返って、医療の立場と経済学の立場との間に生じる認識のギャップを埋めることの重要性を指摘しています。
そこで紹介者は,医学の視点から経済学がどのようにみえているのかを知りたくなり、東北大学大学院薬学研究科出身の瀬名秀明さんが前出の押谷先生と対話している本書を見つけました。
 読み進めていくと,すぐにアダム・スミスやリチャード・セイラーの記述が目にとまります。経済学者ではない研究者が経済学をどのように語っているのかを知ることができそうです。

② どのような内容か?
 本の前半は作家の瀬名さんが8名の専門家にインタビューをしています。8人の専門家は,公衆衛生学の小坂健、社会心理学の大渕憲一、科学哲学の野家啓一、災害医療の石井正、宗教人類学の木村敏明、行政法の飯島淳子、物理学の本堂毅、ウィルス感染症学の押谷仁の各氏です。
 後半は瀬名さんとサイエンスライター渡辺政隆さん(同志社大特別客員教授)の対談を中心に構成されています。 
 瀬名さんは今回の新型コロナウイルス感染症が拡大する中で作家の小松左京を思い出したと書いています。小松は1995年の阪神・淡路大震災を罹災した経験を全て記録し、未来に活かそうという作業に取りかかったのですが、一人の人間が全ての情報を総括して未来を予言することに無理があったと振り返っています。
 瀬名さんは小松と同じ作家として、新型コロナ感染症をどのように総括して未来に活かすことができるのかを考え、東北大学に注目しました。多様な知を擁する総合大学の専門家とインタビューを重ねることで知の統合を目指すことにしたのです。
 目次は次のとおりです。
はじめに COVID-19で試される〈総合知〉 渡辺政隆
第一章 〝お役所仕事〟の新型コロナ対策の現場 
第二章 人はなぜ攻撃的になるのか
第三章 専門家の枠を打ち破る〈総合知〉
第四章 災害医療と地域パンデミック対応
第五章 人と寄り添う──宗教人類学からのアプローチ
第六章 地方自治とパンデミック──地方行政に託される課題
第七章 専門家が果たすべき役割とは──「専門知」の活かし方
第八章 COVID-19の特異性を理解してこそ
第九章 いまこそ〈総合知〉を──COVID-19は転換点
第十章 〈総合知〉に何ができるのか①──いままでを振り返って
第十一章〈総合知〉に何ができるのか②──科学なしでも科学だけでも
第十二章〈総合知〉に何ができるのか③──知の統合をめざして
第十三章 SDGS-IDセミナー 2022年9月30日 
第十四章 総合知と全体知の新たな「連帯」に向けて

③ どこが役に立つのか?
 2つの点で役に立つと考えます。
 第1は本書に登場する経済的分野に関する記述です。
 本文中に経済的分野に関する記述がたくさん登場します。リチャード・セイラーと行動経済学における分配ゲームについての記述。社会心理学者がアダム・スミスの『国富論』、『道徳感情論』についてコメントしている部分。マルサスやジョン・スチュアート・ミルも出てきます。
 この中で,利己的・利他的について書かれた部分が役立ちそうです。
公民科教師は経済を教えるときに,どのような人間を前提としているのでしょうか。利己的な人間でしょうか?それとも利他的な人間もいるとした上で教えているのでしょうか。本書では,利他性は教育により後天的に形成されるものだけでなく内発的なものもあるという見方を紹介しています。
 政策選択に関しても,新型コロナウイルスが招いた危機的状況について、感染症対策と経済を回すことは、どのような関係があるのかという視点で考え方を紹介しています。コロナに関する記述が多い本ですが、いたるところに登場する経済的な見方は,授業づくりの役に立つと思います。
 
 第2は,経済を教える公民科教師の姿勢についてです。
 公民科教師は「政治・経済」では政治的分野と経済的分野を教えます。「公共」では発達心理学に関すること、哲学に関すること、そして政治的分野と経済的分野を教えます。1年間で多くの学問分野と付き合う公民科教師は,どのようにして「知」と接すればよいのかという道標を手に入れる必要があります。
 本書は,複数の知を連携させるために良心、共通感覚、メタ視点による公平な観察者を駆使し、情報爆発の罠に陥ることを賢く避けて、分担しながら広く、大きく衆知としてつながってゆくという方向性を示しています。
 公民科教師は,複数の知を連携させながら「政治・経済」や「公共」を教えるために、どのようにして複数の知を連携させていけばよいかというヒントを本書から見つけることができるのではないかと思います。

④ 感 想
 プリンストン高等研究所における記述が印象に残りました。
この研究所における唯一のオブリゲーションは,教授会に出席することではなく、週に一度水曜日午後3時から開かれるティータイムにホールに集まっておしゃべりすることだというものです。プロによる学問的交流の一場面を感じることができました。
振り返りますと、かつては高等学校の職員室に、食事コーナーやお茶飲み場があって、社会科の先生、理科の先生、数学科の先生、外国語科の先生といった様々な学問分野にふれている教師達の会話が毎日ありました。ふと気がつくと教師たちの会話の多くは学問の話しではなく書類づくりの話しになっていきました。
 本メルマガをお読みの先生方が所属している職員室はどのようになっているのでしょうか。
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【 5 】編集後記「~自己観照~」
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今月より,新井明先生から編集を引き継ぐことになりました。
 重責を担うこととなり、緊張しています。新井先生は本メールマガジンの編集を2010年の第17号から2024年の第182号まで担当されてきました。私は,この約15年の間、読者として毎月の配信を楽しみにしていました。今月からは,この楽しみが緊張と責任にかわります。
「自己観照」は,ある電機メーカーの創業者が発信したコトバです。私は以前,その電機メーカーで営業の仕事をさせてもらいました。毎日朝礼では創業者の精神を皆で声に出して唱和していました。緊張と責任を体全体で受け止めようとしたときに、この昔の思い出が浮かび上がってきたのです。
 自分の心をいちど自分の身体から取り出して、外から自分を見直してみるという姿勢を忘れないで皆様と共に学んでいきたいと思っています。(金子幹夫)
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